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輝光砂の首飾り

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 ストレングス部隊十七番地区詰所は、管轄地の中心にある。レンガ造りの二階建てで、一階は階級をもたない一般の隊員や、員数外(イレギュラー)という少し失礼な呼び方で呼ばれるボランティアの協力者が使っている。ファーラたちは親しみを込めて彼らを『一階組』と呼んでいた。
 今も一階組が市民の訴えをまとめたり、他の事件の捜査報告書を書いたり、それぞれの机でそれぞれの仕事を始めていた。
「ファーラさん、おはようございます」
 戻ってきたファーラに気づき、あちこちから挨拶が飛ぶ。
 返事を返し、インクの臭いの中を通って二階へむかう。
 アシェルもサイラスもまだ戻っておらず、上官達用の部屋は静まり返っていた。いつもの通り、インクと膠(にかわ)の臭いがうっすらと漂っていた。
 窓から差し込む朝の光の中に机がいくつか並べてある。きれいに片付けられているのはファーラのもの。
 その向かい合わせにサイラスの机が置いてある。書類などと一緒に散らばっている、磨かれた木の実や小さなコマは、なぜか子供達に人気のあるサイラスが、小さなファンからもらったものだ。
 ファーラは少し片付けるように言ったのだが、サイラスとしては、「子供たちがせっかく自分の宝物くれたんだから」と捨てづらいらしい。
 少し離れて、二つの机のさらに奥、部屋全体を見渡せる位置にあるアシェルの机は、ちょうどサイラスとファーラの中間ほどの散らかり具合だった。書類がきれいに積み上げられ、筆記用具が適当に置かれている。
 壁ぎわには、書類を閉じたファイルが入れられた戸棚が一つ。その横に、隣の仮眠室に続く扉がある。
 ファーラは辺りを見回し、目的のモノを探し出した。
 窓の下に丸まっている、茶色い毛玉。
「プー!」
 ファーラの呼びかけに、毛玉が顔をあげた。
 一見普通の犬のようだが、よく見ると両耳の根元に、できものように小さな角が生えている。それにシッポは狐のように太くふさふさだ。
 その正体は、もう何年も前に絶滅したはずの幻覚獣。ひょんなことからストレングス部隊の一員になったのだが、それはまた別の話。
 ちなみにプーという名前は、『プーと鳴くから』とサイラスがつけたものだ。
 ファーラはもっとかわいいものにすればいいのに、と思っていたが、最近『これはこれでいいか』と思い始めている。
「プ!」
 元気よく鳴くと、プーがファーラの下に駆け寄ってきた。くりくりとした茶色い目がファーラを見上げた。
「これを」
 ファーラはピンクのかわいいブラシを取り出した。
 フェリカの両親から借りてきた物だ。
「この人のもとに連れて行って」
 プーはふんふんとブラシを嗅いだ。
「プ!」
『わかった!』というように鳴くと、さっそくプーは走り出した。
 ファーラはブラシをしまいながら、そのあとを追う。
 二階にあがったと思ったらすぐに駆け下りてきたファーラに、一階組の何人かが驚いた視線をむけた。
 通りに出ると、プーは鼻をこすりつけるように石畳を嗅ぐ。
 ちょうど誰かが少し遅い朝食を食べているのか、どこからか卵料理の香りがしていたが、それにジャマされることなくプーは目的の臭いを見つけ出したようだ。
 鼻をうごめかしながら、とことこと歩き始める。
 プーが進むにつれ、だんだんと通りが広くなっていく。仕事に向かう青年や、荷車の間を通り抜けながら、少しずつファーラは不安になってきた。
 人気(ひとけ)のない場所、というのは悪事を隠すのに持ってこいだが、人が多すぎる場所、というもまた死角が多い。
(まさか、どこかの空き家でフェリカが死んでいる、なんてことないでしょうね……)
 ――とあるドアの前でプーが吠える。嫌な予感を感じながらファーラがドアを開けると、中は人気(ひとけ)のない物置部屋。カビ臭い闇の中で、何か大きなものが横たわっている。それは、胸に刃物を突き立てた、フェリカの体――
そんな想像が頭をよぎる。
 だが、プーはどのドアの前にも立ち止まらず、そのうち見覚えのある黒い鉄柵に突き当たった。その隙間から、茂る木々が見える。
「あら、これは教会の柵だわ……」
 さほど熱心というわけではないが、ファーラも時折教会に行くことがある。
 年が明けるとき、祈りに向かう人々がトラブルを起こさないようにストレングス部隊が交通整理をするのは毎年恒例でもあるし。
 どうやらファーラは教会の裏手に出たようだ。
 ファーラ達は柵に沿って歩き続け、教会の正門にたどりついた。
「プ!」
 プーが迷いなく中に入っていった。
 悩める者を拒まないように、教会の門は二十四時間いつも開いている。
(まさかフェリカが犯行を懺悔(ざんげ)しているんじゃないでしょうね……)
 だとしたらかなり悔しいことになる。
 仮に犯人が、動機から何から神父に告げたとしても、神父はそれをこちらに教えないだろう。
 正門から、それぞれの建物を結ぶ道は石で舗装されていて、先をいくプーの小さな爪音がかすかに聞こえた。
 道を挟んで所々、悪しきものが入り込まないよう、聖人や聖獣の像が飾られている。
 幸い、プーは懺悔室のある礼拝堂を素通りした。
(この先は中庭だけど……)
 四角い中庭の真ん中には花の咲く薬草を植えた花壇があり、実をつけた背の低い木や、見慣れない花が茂っていた。
 今は朝のお祈りの時間には遅く、人は少ない。散歩途中の休憩所かわりにしているのだろう、老人が一人花の前でなにやら考え事をしていた。
「プ!」
 花壇のそばにはベンチ代りの細長い石が一つ置いてある。そこに二人の女性が並んで腰掛けていた。
 一人はどこにでもある町娘の格好している。うつむいた顔をハンカチで押さえていて、表情は見えない。長い金髪がかかる肩が、しゃくりあげるたびに小さく跳ねた。胸には小さなペンダントを下げている。
 もう一人は、黒い髪をアップにまとめた娘。メイド服を着ているのは、仕事の途中で抜け出してきたのか、使いの途中にでも通りかかったのか。連れの肩を抱いて慰めている。
「プ!」
 プーはその二人の方へ駆けていくと、金髪の娘の前にお座りをした。という事は彼女がフェリカに違いない。
「あなたがフェリカさん?」
 話しかけながら、フェリカの反応をうかがう。何か、隠し事をしている様子はないか。後ろめたそうな様子はないか。
「え? あ、はい」
 フェリカは顔を上げた。だいぶ長いこと泣いていたらしく、大きな緑の目は充血していた。
 ファーラの制服を見ると、表情を硬くし警戒をしたようだ。
 まあ、やましいことがなくても、いきなり知らないストレングス部隊に話しかけられたら緊張する人も多くない。この反応は、犯人かどうかの判断材料にはならない。
 ファーラは、赤胴色をした手のひら大のメダリオンを二人に見せた。王冠をかぶり吼える獅子のレリーフが刻まれているメダリオンは、ファーラが真のストレングス部隊である証だ。
「少し、聞きたいことがあるのだけど」
「ちょっと!」
 噛み付くように食ってかかったのは、横にいるメイドだった。
 フェリカを背後にかばうように、ファーラの前に進み出る。
「見てわからない? 彼女、泣いているのよ。後にしてよ!」
「失礼ですけど、あなたは?」
「私はレリーザ。ケブダーさんのところで働いているの」
 ケブダーは、アスターの街で知らない者はない資産家だった。
 なるほど、よく見ればメイド服の作りもしっかりしている。
 だが、レリーザがレモンの香水をつけているのを見ると、ケブダーは使用人の教育に力を入れてはいないようだ。
 普通、メイドは香水をつけたりしない。どんな香りも、人によって好みが分かれる。客の応対をしたメイドが、客が嫌いな匂いをまとわせていたら悪印象になる。
「悪いけど、こっちも任務なの。それから、席を外してくれないかしら」
 キッパリとファーラがそう言うと、レリーザはこちらを軽くにらみつけながら去っていった。
「あの、す、すみません。レリーザは私の友達なんです。いつもはあんなに無愛想な子じゃないんですけど」
 ならきっと、レリーザにはファーラが無神経に友人を傷つける敵に見えたのだろう。こっちは別にそんな気はないのに。
「今朝私が道で泣いてたら、たまたま会って。ここならまだあまり人も来ないし、落ち着けるからって連れてきてくれて」
 ファーラはうなずくと、レリーザと入れ代わるように、フェリカの隣に座った。
 とりあえず自分の仕事を終えたプーは、花壇のそばで虫を追いかけ始めている。
「どうして家を飛び出したの? ご両親が心配していたわよ」
 なるべく優しい口調で言う。
 まさかファーラがすでに家を訪れていたとは思わなかったのだろう。フェリカは少し驚いたようだった。
「それは…… お恥ずかしい話なんですけど、恋人とケンカをしてしまいまして。両親にも、誰にも会いたくない気持ちだったんです」
「ケンカって、よりによって深夜の倉庫で?」
 そう言うと、フェリカは苦笑した。
「そこまでわかっているなんて」
「言い争いをするのなら、そこらへんの料理屋で十分じゃありません? どうしてわざわざそんな所で」
 夜中にしっぽりイチャイチャしているうち、何かのきっかけで別れ話に、なんてオチだったら言いづらくて仕方ないだろうが、それでも言ってもらうしかない。
「それは……できる限り、二人でいる所を誰にも見られたくなかったんです。誰の口から彼のことが両親に伝わるか、わからないから」
「付き合っていることは、ご両親に内緒だったのね。だからわざわざ交際を否定したり、遠くでデートしていたと。でもなぜ?」
「彼が錬金術師だから」
「ああ」
 その返事だけで、理由がなんとなく分かる気がした。
 錬金術師は、新薬や新しい技術を発明すれば大金がもらえる。
 でも、そういった幸運をつかみ取れる者はごく少数だ。お金を出してくれるパトロンでも見つけられれば別だが、大抵は実験に必要な道具や材料も自腹ということになる。
 だから、錬金術師は貧乏暮らしがほとんどだ。
 大切な娘の交際相手にふさわしくないという親がいてもおかしくは無い。
「親に内緒にしていた理由はわかりましたけど、恋人とは、何をもめていましたの?」
「それは……」
 フェリカは少し言いづらそうだった。まるでお守りのようにペンダントトップを握りしめる。
「実は、私、変な男に付きまとわれていて……」
 そこまでは彼女の両親から聞いている。
「だから、ラクストと別れようと……」
「ちょっ、ちょっと待って。どうしてそこでそうなるの?」
 普通、そんなことがあったらむしろ恋人に助けを求めるのではないか。それがなんで別れ話に?
(まあ、自分の身を守る術のある私はともかく)
とファーラは心の中でつけたした。腰には、ストレングス部隊として携帯を許された拳銃がある。
 万一自分が誰かに付きまとわれ、対処するのが面倒だったら、アシェルに頼んでみてもいいし。彼なら間違いなくなんとかしてくれるだろう。
 まあ、そんな仮定はどうでもいいことだ。
「あの人は優しい人なんです」
 何か、楽しかったことを思い出しているらしく、フェリカはほんの少し微笑んだ。
 ペンダントをいじっていた手が、また膝におろされた。
「それに少し怖がりで、怪談なんか大嫌いで、大きな犬も苦手で……」
 そこまで言ったとき、溶けうせるように笑顔が消えた
「それでも、ストーカーのことを聞いたら、私を守ろうとするでしょう」
「つまり、あなたは恋人を危険な目に合わせたくないから、別れ話を切り出したっていうこと?」
「ええ」
「その理由、彼には言った?」
 人ごとながら、ファーラはフェリカがそのことをラクストに告げていないことを祈った。
 事実上、「あなたは頼りがいがない」の宣告だ。プライドのある男なら、気に食わないに違いない。それが恋人に傷ついてほしくないというフェリカの思いやりから出たことだとしても。
「いいえ。彼には私のことで心配かけたくなかったし……」
「では、何か、他にうまい言い訳を?」
「いえ、嘘をつくのは苦手なので、『理由を聞かずに別れて欲しい』と」
 その言葉に、ファーラは軽く疲れを感じて眉間をもんだ。
 ということは、ラクストは訳がわからないまま別れ話を切り出されたことになる。
(納得できなくて当然だわ。そりゃ、もめますわよ……)
「それで、結局話はまとまらず、私はラクストを置いて倉庫を出たんです」
 フェリカはまた胸で揺れていたペンダントトップを握り締めた。
「それは?」
 そういえば、さっきもおなじ様にしていた。どうやらフェリカは不安なときにそうする癖があるらしい。
「ああ、ラクストがくれたんです」
  フェリカは、ファーラに見えるようにペンダントトップから手を放した。
きれいな涙型をしているが、宝石ではなく、どこにでもある砂を樹脂で固めたもののようだった。
「ずいぶんと地味に見えるでしょう。でもこれには秘密があるんですよ」
 誇らしげにペンダントを外すと、ファーラに差し出してくる。
「秘密?」
「こうやって見てください」
 フェリカは両手を腕のような形にして、片目でのぞいてみせた。
 言われるまま、ファーラはペンダントトップを受け取ると、手で囲って光を遮る。
「まあ! きれいですわ!」
 ファーラの手の中で、白い火花が飛び散った。ペンダントトップが、光を放っている。火花が肌に触れても、幻影のように熱さも感触も感じない。
「これは輝光砂(きこうさ)というものだそうです。フレアリングの国で採れるもので、ラクストがプレゼントしてくれたの」
 その口調はとても嬉しそうで、彼女がラクストの事を本当に愛しているのが伝わってきた。
 ファーラが返したペンダントを再び身につけながら、フェリカはこちらの顔を見据えてきた。
「それで、どうしてストレングス部隊の人がそんなことを聞くんですか?」
 何か嫌な予感を感じているのか、姿勢を正したフェリカは緊張しているようだ。
 ファーラは、一度そっと深く息を吐いた。
 これからフェリカに真実を告げなければならない。仕事とはいえ、やはり楽しいものではない。なんだか、冷たい塊が腹の底に沈んでいくような気がした。
 重い唇を無理に開く。
「今朝、ディウィンさんの倉庫で、ラクストさんの遺体が見つかりました」
 フェリカは、異国の言葉で話しかけられて何を言われたのか分からない、というように、目を見開いてファーラを見つめた。
 そのうち、ゆっくりと眉が寄せられ、目が涙にうるむ。
「ああ……どうして……?」
 フェリカはうつむいてハンカチで顔を隠した。ファーラがこの中庭に来たときそうしていたように。
(この娘は多分犯人ではないわ)
 その姿を見て、ファーラはそう思った。
 もちろん、決めつけることができないが。
「嘘は言いたくないので、必ず捕まえると断言はできませんが」
 低い声でファーラは言った。
「犯人を捕らえるできる限りの努力をしますわ。それは約束します」
 くぐもった泣き声が聞こえてくる。
 少し前まで、レリーザがしていたように、ファーラはフェリカの背をなでた。
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