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第21話 感情
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「しっかりしてよ、優里!」
今やゴブリンたちの巣窟と化した扇野高校、その職員室から、甲高い女の声が聞こえてくる。並べられた教員用の机に身を隠すように、複数の生徒たちが身を寄せ合っていた。
「ちょっと何やってんのよ! あんた回復役でしょ、なら早く治してよ!」
明るい髪の女子生徒が、黒縁眼鏡を掛けた大人しそうな女子生徒に向かって声を荒げている。
「や、やってる……けど」
女子生徒は先程から青白い顔でぐったりした様子の男子生徒の腹部に手をかざしていた。
黒縁眼鏡をかけた瀬々蛍は【回復魔法】ヒールを発動し、負傷した五反田の腹部の治療に奮闘している――が、彼の顔色は一向に良くならない。傷口は塞がりつつあるのだが、回復している様子が見られないのだ。業を煮やした女子生徒が瀬々を睨みつける。
「あんた手を抜いてんじゃないでしょうね!」
「そ、そんなことない! わ、私、ちゃんとやってるよ」
「ならなんで優里の顔色がまったく良くならないのよ! おかしいじゃん!」
「わ、わからない。で、でも、わ、私ちゃんとやってるから」
「口答えするんじゃないわよ、この根暗女っ!」
「うっ……ぐ、ぐるぅしぃ」
「ちょっとやめぇやぁ―――こんな時に何をやってんねん!」
不安や焦りに駆られた松本菜奈実が瀬々蛍に掴みかかると、彼女たちよりも一学年上の先輩――本間柑奈が二人の間に割って入った。
「あんたには関係ないでしょ!」
「関係ないことあるかぁっ! 今やウチらは運命共同体やねん。こんなところで無駄に仲間割れしとる場合やないやろ!」
松本の身勝手な振る舞いに、本間の遺憾の念は一層深くたちまちどこやら身中の肉をむしられるように気が苛立ってしまう。
しかしそれは松本とて同じだ、彼女は怒りで目をギラギラ光らせながら、「ああっ!」と短い奇声を上げ、横たわる五反田の側に戻った。
「早く治療してよ」
その顔はひどく殺気立っていたのだが、どこか怯えたようにも見えた。
「ゴホッゴホッ……」
「優里っ―――」
吐血する五反田を見て、松本の顔色も幽霊のように悪くなっていく。
「なんでぇ……どうてしぇ……」
やがてポタポタと涙を流しはじめた松本に対し、ずっと口を閉ざしていた男子生徒――渡辺雅紀がゆっくりと口を開いた。
「たぶん、内臓がやられてるんだと思う」
「……内臓?」
「その人の時は傷が内臓にまで達してなかったんだと思うぜ」
渡辺は須藤いのりに視線を向け、再び五反田の腹部に視線を戻した。
「ステータスとかスキルとかってさ、マジでゲームみたいな仕様だろ?」
「だったらなんだってのよ」
鼻で嗤った渡辺を睨みつけ、この状況でよくそんな態度が取れるなと、松本の中で彼に対する憎悪が一層激しさを増していく。
「お前もゲーム好きなんだったら分かるだろ? しょぼい回復魔法や薬だとさ、治せない傷とかってあるじゃん?」
「現実とゲームを一緒にしないでよっ! マジでキモすぎ」
「んっだと、もう一緒みたいなもんだろ! この世界のどこに常識なんてあんだよ。んっなもんはもうねぇ――――ゔっ」
大音声を遮るように、乾いた破裂音が職員室に鳴り響いた。
「痛ってぇな……」
松本菜奈実が渡辺雅紀の頬を叩いたのだ。
赤くなった頬を押さえる渡辺は、浅い呼吸を繰り返す友人を見下ろしながら言った。
「もう、助かんねぇよ」
「なんでそんな風に言えるわけ? 優里は今も頑張って生きようとしてるじゃん、それなのになんで友達にそんなこと言うのよ!」
「友達なんかじゃ……ねぇよ」
俯きながら吐き捨てた彼に対し、
「……最低」
松本は嫌悪感を隠すことなく言った。
「ぐっ……」
心の底から放たれた最低に、渡辺は奥歯を噛んで拳を握りしめた。
「お前が、お前が優里にばっかり優しくすっからだろ」
「は? ……なにそれ?」
「好きなんだよ! 俺はお前のことがずっと好きだったんだよ! なのにこいつは俺がお前のこと好きなの知ってるくせにさ、お前にもアピってやがったんだ。知ってるか? 梨花は俺のこと好きとか言っておきながら、ちゃっかりこいつとヤッてたんだぜ。梨花だけじゃねぇ、三組の綾部とも中学からのセフレだったよ。中学の時なんて多目的トイレで――――」
「―――やめてよっ!」
耳をつんざく程の叫び声に、渡辺の声はかき消された。
沈黙と重苦しい空気が漂うなか、瀬々は心臓破りの坂を全速力で駆け抜けたような、苦しげな表情で床に手をついた。その顔はひどく汗まみれだった。
「瀬々ちゃん、大丈夫?」
「ご、ごめんな、さい……」
ずっと座って治療を行っていただけのはずなのに、彼女は気息奄々たる状態にまで陥っていた。
「ううん。瀬々ちゃんはよう頑張ったよ。ちょっと横になったほうがええよ」
瀬々を気遣った本間が横になるよう促すと、治療をやめた瀬々に松本が再び噛みついた。
「何寝てんのよ! 優里のことちゃんと治療してよ!」
「―――!?」
驚いて起き上がろうとする瀬々に、本間は「起きんでええよ。そのまま寝とき」優しく彼女の肩に手を置いた。
「見たら分かるやろ! 瀬々ちゃんにはもう無理や。このまま【回復魔法】を使い続けたら、今度は瀬々ちゃんが倒れてまう。三人も倒れてもうたら、次こそもう逃げられへんようになる」
「だからって優里を見殺しにする気!? その人の時には散々治療させておいて、なんで優里の時には途中でやめさせんのよ。意味分かんない、不公平じゃん!」
「須藤さんの時かて完治まではしとらんの知ってるやろ。向井くんは幼馴染みの須藤さんが苦しいのを知っていながら、瀬々ちゃんのことを気遣って一旦治療を中断したんや」
「それはその人がある程度回復したからでしょ! あんた今の優里を見ても同じこといえるわけ? こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だって言ってんじゃん!」
「もう、揉める必要ねぇんじゃねぇの?」
「―――は?」
今にも取っ組み合いの喧嘩に発展しそうな異様な空間に、感情のこもらない独特の声音が吹き抜けた。
「人殺しは黙っててよ!」
「……っ」
好意を寄せる相手に人殺し呼ばわりされた渡辺の心には、言いようのない哀しみが押し寄せていた。
哀しみは怒りに変わり、あっという間に憎しみから殺意に変わろうとしていた。
芽生え始めた憎悪を気取られぬよう、渡辺は平坦な声で言った。
「もう、死んでるよ」
「……へ?」
言われて視線を落とした松本の視界の先には、真っ白な顔でピクリとも動かなくなった五反田が眠っていた。
「いや、うそ、こんなの、うそじゃん……いやああああああああああああああ」
声にならない声で泣き叫ぶ松本に、その場に居た者たちは耐えきれず目を伏せた。
なぜこんなことになったのだろう――頭を抱え込んだ本間は、向井吉野たちと別れてからのことを思い出していた。
今やゴブリンたちの巣窟と化した扇野高校、その職員室から、甲高い女の声が聞こえてくる。並べられた教員用の机に身を隠すように、複数の生徒たちが身を寄せ合っていた。
「ちょっと何やってんのよ! あんた回復役でしょ、なら早く治してよ!」
明るい髪の女子生徒が、黒縁眼鏡を掛けた大人しそうな女子生徒に向かって声を荒げている。
「や、やってる……けど」
女子生徒は先程から青白い顔でぐったりした様子の男子生徒の腹部に手をかざしていた。
黒縁眼鏡をかけた瀬々蛍は【回復魔法】ヒールを発動し、負傷した五反田の腹部の治療に奮闘している――が、彼の顔色は一向に良くならない。傷口は塞がりつつあるのだが、回復している様子が見られないのだ。業を煮やした女子生徒が瀬々を睨みつける。
「あんた手を抜いてんじゃないでしょうね!」
「そ、そんなことない! わ、私、ちゃんとやってるよ」
「ならなんで優里の顔色がまったく良くならないのよ! おかしいじゃん!」
「わ、わからない。で、でも、わ、私ちゃんとやってるから」
「口答えするんじゃないわよ、この根暗女っ!」
「うっ……ぐ、ぐるぅしぃ」
「ちょっとやめぇやぁ―――こんな時に何をやってんねん!」
不安や焦りに駆られた松本菜奈実が瀬々蛍に掴みかかると、彼女たちよりも一学年上の先輩――本間柑奈が二人の間に割って入った。
「あんたには関係ないでしょ!」
「関係ないことあるかぁっ! 今やウチらは運命共同体やねん。こんなところで無駄に仲間割れしとる場合やないやろ!」
松本の身勝手な振る舞いに、本間の遺憾の念は一層深くたちまちどこやら身中の肉をむしられるように気が苛立ってしまう。
しかしそれは松本とて同じだ、彼女は怒りで目をギラギラ光らせながら、「ああっ!」と短い奇声を上げ、横たわる五反田の側に戻った。
「早く治療してよ」
その顔はひどく殺気立っていたのだが、どこか怯えたようにも見えた。
「ゴホッゴホッ……」
「優里っ―――」
吐血する五反田を見て、松本の顔色も幽霊のように悪くなっていく。
「なんでぇ……どうてしぇ……」
やがてポタポタと涙を流しはじめた松本に対し、ずっと口を閉ざしていた男子生徒――渡辺雅紀がゆっくりと口を開いた。
「たぶん、内臓がやられてるんだと思う」
「……内臓?」
「その人の時は傷が内臓にまで達してなかったんだと思うぜ」
渡辺は須藤いのりに視線を向け、再び五反田の腹部に視線を戻した。
「ステータスとかスキルとかってさ、マジでゲームみたいな仕様だろ?」
「だったらなんだってのよ」
鼻で嗤った渡辺を睨みつけ、この状況でよくそんな態度が取れるなと、松本の中で彼に対する憎悪が一層激しさを増していく。
「お前もゲーム好きなんだったら分かるだろ? しょぼい回復魔法や薬だとさ、治せない傷とかってあるじゃん?」
「現実とゲームを一緒にしないでよっ! マジでキモすぎ」
「んっだと、もう一緒みたいなもんだろ! この世界のどこに常識なんてあんだよ。んっなもんはもうねぇ――――ゔっ」
大音声を遮るように、乾いた破裂音が職員室に鳴り響いた。
「痛ってぇな……」
松本菜奈実が渡辺雅紀の頬を叩いたのだ。
赤くなった頬を押さえる渡辺は、浅い呼吸を繰り返す友人を見下ろしながら言った。
「もう、助かんねぇよ」
「なんでそんな風に言えるわけ? 優里は今も頑張って生きようとしてるじゃん、それなのになんで友達にそんなこと言うのよ!」
「友達なんかじゃ……ねぇよ」
俯きながら吐き捨てた彼に対し、
「……最低」
松本は嫌悪感を隠すことなく言った。
「ぐっ……」
心の底から放たれた最低に、渡辺は奥歯を噛んで拳を握りしめた。
「お前が、お前が優里にばっかり優しくすっからだろ」
「は? ……なにそれ?」
「好きなんだよ! 俺はお前のことがずっと好きだったんだよ! なのにこいつは俺がお前のこと好きなの知ってるくせにさ、お前にもアピってやがったんだ。知ってるか? 梨花は俺のこと好きとか言っておきながら、ちゃっかりこいつとヤッてたんだぜ。梨花だけじゃねぇ、三組の綾部とも中学からのセフレだったよ。中学の時なんて多目的トイレで――――」
「―――やめてよっ!」
耳をつんざく程の叫び声に、渡辺の声はかき消された。
沈黙と重苦しい空気が漂うなか、瀬々は心臓破りの坂を全速力で駆け抜けたような、苦しげな表情で床に手をついた。その顔はひどく汗まみれだった。
「瀬々ちゃん、大丈夫?」
「ご、ごめんな、さい……」
ずっと座って治療を行っていただけのはずなのに、彼女は気息奄々たる状態にまで陥っていた。
「ううん。瀬々ちゃんはよう頑張ったよ。ちょっと横になったほうがええよ」
瀬々を気遣った本間が横になるよう促すと、治療をやめた瀬々に松本が再び噛みついた。
「何寝てんのよ! 優里のことちゃんと治療してよ!」
「―――!?」
驚いて起き上がろうとする瀬々に、本間は「起きんでええよ。そのまま寝とき」優しく彼女の肩に手を置いた。
「見たら分かるやろ! 瀬々ちゃんにはもう無理や。このまま【回復魔法】を使い続けたら、今度は瀬々ちゃんが倒れてまう。三人も倒れてもうたら、次こそもう逃げられへんようになる」
「だからって優里を見殺しにする気!? その人の時には散々治療させておいて、なんで優里の時には途中でやめさせんのよ。意味分かんない、不公平じゃん!」
「須藤さんの時かて完治まではしとらんの知ってるやろ。向井くんは幼馴染みの須藤さんが苦しいのを知っていながら、瀬々ちゃんのことを気遣って一旦治療を中断したんや」
「それはその人がある程度回復したからでしょ! あんた今の優里を見ても同じこといえるわけ? こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だって言ってんじゃん!」
「もう、揉める必要ねぇんじゃねぇの?」
「―――は?」
今にも取っ組み合いの喧嘩に発展しそうな異様な空間に、感情のこもらない独特の声音が吹き抜けた。
「人殺しは黙っててよ!」
「……っ」
好意を寄せる相手に人殺し呼ばわりされた渡辺の心には、言いようのない哀しみが押し寄せていた。
哀しみは怒りに変わり、あっという間に憎しみから殺意に変わろうとしていた。
芽生え始めた憎悪を気取られぬよう、渡辺は平坦な声で言った。
「もう、死んでるよ」
「……へ?」
言われて視線を落とした松本の視界の先には、真っ白な顔でピクリとも動かなくなった五反田が眠っていた。
「いや、うそ、こんなの、うそじゃん……いやああああああああああああああ」
声にならない声で泣き叫ぶ松本に、その場に居た者たちは耐えきれず目を伏せた。
なぜこんなことになったのだろう――頭を抱え込んだ本間は、向井吉野たちと別れてからのことを思い出していた。
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