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一章
ロアーディアル王
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ロアーディアルの国を統べるヘーディダル王は、虚ろに祭壇を見上げながら、子供のころから何度となく聞かされた神話を思い出していた。礼拝堂の祭壇には、うら若い女神ロアーディアの像が祭られている。
ロアーディアルの王族が神の子孫であるというこの神話は、いつでも心に慰めと誇りをもたらしてくれる。だが同時に子供じみたいらだちも掻き立てた。自分がそれほど貴い血筋ならば、なぜ世の中はもっと自分の思い通りにならないのだろう。
背後から響く足音に気付く。
「ヘーディダル王、すでに全員集まっております」
「分かった」
従者の声に礼拝室を出て、石作りの廊下を広間にむかった。
パーティー用ではなく、戦略会議用に使われる部屋は、地図のタペストリーが壁にかけられているだけで飾りはほとんどない。火のついていない燭台も質素だ。真ん中には、五人が縦に寝転べそうなほど大きなテーブルが置かれていた。側近達がそれを囲んでいるが、今テーブルには、料理も、水さえも置かれていない。時折、粗末な兵の鎧をまとった物が入り込み、側近と何事か会話をし、また慌ただしく出ていった。
今朝婚礼の馬車が襲われ、姫が何ものかにつれ去られた事は王の耳にも入っていた。
殺された賊達の死体が調べられたが、手掛りになりそうな物はなかった。運の悪いことに賊を一人も生け捕りにもできず、事態の把握には時間がかかるだろう。
肩と胴に血の染みた布を巻いた近衛隊長が床にひざまずいたまま報告を始める。
「姫の行方はまだわかっておりません」
それを聞いて、王は内臓がひきつれるような不快感に襲われた。
小賢しく生意気な娘だが、それでもやはり親としての愛はある。無事に生きていてほしい。もし殺されているのなら、苦しまず王族として誇り高い最後を迎えていればいいが。
隊長は報告を続ける。
「とりあえず、生存者は全員保護しましたが、そのほとんどが重傷です。死者の人数や身元は確認できていませんが多数。そろそろ日が傾きます。死体の回収は明日になるかと」
確かに、太陽の加護がない中、死体をあれこれいじるのは不吉だった。悪霊に取り憑かれた者でも出たらたまった物ではない。
隊長は言いづらそうに続ける。
「それから……道化のラティラスが消えています」
報告している本人も、その事実をどう捕らえていいのか分からないようで、口調に困惑が混じっている。
「噂ですが、今朝、リティシア様の部屋で『ともに逃げましょう』と語りかけるラティラスの声を聞いた者がいると。ひょっとしたら、この一件、ラティラスが何者かを手引きしたのでは」
その場にざわざわとどよめきが上がった。
王の脳裏に、優しげで、どこか寂しげなラティラスの眼差しが浮かぶ。
あの大雪の日に、凍えて回らぬ舌で礼を言ったラティラスは、どこか無邪気な所があって、そういった謀(はかりごと)をするような者とは思えなかった。
だからこそ、よい遊び相手になるだろうと姫に近付けたのだ。姫がラティラスを意識するようになったのは誤算だったが、それでもラティラスは自分の立場をわきまえて振舞っているように見えた。
だから安心していたのだが、まさか姫を我が物にしようと狙っていたのだろうか。
「エムスティン隊長」
王に名を呼ばれ、隊長は姿勢を正した。
「治安部隊と連携して、全力を挙げて姫を捜し出せ。ラティラスもだ」
「ハッ」
治安部隊は、その名の通り治安維持のために国の主な町に配備されている。通達が回れば、姫はともかく道化はすぐに捕まるだろう。
「トルバドには私直々の署名で知らせを送ろう。向こうも人を割いてくれるはずだ」
重い体と心で指示を出しながら、王は自分がひどく年老いた気がしていた。
ロアーディアルの王族が神の子孫であるというこの神話は、いつでも心に慰めと誇りをもたらしてくれる。だが同時に子供じみたいらだちも掻き立てた。自分がそれほど貴い血筋ならば、なぜ世の中はもっと自分の思い通りにならないのだろう。
背後から響く足音に気付く。
「ヘーディダル王、すでに全員集まっております」
「分かった」
従者の声に礼拝室を出て、石作りの廊下を広間にむかった。
パーティー用ではなく、戦略会議用に使われる部屋は、地図のタペストリーが壁にかけられているだけで飾りはほとんどない。火のついていない燭台も質素だ。真ん中には、五人が縦に寝転べそうなほど大きなテーブルが置かれていた。側近達がそれを囲んでいるが、今テーブルには、料理も、水さえも置かれていない。時折、粗末な兵の鎧をまとった物が入り込み、側近と何事か会話をし、また慌ただしく出ていった。
今朝婚礼の馬車が襲われ、姫が何ものかにつれ去られた事は王の耳にも入っていた。
殺された賊達の死体が調べられたが、手掛りになりそうな物はなかった。運の悪いことに賊を一人も生け捕りにもできず、事態の把握には時間がかかるだろう。
肩と胴に血の染みた布を巻いた近衛隊長が床にひざまずいたまま報告を始める。
「姫の行方はまだわかっておりません」
それを聞いて、王は内臓がひきつれるような不快感に襲われた。
小賢しく生意気な娘だが、それでもやはり親としての愛はある。無事に生きていてほしい。もし殺されているのなら、苦しまず王族として誇り高い最後を迎えていればいいが。
隊長は報告を続ける。
「とりあえず、生存者は全員保護しましたが、そのほとんどが重傷です。死者の人数や身元は確認できていませんが多数。そろそろ日が傾きます。死体の回収は明日になるかと」
確かに、太陽の加護がない中、死体をあれこれいじるのは不吉だった。悪霊に取り憑かれた者でも出たらたまった物ではない。
隊長は言いづらそうに続ける。
「それから……道化のラティラスが消えています」
報告している本人も、その事実をどう捕らえていいのか分からないようで、口調に困惑が混じっている。
「噂ですが、今朝、リティシア様の部屋で『ともに逃げましょう』と語りかけるラティラスの声を聞いた者がいると。ひょっとしたら、この一件、ラティラスが何者かを手引きしたのでは」
その場にざわざわとどよめきが上がった。
王の脳裏に、優しげで、どこか寂しげなラティラスの眼差しが浮かぶ。
あの大雪の日に、凍えて回らぬ舌で礼を言ったラティラスは、どこか無邪気な所があって、そういった謀(はかりごと)をするような者とは思えなかった。
だからこそ、よい遊び相手になるだろうと姫に近付けたのだ。姫がラティラスを意識するようになったのは誤算だったが、それでもラティラスは自分の立場をわきまえて振舞っているように見えた。
だから安心していたのだが、まさか姫を我が物にしようと狙っていたのだろうか。
「エムスティン隊長」
王に名を呼ばれ、隊長は姿勢を正した。
「治安部隊と連携して、全力を挙げて姫を捜し出せ。ラティラスもだ」
「ハッ」
治安部隊は、その名の通り治安維持のために国の主な町に配備されている。通達が回れば、姫はともかく道化はすぐに捕まるだろう。
「トルバドには私直々の署名で知らせを送ろう。向こうも人を割いてくれるはずだ」
重い体と心で指示を出しながら、王は自分がひどく年老いた気がしていた。
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