彼女は世界を抱いている

三塚 章

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彼女は世界を抱いている1

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 俺は、最初から死のうと思ってその廃ビルの屋上に上ったわけではなかった。
 ただ、少し一人になりたかったし、静かな所で夕飯を食べたかっただけだ。父親は最初からいない。母親は仕事か、また男の所にでも転がり込んでいるのか。家に俺がどこでどんな晩飯を食べようと気にする者はいない。
 高い場所なので蚊も少ないし、風が通るので部屋の中より多少は涼しい。
がさがさとコンビニの袋を開け、ピザパンを取り出す。食べながら色々とスマホのチェックをしようと思ったが、やめにした。どうせみんなあの先生がむかつくとか、あいつがむかつくとか、そんなくだらない事しか言わないんだ。風は生ぬるいが、そう暑くない。柵の向こうを眺めると、たくさんの灯りが見えた。
 ダイダイに黄色、白、青。この光の下に色々な人間が暮らしているのかと思うと、何だか不気味だった。自分と違う脳みそを持ち、どれだけ話し合おうと完全になんて分かりあうことはできない他人がうじゃうじゃいる世界。俺はコンクリートのヒビに足を取られそうになりながら柵の方へ歩いて行った。そういえば、まだ宿題をやっていなかったな。キチンと宿題をやって、毎日真面目に学校に行って、卒業して、大学を出て、それからどうなるんだろう? うまくいけばどこかまっとうな会社に入って、結婚して?
 空になった袋が、風に飛ばされていく。
 そんでとくに楽しいこともなく、くだらない人間関係に煩わされて、やりたくもない仕事を続けて、実るかどうかも分からない努力して?
 なんだかマンガかラノベのテンプレストーリーよりもつまらない。つまらない、つまらない、ツマラナイ……
 気づいたら、屋上の柵を乗り越えようとしていた。
 ふいにシャツの裾をつかまれ、我に返る。
「あ、ああ……」
一体誰が助けてくれたのだろう? 振り返っても、誰もいない。
「まさか、幽霊?」
 発作的に死のうとしたくせに、怖がっている自分が少しおもしろかった。
床に何かが置かれていた。それはある意味、幽霊よりも得体の知れないものだった。
女の右手。指を上にして、肘辺りまでの右腕が奇妙なオブジェのようにまっすぐ立っている。どうやらこれが俺の命を救ってくれたらしい。
俺に見つめられているのに気づくと、腕は全部の指を軽く曲げた。どうやらお辞儀をしているようなので、俺も反射的に頭をさげた。
 その手、というか性格に言えば手の持ち主(?)は若葉という名前らしい。生前は俺と同じ高校生だったそうだ。スマホのメモ機能を使って筆談した結果わかったことだ。
『私はね、殺されたの』
 さっきは気づかなかったが、その指には絵具が所々ついている。
『ここの近くの地下道でね、いきなりナイフで刺されたの。怖かった』
「……だろうね」
『で、バラバラにされてあちこちに埋められた。ここのビルには右腕が捨てられたってわけ』
 だとしたら、街のあちこちに、この腕のように意識を持つ若葉のパーツがあるのだろうか。ちぎるとそれぞれ別の個体になるプラナリアをなんとなく思いだした。
「そこまで覚えてるんだったら、警察に言ったら? なんだったら、俺が通報してやろうか」
 腕は、手を広げて押し止めるようなジェスチャーをしてからまた画面にむかった。
『やめておいたがいいよ。あなたもまさか通報するときに被害者の腕に教えてもらったなんて言えないでしょ。私だって、この姿で人前に出て珍獣扱いされるのはいや。本当はあなたを助けるのだって一瞬ためらったんだから。それに匿名で通報したとしても、どこからばれるか分からないし』
 確かに、そうかも知れない。それに殺された本人が通報されたくないと言うのだから、俺が勝手に騒ぐわけにもいかなかった。

 それからというもの、俺はますますその廃ビルに通うようになった。ただ屋上に寝転がって、顔の近くに置いたスマートフォンで若葉と会話をする。それがちょっと一服するような、まったりとした時間になっていた。
『あなたはなんで死のうとしたの?』
 とある休日の昼下がり、若葉が聞いてきた。
「なんでって、特に理由なんかないさ」
 太陽がまぶしかったから、で人を殺す理由になるなら、街に明かりが灯っていたから、で自殺の原因には充分だろう。そう思ったけれど、キザなので口には出さなかった。
「なんというか、どれがいやとかじゃなくて、ぼんやりと全体的にイヤになったんだ」
『分かる』
 そう文字を打つと、若葉の腕はまるで水面を泳ぐ鮫のヒレのようにコンクリートの上を滑った。そして俺の頭をなでてくれた。ひんやりとして気持ちがよく、俺は撫でられるままになった。
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