暗夜刀花

三塚 章

文字の大きさ
6 / 14

第五章 それぞれの午後

しおりを挟む
  警察署から解放されたのは午後四時をすぎた頃だった。秋の日はつるべ落とし。傾きかけた日が、行き交う人達の影を長く伸ばしていた。いつもなら、子供達が家へ駆けて帰る時間だ。しかし通り魔のせいでどこの子供も外出禁止にされているらしく『じゃあ明日』の声も聞こえない。居酒屋が早めに炉連を片付けていた。
「それではお二方、ご苦労様でした」
 寛次がふざけて敬礼をする。
「まあったく、失礼しちゃうわ。いっくら幽霊に襲われたって言っても、ぜんぜん信じてくれないんだから」
 明衣がいらだたしげに髪をかき上げる。
「まあ、僕だって実際に見なければ幽霊なんて信じないですし。イマイチ納得できないけど」
 空也が苦笑しながらなだめた。
「でも、『どういうわけだかその道だけに発生した霧』に隠れて犯人が見えなかったんだろうって。どう考えてもそっちの方が不自然じゃないの。まあ、いいけどね」
 明衣がひらひらと手を振った。
「それじゃ、またねん、寛次君。まだお仕事あるんでしょ? がんばってね。ああ、そうだ空也君。家まで送ってくれるかしら?」
「いえ、すみません。ちょっとよりたいとこが」
 空也は明衣と別れたその足で、骨董品屋『竜胆』へむかった。もちろん、あの幽霊について訊くためだ。空也はどうしてもこのまま通り魔を放っておくことはできなかった。なにせ、真菜が怪我をさせられ、空也も殺されかけたのだから。
 竜胆は、駅に近い賑やかな通りにあった。人の背丈ほどもある看板が軒にかかっていた。西洋風の扉の横には少し汚れた陳列窓があり、瀬戸物の人形が扇を構えて空也を見ている。
「こんにちは……」
 場所は知っていたが、入るのは始めてで、空也は緊張しながら戸をあけた。ドアベルがもの哀しげな音をたてる。
 中は、一面飴色の世界だった。入り口のわきに置かれたタンス、その上の色のはげかけた招き猫。カウンターの隣にあるボンボン時計。埃っぽい空気まで夕焼けに染まって琥珀色に染められている。
「いらっしゃい」
 あいさつしてくれた店主は、眉間に深いシワが寄った、いかにも気難しそうな中年だった。まだ冬にはなりきっていないのにぶあついドテラを着こんでいる。
 空也は寛次からあずかった鈴を取り出した。 
「ええっと、あの…… この鈴について訊きたいんですけど」
 その鈴を見たとたん、店主は露骨にうんざりした表情になった。
「もう何度も警察に話した。それにあんたは警官じゃないだろう」
「いや、そうなんですけどね。少し通り魔事件にかかわっちゃったんで」
「あの鈴を持って来たのは、どこかの商人だよ。鈴と本と鞘、それから壷と器を売っ払っていった。借金の形にもらった、とか言ってな。なんだか嫌な感じがするんで一刻も早く売り払いたいってね」 
「いやな感じ?」
「ああ、なにか憑いているような感じがするんだとよ、馬鹿馬鹿しい。私はそれより泥棒や詐欺のほうが恐いね」
「その人は? どこに住んでいる人ですか? 話聴けます?」
「さあな、どこの誰だか知らないよ。訊かなかったしな」
「はあ……」
 結局、それ以上のことは聞き出せそうになかった。
空也はその商人が売った品がないか、それとなく店の中を見て回った。幽霊を追い払う鈴と一緒に売られた道具を調べれば、何か事件の真相に繋がる物があるかも知れない。
壷も器もたくさんあり、どれがその問題の客が売ったものかわからなかった。本もお伽話やら文学誌やらで、幽霊や魔術について書かれた物はない。
だが、探している最後の一品は店の奥にあった。乱雑な店の中でそれだけ丁寧に、鹿の角でできた台に飾られていた。
それはほとんど反りのない、黒塗りの鞘だった。金色の鯉口にきれいな彫刻が施されている。少し汚れている物の、素人の空也にもいい物だというのがわかるほど美しかった。
「ああ、これがその商人の持って来た鞘。うわ、高い! 三年遊んで暮らせる!」
 空也は、自分に襲いかかってきた白い男を思い出した。あのとき、男が持っていたのは、血の滴る抜き身の剣。そしてその腰に、それを収めるべき鞘はなかった。
 そういえば、消えるときにあの男は何か呟いていた。はっきりとは聞き取れなかったけれど、二回口が動いたのは覚えている。ひょっとして、『サヤ』と言っていたのでは。
「これ、手に取ってみちゃぁ…… ダメですよね、ははははは」
 思い切り睨まれて、空也は無意味に笑った。
「あの、ずうずうしいお話なんですけど。その鞘、少し貸してくれませんか?」
 空也は両手を合わせる。
 店主は訝しげな顔を向けた。急に背中をむけると聞いていないふりをして、商品をふき始めた。
 空也がその背中を追って、食い下がる。
「ああ、もちろん傷つけたりしません。借りている間、賃貸料を払ってもいいです」
「なんのために?」
 店主は手を止め、視線だけを空也に向けた。
「ええ、ええっと」
 まさか霊を鎮めるため、なんていえない。
「ええと、父さん。そう、亡くなった父さんが刀とか大好きだったんです」
 亡くなった父さんがいるのは本当だけど、彼が古美術品に興味があったかは、後で母さんに聞いてみないとわからない。
「それでこんないい鞘なら見せてあげたいな~と」
 店主はまだじっと空也の顔を見つめている。
 空也の背中を冷たい汗が滑り落ちる。
「ふん」
 主人は鼻をならした。
「その話が本当ならば、考えないこともないがな」
 ば、ばれている。主人の言い方でそれがわかった。
「もしも嘘だった場合は……」
 こっちをにらみつけた主人に空也は愛想笑いをしてみせた。
「あ、はははは。やっぱりいいです。んじゃ、失礼しまーす!」
 空也はあたふたと外へ逃げ出した。

 病室に西日が差し込む時間になった。ベッドもタンスも、オレンジ色の光に照らされて影を長く伸ばしている。
「では、真菜さんまた後で」
「え、ええ……」
 浦雪が深々と頭を下げ、病室の戸を閉めた。
「はあ、あの人は長話で困るわね」
 足音が十分遠ざかるのを待って、怜菜が言った。
言葉のわりに、母の顔が嬉しそうなのに気がつき、真菜は目眩を起こしそうになった。      母は浦雪を気にいっている。たぶん、真菜本人よりも。
「そうですわね。結構長い間いらしたわ」  
 あいまいに真菜は頷いて、ゆっくりとベッドに横たわった。実は浦雪が話している間、傷口が重たい感じがして、体を起こしているのが辛かったのだ。手足の先が少し冷たい。
浦雪が買って来てくれた花は、もう枯れ始めていた。
「でも、『真菜さんが心配だから、二、三日この町に泊まります』なんていい人じゃないの。『なにかあったら声かけてください』だって」
「ええ」
「じゃあ、お母様はいったん帰りますね。夜までにはまた戻りますから。そうそう、空也さんが送ってくれたっていうお見舞いは何かしら?」
 洗濯物を風呂敷に包んで、伶菜は病室を出て行った。
 真菜には、空也が何を買ってくれたのか、母に教わらなくても何となくわかっていた。そして、それをここにもって来なかった理由も。買ってきてくれたのは、きっときれいな花だろう。そして家に送ってくれた理由は……
 空也の考えがわかるのが少しおもしろくて、真菜は毛布を口もとまで引き上げると、くすっと微笑んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを 

青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ 学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。 お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。 お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。 レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。 でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。 お相手は隣国の王女アレキサンドラ。 アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。 バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。 バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。 せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...