姫と道化師

三塚 章

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二章

甘い言葉を語る間もなく

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「一体、どこへいらしてたんです? ワタシがどれだけ探したと」
 互いに体を寄せ合い、頬を寄せ合いながら、リティシアとラティラスの間に交わされる言葉は甘いものではなかった。
 ラティラスの質問に応えず、リティシアは早口で囁く。
「話している時間はない。追手が来る。逃げてきたばかりなんだ」
 一瞬、マナー違反なほどリティシアが体を押し付けてきた。胴に巻き付いている鎖は、硬く、冷たく、仮装用の作り物とは思えなかった。
 遠くに目をやれば、会場の隅で不自然にキョロキョロしている者が何人かいる。
「このまま、さりげなく塔を出ましょう」
 ルイドバードとファネットの顔が頭に浮かぶ。二人はどうしているのだろう? 気にはなるが、リティシアを安全な所に避難させるのが先決だ。
「無事に逃げられたら、後で、私の友人を紹介しますよ。ステキな女性と、親愛なる私の恋敵を」
 吹き抜けの近くまできたとき、二人は足を止めた。いつの間にか、階段に続く柵が閉じられている。
「ありゃ?」
急に演奏が止まった。
視界の隅が明るくなった。吹き抜けのバルコニーに置かれた黒いカゴ。その両端に立てられた燭台に、火が入れられていた。
鳥籠の前に、背の高い男が現れた。
彼女がラティラスの背中に隠れたのは、恐怖というより自分がここにいることが男にバレたらまずいと思ったからだろう。
「皆さん、楽しんでいますか?」
 現れたのはどことなく鳥に似た男だった。こいつも赤い仮面をしている。銀色の衣をまとい古代の神の格好をしていた。
「フィダール」
 リティシアの呟きには憎しみが込められていた。どうやらそれが奴の名前らしい。
「皆の中には、なぜここに集められたのか疑問に思っている者もいるでしょう」
 周囲のざわめきは少しずつ途切れ、フィダールの言葉だけが響いていく。
「知っての通り、ケラス・オルニスは階級制を取っている」
 着飾った参加者の何人かが、合図もなく吹き抜け近くに立つフィダールの横にぞろぞろと並んだ。だいたい三十人はいるだろうか。どうやら高い階級の者は、あらかじめ話がついているようだった。
 その者達が皆、意味ありげな笑みを浮かべているのがラティラスには気にいらなかった。選ばれなかった者達に、同情と嘲笑の混じった視線が向けられているような。
「この者達にはすでにケラス・オルニスの真の目的を話してある。そして今、他の者達にもそれを教えようと思う」
 再び会場がざわついた。
「真の目的?」
「ただのギルドではなかったのか?」
 飛び交う言葉を無視して、フィダールは語り続けた。
「かつて、神々の長(おさ)はこの世界に女神を使わし、人間達を作りだすよう命じられた」
 ラティラスの頭に、あの書庫で見た二つの角を持つ紋章が頭をよぎる。
「その女神には、神話や記録から抹消された弟がいた。そしてその子孫がこの私だ」 
 会場のどこかで嘲笑の声がした。ただ呆れた顔をする者も、驚きの声を上げる者もいる。
確かに、フィダールの言うとおり弟の存在は抹消されている。だから王家に隠されたもう一つの神話を聞いた者がすぐに信じられないのは当然だろう。
「あいつめ……今まで王家が隠していた神話を」
 リティシアの苦々しい呟きが聞こえた。
 鳥男の横に並ぶ者達は、意味ありげな微笑みを浮かべたままだ。
「この私は神の血に連なる者。むしろ、長男たる弟神リアードを祖に持つ私こそ、ロアーディアルの王にふさわしい」
 フィダールが本気だというのが分かったのか、今までバカにしていた者達も、うっすらと恐怖と困惑を感じ始めたらしい。あがる言葉にもう揶揄(やゆ)の響きはなかった。
「まさか今から革命を起こすとでも?」
「そんな大それたこと、成功するはずがない!」
 ケラス・オルニスがただの違法組合だと思っていた者達にとって、そんな大それた革命など冗談ではないのだろう。自分達はただ安全に小金を稼ぎたいだけなのだから。
 フィダールの目がリティシアを捕らえる。
 リティシアがラティラスの肩越しにフィダールを睨みつけた。
「聞きしに勝るおてんば姫だ。こんな所にいたなんて」
 フィダールが足音を立て、リティシアの前に歩み寄った。
「おい、あれはリティシア様か?」
 行方不明になっていた姫の存在に気がついて、まわりの参加者が騒(ざわ)めいた。
フィダールが手を差し延べる。
「さあ、もう逃げ出したりせずに、こちらへ」
「「ふざけるな」」
 リティシアとラティラスの言葉が重なった。ラティラスは強くリティシアの手を握り、少しでもフィダールから離そうと引き寄せた。
 賢者の格好をした男がフィダールに声をあげる。
「姫を処刑してヘーディダル王に宣戦布告するつもりか」
「できるはずがない!」
 その時、小さく床が震えた。壁に彫られた枝のような飾り彫りに、どこからか流れた赤い液体が走った。錆びた鉄のような臭いが鼻を突く。
 塔が動き始めている。ロアーディアルを灰にするために。
「なんだ?」
「地震?」
 揺れは激しくなって行くが、フィダールは平然と演説を続けていた。
「高位の者以外には話していないが、私は神の遺産を復活させた」
 赤い仮面を被った一団を覗き、動揺が走った。
「『竜の蹴爪』」
 呟くリティシアの顔には、血の気がなかった。
「フェシーは、この塔全体が大きな兵器だと言っていた。それを私の血で動かし、ロアーディアルの城下町を焼き尽くすと」
「……普通だったら信じませんけどね。ワタシも色々とめずらしい物を見せてもらいましたので」
 一瞬、ベイナーの無残な死体が浮かんだ。彼の最後を聞いたら、リティシアはどんなに傷つくだろう。
 リティシアの紅い目が、今度は鳥籠に向けられる。
「この通り、私はここにいるぞ。どうやって動かすつもりだ」
 ほんのわずか、リティシアの美しい口元に得意気な笑みが浮かんだ。
「まさかすべてお前の血でエネルギーを賄(まかな)おうとは思っていないよ。あなたの血を基(ベース)に、かなりの量の人工血液を作り出している。あなたを血祭にあげるのも、楽しいイベントの一つだったのだが、主役が逃げ出したのでは仕方ない。そうそう、そう言えば……」
 そこでフィダールはリティシアがどういう反応を返すか楽しみだ、とでも言いたげに薄い笑みが浮かんだ。
「お前を逃した者達も、血の原料になってもらったよ。フェシーは最期まで散々お前に恨み言を言っていた」
「だからなんだ? この私を捕えていた者達が殺されたところで、私が同情するとでも?」
 リティシアの目がフィダールを睨みつける。
彼女は痛いほど強くラティラスの手を握ってきた。それは言葉と裏腹に、リティシアが少なからず動揺している証拠だった。
レーネスの無邪気な顔がラティラスの脳裏に浮かぶ。父親がラティラスにケラス・オルニスの事を漏らしたせいで、報復として殺された少女。決して望んだわけではないが、自分の目的のため犠牲になった者達。
ルイドバードなら、ただの安い感傷だと切り捨てただろう。レーネスが死んだのは父親が犯した罪の報いであり、リティシアを捕えていた者も、違法な組織に関わった以上、殺される覚悟ぐらいはしているはずだと。
 おそらくは、ルイドバードの考えが正しいのだろう。けれどラティラスとリティシアは、そう簡単に割り切ることはできそうになかった。
「神話から消された弟神が造りたもうた兵器は、我が手にある。ヘーディダルに取り変わり、ロアーディアルの国をあるべき形に戻す。そして世界を正当なる神の血筋の下(もと)に」
「まともじゃない!」
 誰かが大声を上げた。
「付き合っていられない! 帰らせてもらう!」
「もちろん、この革命にケラス・オルニス全員の賛成をもらえるとは思っていない」
 フィダールの笑顔には、穏やかだが危険なものがあった。
「私の思想に賛同してもらえない者はいらない。協力者は選ばせていただく。私の横に立っている方々は、崇高な考えを理解し、そのためには命を惜しまないと誓ってくれた者達だ」
 フィダールを含め、その横に並ぶ選ばれし『高位の者』達は、皆今まで思い思いに被っていた仮面を裏返す。その内側はすべて真っ赤に塗られていた。不吉とされ、パーティーで付けるのはマナー違反とされる赤い仮面。
 吹き抜けを取り囲むように鉄の格子が降りてくる。ラティラス達と、フィダールを含む赤い仮面の一団はその格子で隔てられた。これで、唯一の階段を使って外へ出られるのはその一団だけとなった。
「ふざけるな、ここを開け……」
 何か、黒いものが横切ったような気がした。さっき叫んだ男の体がぐらりとかしいだ。そしてその体は一瞬にして砂煙に変わり、宙に舞い上がる。
 ほんの一瞬、世界が空白になったような沈黙。どこか遠くの教会で、深夜を告げる鐘が鳴る。
「残念ながら、ここを開けることはできない。お前達はここで死ぬのだ」
 フィダールは、小さな筒のような物を握っていた。その筒の胴には赤黒い宝石が埋め込まれている。黒い影はその筒から飛び出してきたらしい。
「きゃあああ!」
 思い出したように悲鳴をあげ、傍にいた何人かの婦人が吹き抜けから離れようと壁際に向かって走り出す。
「貴様ぁ!」
 男が吹き抜けの柵を揺さぶるが、鉄の骨は硬い音を立てるだけで外れる気配もない。
 フィダールが筒をわずかに動かした。
 会場内に、黒い風が吹いた。少なくとも、ラティラスにはそう見えた。
その風に撫でられた者は、賢者と同じように粉になり、中空に舞い上がった。まるであちこちで噴水が湧き上るように、小さな悲鳴を遺して黒い煙が立ち昇っていく。吸った空気が埃っぽくざらつき、鼻の奥まで血の匂いを運んでくる。
「随分と手下想いのリーダーですね」
 駆けまわる人波に流されぬよう、ラティラスはリティシアと引き寄せる。
「金だけもらって、計画が軌道に乗ったらポイですか。まあ、組織に自分の信念を理解しない奴なんて怖くておいておけないというのは分かりますが」
 パニックで燭台が倒れ、小さな火だまりがあちらこちらにできていた。
「う、うわあ!」
 ラティラスの前に立っていた紳士が何かを振り払うようなしぐさをした。黒い風の正体は、飛び回っている金属性のコウモリのような機械だった。
 それは鋭い刃(やいば)となって、紳士の四肢を切り刻んでいく。肉塊は床につく前に黒い粉になって散っていく。
 現時点では、まだ飛び回る黒い刃の数より人間の方が多い。だから確率的に襲われずに済んでいるが、いつ自分達も灰になるかわからない。
 鉄柵ごしに、フィダール達はこの騒ぎを見物していた。逃げ惑う人が格子に追突し、鈍い音をたてた。その音が気に入らない、というように、選ばれし者の一人が優雅に顔をしかめる。
 その余裕のある態度が、ラティラスには不思議だった。
 鉄格子の幅は人が通るには狭いが、黒い刃は充分に通れる。だが、なぜ『高位の者』は襲われない? 襲われる者と襲われない者、何か違いがあるはずだ。
「それでは、私は失礼する」
 深々とフィダールは礼をした。
 狂乱を尻目に、鉄格子に守られながらフィダールと選ばれし者達は悠々と吹き抜けになった階段を降りようとする。
(人を殺しておきながら、自分達だけ安全な場所に逃げようってか、ふざけやがって!)
 なんとかして一撃を食らわしたい。
「この!」
 攻撃というよりは腹いせに、ラティラスは玉子をそいつらの足元に投げつけた。カラフルな殻(カラ)が床で砕け散る。コショウと真っ赤なスパイスが舞いあがった。玉子の攻撃範囲内にいた幹部達が一斉に咳き込み始めた。
「ぐうぅ」
 呻きながら、幹部の一人が涙の浮かんだ目をこする。外された仮面が柵の傍に落ちた。
「バカ者が」
 フィダールが呆れたように言った。
 黒いコウモリが鉄格子の中に入り込んだ。そして仮面を落とした幹部の体をあっさりと灰にする。
 仮面だ。その様子とフィダールの一言で秘密が分かった。どういう仕組みか、あの刃は、赤い仮面を被った者は襲わないように調教されている。確かにそういう安全対策がなければ自由に飛び回る武器を放つ事などできないはずだ。
 リティシアがラティラスの後ろで小さな悲鳴をあげる。黒い塊が彼女を貫こうとしていた。
 ラティラスは幹部が落とした赤い仮面を拾い上げ、リティシアの仮面の上目元に当てる。
 黒いコウモリは、リティシアの目の前で大きく弧を描いた。その勢いで、リティシアの赤い髪がふわりと舞った。
 リティシアから逸れた黒い刃は、まだむせている幹部を一人粉にした。
「姫(ひい)様! それを外さないでください」
 床に落ちていたシャンペングラスの欠けらを拾いあげ、自分の手を傷付けた。痛みを感じる余裕もない。流れる血で目の周囲を塗っていく。これが仮面の代わりになってくれるだろう。
「逃げましょう! リティシア様!」
 ラティラスはリティシアの手を引いて走りだす。足を進めるたび、かつて人だった黒い粉が舞い上がった。
 フィダール達はいつの間にかどこかへ消えていた。
 ズン、と再び床が揺れる。それに続き、高い耳鳴りのような音が響いた。
 鏡の塔が、本格的に兵器として動き始めた。
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