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人形の夢
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私には、闇の中で見える光景があるのです。塗り潰されたような漆黒の中、まるで蝋燭(ろうそく)に照らし出されるように、ぼんやりと浮かび上がる光景が。
古びた天井を背景に、涙で頬を濡らした若い女性がこちらを覗きこんでいます。私は首をめぐらすことはできませんが、視界の隅に布で覆われた姿見を捕らえることができるのです。りんどうの刺繍が施された覆いは少しずれており、のぞいた鏡面からここが小さな倉だというのがわかります。収められた箱や包みは少なく、燭台に灯りが揺れています。板張の床には円座が敷かれていて、女性はそこに座って、人形となった私を抱いているのでした。ああ、女性などと突放した言い方はやめましょう。彼女は向かいに住む逸子です。
「ああ、清春様、清春様」
逸子は泣きながら人形をかき抱きます。
「清春様、どうして私を置いて逝ってしまわれたのですか」
そういってすすりなく、細かな息の震えが、私の髪を揺らします。
「お父様が、私に新しい縁談を持ってきたのです。ああ、でも私はあなたの下以外には嫁ぎたくありません」
この清春という者は、逸子と想いあい、将来の約束を交わした男でした。優しいだけでなく、性根に一本筋の通った所のある美青年と他人に言われていましたが、私には分かりません。この二人の縁談は、どちらの家からも祝福されていたのですが、式を挙げる前に清春が病で黄泉へとむかうことになったのです。
逸子は悲しみのあまり、食事も喉を通らず、帯を余らせる日々でした。そのうちに、悲しい思いつきが彼女の頭に浮かんだのです。
逸子は、親に内緒で職人に清春の人形を造らせたのです。人形といっても、長いまつ毛が揺れ、頬に赤みが差し、触れたときにぬくもりが感じられないのが不思議に思われるほどの生人形(いきにんぎょう)です。そういえば、そんな人形に恋をする男のお話が、昔あったように思いますが……
とにかく、清春が死んだとき逸子の心は少し壊れてしまったのでしょう。
逸子は、その人形の左胸にふた付きの四角い穴を作らせたのです。それはちょうど人差し指と親指で作った輪ほどの大きさしかない穴を。そしてその中に、清春と遺髪と爪を納めたのでした。そうして逸子は、毎夜人形に語りかけることで、清春の魂を呼び戻さんとしたのです。私には、女の愚かさと笑うことはできませんでした。愛する人のために馬鹿げた振る舞いをするのは、男でも女でも同じことでしょう。
そう、私も愚かなことをしたのです。
実は、私は生人形を作る人形師です。清春の人形を作ったのも私です。ですから、手入れの時秘かに清春の遺髪と爪を、自分の物とすり替えるのも簡単でした。私は、昔から逸子に想いを寄せていました。しかし、私の顔はひどく醜く、想いを告げたところで相手になどされるわけはありません。清春が亡くなるまで、私はただただ逸子を遠くで見ているだけだったのです。ああ、でも今は違います。
そう、逸子は左胸に私の体の一部を入れた人形をかき抱き、愛を囁いているのです。そして、ここに来てほしいと狂わんばかりに訴えているのです。
正確に言えば、逸子が呼んでいるのは清春であり、私ではありません。しかし、私が魂を込めて造った人形に、私の髪や爪が入っているのです。それが何かしらの影響を与えているのでしょうか。夜、逸子が人形を抱いて語りかけている間だけ、闇の中に人形の五感が感じられるようになりました。私の頬に押しつけられる逸子の胸のやわらかさ、髪のかすかな匂い、震える声、そんなような物が。おそらくは、自分の魂の半分が人形に流れこんでいるのではないでしょうか。
逸子は、夜毎暗闇で清春に愛を囁きます。しかし、それを聴いているのは清春ではなく私なのです。なんと暗い喜びでしょう。そして、その喜びの奥には黒い憎しみがあるのです。逸子は、なぜ私の名を呼んでくれないのでしょう? 清春に向けた半分の、いや十分の一でも私に愛を垂れてくれないのでしょうか。知らないとはいえ、私の意識を、心を抱きしめているというのに。私はこんなに愛しているというのに。
始めに比べ、人形としての感覚はより鋭くなってきたように感じます。その代わり、人間としての私の五感は鈍ってきたようでした。そのうち、私の魂はすっかり人形に移り、藻抜けの殻となった肉体が自室の布団の中で見つかるのかも知れません。それはそれでかまわない気がしています。
「ああ、清春様。愛しています」
そうそう、最近、少し指先を動かせるようになりました。もちろん逸子に気づかれないようこっそりやらなければなりませんが。完全に動けるようになったなら、逸子の首を絞めるのもいいかも知れません。私の方を見てもくれない、気にもかけてくれない逸子の細く白い首を。ふふ。
古びた天井を背景に、涙で頬を濡らした若い女性がこちらを覗きこんでいます。私は首をめぐらすことはできませんが、視界の隅に布で覆われた姿見を捕らえることができるのです。りんどうの刺繍が施された覆いは少しずれており、のぞいた鏡面からここが小さな倉だというのがわかります。収められた箱や包みは少なく、燭台に灯りが揺れています。板張の床には円座が敷かれていて、女性はそこに座って、人形となった私を抱いているのでした。ああ、女性などと突放した言い方はやめましょう。彼女は向かいに住む逸子です。
「ああ、清春様、清春様」
逸子は泣きながら人形をかき抱きます。
「清春様、どうして私を置いて逝ってしまわれたのですか」
そういってすすりなく、細かな息の震えが、私の髪を揺らします。
「お父様が、私に新しい縁談を持ってきたのです。ああ、でも私はあなたの下以外には嫁ぎたくありません」
この清春という者は、逸子と想いあい、将来の約束を交わした男でした。優しいだけでなく、性根に一本筋の通った所のある美青年と他人に言われていましたが、私には分かりません。この二人の縁談は、どちらの家からも祝福されていたのですが、式を挙げる前に清春が病で黄泉へとむかうことになったのです。
逸子は悲しみのあまり、食事も喉を通らず、帯を余らせる日々でした。そのうちに、悲しい思いつきが彼女の頭に浮かんだのです。
逸子は、親に内緒で職人に清春の人形を造らせたのです。人形といっても、長いまつ毛が揺れ、頬に赤みが差し、触れたときにぬくもりが感じられないのが不思議に思われるほどの生人形(いきにんぎょう)です。そういえば、そんな人形に恋をする男のお話が、昔あったように思いますが……
とにかく、清春が死んだとき逸子の心は少し壊れてしまったのでしょう。
逸子は、その人形の左胸にふた付きの四角い穴を作らせたのです。それはちょうど人差し指と親指で作った輪ほどの大きさしかない穴を。そしてその中に、清春と遺髪と爪を納めたのでした。そうして逸子は、毎夜人形に語りかけることで、清春の魂を呼び戻さんとしたのです。私には、女の愚かさと笑うことはできませんでした。愛する人のために馬鹿げた振る舞いをするのは、男でも女でも同じことでしょう。
そう、私も愚かなことをしたのです。
実は、私は生人形を作る人形師です。清春の人形を作ったのも私です。ですから、手入れの時秘かに清春の遺髪と爪を、自分の物とすり替えるのも簡単でした。私は、昔から逸子に想いを寄せていました。しかし、私の顔はひどく醜く、想いを告げたところで相手になどされるわけはありません。清春が亡くなるまで、私はただただ逸子を遠くで見ているだけだったのです。ああ、でも今は違います。
そう、逸子は左胸に私の体の一部を入れた人形をかき抱き、愛を囁いているのです。そして、ここに来てほしいと狂わんばかりに訴えているのです。
正確に言えば、逸子が呼んでいるのは清春であり、私ではありません。しかし、私が魂を込めて造った人形に、私の髪や爪が入っているのです。それが何かしらの影響を与えているのでしょうか。夜、逸子が人形を抱いて語りかけている間だけ、闇の中に人形の五感が感じられるようになりました。私の頬に押しつけられる逸子の胸のやわらかさ、髪のかすかな匂い、震える声、そんなような物が。おそらくは、自分の魂の半分が人形に流れこんでいるのではないでしょうか。
逸子は、夜毎暗闇で清春に愛を囁きます。しかし、それを聴いているのは清春ではなく私なのです。なんと暗い喜びでしょう。そして、その喜びの奥には黒い憎しみがあるのです。逸子は、なぜ私の名を呼んでくれないのでしょう? 清春に向けた半分の、いや十分の一でも私に愛を垂れてくれないのでしょうか。知らないとはいえ、私の意識を、心を抱きしめているというのに。私はこんなに愛しているというのに。
始めに比べ、人形としての感覚はより鋭くなってきたように感じます。その代わり、人間としての私の五感は鈍ってきたようでした。そのうち、私の魂はすっかり人形に移り、藻抜けの殻となった肉体が自室の布団の中で見つかるのかも知れません。それはそれでかまわない気がしています。
「ああ、清春様。愛しています」
そうそう、最近、少し指先を動かせるようになりました。もちろん逸子に気づかれないようこっそりやらなければなりませんが。完全に動けるようになったなら、逸子の首を絞めるのもいいかも知れません。私の方を見てもくれない、気にもかけてくれない逸子の細く白い首を。ふふ。
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