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一章
戦え、我が不肖(ふしょう)の弟子よ
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いつの間にか、ラティラスは走っていた。気がついたら街の明かりから離れた河の傍に出ていた。土手を下り、橋げたに寄りかかる。普通に歩いている者にはまず見つからない場所だ。目の前の河は闇に沈み、大量のインクが流れているようだった。
これからどう行動するにせよ、この制服では目立ってしかたない。
人気(ひとけ)がないのをいいことに、隅に隠れるようにして失敬してきた服に着替える。制服は剣の鞘で地面を掘って埋めた。
足下の草むらは少し湿っていて、足先が冷えた。喉がくっつきそうなほどに乾いていた。そういえば、気絶から覚めてから水も飲んでいない。
「やれやれ」
妙に疲れてしまい、ラティラスはずるずると座り込んだ。
「こんな状況でも喉が渇くし腹も減るんですねえ。悲しいくらいに健康」
「いい事じゃねえか」
いきなり声をかけられ、ラティラスはとっさに剣の柄に手を伸ばす。
「ベイナー師匠!」
「やっぱり、ここにいたか。お前は子供の時、嫌な事があるとよくここに避難してたもんな」
草を踏んで現れたのは、四十ほどの背の高い男だった。どこにでもあるような服を着ているが、均整のとれた体と射抜くような目で、長い間戦いの世界に身を置いている者だとわかる。
ベイナーは正式な騎士ではないものの、戦争のときだけ戦い平時は畑を耕す一般の兵と違い、城の警護から他国からきた要人の警護まで行うロアーディアル専属の武人だった。もっとも、たまに数か月いなくなったと思ったら大きな傷を作って帰って来て、聞いてもどこで何をしていたか教えてくれないところ、彼の仕事はもっと複雑なのだろうとラティラスは思っていたが。リティシアとラティラスの剣の師匠でもある。
「こんな時間にどうしたんです? 娘さんは?」
ベイナーは五年前に妻を亡くし、一人で娘を育てていた。
「今日は祭りみたいなもんだったからな。遊び疲れて眠っているよ」
「……王に命じられて、ワタシを連れ戻しに来たんで?」
ラティラスは柄から手をどかさないまま呟いた。もっとも、力づくでこられたら勝てる気はしないけれど。
「いや、まだその命令は受けていない。個人的にちょっと探してみただけだ。けどまあ、近々リティシア様とお前の探索の命が俺にもくだるだろう」
剣を抜く意志がないことを暗に示すために、ベイナーは腕組みをした。ということは、問答無用で城に連れ帰られるのは避けられそうだ。ラティラスは少し警戒を解いた。
「お前が行方不明なのは、死体と生き残りの数から城もわかってる。中にはお前が賊とつるんで姫をさらったって言い出す奴もいるくらいだ」
「ええ、知っていますよ」
ベイナーはそこで改めてラティラスを見すえた。気の弱い者ならそれだけで秘密を白状しそうな目だった。
「だが、俺にはお前がそんな事をするとは思えん。一体、何があったんだ」
ラティラスは、黒ずくめの男に襲われた事を告げた。姫がさらわれたらしいこと、自分が穴に落ちて気を失った事を。
聞き終わった師匠は、渋い顔をした。
「正体不明の黒づくめの男か。生き残った奴の報告と対して変わらねえな」
「奴らの正体について、何か城の方に情報は入ってませんかね?」
「それが不思議なぐらい無い。敵さんからなんらかの連絡があってしかるべきなのにな。一国を敵にまわそうっていうのだから、それなりの組織の奴だとは思うが」
「つまり、ワタシは姫の居場所と敵の目的と正体を調べないといけないわけですね。厳しいですねえ」
ラティラスの言葉に、ベイナーは片眉をあげた。
今度はラティラスがベイナーを見据える番だった。
「とりあえず、ワタシは当分城に帰るつもりはありません。姫様をこの手で助けたい」
そう口に出してみると、自分でも無謀なことを考えていると思った。だが、不思議とひるむ気持ちにも、言葉を撤回する気持ちにもならなかった。
「もしこのまま城に戻って、正直に話したとしても、自由にお散歩できる身分になれるとは思いませんからね。当分の間外に出られなくなるでしょう。カワイイ弟子のためだと思って、見逃してくれませんか」
「疑惑の人物が出てこないんじゃ、お前を探す貼り紙が国中に貼りだされるだろうよ。城からも追われる。簡単な事じゃないぞ」
「とりあえず、覚悟が必要な事はよくわかりましたよ」
人の体を切り裂いたときの感触がよみがえって、ラティラスは無意味に両手を服で拭った。今、感じている不快感に師匠も覚えがあるのだろうか。いつか、慣れる物なのだろうか。聞いてみたかったが、今はその時ではない気がしてラティラスは黙り込んだ。
ベイナーはしばらく黙ってラティラスを見ていた。そして指を一本立てた。
「一回だけ。この一回だけ見逃してやる。だが、次に会ったら嫌でも城に来てもらうぞ」 ラティラスは黙って頭を下げた。
「ほれ」
ベイナーは小さな紙を取り出した。そこにはどこかの住所が書かれていた。
「これは?」
「逃げる役にたつはずだ。サーシャに会え」
「サーシャって……」
確か、師匠の恋人の名前だ。実際会った事はない物の、師匠からのろけ話を聞いたことがある。
「オレの紹介だといって、フェティナという香水を着けろというんだ」
ベイナーはちらっと城の方を眺めた。仕事を抜け出して、行方不明のラティラスを探してくれたのかも知れなかった。
「あ、そうだ。いくつか忠告しておく」
ベイナーは剣を教えるときの口調になった。
「賊が何者かわからないが、ジャマになればお前を消そうとするだろう。近付いてくる者には気をつけろ。相手が剣を持っていなくても、女でも、油断をするな」
「はい」
「それから、はっきり言ってお前は騎士の素質はない。『正々堂々』なんて言葉は犬に食わせろ。道化の戦い方で行け」
「はあ……」
(道化の戦い方? そもそも道化は戦いませんが?)
いまいち意味がつかめず困惑しているラティラスにかまわず、ベイナーは大きく手を打った。
「そら、もうおしゃべりしている時間はないはずだぞ。行け!」
その言葉に急かされるようにして、ラティラスは師匠に背をむけ走りだした。闇の中にむかって。
これからどう行動するにせよ、この制服では目立ってしかたない。
人気(ひとけ)がないのをいいことに、隅に隠れるようにして失敬してきた服に着替える。制服は剣の鞘で地面を掘って埋めた。
足下の草むらは少し湿っていて、足先が冷えた。喉がくっつきそうなほどに乾いていた。そういえば、気絶から覚めてから水も飲んでいない。
「やれやれ」
妙に疲れてしまい、ラティラスはずるずると座り込んだ。
「こんな状況でも喉が渇くし腹も減るんですねえ。悲しいくらいに健康」
「いい事じゃねえか」
いきなり声をかけられ、ラティラスはとっさに剣の柄に手を伸ばす。
「ベイナー師匠!」
「やっぱり、ここにいたか。お前は子供の時、嫌な事があるとよくここに避難してたもんな」
草を踏んで現れたのは、四十ほどの背の高い男だった。どこにでもあるような服を着ているが、均整のとれた体と射抜くような目で、長い間戦いの世界に身を置いている者だとわかる。
ベイナーは正式な騎士ではないものの、戦争のときだけ戦い平時は畑を耕す一般の兵と違い、城の警護から他国からきた要人の警護まで行うロアーディアル専属の武人だった。もっとも、たまに数か月いなくなったと思ったら大きな傷を作って帰って来て、聞いてもどこで何をしていたか教えてくれないところ、彼の仕事はもっと複雑なのだろうとラティラスは思っていたが。リティシアとラティラスの剣の師匠でもある。
「こんな時間にどうしたんです? 娘さんは?」
ベイナーは五年前に妻を亡くし、一人で娘を育てていた。
「今日は祭りみたいなもんだったからな。遊び疲れて眠っているよ」
「……王に命じられて、ワタシを連れ戻しに来たんで?」
ラティラスは柄から手をどかさないまま呟いた。もっとも、力づくでこられたら勝てる気はしないけれど。
「いや、まだその命令は受けていない。個人的にちょっと探してみただけだ。けどまあ、近々リティシア様とお前の探索の命が俺にもくだるだろう」
剣を抜く意志がないことを暗に示すために、ベイナーは腕組みをした。ということは、問答無用で城に連れ帰られるのは避けられそうだ。ラティラスは少し警戒を解いた。
「お前が行方不明なのは、死体と生き残りの数から城もわかってる。中にはお前が賊とつるんで姫をさらったって言い出す奴もいるくらいだ」
「ええ、知っていますよ」
ベイナーはそこで改めてラティラスを見すえた。気の弱い者ならそれだけで秘密を白状しそうな目だった。
「だが、俺にはお前がそんな事をするとは思えん。一体、何があったんだ」
ラティラスは、黒ずくめの男に襲われた事を告げた。姫がさらわれたらしいこと、自分が穴に落ちて気を失った事を。
聞き終わった師匠は、渋い顔をした。
「正体不明の黒づくめの男か。生き残った奴の報告と対して変わらねえな」
「奴らの正体について、何か城の方に情報は入ってませんかね?」
「それが不思議なぐらい無い。敵さんからなんらかの連絡があってしかるべきなのにな。一国を敵にまわそうっていうのだから、それなりの組織の奴だとは思うが」
「つまり、ワタシは姫の居場所と敵の目的と正体を調べないといけないわけですね。厳しいですねえ」
ラティラスの言葉に、ベイナーは片眉をあげた。
今度はラティラスがベイナーを見据える番だった。
「とりあえず、ワタシは当分城に帰るつもりはありません。姫様をこの手で助けたい」
そう口に出してみると、自分でも無謀なことを考えていると思った。だが、不思議とひるむ気持ちにも、言葉を撤回する気持ちにもならなかった。
「もしこのまま城に戻って、正直に話したとしても、自由にお散歩できる身分になれるとは思いませんからね。当分の間外に出られなくなるでしょう。カワイイ弟子のためだと思って、見逃してくれませんか」
「疑惑の人物が出てこないんじゃ、お前を探す貼り紙が国中に貼りだされるだろうよ。城からも追われる。簡単な事じゃないぞ」
「とりあえず、覚悟が必要な事はよくわかりましたよ」
人の体を切り裂いたときの感触がよみがえって、ラティラスは無意味に両手を服で拭った。今、感じている不快感に師匠も覚えがあるのだろうか。いつか、慣れる物なのだろうか。聞いてみたかったが、今はその時ではない気がしてラティラスは黙り込んだ。
ベイナーはしばらく黙ってラティラスを見ていた。そして指を一本立てた。
「一回だけ。この一回だけ見逃してやる。だが、次に会ったら嫌でも城に来てもらうぞ」 ラティラスは黙って頭を下げた。
「ほれ」
ベイナーは小さな紙を取り出した。そこにはどこかの住所が書かれていた。
「これは?」
「逃げる役にたつはずだ。サーシャに会え」
「サーシャって……」
確か、師匠の恋人の名前だ。実際会った事はない物の、師匠からのろけ話を聞いたことがある。
「オレの紹介だといって、フェティナという香水を着けろというんだ」
ベイナーはちらっと城の方を眺めた。仕事を抜け出して、行方不明のラティラスを探してくれたのかも知れなかった。
「あ、そうだ。いくつか忠告しておく」
ベイナーは剣を教えるときの口調になった。
「賊が何者かわからないが、ジャマになればお前を消そうとするだろう。近付いてくる者には気をつけろ。相手が剣を持っていなくても、女でも、油断をするな」
「はい」
「それから、はっきり言ってお前は騎士の素質はない。『正々堂々』なんて言葉は犬に食わせろ。道化の戦い方で行け」
「はあ……」
(道化の戦い方? そもそも道化は戦いませんが?)
いまいち意味がつかめず困惑しているラティラスにかまわず、ベイナーは大きく手を打った。
「そら、もうおしゃべりしている時間はないはずだぞ。行け!」
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