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二章
泣き暮らすだけの姫にはあらず
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リティシアは力なくベッドに横たわっていた。窓がないので正確な日付は分からないが、つかまってから数週間は経っているだろう。
微熱でもあるように頭がぼんやりとする。閉じた瞼の裏には、チカチカと金色の光が舞っていた。毎日少しずつ血を採られ貧血気味だ。腕は痛みを通り越ししびれてきている。きちんと紙とペン持参で採った量まで記録されるのが妙に腹がたつ。
だが、ここにいる間、できる限りリティシアは神経を研ぎ澄ませていた。今いる場所の手掛かり、逃げる時に役立ちそうな情報、敵の正体に繋がりそうな物……そういったモノを見逃したくはなかった。その結果、いくつか分かったこともあった。
リティシアの世話はさらわれた当日にあった男ベルフと、エプロンの女フェシーの二人 (もちろんどちらも偽名だろう)が任されているようだ。そして会話からさっするに、二人は恋人関係にあるらしい。フェシーがよく『あなたは自分勝手だ』とか『いい加減だ』とかよくベルフに言っているが、それなりに仲はいいようだ。
一日の行動パターンも分かってきた。食事は三回。夜になると(といっても時計も窓もないので世話役二人の会話や気温から見当を付けているだけだが)最初にベルフがやってきて、新しい着替えと汚れ物を交換し、何か脱走を企んだ跡や変わった物がないか部屋を調べる。その後フェシーがやって来て血を採って行く。
それにしても不思議なのは、犯人達が自分にひどい扱いをしないことだった。犯され、殺されるのかと内心怯えていたのだが、そんなこともなく、着替えや食事も持って来てくれる。時々体を拭くためのぬるま湯と布まで持って来てくれるほどだ。血が採られるのは不愉快だったが、まあ我慢できなくはない生活だった。もっとも、だからといって犯人達を許すつもりはないが。
扉に鍵が差し込まれる気配がして、リティシアは顔をあげた。そろそろベルフが着替えを持ってくる頃だった。
予想通り、入ってきたのは左手に着替えを抱えたベルフだった。部屋に入ると同時に右手をポケットに入れる。
(なんだ?)
リティシアはその動作が気になった。ずっと何かを見ながら廊下を歩いてきて、部屋で仕事をするためにその『何か』をポケットに入れたような。
「起きろよ、シーツを取り替えてやる」
いいことでもあったらしく、ベルフは妙にご機嫌で言った。
リティシアはふらふらと立ち上がり、壁に寄り掛かって、ベルフ作業を終えるのを待つ。 ベルフは口笛を吹きながらシーツを換え、枕の下やベッドの下を点検する。
点検を終え、ドアに向かって歩き始めたベルフが、自分の前に来た時を見計らって、リティシアは「ん……」とかすかなうめき声をあげた。
よろめいてベルフにもたれ掛かる。
「お、おいおい」
ベルフの腕が肩を支えた。
リティシアは、半分抱きつくようにベルフの腰に腕を回す。胸の膨らみがベルフの胸に押し当てられているのは計算の上だ。
「あら、ごめんなさい。血が足りなくてふらふらするの」
リティシアはベルフのポケットに手を突っ込み、さっき彼が仕舞い込んだモノを探りあてた。スリの真似事など初めてだが、相手が鼻の下を伸ばしまくっている今ならできるだろう。
いつもの通り、廊下でフェシーがワゴンを押す音がしてきた。これなら万一襲い掛かられてもフェシーが止めてくれるだろう。
「ねえ、着替えを手伝ってくれないかしら。服を脱がせて」
リティシアはベルフの目を見上げた。
ベルフが生唾を飲み込んだ時、ドアが勢いよく開いた。
「ちょっと、何してるのよ!」
ワゴンを置き放しにして、フェシーがつかつかと歩みよってきた。突き飛ばされ、リティシアは床に力なく座り込んだ。
「おい、勘違いするなよ。こいつがよろけたから支えてやっただけだ」
咎(とが)めるようにベルフが言った。
ここで『襲われそうになった』とでも言えば面白いことになるだろうが、それはやめておくことにする。
フェシーは無言で男をにらみつけている。
「それに、フィダール様に『この女にちょっかい出すな』ってうるさく言われてるのはお前も知ってるだろ。命令に背いたら殺されちまわぁ。いくらこいつがいいカラダしてるからって命と引きかえにモノにしようとは思わねえよ」
『いいカラダ』辺りで男に飛び蹴りをかましたい衝動に襲われたが、リティシアはなんとかこらえた。
「本当に?」
フェシーはリティシアの顔をのぞきこんだ。
「ええ。大丈夫、あなたの恋人を盗るつもりはないわ」
立ち上がりながらリティシアは言った。
「……まあいいわ。採血の時間よ」
鋭いフェシーの視線に追い出されるようにベルフが外へと出て行く。
その日は少し深めに腕を切られるのは覚悟の上だった。
一人になった後、リティシアはよろけたふりをしたときにベルフのポケットから抜き取った物を広げてみた。
「ええ……」
小さな布に、バラの刺繍。しかも、リティシアよりもうまい。女性からプロポーズするときに男性に贈る物だ。手触りから布だと分かっていたが、まさかプロポーズの刺繍だとは。
さすがにこんな大切な物は返してやろうかとも思ったが、その考えはすぐに消えうせた。
燃えていく、自分が作ったへたくそなバラの刺繍。
人に言ったらうぬぼれていると思われるかも知れないが、ラティラスはリティシアの事を想ってくれているはずだ。
だが、もちろん一国の姫と道化との結婚が許されるはずはない。それは自分も、ラティラスも分かっていた。
だから、ラティラスはあの刺繍を突き返したのだろう。自分のことなど忘れてしまえと。けれど受け取って欲しかった。例え実を結ばない想いだとしても、別れる時が来るのだとしても、確かに互いの心が互いの物だった印に。
ラティラスに会いたい。そのためなら手段など選んでいられない。
もう一度刺繍に目を落とした。
これは何かに使えそうだ。あとはこれをどううまく使うか。
どうか、うまく人をあざむけますように。罰があたりそうな内容をリティシアは神に祈った。
とりあえず、これを取っておくことだ。使う機会がやってくるまで。それまでどうやって隠す? いい隠し場所はないかとリティシアは周りを見回した。
微熱でもあるように頭がぼんやりとする。閉じた瞼の裏には、チカチカと金色の光が舞っていた。毎日少しずつ血を採られ貧血気味だ。腕は痛みを通り越ししびれてきている。きちんと紙とペン持参で採った量まで記録されるのが妙に腹がたつ。
だが、ここにいる間、できる限りリティシアは神経を研ぎ澄ませていた。今いる場所の手掛かり、逃げる時に役立ちそうな情報、敵の正体に繋がりそうな物……そういったモノを見逃したくはなかった。その結果、いくつか分かったこともあった。
リティシアの世話はさらわれた当日にあった男ベルフと、エプロンの女フェシーの二人 (もちろんどちらも偽名だろう)が任されているようだ。そして会話からさっするに、二人は恋人関係にあるらしい。フェシーがよく『あなたは自分勝手だ』とか『いい加減だ』とかよくベルフに言っているが、それなりに仲はいいようだ。
一日の行動パターンも分かってきた。食事は三回。夜になると(といっても時計も窓もないので世話役二人の会話や気温から見当を付けているだけだが)最初にベルフがやってきて、新しい着替えと汚れ物を交換し、何か脱走を企んだ跡や変わった物がないか部屋を調べる。その後フェシーがやって来て血を採って行く。
それにしても不思議なのは、犯人達が自分にひどい扱いをしないことだった。犯され、殺されるのかと内心怯えていたのだが、そんなこともなく、着替えや食事も持って来てくれる。時々体を拭くためのぬるま湯と布まで持って来てくれるほどだ。血が採られるのは不愉快だったが、まあ我慢できなくはない生活だった。もっとも、だからといって犯人達を許すつもりはないが。
扉に鍵が差し込まれる気配がして、リティシアは顔をあげた。そろそろベルフが着替えを持ってくる頃だった。
予想通り、入ってきたのは左手に着替えを抱えたベルフだった。部屋に入ると同時に右手をポケットに入れる。
(なんだ?)
リティシアはその動作が気になった。ずっと何かを見ながら廊下を歩いてきて、部屋で仕事をするためにその『何か』をポケットに入れたような。
「起きろよ、シーツを取り替えてやる」
いいことでもあったらしく、ベルフは妙にご機嫌で言った。
リティシアはふらふらと立ち上がり、壁に寄り掛かって、ベルフ作業を終えるのを待つ。 ベルフは口笛を吹きながらシーツを換え、枕の下やベッドの下を点検する。
点検を終え、ドアに向かって歩き始めたベルフが、自分の前に来た時を見計らって、リティシアは「ん……」とかすかなうめき声をあげた。
よろめいてベルフにもたれ掛かる。
「お、おいおい」
ベルフの腕が肩を支えた。
リティシアは、半分抱きつくようにベルフの腰に腕を回す。胸の膨らみがベルフの胸に押し当てられているのは計算の上だ。
「あら、ごめんなさい。血が足りなくてふらふらするの」
リティシアはベルフのポケットに手を突っ込み、さっき彼が仕舞い込んだモノを探りあてた。スリの真似事など初めてだが、相手が鼻の下を伸ばしまくっている今ならできるだろう。
いつもの通り、廊下でフェシーがワゴンを押す音がしてきた。これなら万一襲い掛かられてもフェシーが止めてくれるだろう。
「ねえ、着替えを手伝ってくれないかしら。服を脱がせて」
リティシアはベルフの目を見上げた。
ベルフが生唾を飲み込んだ時、ドアが勢いよく開いた。
「ちょっと、何してるのよ!」
ワゴンを置き放しにして、フェシーがつかつかと歩みよってきた。突き飛ばされ、リティシアは床に力なく座り込んだ。
「おい、勘違いするなよ。こいつがよろけたから支えてやっただけだ」
咎(とが)めるようにベルフが言った。
ここで『襲われそうになった』とでも言えば面白いことになるだろうが、それはやめておくことにする。
フェシーは無言で男をにらみつけている。
「それに、フィダール様に『この女にちょっかい出すな』ってうるさく言われてるのはお前も知ってるだろ。命令に背いたら殺されちまわぁ。いくらこいつがいいカラダしてるからって命と引きかえにモノにしようとは思わねえよ」
『いいカラダ』辺りで男に飛び蹴りをかましたい衝動に襲われたが、リティシアはなんとかこらえた。
「本当に?」
フェシーはリティシアの顔をのぞきこんだ。
「ええ。大丈夫、あなたの恋人を盗るつもりはないわ」
立ち上がりながらリティシアは言った。
「……まあいいわ。採血の時間よ」
鋭いフェシーの視線に追い出されるようにベルフが外へと出て行く。
その日は少し深めに腕を切られるのは覚悟の上だった。
一人になった後、リティシアはよろけたふりをしたときにベルフのポケットから抜き取った物を広げてみた。
「ええ……」
小さな布に、バラの刺繍。しかも、リティシアよりもうまい。女性からプロポーズするときに男性に贈る物だ。手触りから布だと分かっていたが、まさかプロポーズの刺繍だとは。
さすがにこんな大切な物は返してやろうかとも思ったが、その考えはすぐに消えうせた。
燃えていく、自分が作ったへたくそなバラの刺繍。
人に言ったらうぬぼれていると思われるかも知れないが、ラティラスはリティシアの事を想ってくれているはずだ。
だが、もちろん一国の姫と道化との結婚が許されるはずはない。それは自分も、ラティラスも分かっていた。
だから、ラティラスはあの刺繍を突き返したのだろう。自分のことなど忘れてしまえと。けれど受け取って欲しかった。例え実を結ばない想いだとしても、別れる時が来るのだとしても、確かに互いの心が互いの物だった印に。
ラティラスに会いたい。そのためなら手段など選んでいられない。
もう一度刺繍に目を落とした。
これは何かに使えそうだ。あとはこれをどううまく使うか。
どうか、うまく人をあざむけますように。罰があたりそうな内容をリティシアは神に祈った。
とりあえず、これを取っておくことだ。使う機会がやってくるまで。それまでどうやって隠す? いい隠し場所はないかとリティシアは周りを見回した。
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