12 / 29
4.料理は男のロマン!?
2
しおりを挟む
断じて、お茶請けに惑わされたわけではない。
「乗りかかった船だしな」といって安曇くんはついて行こうとしているのに、誘った張本人がそそくさと帰るわけにはいかなかっただけだ。
梨本くんの案内でついていく。
ゴールデンウイーク明けだし、先生が土産として持ってきた菓子折が余っているのかななどと想像していたら急にお腹がすいてきて、こんなときにお腹が鳴ったら恥ずかしかったが、それはどうにかもちこたえた。
体育館の隣にある北校舎が目的の場所らしい。
ここからなら職員玄関から入るのが近かったが、生徒が利用するのはためらわれたので校舎の中程にある渡り廊下の入り口から入っていった。
梨本くんは職員室に向かって廊下を歩いていく。
先生方はまだ帰ってはいないだろうが、静かだ。
左手には教室二つ分くらいの職員室があるが、右手には小さめの小部屋が並んでいる。職員用トイレやロッカー、そして、校長室。
まさか、校長先生とかいわないよね?
しかし、そこまでいかないうちに梨本くんは立ち止まって「ここだよ」と指さす。
上部にあるプレートには用務員室と書かれていた。
「ええ? 用務員のおじさん?」
ひっそりとわたしがいうと、梨本くんは満面の笑みでうなずいた。
「先生じゃなくても顧問ってできるの?」
「実際、廃部になる前、園芸部の顧問をしていたんだって。それで、オレは一回会ってる。もし、復活することになったらやってくれるか確認しておいた」
「それで?」
「よろこんでくれた」
そっと親指を突き出す梨本くん。根回しの良さに感心する。
引き受けてくれるなんて、用務員のおじさんはよっぽど暇なのだろうか。
うちの学校に用務員がいたこと自体知らなかったくらいだから、校内をウロウロしなければならないほど仕事も多くなさそうだけれども。
部活の顧問ともなれば、休みの日まで学校に来なくてはならないこともあるだろうに。
しかも、生徒に対してお茶請け出しておもてなしをするとか。
孫に接するようなものか。
仏壇にお供えするようなお菓子を出してくれたら反応に困るな。
いや、別にお茶請けに期待などしていない。
梨本くんがドアをノックすると中から返事が聞こえてきた。
ずいぶんとハリのある声だった。
「失礼します」
入っていく梨本くんに続いて、わたしもドアから顔をのぞかせた。
ちゃぶ台の前にあぐらをかいて座っている男性が「どうぞどうぞ」と手招きしている。
ここにいるってことは、やはり、用務員さんなのだろう。
ちょっと意外な感じがして思わず安曇くんと顔を見合わせた。
作業員みたく頭にタオルを巻き、使い込んだグレーのTシャツに紺色のジャージ姿で、くたびれたようではあるが、想像していたよりずっと若い。
なんかすると調理クラブの佐々木先生よりも若く見える。
しかも、よくよく見ればイケメンだ。
キリッとした眉にくっきり二重まぶた。
さえない格好とおじさんくさい動作をもねじ伏せるほどさわやかな顔立ち。
なぜこんなところで用務員をしているのか気になるところだが、ともかく、顧問候補が気難しそうな人でなくてよかった。
「失礼します」
ちょうど上履きも履いていないのでそのまま畳に上がった。
「今、勧誘中の新垣さんと安曇くん」
「はじめまして」
梨本くんに紹介されてぎこちなくお辞儀をすると、用務員さんは立ち上がって「どうも、但馬です」とわたしたちに座るよううながした。
「お茶でもいれようかな」
「待ってました!」
梨本くんは遠慮することなく声を上げた。
「いいのが入ってるんだよ」
但馬さんはうれしそうに、小さな冷蔵庫の脇に置いてあった白い箱をちゃぶ台の上にドンと置いた。
結構な重量感。紙箱ではない。陶器の入れ物だ。
同じく陶器で出来たフタを開けると、こちらのわくわくを覆す発酵したような独特な匂いがした。
ぬか床だ。おばあちゃんちで見たことがある。
米を精米したときにできる粉末状の米ぬかを、塩水と合わせて発酵させたのがぬか床。
この中に生野菜を埋めて半日くらいおくと漬物ができるのだ。
さすが、元園芸部の顧問。こっそりにもほどがある。
ぬか漬けに焼きいもにミントティーって、すでに調理部みたいなこともやっているじゃないか。
「このぬか床はうちの母さんからもらってきたんだ。うちで漬けるのは定番のキュウリやナスなんだけどさ、基本、ぬか床にはなんでもいれられると思うんだよね。ぬか床は繰り返し使うから、生の肉や魚は衛生面で無理っていうのはわかるとして、うちの母さんは固定観念に毒されて冒険心に欠ける。だから、ここで――」
但馬さんはむにゅっと、ぬか床に手をつっこみ、目当てのものを探った。
なにが出てくるのか3人が固唾をのんで見守る中、但馬さんは紙のようなものに包まれた丸みを帯びた物体を引き上げた。
儀式めいた手つきでそっと紙を広げると、中央にくぼみがあり、少し変色した緑色のものが現れた。
「まさかの!」
興奮したように梨本くんが叫ぶと、但馬さんは「アボカド!」と呼応した。
アボカドのぬか漬けなんて見たことも聞いたこともない。
これがお茶請けとはびっくりだ。
但馬さんは狭い室内にある小さなキッチンへ立った。
あらためてせまい室内を見渡す。
ロッカーもなく、スポーツバッグが無造作に置かれ、壁にフックが取り付けられているが、ハンガーがかかっているだけだ。
たぶん、着替えなんてなくて、その服装のまま帰るのだろう。
但馬さんはアボカドを切り分けると一つのお皿に盛り、つまようじを4本刺して勧めた。
ここで辞退するわけにはいくまい。
つまようじに刺さった一切れを恐る恐る口に運ぶ。
風味はたしかにぬか漬け。
ねっとりとしたアボカド独自の風合いも損ねず、まずくはないが、あえて食べるほどでもないかという味。
「うん、おもしろいですね」
と、無難な感想の安曇くん。
「ロマンの味ですね」
と、感慨深げな梨本くん。
「え? ロマンって?」
意味がわからず聞き返すわたし。
「いいんだよ、新垣さん」
といったのは但馬さんだった。
「きっとうちの母さんと同意見で、あえてつくろうとは思わないって、思ったでしょ」
そう聞かれて「はいそうです」とはえいないわたしである。
「いいんだ。これは男の料理、男のロマンだから」
ロマンとは但馬さんの受け売りなのか。
「なるほど、料理はロマンか……」
つぶやきながら安曇くんがおもむろに皿へと手を伸ばすと、残りの3きれを男性陣3人が食べた。
「アボカドロールを食べたときから思ってましたけど、アボカドって和と融合するんですよね。でもまさか、ぬか漬けとは」
料理好きの安曇くんらしく、いろんな調味をしているらしかった。但馬さんも満足げにうなずいている。
「ぬか床は無限大の可能性を秘めている。しかも半永久的。水が上がってきたら切り干し大根とか干しシイタケに水分を吸わせるのもまたいいんだ」
「あのう……。水が上がるっていうのは……?」
わたしが疑問を口にすると、男性陣3人がいっせいにしゃべろうとした。
知らないのはわたしだけのようだ。
代表して但馬さんが教えてくれた。
「浸透圧の差によって野菜が脱水されるから、ぬか床が水っぽくなるんだよ」
但馬さんの説明は難しくてよくわからないが、安曇くんの補足によると、ようは、ぬか床は塩分が含まれているので、ぬか床に漬けておくと野菜を塩もみしたときのように、野菜から水分が出てくるので、ぬか床が水っぽくなっていくということだった。
だからぬか床自身を腐らせてしまわないために、たまに塩を足したり、水分を取り除くか新たに米ぬかを足していかなければならないという。
「面倒なんですね」
率直に言うと、但馬さんも「わかってもらえた?」といった。
「まさに手塩にかけて育てたぬか床だよ。この用務員室でね」
つまようじをつまんだ右手でタクトを取るようにむさ苦しい室内を指し示した。
なに育ててるんですか!と突っ込める距離感ではないのが残念だ。
但馬さんの冗談めかしたトークがすべり気味にからまわった。
そのとき、但馬さんが静まりかえらせた室内に、ドアを三回たたく音が響き渡った。
タイミング的にほっとしながらも、そんなに用務員室に用事があるものだろうかと、四人がいっせいにドアのほうを振り向いた。
「乗りかかった船だしな」といって安曇くんはついて行こうとしているのに、誘った張本人がそそくさと帰るわけにはいかなかっただけだ。
梨本くんの案内でついていく。
ゴールデンウイーク明けだし、先生が土産として持ってきた菓子折が余っているのかななどと想像していたら急にお腹がすいてきて、こんなときにお腹が鳴ったら恥ずかしかったが、それはどうにかもちこたえた。
体育館の隣にある北校舎が目的の場所らしい。
ここからなら職員玄関から入るのが近かったが、生徒が利用するのはためらわれたので校舎の中程にある渡り廊下の入り口から入っていった。
梨本くんは職員室に向かって廊下を歩いていく。
先生方はまだ帰ってはいないだろうが、静かだ。
左手には教室二つ分くらいの職員室があるが、右手には小さめの小部屋が並んでいる。職員用トイレやロッカー、そして、校長室。
まさか、校長先生とかいわないよね?
しかし、そこまでいかないうちに梨本くんは立ち止まって「ここだよ」と指さす。
上部にあるプレートには用務員室と書かれていた。
「ええ? 用務員のおじさん?」
ひっそりとわたしがいうと、梨本くんは満面の笑みでうなずいた。
「先生じゃなくても顧問ってできるの?」
「実際、廃部になる前、園芸部の顧問をしていたんだって。それで、オレは一回会ってる。もし、復活することになったらやってくれるか確認しておいた」
「それで?」
「よろこんでくれた」
そっと親指を突き出す梨本くん。根回しの良さに感心する。
引き受けてくれるなんて、用務員のおじさんはよっぽど暇なのだろうか。
うちの学校に用務員がいたこと自体知らなかったくらいだから、校内をウロウロしなければならないほど仕事も多くなさそうだけれども。
部活の顧問ともなれば、休みの日まで学校に来なくてはならないこともあるだろうに。
しかも、生徒に対してお茶請け出しておもてなしをするとか。
孫に接するようなものか。
仏壇にお供えするようなお菓子を出してくれたら反応に困るな。
いや、別にお茶請けに期待などしていない。
梨本くんがドアをノックすると中から返事が聞こえてきた。
ずいぶんとハリのある声だった。
「失礼します」
入っていく梨本くんに続いて、わたしもドアから顔をのぞかせた。
ちゃぶ台の前にあぐらをかいて座っている男性が「どうぞどうぞ」と手招きしている。
ここにいるってことは、やはり、用務員さんなのだろう。
ちょっと意外な感じがして思わず安曇くんと顔を見合わせた。
作業員みたく頭にタオルを巻き、使い込んだグレーのTシャツに紺色のジャージ姿で、くたびれたようではあるが、想像していたよりずっと若い。
なんかすると調理クラブの佐々木先生よりも若く見える。
しかも、よくよく見ればイケメンだ。
キリッとした眉にくっきり二重まぶた。
さえない格好とおじさんくさい動作をもねじ伏せるほどさわやかな顔立ち。
なぜこんなところで用務員をしているのか気になるところだが、ともかく、顧問候補が気難しそうな人でなくてよかった。
「失礼します」
ちょうど上履きも履いていないのでそのまま畳に上がった。
「今、勧誘中の新垣さんと安曇くん」
「はじめまして」
梨本くんに紹介されてぎこちなくお辞儀をすると、用務員さんは立ち上がって「どうも、但馬です」とわたしたちに座るよううながした。
「お茶でもいれようかな」
「待ってました!」
梨本くんは遠慮することなく声を上げた。
「いいのが入ってるんだよ」
但馬さんはうれしそうに、小さな冷蔵庫の脇に置いてあった白い箱をちゃぶ台の上にドンと置いた。
結構な重量感。紙箱ではない。陶器の入れ物だ。
同じく陶器で出来たフタを開けると、こちらのわくわくを覆す発酵したような独特な匂いがした。
ぬか床だ。おばあちゃんちで見たことがある。
米を精米したときにできる粉末状の米ぬかを、塩水と合わせて発酵させたのがぬか床。
この中に生野菜を埋めて半日くらいおくと漬物ができるのだ。
さすが、元園芸部の顧問。こっそりにもほどがある。
ぬか漬けに焼きいもにミントティーって、すでに調理部みたいなこともやっているじゃないか。
「このぬか床はうちの母さんからもらってきたんだ。うちで漬けるのは定番のキュウリやナスなんだけどさ、基本、ぬか床にはなんでもいれられると思うんだよね。ぬか床は繰り返し使うから、生の肉や魚は衛生面で無理っていうのはわかるとして、うちの母さんは固定観念に毒されて冒険心に欠ける。だから、ここで――」
但馬さんはむにゅっと、ぬか床に手をつっこみ、目当てのものを探った。
なにが出てくるのか3人が固唾をのんで見守る中、但馬さんは紙のようなものに包まれた丸みを帯びた物体を引き上げた。
儀式めいた手つきでそっと紙を広げると、中央にくぼみがあり、少し変色した緑色のものが現れた。
「まさかの!」
興奮したように梨本くんが叫ぶと、但馬さんは「アボカド!」と呼応した。
アボカドのぬか漬けなんて見たことも聞いたこともない。
これがお茶請けとはびっくりだ。
但馬さんは狭い室内にある小さなキッチンへ立った。
あらためてせまい室内を見渡す。
ロッカーもなく、スポーツバッグが無造作に置かれ、壁にフックが取り付けられているが、ハンガーがかかっているだけだ。
たぶん、着替えなんてなくて、その服装のまま帰るのだろう。
但馬さんはアボカドを切り分けると一つのお皿に盛り、つまようじを4本刺して勧めた。
ここで辞退するわけにはいくまい。
つまようじに刺さった一切れを恐る恐る口に運ぶ。
風味はたしかにぬか漬け。
ねっとりとしたアボカド独自の風合いも損ねず、まずくはないが、あえて食べるほどでもないかという味。
「うん、おもしろいですね」
と、無難な感想の安曇くん。
「ロマンの味ですね」
と、感慨深げな梨本くん。
「え? ロマンって?」
意味がわからず聞き返すわたし。
「いいんだよ、新垣さん」
といったのは但馬さんだった。
「きっとうちの母さんと同意見で、あえてつくろうとは思わないって、思ったでしょ」
そう聞かれて「はいそうです」とはえいないわたしである。
「いいんだ。これは男の料理、男のロマンだから」
ロマンとは但馬さんの受け売りなのか。
「なるほど、料理はロマンか……」
つぶやきながら安曇くんがおもむろに皿へと手を伸ばすと、残りの3きれを男性陣3人が食べた。
「アボカドロールを食べたときから思ってましたけど、アボカドって和と融合するんですよね。でもまさか、ぬか漬けとは」
料理好きの安曇くんらしく、いろんな調味をしているらしかった。但馬さんも満足げにうなずいている。
「ぬか床は無限大の可能性を秘めている。しかも半永久的。水が上がってきたら切り干し大根とか干しシイタケに水分を吸わせるのもまたいいんだ」
「あのう……。水が上がるっていうのは……?」
わたしが疑問を口にすると、男性陣3人がいっせいにしゃべろうとした。
知らないのはわたしだけのようだ。
代表して但馬さんが教えてくれた。
「浸透圧の差によって野菜が脱水されるから、ぬか床が水っぽくなるんだよ」
但馬さんの説明は難しくてよくわからないが、安曇くんの補足によると、ようは、ぬか床は塩分が含まれているので、ぬか床に漬けておくと野菜を塩もみしたときのように、野菜から水分が出てくるので、ぬか床が水っぽくなっていくということだった。
だからぬか床自身を腐らせてしまわないために、たまに塩を足したり、水分を取り除くか新たに米ぬかを足していかなければならないという。
「面倒なんですね」
率直に言うと、但馬さんも「わかってもらえた?」といった。
「まさに手塩にかけて育てたぬか床だよ。この用務員室でね」
つまようじをつまんだ右手でタクトを取るようにむさ苦しい室内を指し示した。
なに育ててるんですか!と突っ込める距離感ではないのが残念だ。
但馬さんの冗談めかしたトークがすべり気味にからまわった。
そのとき、但馬さんが静まりかえらせた室内に、ドアを三回たたく音が響き渡った。
タイミング的にほっとしながらも、そんなに用務員室に用事があるものだろうかと、四人がいっせいにドアのほうを振り向いた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる