秋の待ち人

三塚 章

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秋の待ち人

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――秋になったら、僕は必ず帰って来るから――

 その男が、もう助からないのは明らかだった。落ち葉と土にまみれた胴体には、折れた太い枝が刺さっていて、口からは血が漏れている。すぐそばには馬が倒れ、荒い呼吸を繰り返していた。近くの斜面についた、何かが滑り落ちた跡にそって見上げれば、足場の悪い細い山道。
 何があったのかは一目瞭然だった。馬で山を越えようとした男が手綱を誤り、下に転げ落ちたに違いない。枝は転がったときに突き刺さり、勢いで折れたのだろう。
 男の歳は四十ぐらいで、まだ体が丈夫だから落ちた衝撃に耐えられたのだろうが、即死できなかったのははたして良かったのか、悪かったのか。
「何か、言い残すことは?」
 ボクは血の気をなくし、土気色になった男の顔を見て言った。
 枝を抜くことはしなかった。そんなことがすれば、栓を無くした傷口から血があふれ出してあっという間に死んでしまうだろう。
「神父でも牧師でもないけれど、懺悔(ざんげ)があるなら聞いてあげる」
「そうさな、聞いてもらおうかな」
 男は血で汚れた唇をゆがめた。
「オレは、腕のいい彫刻家だったんだよ」
 たしかに、男の指にはノミを長く使ってきた証拠のタコがあった。
「ここからすぐそこの村の出身でな。若いころ、同じ村のトリーナという娘に恋をした。彼女に狂ってしまったんだ」
 過去形で語ったけれど、この男はまだその女性を愛しているのだろう。熱に浮かされているような、遠くを見るような目と、薄く浮かんだ微笑みで分かる。
「でも、彼女には恋人がいた。行商人の息子で、アルっていう名前でね。オレが生まれた村じゃ、冬の間女子供が作った小物を、春になると男達の何人かが遠くまで旅に出て売り歩くんだ。畑仕事だけじゃ食ってけねえからな。そして雪で道が閉ざされる前、秋になったらまた村に戻ってくるのさ」
 そこで男は小さく咳こんで血を吐いた。もうとっくに死んでいてもおかしくないのに、ボクに話したい一心でこの世に留まっているらしい。
「その年の春、アルは十六になって、初めて親父について行商に出ることになっていた。そして無事にやり遂げて帰ってきたらトリーナと結婚することになっていた。だから……」
「アルを殺した?」
 男は、ニヤリと笑った。得意げに。
「ああ。そうすれば、トリーナは自分のものになると思ったからな。こっそりと行商の後を追った。そして『重要な話がある。他の者には絶対に言うな』とか何とか、でたらめな手紙を人に頼んでアルに渡して、呼び出して……」
「ふうん。それで、トリーナさんとは?」
「どうにもならなかったよ! いくら慰めてやってもだめ、優しい言葉と贈り物を捧げてもダメ……今だに帰ってこないアルを待ち続けて独身を通している始末さ」
「それがあなたの罪?」
 男が語りながら勝ち誇ったような顔をしているのがボクには不思議だった。この話の通りだったら、結局この人はアルに勝てなかったことになる。相手を殺しまでしたのに、トリーナの心を得られなかったのだから。
「そうだ。けどオレが犯した罪はそれだけじゃない――」 

 自然の物か、人口の物か、山の途中に平らな休憩所めいた場所があった。敷き詰められたように落ち葉が降り積もり、暖色系の絨毯を敷いたようだった。
 岩に女性が腰かけていた。四十ぐらいの年齢で、若いころはとても美しかっただろうと思わせる顔をしていた。茶色の瞳が眼下の村を虚ろに眺めている。
 女性と背中合わせに、山の方をむいた形で、こけむした天使像が立っている。
 ボクが落ち葉を歩く音に気づき、女性――トリーナ――は顔を向けた。
「あら、旅人さん? めずらしいわね」
「ええ。あてのない旅をしています。あなたは村の人みたいですが、ここには散歩かなにか?」
 ボクの言葉に、女性は寂しそうにほほ笑んだ。
「人をね、待っているの」
 陽は傾きかけ、光に橙色が混じりかけている。木々の影が長く伸びていた。
「……もうすぐ暗くなります。一人で山道を帰るのは、地元の人でも危ないでしょう」
「まあ、まるで待ち人が来ないようなことを言うのね。でもいいの、本当のことだから」
 トリーナは立ち上がり、天使像の方へ歩いて行った。その足音は、風が枯葉を舞い上げる音にかききえた。
「こう見えても、若いころ大恋愛したのよ。相手は村の青年でね」
 ボクは、また同じ話を聞くはめになった。
 十六になって村を出たまま今だに帰らない青年の話。もっとも、こっちで殺されたのではなくただの『行方不明』となっていたが。
「あの人と、出発前に約束したの。秋になったら、必ず僕は帰って来るから、またここで会おうって」
彼女は、翼の間に挟まるようにして像に寄り掛かった。
「バカみたいだと思っているのでしょう。もうとっくにアルは死んでるって。でなければ、他に好きな人を見つけて、どこか遠い場所で暮らしてるって」
「そんなことは」
「どうぞ気を使わないで。私もそう思っているんだから。でもね、それでもほんのちょっぴり期待してしまうの。こうしていれば、近づいてくるアルの足音が聞こえるんじゃないか、村に向かうあの人の姿が見つかるんじゃないかって」

『オレが犯した罪はそれだけじゃない』
 アルを殺し、自分ももう死んだ男はそう言っていた。
『オレはアルの死体から心臓を抜き取ると、残りの体は土に埋めた。そして、残った心臓をどうしたと思う? 干して、それを作った天使像の中に仕込んだんだ。言っただろう? オレは彫刻家だって。
 その像は、今でもこの山にある。トリーナとアルがよく会っていた場所に。表向きは「アルが帰って来るように願いを込めて」ってな。
 なんとも傑作じゃねえか! 
 もし心臓に心が宿るってんなら、アルはあの天使像になったってわけだ。でも、トリーナはそれに気づきはしねえ! すぐそばに本人が居るってのに、ずっと待ち続けてるんだ! アルだって、すぐ後ろにトリーナがいるのに振り返ることもできゃしないのさ! 傑作だと思わないかい!』

 このことをトリーナに伝えた方がいいだろうか、伝えない方がいいだろうか。もっと細かくいうのなら、もうアルが殺されていることを告げ、彼女のほんのかすかな希望を打ち壊すべきだろうか。
 それとも、このまま黙っていて、彼女に愛する者が生きているか死んでいるかも分からない生き地獄のままにしておくべきだろうか。
 日の橙色はますます強くなり、沈む夕日が周囲を金色に染め始めた。
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