姫と道化師

三塚 章

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一章

そして命は消えうせて

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 ラティラスを見送ったあと、ベイナーはしばらく闇の中を流れる河を眺めていた。肌寒いほどの河風がかえって気持ちよかった。
 ラティラスはどこまでやれるだろう? もちろん、奴が姫を助け出せるとは思っていない。途中で城の者につかまるのがオチだ。ひょっとしたら姫をさらった奴に殺されるかも知れない。
 だが、それならそれでいい。
 ベイナーは、他の誰でもなく、ラティラスのためにそう思った。出来の悪い弟子ほどかわいいというか、ベイナーはラティラスの事を気に入っていた。
 自分が何一つ行動を起こさないままリティシアが殺されたら、それはラティラスに一生癒えない傷をつけるだろう。自分は惚れた女を見殺しにした男だと、自分自身に烙印を押してしまうに違いない。あいつはそういう性格だ。そしてその烙印は、呪いのように一生ラティラスを苦しめることになる。
 職業がら、ベイナーはそうして自分自身に呪いをかけた者を何人か知っている。一見平凡に暮らしているように見えても、目に消し切れない濁りを淀ませ、生きているのに死んでいるような奴。あるいは酒に逃げ、緩やかな自殺を図っている奴。もっと直接的に縄で自殺した奴。
 そうやって恥をさらすよりも、力を尽くした結果命つきた方がよほどいい。異論はあるかも知れないが、ベイナーはそう思っていた。
 まだにぎやかな街に戻る気にはなれず、河にそって歩き出す。
しかし、リティシア姫をさらったのは誰だ? 目的は? 革命を狙うテロリストにしても、なんの声明もないのはおかしい。
 何より自分の教え子、リティシアは無事でいるのだろうか。
 足を進めるたびに踏みしめた枯れ葉が音を立てる。周りを囲む虫の鳴き声が不自然に途切れた。そして、自分の物ではない足音がかすかに聞こえる。
「俺とした事が、今の今になるまで気付かなかったぜ。モウロクしたかな」
 もはや隠れても意味はないと思ったのか、黒い布を巻いて顔を隠した男達がぞろぞろと現れた。
こうやって敵に囲まれるのも初めてではない。むしろよくあることだった。
 なにせ、ベイナーの仕事の一端は、有益な亡命者の誘致や武器の流れの調査、要人の暗殺なのだから。その分、命を狙われる心当りは腐るほどで、どの敵に襲われているのか見当がつかない。
 ベイナーは今王の命(めい)でトルバドの行方不明騒動を調べていた。もちろん、トルバドのためなどではない。事件がロアーディアルとの国境近くで起こっているため、我が国に影響がないか、原因が知りたいというのが王の考えだ。ロアーディアルからの旅人も犠牲になっていることもある。
 もしこいつらが吸血鬼がらみなら、おそらくこのベイナーが邪魔になったのだろう。 それとも姫をさらった者だろうか? 
「お前らは何者だ?」
 ベイナーは腰の剣を抜いた。
 リーダーと思(おぼ)しき男が口を開く。
「道化はどこにいる?」
(ラティラスの事か)
 だとしたら、吸血鬼ではなく姫誘拐の方か? ラティラスがトルバドの吸血鬼と関わりがあるとは思えない。
(しかし、なぜここで奴の名が出てくる? まあ、鉢合わせしないで逃げられたあいつは幸いだったか)
 まあ、なんにせよ居場所を教える義理はない。代わりにベイナーも質問で答える。
「リティシア様をどこへやった?」
 その質問に返ってきたのは沈黙だった。
「お互い質問ばかりで答える気がないんだから、ラチがあかないな」
 ベイナーの言葉に、頭(かしら)は布の向こうで少し笑ったようだった。
「だったら、力づくで聞き出せばいい。できる方が」
 その言葉が合図になった。
 肉に群がる獣のように、敵は一斉にベイナーに襲いかかった。
 心臓を串刺しにしようと、敵の何人かが剣を突きだす。
 しゃがみこんでそれをかわしたベイナーは、敵の足を大剣で薙ぎ払う。ぶっ倒れた者の背を踏みつけるのもかまわず走り、包囲を抜ける。敵が集団で追ってくる気配を背中で感じた。
 距離を充分に取った所で、向き直る。
 先頭を走っていた一人が、剣を真上に振り上げる。
 ベイナーの足が地面を蹴った。
 ベイナーは地面と水平に剣を振り、男の胸に叩きつける。男の反応を見届けもせず、その隣を駆け抜ける。
 行く手に立っていた男は、ベイナーの素早さに驚きの表情を浮かべていた。
ベイナーはその右肩めがけて剣を振り下ろす。
 背後に気配を感じ、体をひねり、蹴りを放つ。足の裏に、人の腹を蹴ったときの柔らかい感触。どこかでうめき声が響いた。
 最初に胸を斬られた男が血反吐を吐いて枯草の中に倒れた。他の二人もマネするように沈んでいく。
 ベイナーは頬についた返り血を手の甲でぬぐう。肉食の獣が獲物を狩るときに感じるだろう高揚感。いつの間にか自分の口元がにいっと歪んでいるのを自覚した。
「さすがは国王の切り札と言われるだけの事はある」
 頭(かしら)の男は、少し離れたところに立って、悠々とこちらを眺めていた。
「他の国の奴らが勝手に言ってるだけだよ。それほど信頼厚いというわけじゃない」
 ベイナーは剣を構え直した。まだ相手の頭数は残っている。多数を相手にするときはできるかぎり早く頭(あたま)を落とし、統制を崩すのが常道だ。
 頭(かしら)の喉元を見据え、駆け出す。
 ベイナーの行く手に、頭は何か、大き目の毬ほどの包みを地面に投げ落とした。
 足止めのための小さな爆発物か、ほかの何かか? 走りながら目をこらす。
 半ばほどけた布から、束ねた絹糸のような物がのぞいていた。髪だ。ニスを塗った木の実で作られた髪飾りが飾られていた。前にベイナーが娘と一緒に作った物。娘はそれを宝物にしていた。そしてそれにべったりとついた血。
放り投げられたのは生首だった。しかもそれは娘の――
 ベイナーが動揺した一瞬を敵が見逃すはずはない。腹に激しい重さを感じた。短い刃が自分の胴に突き立てられている。
「何ッ……」
 ベイナーの口から出たのは、そんなありきたりな驚きの声だった。
 刃が引き抜かれ、傷口から血があふれ出す。
 反射的に手を傷口に伸ばそうとしたとき、激痛が全身を貫く。
 ベイナーは片膝をついた。なにか薬でも刃に塗られていたのか、急激に体から力が抜けていく。錆び臭い匂いが鼻をついた。
「貴様、娘を」
 今日の昼、婚礼のにぎわいの中で、買ってあげたタルトをほおばる娘の姿が浮かんだ。
 血と一緒に自分の命がこぼれ落ちていくのを感じる。目の前が水面を通したようにゆがみ、ぼやけ、揺らいでいく。空気が固体になったように息がつまる。ひどい寒気を感じ、体が段々と冷たくなっていくようだった。
 ベイナーは頭を振って意識を現実に繋ぎとめようとした。
 裏には裏のルールがある。たとえ目障りな諜報員がいたとして、その家族に手を出すのは忌むべきこととされていた。もしその暗黙の決まりごとを破れば、直接対立していない国々からも白眼視され、結果様々な悪影響がでるはずだった。
 変な話だが、そういった暗黙の了解がある故に、国々は水面下で安心して戦える。
 それを無視しているということは、国に作られた組織というわけではないはずだ。ならば、一体? ベイナーは剣の柄を握る手に力を込めようとした。だが、視界はますます歪み、力は抜けていく。
 枯草に覆われた地面が渦を巻く。気づくと滲んだ景色を背景に、ラティラスが立っていた。頼りないけれど決意に満ちた目をして。
『ワタシは、姫様をこの手で助けたい』
 そう。何もできなかったと自分を責めるより、やれる事をして力尽きた方がましだ。
だが、無駄死にする必要はない。ここは危険だ。
「ラティラス、逃げろ、サーシャも………」
 ベイナーがうわごとのように呟いた言葉を聞いて、頭(かしら)が生き残っていた手下に声をかける。
「サーシャという女を探せ!」
 そして頭(かしら)は左手でベイナーの髪をつかんだ。そしてなぜかその右手に握られた短剣を投げ捨てる。
「腕利きのお前がリティシアを探し始めたら厄介なことになる。早めに障害を取り除かせてもらおう」
 ベイナーのかすんだ視界の中で、頭の口元が歪んだように見えた。頭(かしら)は何かを取り出した。それが何か判断する間もなく、ベイナーの意識は途切れた。

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