伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

文字の大きさ
10 / 37

第10話

​「……んぅ……」
​重い。
金縛りだろうか。それとも、またスライムに襲われている夢だろうか。
俺、三上薫は、全身を圧迫する心地よい重みと熱気の中で意識を浮上させた。
​「……おはよう、薫」
​耳元で、低く甘い声がした。
目を開けると、視界いっぱいに男の顔があった。
整った鼻筋、長い睫毛、そして深海のような碧眼。
ガルド・ベルンシュタインだ。
​「……おはようございます。……近い、です」
「動くな」
​ガルド様は俺を抱き枕のように四肢で絡め取ったまま、布団の中で顔を寄せた。
​「……寝起きの君は、最高だ」
「は?」
「一晩かけて熟成された体臭……。寝汗を含んだパジャマ……。そして、無防備に緩んだ口元から漏れる吐息……」
​ガルド様が俺の首筋に鼻先を埋める。
冷たい鼻先が、寝起きで火照った肌に触れてヒヤリとする。
​「スゥーーーーーーーーッ…………」
​部屋中に響くような、深呼吸の音。
ガルド様は俺の鎖骨のくぼみに溜まった空気を、残さず肺に取り込もうとしていた。
​「んんッ……! ……あぁ……キマる……!」
「朝から変な声出さないでください! 変態!」
「褒め言葉だ」
​ガルド様は俺の抵抗など意に介さず、さらに強く抱きしめた。
​「これが俺の朝の習慣だ。……これを吸わないと、一日が始まらない」
「ニコチン中毒よりタチが悪いですよ……」
「ニコチンなど不要だ。君のフェロモンだけで、俺の脳は覚醒する」
​結局、俺は二度寝を許されず、三十分ほど「人間吸入器」としての務めを果たさせられた。
​   ◇
​「三上薫様! おはようございます!」
​ダイニングルームに入ると、二十人ほどのメイドと執事が整列していた。
全員、なぜかハンカチで目元を拭っている。
​「……えっと、おはようございます?」
「おお……! なんと素晴らしい朝でしょう!」
​白髪の老執事が、震える手で俺の手を握りしめた。
​「旦那様が……旦那様が、朝から壁を殴らず、使用人を怒鳴り散らさず、こんなに穏やかな顔で起きてこられるなんて……!」
「セバスチャン、大袈裟だ」
​ガルド様が席に着きながら苦笑する。
いや、大袈裟じゃないらしい。以前のガルド様は、魔力中毒の頭痛で毎朝不機嫌を極め、屋敷の壁を破壊するのが日課だったとか。
​「薫様、あなたは我々の救世主です。…… こちらにどうぞ、朝食の準備ができております」

​出された朝食は、王侯貴族の晩餐会かと思うほどの豪華さだった。
厚切りのベーコン、ふわふわのオムレツ、そして山盛りのフルーツ。
​「さあ、薫。口を開けろ」
「自分で食べますって」
「駄目だ。君の手は箸より重いものを持つ必要はない」
​ガルド様は俺の膝の上にナプキンを敷き、当然のように「あーん」を強要してくる。
使用人たちが見守る中、俺は恥辱にまみれながらパンを咀嚼した。
​「……うまいか?」
「……美味しいです」
「そうか。もっと食え。バターも塗れ」
​ガルド様が目を細める。
​「君は痩せ過ぎだ。もっとカロリーを摂取して、皮下脂肪を増やせ。……脂肪は匂いを閉じ込める最良の断熱材だからな」
「結局そこですか!」
「丸々と太った君の腹に顔を埋めて、窒息するのが俺の夢だ」
「通報案件ですよそれ!」
​セバスチャンが「旦那様、お戯れを」と笑っているが、目は笑っていなかった。
ここの住人、全員感覚が麻痺している。
​   ◇
​食後の着替えタイム。
ここでも、俺の自由意志はなかった。
​「今日はこれだ」
​ガルド様が差し出したのは、仕立ての良いシルクのシャツと、ダークグレーのスラックス。
そして、首元にはスカーフ。
​「あの、これ……ガルド様の匂いがすごいんですけど」
「当然だ。俺が三日間抱いて寝たスカーフだからな」
「中古品じゃないですか!」
「プレミア品と言え」
​ガルド様は俺の首にスカーフを丁寧に巻き、結び目を整えた。
​「これを巻いておけば、悪い虫も寄ってこない。『この獲物は捕食済み』というマーキングだ」
「今すぐ外したい…」
「ダメだ」
​ガルド様は満足げに俺の全身を見回すと、最後に俺の手首を掴んだ。
シュッ、と香水が吹きかけられる。
ムスクのような、重厚で色気のある香り。ガルド様が愛用しているものだ。
​「……よし。これで、君から俺の匂いがする」
​ガルド様は俺の手首に口付け、ニヤリと笑った。
​「行ってきますのキスだ、薫」
「……行ってきます」
​俺は真っ赤になりながら、ガルド様の後ろをついていくしかなかった。
悔しいが、この香水の匂いは……嫌いじゃなかった。
​   ◇
​「出勤だ!」
​屋敷の前に待機していたのは、馬車というより装甲車だった。
鉄板で補強され、窓ガラスは防弾仕様。
馬ではなく、アースドラゴンが二頭繋がれている。
​「これに乗るんですか? ギルドまで徒歩十分ですよ?」
「君の安全が最優先だ」
​乗り込むと、中は広々としたソファ席になっていた。
ガルド様は俺を隣に座らせる……こともなく、当然のように自分の膝の上に座らせた。
​「狭いです」
「揺れるから危ない」
「アースドラゴンは揺れません!」
​ガルド様は俺の腰に手を回し、俺の肩に頭を預けた。
​「……ハァ。仕事に行きたくない」
「さっきまでの元気はどこへ?」
「君と一日中、ベッドの中で『深呼吸大会』をしていたい」
「そんな大会ありません」
​ガルド様は俺の髪の匂いをスゥーッと吸い込むと、目を閉じた。
​「……薫。今日の夕飯は何がいい?」
「……ハンバーグ」
「わかった。最高級の肉を用意させよう」
​完全に、新婚夫婦の会話だった。
揺れる馬車の中、俺は諦めてガルド様の胸に背中を預けた。
窓の外では、王都の人々がこの厳つい馬車を見上げて「英雄様のご出勤だ」「中に愛人が乗ってるらしいぞ」と噂しているのが見えた。
​もう、どうにでもなれ。
俺の平穏な日常は死んだ。
ここにあるのは、英雄による異常な溺愛と、それに慣らされつつある社畜の新しい日常だけだ。
​「……ガルド様、着きましたよ」
「チッ。早いな」
​ギルドの前に到着すると、ガルド様は不機嫌そうに俺を降ろした。
だが、その手は俺の手をしっかりと握ったまま離さない。
まるで、宝物を誰にも奪われないように。
​「さあ、今日も働くか。……俺の『酸素』のために」
​その横顔は、悔しいほどカッコよかった。
俺は小さくため息をつき、その大きな手を握り返した。
感想 6

あなたにおすすめの小説

処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます

ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。 しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。 ——このままじゃ、王太子に処刑される。 前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。 中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。 囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。 ところが動くほど状況は悪化していく。 レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、 カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、 隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。 しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。 周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり—— 自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。 誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う—— ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。

異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした

うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。 獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。 怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。 「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」 戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。 獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。 第一章 完結 第二章 完結 第三章 完結

龍は精霊の愛し子を愛でる

林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。 その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。 王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる

レイ
BL
「出来損ない」と捨てられた場所は、私の居場所ではありませんでした。 ラングリス王国の第三王子・フィオーレは、王族の証である『聖種の紋様』が現れなかったことで「偽物の番」と罵られ、雪降る国境へと追放される。 死を覚悟した彼の前に現れたのは、隣国アイゼン帝国の「冷徹皇帝」ヴォルフラムだった。

悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?

水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。 断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。 しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。 これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?