Arabian Nights Craze~狂乱千夜一夜~

三塚 章

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第7話 それでも、祈るくらいは

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 ダイキリは、ゆっくりと目を開けた。頭のてっぺんまでかけていた毛布を外す。時計を見ると、結構長い間眠っていたらしい。もうすぐ昼だ。
「急に起きないほうがいいですよ。ケガをしているのですから」
 あまり聞きなれない女性の声に、ダイキリは少しギョッとした。
「あ、ああマイニャ」
 ベッドの傍に立っていたのは、マイニャだった。彼女は、少し疲れた顔をしていた。
 すっかりマイニャになついたカエルが、彼女の肩に張り付いている。
「ガウランディアさんから頼まれましたの。貴方の様子を見てくるように」
 マイニャは手に持っていた救急箱を軽く持ち上げて見せた。
「ガウ嬢が?」
 起き上がりながらダイキリは訊いた。ガウランディアは結構用心深い所があって、アジトの内を部外者がウロつくのを嫌う。その彼女がなんでマイニャにこの部屋を教えたのだろう? 
「それにしても、随分変わったお部屋ですわね。貴方を見つけるまで迷子になるかと思いましたわ。あちこち見て歩くような失礼なことはするつもりなかったのですけれど」
 マイニャはぐるりと部屋を見回した。
 ダイキリの部屋は、あちこちに茶色い毛布が吊るされていた。それを仕切りにいくつも小部屋が作られていて、半分迷路になっている。それぞれの部屋には服やら靴やら、変装用の道具が種類別に置かれていた。
 ミラルジュの民は、主に崖をくりぬいた洞窟に住んでいた。荒地の多い星の中で、跳躍(ちょうやく)竜や罠猫などの肉食獣の栄養源になるのを防ぐためだ。
 崖の穴、といってもただ岩をくり抜いただけではない。壁には彫刻が施され美しく飾られているし、鏡の仕掛けと、日を通すほど薄く削られた石の窓で洞窟の奥までやわらかな光が引き込まれ、居心地はいいのだが、それでも設計上、一つ一つの部屋は小さめにできている。
 小さい時の影響は大人になっても抜けない物で、ダイキリは狭い所の方がリラックスできる。というわけで、物の整理をかねてこういう間取りになったのだ。
「この方が落ち着く。故郷の星に似せてあるんだ」
 ダイキリはベッドに腰かけ、カーテンではない本物の壁によりかかった。その壁には、大きな鏡が貼り付けられていた。
「その大きな鏡も、ミラルジュの星にある何かに似せてあるんですか?」
「いや、これは変装のチェックをするための……」
 変装し終わった所ならともかく、準備中のマヌケな所を話題にするのはなんとなく居心地が悪い気がして、ダイキリはポリポリ後ろ頭をかいた。
「そう…… ダイキリさんは、家族と離れて寂しくないんですか?」
 いきなりそんなことを聞かれて、少しびっくりする。
 もう親元が恋しい歳ではないし、今の世の中、子供のうちから無理に一族から引き離されるのも同情が引けるほど珍しい事ではない。
 こういう質問が出る所、やっぱりマイニャはお嬢様なのだろう。
「別に、考えたこともない」
「そう、ですか」
 いったん、会話がそこで止まった。
「あ、あの。ごめんなさい」
 マイニャがうつむいた。垂れた長い髪を耳にひっかける。
「ケガのこと。なんだか、私の家族のゴタゴタに巻き込んでしまったみたいで」
「こういうのが、私の仕事だ。それに、戦うのを断ったら、ガウ嬢にもっと酷い傷を付けられる」
 冗談を言ったのに気がついてくれたらしい。マイニャはほんの微かに笑ってくれた。
 けれどそれは一瞬で、マイニャはまたうつむいてしまった。
「なんだか、もう一つ貴方に謝らなければならなくなりそうですわ」
「む?」
「あなたは、おっしゃったじゃないですか。『ユルナンは、イケナイ事に手を出して、アブナイ奴に目を付けられた』って」
 マイニャが何を言おうとしているのかわからなくて、ダイキリは次の言葉を待った。 
「あなたの言葉、正しいのかも知れません。聞いた時は『そんな事ありません』って怒ってしまったけれど」
 マイニャの目に涙が溜まって転がり落ちる。
「お父様は、普段はお優しいのに、私がお仕事の事を訊くと必ず不機嫌になりましたわ。
何も知らない者が、口出しするなという感じで。お母様の…… お母様のお葬式にも出ないくらい夢中で」
 ダイキリは今すぐここから逃げたくなった。数日前に会った女の子にそんな重大なことを言われても、どんな反応をしていいやらわからない。
 そもそも、ダイキリは地球の女という物が苦手なのだ。ワケのわからない事で泣いたり笑ったり、一貫性がないから扱いに困る。(同じ地球人のカシなら分かるかと昔訊いた事があったが、なにやら疲れきった顔で『お前、それは紀元前から変らない野郎共の永遠のテーマだぞ』と言われてしまった)
 たらりと首筋に流れるダイキリの汗に気づかず、マイニャは震える声で続けた。
「でも、それでも私は信じていましたの。お父様は大切な仕事を抜けられないんだって。皆の役に立つために」
 マイニャの目がぼんやりと遠くを見たまま自分を映していないのに気がついて、ダイキリは少し安心した。彼女は、ダイキリに話すというよりは、自分自身に言っているようだった。いろいろぐちゃぐちゃと混乱している心を整理しているように。
 たぶん、ダイキリは静かにマイニャの言葉を聞いていればいいのだろう。置物か岩になった気分で。
「ハスの池の傍で寝転ぶのが好きだったのは、そうすれば飛んで行く宇宙船を見られるから。きっとあの船には、これから恋人に会いに行く女の人が乗っている。その隣には、初めて一人旅に出る男の子が乗っているんだろう。そんな風に、勝手に想像できたから。そういう人のために父はがんばっているんだ、と思えば寂しさも怒りも落ち着くから」
 マイニャは、細い指が折れないか心配になるくらいキツく、両方の拳を握り締める。
「でも、それは間違いでしたわ。お父様は、ビスラと組んで何かを企んでいましたのよ! 何か…… とてもひどい事を!」
「違う」
 気がつくと、ほとんど無意識に、ダイキリはそんなことを言っていた。
「何が違いますの!」
 母を殺したのはあなたですわ、とでも言うぐらいの勢いで、マイニャはにらみつけてきた。
「そうでなければ、なんで今、父はここにいませんの? なんで金属細胞を開発しておきながら、公にしていませんの? あなたは知らないのですわ。科学に携わる物が、その知識を悪用するとどれほどの事ができるか!」
 ほとんどマイニャは叫んでいた。
「あの金属細胞。あれはおそらく、機械に忍び込む習性をつけられているのに違いありませんわ」
 それは、作戦室で金属細胞を見た時から考えていた事だった。しかし、それをガウランディアに告げることはどうしてもできなかった。それは、大好きな父が恐ろしい物を創ったことを認めてしまうことになるから。
「そして、忍び込んだ機械の回路を乱す。そうなったら最後、取り憑かれた機械はどんなに頑丈に出来ていても破壊されてしまうんだわ。爆弾よりも確実に」
 違うと思った理由は、ダイキリにも分かっていなかった。だから、とりあえず初めてユルナンとあった時の事を思い出してみる。
「カシが、ユルナンと初めて会ったときのことを話した事、覚えているか」
「ええ。たしか、あなた方が困っている所をお父様が助けたと」
 ダイキリは、ポツポツとその時のことを話し出した。
 ユルナンと出会ったのは、半分凍りついているような開拓中の星だった。やたらカシが寒さに文句を言っていたのを覚えている。もちろん、カシでなくてもそこに住む人々には炎がいるわけだ。
 だが、その星の地方役人は貧乏人が凍死するのもかまわずに、商人と結託して生活用燃料の値を吊り上げていた。自分達がよその星で豪華に遊ぶために。
 ダイキリ達はその証拠をつかみ、その星の政府へ垂れ込もうとするところだった。一つはちょっとした正義感から、そして何より宇宙船がガス欠で、報酬として燃料をもらうために。
 命に関わる商品の不当な価格操作はその星では重罪だ。役人達も必死で妨害をし、カシ達は鉱山に追い込まれてしまった。
 たまたまその鉱山に視察に来ていたのが、ユルナンだった。ダイキリ達が坑道に入ってきたのに気が付かなかったフリをして、発掘用の爆薬で通路の一部を封鎖し、役人達を足止めしてくれた。
 重要なのは、当然その時ダイキリ達が告発に成功するかなんの保証も無かった、ということ。もしダイキリ達が役人達に捕まったとき、手を貸したユルナンも厄介なことになっただろう。間違いなく。
「その時、ユルナンは言っていた。『なに、実はこの星で自分の娘と同じぐらいの子供と仲良くなりましてね』」
 できる限りその時のことを正確に伝えたくて、ダイキリはユルナンの言葉をそのまま、できる限り思い出してみる。
「『あなた方は、この星を救おうとしている。ですから、ちょっとあなた方の力になってあげてもいいかな、って思いまして。そうすれば、その子を助けることになるでしょう?』そういって、笑った」
 ダイキリは頭をガリガリかいた。
「どう言えば。その、ユルナンは遠くの星にいても、お前のことを覚えていて、そして、お前に似ている子供を救うってことは、その、お前ではないがお前のことを……」
 ダイキリは、一瞬ベッドから出て女に化けてこようかとも思った。他の人間に化けると、自分だけど自分ではないから、すらすら言葉が出てくる。
 けれど、結局それはやめることにした。そんなことをしたら、余計に言いたい事が伝わらなくなるような気がして。たくさん話せるようになるのに、なんでそうなるのかは分からないけれど。
「あり…… あり、がとうございます」
 マイニャはあふれてきた涙を、手の甲でぬぐう。
 言いたい事はなんとか伝わったらしい。ダイキリはそっと息を吐く。
「でも、わかりませんわ。何を信じたらいいのか。お父様は、何を考えていますの?」
「泣くな、マイニャ」
 ずっとめそめそしているばかりのマイニャに、ダイキリは少しいらだった。
「私は、お前が嫌いだ」
 マイニャの鼻先に人差し指を突きつけると、涙のあふれた目できょとんと見つめ返してきた。
「なんで、そう泣いてばかりなんだ? 何を信じたらいいのか分からないなら、直接ユルナンに会って訊けばいい」
「けれど、お父様の行方は、まだ……」
「だったら、なぜ探さなかった?」
「探してますわ! 何人も協力してくれて……」
「違う。そういうことではない。なぜ自分自身で探しにいかなかった?」
「そんなこと、どうしてできますの! 私には、何もできない。一人で旅をする事だって……」
 マイニャはダイキリの肩を軽く突き飛ばそうとした。
 細い指先が鎖骨に引っ掛かる。勢いで、そのままかくように手を下ろしたとき。酷い日焼けのように、白い皮膚がべろりとむけて指先にからみついた。
「きゃあああ! ご、ごめんなさい!」
「落ち着け。大丈夫だ」
 垂れ下がった白い皮膚は霧になって消えて、マイニャはようやくそれがジンで造られた偽物だったことに気がついた。
 本物のダイキリの肌がむき出しになる。小さな入れ墨が、左の鎖骨の下に施されていた。太さの違う線が、細長い四角の形にきちんと並べられた模様。バーコード。
「あの、それは……」
 その印が何を表すのか、マイニャは知識としては知っているようだった。けれど、実際見るのは始めてのようだ。
「奴隷の印」
 マイニャが遠慮して途中で切った言葉の後半を、ダイキリが言い切った。
 地球人がミラルジュの民の子供をさらい、奴隷にする犯罪はしばしばある。一部の地球人に取って、ミラルジュの民は獣と同等だ。その根拠は暗い穴倉に住んでいるから、機械のレベルが地球より劣っているから、という感情的な物にすぎない。だがだからこそ、その考えを取り除くことはむずかしい。
 ダイキリは、自分の過去を特に恥とも誇りとも思っていなかったが、自分から進んで入れ墨を人に見せることもしなかった。
 この印に気づいた者の大抵が、いきなり態度を変えるが不愉快だったから。好意的だったはずの目が、冷たく蔑んだような、でなければ怯えたような目にように変わった。中には変に哀れんできた者もいた。
 だがマイニャは、怯えも哀れみもしない代わりに、目を見開いただけだった。
「信じられませんわ。奴隷の売買は、法で禁止されているはず」
 お嬢様らしい言葉に、ダイキリはおかしくなった。法の目の届いていない星なんて、五万とあるのに。
「私は、自分の置かれた状況が気にいらなかった。だから、逃げ出した。お前は、手首に鎖をはめられているわけではない。出かけようと思えば、ユルナンを探しに行くこともできたはずだ。それなのに泣いてばかり…… 嫌いだ」
 呆然としているマイニャから救急箱を奪い取る。脇腹の傷は、大分痛みが軽くなって、血も止まっているようだ。念の為、もう一回薬を塗っておけば大丈夫だろう。
 一応マイニャはお嬢様だから、目の前で包帯外して傷を見せて、というのはまずい気がする。これがガウランディアだったら、傷口に弾が残ってないか見てやろうか、なんて言われる所なのだが。
 カーテンの端に手をかける。
「ダイキリさん!」
 マイニャがいきなりダイキリの手首をつかんできた。あまりに必死なその表情に、ダイキリは一瞬刺されるかと思った。
「それ、その指輪! どこで!」
 ダイキリがはめていたのは、半透明な紫の石をくり抜いて作った指輪だった。もとは地球人用で、人差し指にはめる物のようだ。ミラルジュの民の人差し指には大きく、ダイキリは親指にはめていた。
「こ、これか? ダ、ダウザーが落としていったんだ。もったいないし、キレイだから、勝手にもらったのだが、それが、何か」
 奪い取るようにして、マイニャは彼の手から指輪を外した。そして、ていねいに両手で包み込む。そして、祈るように額に押し付けた。
「これ…… 母の形見の指輪です。母が死んで、父が持っていたはずなのに。私が結婚する時に渡すからと」
 マイニャの肩に乗っていたカエルが、急に壊れたようにケロケロ鳴きだした。マイニャの腕を這い下りて、手首の辺りに陣取る。そして関節が白くなるほどきつく結ばれたマイニャの両手を、ぺしぺしと叩き始めた。
「これが欲しいの? カエルさん」
 マイニャは、そっと両手を開いた。その時、何かに気がついたらしく、マイニャは形のいい眉をしかめた。
「おかしいわ。こんな宝石、こんな所についていなかった」
 指輪の中央に、小さな黒い宝石が埋め込まれていた。よく見ると宝石に針で刺したような穴がある。石の色と光の加減で見えにくいが、そこに、小さな黒いチップのようなものが埋め込まれているようだった。
 開いた手の平にカエルは飛び乗る。そして、パクッと指輪を飲み込んだ。
「きゃ! ちょっと、返して!」
 マイニャが口をこじ開けようとする。
「待てマイニャ。何か聞こえる」
 機械が何かを読み込むときの微かな音がカエルの背中から響いた。黄緑色の口がぱかっと開く。
『あ、あ~ テスト、テスト』
「ユルナン!」
「お父様!」
 カエルから響いたのは、ついさっきダイキリが思い出そうとしていたユルナンの声だった。
『うん、大急ぎで造ったにしてはきちんと動くようだ』
 ユルナンの声は、ナイショ話をするように低く落とされていた。
「あのチップ、小型の録音機だったのか」
 どこかの実験室で、この指輪にむかって囁いているユルナンの姿がダイキリの頭に浮かんだ。
『時間がない。あいさつは抜きにするよ。マイニャ、久しぶりだね』
 ダイキリは、慌てて壁にある通信機のスイッチを入れた。これでスイッチを切らないかぎり、この部屋の音はカシとガウランディアの耳にも届くはずだ。
 小さなスピーカーからカシのノーテンキな声が聞こえてくる。
「どうしたん、ダイキリ? マイニャちゃんとラブラブな所を聞かせてくれるのか?」
「黙って聞け! さもなきゃ死ね!」
 ガウランディアは何も言わないが、通信機から彼女が耳を澄ましている気配は伝わってくる。
 ユルナンの言葉は続いた。
『懺悔だ。僕は、ビスラ博士と共同で金属細胞を創り出した。開発はなかなか大変だったが、うまくいったよ』
「やっぱり」
 ガウランディアが呟く。
 ユルナンは、淡々と金属細胞の習性を述べた。それは、マイニャがダイキリに語った事と同じだった。機械にもぐりこむこと。そしてもぐりこんだ機械を壊すこと。
『どんな大きい物だって。そう、例えば船のような物でも逃れる事はできないだろうね。金属細胞を沈めたい船にこっそり持ち込み、放ったら、おもしろい事になるだろう。細胞は、自分で船の中枢へ入っていく。爆弾を仕掛けるよりも簡単だ』。
 吐き気を抑えるように、マイニャが自分の唇を押さえる。細い肩が激しく震えていた。
『皆がこの細胞を欲しがるだろう。何せ、取り付いた機械を壊す回路だ。要人の乗った船を沈めてもいい。大量生産してばら撒けば一国の軍備を無力化できる。きっと高値で売れるに違いない。さすが、私とビスラは天才だな。ハハハハ』
 力のない笑いは、急にやんだ。また小さく笑ったのか、それとも涙をこらえたのか、ユルナンは小さく息を吸った。
『ファイン・アンブレラ号での実験も成功した。そのうち、プログラム通りに船を操る事もできるようになるかも知れないな』
「嘘だろ、ユルナン! 手前の奥さんが乗った船だろが! 俺達を助けてくれた奴が、そんなことするわけねえよ! 何人、何人死んだと思ってるんだ!」
 カシの叫びに、もちろんユルナンが応えるはずはない。
「いやぁ、あ……」
 マイニャが悲鳴にもならないか細いかすれ声をあげた。ずるずると冷たい床に座り込む。ダイキリはベッドから立ち上がり、その肩に手を乗せた。
『マイニャ。すまない。君の母さんを殺したのは僕だ』
 マイニャが小さく息を呑んだ。
『最初は、機械の補修に使うと聞いていたのにな。だからこそ、共同開発をしたんだ。けれど、ビスラは細胞に破壊のプログラムを組み込もうとしていた。気づいた時は遅かったよ。もちろん僕は反対した。悪用できないように細胞を改良する、そうでなければ開発を降りると。その代償が、妻の命だ。開発途中だった金属細胞を使ってね。そして、次はお前を殺すと…… だから、従うしかなかった』
 泣いているのだろう。ユルナンの声は震えていた。
 マイニャが、ダイキリの腕をつかんできた。手が細かく震えるほど強く。痛んだが、ダイキリには払いのけることなどできなかった。
 マイニャは、ダイキリに言われた通り、何が起こったのかを受け止めようとしている。これからどうするかを決めるために。相変わらず涙を流しながら。
『ビスラの目を盗んで、完成した細胞を持ち出してきた。二つに分け、二匹のペットロボットにそれぞれ託そう。そうすれば、片っぽ捕まっても片っぽは逃げ切るかもしれないだろ? ああ、でも記憶チップ入りの指輪は一匹にしか入れられないな。一個しかないから。指輪入りの方が間違いなく届くといいんだが。そっちのカエルは、娘の顔を認識するとこのメッセージを再生するはずだ』
「指輪? そんな物カエルの腹になかったぞ?」
「カシ、黙って聞いていろ!」
『ガウランディア、君の宇宙船がミルリクに不時着したことは知っている。勝手ですまないが、このカエルには君のもとへ行くようプログラムしてある。どうか、娘を守ってやってくれ。うまく届くかは分からないが』
「確かに受け取った」
 性能のいい通信機は、ガウランディアの呟きをダイキリの部屋に流した。
『よく聞きなさい、マイニャ。このメッセージが終ったら、ガウランディアの言う事を聞くんだよ。ガウランディア、ビスラは金属細胞を……』
 コツコツと、ユルナンの後ろで、小さい音がした。足音だった。
『人が来た。時間がない。母さんの指輪を大切にしてくれ。マイニャ、どうか君に幸あらんことを。こんな私でも、それを祈るくらいは許されるだろう』
 メッセージが終っても、まだ指輪の記憶チップは録音を続けていた。足音がだんだんと大きくなり、エアハッチが開く音が響く。
『ユルナン! 金属細胞をどうした!』
 どなり込んできた声の後ろでペタッペタッ、と濡れた布で床を叩くような音がかすかに響き始め、遠ざかっていく。ユルナンにこっそりスイッチを入れられたカエルが、部屋からそっと逃げ出しているのだ。
 カエルに指輪が入っていなかった理由がそれだった。ユルナンは、パズルを隠すのが精一杯で、指輪まで入れる余裕がなかったのだ。
『ああ、金属細胞ですか? 食べちゃいましたよビスラ』
 ふざけた言い方をしているが、緊張をしているのだろう。ユルナンの声は低く抑えられていた。
『バカなことをいうな』
『決めました、ビスラ。もうあなたに協力することはできない』
『まあいいさ。もう金属細胞は完成した。お前は用済みだ』
 かすかな、虫の羽音のような響きがカエルの口からもれる。ダイキリ達には聞き慣れた音。弾の代わりに光の矢を撃ち出す銃の起動音。
「いや、やめて……」
 マイニャの言葉は、うわごとのようにかすれて震えていた。
 ユルナンは低くふくみ笑いをもらす。
『私は、もっと早くに死ぬべきだった。ビスラ。あなたに話を持ちかけられた時に』
「お父様、逃げて……」
『そうすれば、金属細胞は完成しなかった。そうすれば、妻も、ファイン・アンブレラ号の乗客達も、町の人間も、誰一人死なずにすんだのに』
 そして、人の体が床に崩れる、吐き気がするほど決定的な音。
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