階層

海豹

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階層

39 笑顔

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 首を傾げ金属でできた重そうな扉を押す柊さん。
ゆっくりと中を覗くと、大勢の老若男女が自分達と同じ全身白い服を着て休憩している。その光景から察するに何らかの激しい運動が行われたらしく、皆酷く呼吸が乱れているように見受けられる。上着を脱ぎ捨てシャツだけになる者や滝のような汗をかき、水道にへばりつく者、所々に散らばったシンプルな白いソファにぐったりと横になる者など様々である。
ただ、その部屋の中に構成員の姿は無く、監禁されているといった様子でもない。
 ようやく仲間に出会え安堵したのか柊さんは扉を押して中に入ろうと試みた。
しかし、自分は咄嗟に柊さんの腕を掴み押さえる。ギョロリと殺意のこもった目で自分を見上げてきたため少し躊躇したが、それもぐっと耐えすぐに扉を引き戻した。
「何するんですか!?」
唇を噛み鋭い目つきで睨みつけてくる柊さん。今にも襲いかかってきそうな雰囲気を醸し出している。
「待ってください、そういうつもりじゃ。」
なるべく気に触らぬよう優しいトーンで弁解する。
「いや、柊さん、その格好であの中に入っていくのはあまりにもリスクが高いですよ。」
そう言うと、自分の身体を見渡す柊さん。
自分でも、血液が固まり茶色く変色した姿であの中に入るのは目立って仕方ないと気付いたのか、反論することなく拗ねた態度をとる。
「でも、どうしろって言うのよ。」
「これしか服渡されてないのに。」
「まぁ、確かに。」
そう言って窮し、藤森に助け舟を求め視線を送る。
しかし、藤森もどうしていいかわからないというおぼつかない表情で目を逸らす。
「何か代わりになるものがありますよ。」
気まずい空気に耐えられず根拠のない発言をする自分。
体力、精神共に限界を迎えているにも関わらず、これからまた代わりの服を探さなければいけないと考えると絶望に打ちひしがれ三人の目から光は消えた。
何かいい策は無いかと地図を隅々まで見渡すが、代わりの服がストックされているような場所は見当たらない。
ただ、あまりこの姿でこの場に長居はできないと感じ近くのトイレへと駆け寄った。
三人で個室に入ると流石に窮屈だが、廊下で騒いでいるよりはましである。
藤森は相当疲れているのか口を瞑って壁に持たれては天を仰いでばかりで話にならない。機嫌を損ねた柊さんと疲れで白目を剥いた藤森はまるで人形のように動かず、ただひたすら案を出す自分は時間が経つにつれ虚しさに蝕まれる。
煩わしさと自暴自棄で大きな溜息をつきぴたりと話すのを止めると、密室した空間は案の定静寂へと変わり何も進まない。
それからしばらくして、その現状に耐えかねたのか柊さんが口を開いた。
「あんた、血飲むと強くなるんでしょ。」
突拍子も無い発言に驚いたが、ここは機嫌を損ねないよう小さく頷いた。
「なら、飲みなよ。」
そう言って、ポケットからサバイバルナイフを取り出し、刃を握ろうと試みる。
自分は柊さんの行動を察し、焦るように手を止め首を振る。彼女の痛みをトリガーには出来ないが、それは比較的良案であり見逃すこともできない。
「いや、いいです。」
「自分でやりますから。」
柊さんの痛々しい姿を見るくらいなら、少しの苦痛を味わう方がましだと思い、勢いよく腕を噛む。
口の中で溢れる血液は、無味無臭で水と変わらない。
不思議に思い、もう一度強く吸うが、やはり味がしない。朝陽や、教祖の女の血液を飲んだ時は凄まじい味覚の出現を覚えたが、なぜか自分の血はそれが現れない。
また、いくら待っても傷口が再生せず、脳や筋力の向上も見られない。
まさかと呆気に取られた思いで柊さんを見ると、彼女もその様子から気づいたらしく、覚悟を決めた顔つきをしている。
そして、躊躇うことなくナイフの刃を握り横にゆっくりと引いた。
すると、瞬く間に小さな拳の間から血が下垂れ落ちる。
自分はその姿があまりにも気の毒に思え、大袈裟に何度も謝罪するが柊さんは顔色一つ変えることなく平然としている。
「ほら、」
「早く。」
そう言って手を差し伸べる柊さん。自分もこれ以上出血させる訳にはいかないと上を向いたまま口を開け、腰を下げた。
喉へと下垂れ落ちる血液は、まるで聖水の如し体内に染み渡り活性化する。
物凄い速さで細胞分裂が行われ、傷口はみるみるうちに再生された。また、脳と筋肉の活性化が行われ、気分が高揚する。
ただ、気分が高揚したといえど、これらの行動によって思い出された朝陽の存在と自らの血液では覚醒できないという幻滅感に苛まれていたことは事実であった。
確かに、自分の血液で覚醒、栄養吸収ができるならチート級の永久機関が生まれてしまう。もはやそれは生物ではない。
「効いてますか?」
「え?」
「あ、ええ、凄く。」
「なら、導いてください。この絶望的な状況から。」
あまりに、投げやりな態度に不満を持ったが、血を流し、痛々しい姿の柊さんを見ていると寛容な心が生まれる。
「そうですね、任せてください。」
「ただ、あと一分待ってください。」
「脳神経のシナプス領域構築が完了するので。」
「ええ、?」
よく分からないといった様子で目を泳がせるが一応返事をする柊さん。
それからしばらくして自分はもう一度じっくり地図を眺める。この階層で、行動する上でのリスクが高い通路や比較的探知されやすい通路を瞬時に予測し、最小限の道筋と行動範囲を確率論を用いて考察し、ルートを導いていく。
そして、ほんの数分で最も安全かつ迅速な行動がとれる帰結に辿り着き柊さんに目をやる。
「上手く行きそうですか?」
「ええ、まだ確実とは言えませんが。」
「じゃ、どこで服を?」
「あの部屋の中にいた人達凄く汗かいていましたよね。」
「ええ、」
それがどうしたんだと言わんばかりに不思議そうな顔つきをする柊さん。
「彼らはあのまま同じ服を着てこれから先不潔な身体で生活するとは思えません。」
「感染症などの危険性からそういったところは考えられているんじゃないかと。」
「ほう、それで?」
「つまり、この階層のどこかに浴槽があるはずなんです。」
「それにあの大勢の人を何十階層も入浴の為だけに移動させるのは極めて厄介である為、この塔には等間隔で入浴施設が設けられているのではないかと。」
「従って、このマップに表示されてある80から100層までの中に設置されていると予測しました。」
「なるほど、それで?」
「入浴施設で衣服を回収し、それを洗濯機などでクリーニングする、つまり、入浴施設の近くには予備の衣類や洗濯機が設置されている可能性が高いと見ました。」
「おお!」
「でも、そのマップに詳しい施設名称は記載されてないのにどこが入浴施設って分かるんですか?」
「入浴施設は、カビ予防や、ボイラーから生じる排気ガスの排除の為、"例の女"を燃やした焼却炉と同じく階層外部との換気が必須になってきます。」
「よって、塔の外側、いわば外部との境に設置されている方が効率が良く、それに加えて、入浴施設では、給油機、ボイラー、貯温タンク、大量の水、など比較的重量ある設備を揃えなければいけない為、それなりの負荷を加えても支障のない耐久性が求められます。」
「そのようなことから、構造上頑丈な鉄筋コンクリートなどの柱が設置されている四隅が候補として導かれました。」
「そして、最後にこの断面マップは抽象的に施設形状が記載されているので、更衣室と浴槽の二つの部屋が共に並んでいる形状の断面図を探します。」
「すると、80から100層までの全84隅の中で3隅の候補が浮かび上がりました。」
「だから、自分達は今からこの3隅を最短ルートで回れば短時間でこの危機的状況から抜け出せるでしょう。」
すると、神妙な面持ちで聞いていた柊さんが自分のアイデアに納得したのか目に皺を作ってにっこり微笑みながら親指を突き立てハンドサインを向ける。
自分もすかさず自身ありげな表情で、親指を突き立て真似をする。
すると、藤森は一部始終聞いていたのか閉じていた目を薄らと開けて見下ろしながら同じく親指を突き立てる。
「寝たふりするな!」
「ゴン」
冗談混じりのトーンで柊さんが本格的なアッパーを藤森の顎に打ち込む。
少し、痛そうではあったが、希望が見えたことに愉悦を抱いており、和やかなムードで痛がってみせる藤森。
そして、自分達はこの塔に来て初めて心から笑顔を見せ合った。


















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