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第12話
「……ガルド様、買いすぎです」
週末の王都、中央広場。
俺、三上薫は、両手に紙袋を山のように抱えた使用人たちを後ろに見ながら、隣を歩く英雄に呆れていた。
「何を言う。君がそのシャツを物欲しそうに見つめていたから。 欲しかったんだろう?」
「うっ、だ、だからって色違い全色買う必要あります!?」
「君が着るものは全て俺が選ぶ。……君の肌に触れていい布は、俺が認めた最高級品だけだ」
ガルド様は平然と言い放ち、サングラス越しに周囲を威圧しながら俺の腰を抱き寄せた。
今日は久しぶりの外出だ。
先日の研究所での一件以来、俺は屋敷に軟禁状態だったが、「たまには外の空気を吸いたい」と懇願してようやく許されたのだ。
もちろん、半径五メートル以内に誰も近づけないという条件付きで。
「……でも、久しぶりのシャバの空気は美味しいですね」
「俺にとっては、君の隣の空気が一番美味い」
ガルド様は俺の髪に鼻を近づけ、スゥーッ……と密やかに深呼吸した。
街中でも通常運転だ。もう慣れた。
「……薫。君が笑っていると、匂いが『甘く』なるな」
ガルド様が不意に足を止め、俺の顔を覗き込んだ。
その表情は、いつもの変態的な色気ではなく、純粋な慈愛に満ちていた。
「綿菓子のような……懐かしくて、優しい匂いだ。……ずっと嗅いでいたい」
「……そうですか。じゃあ、もっと笑えるように努力しますよ」
俺が照れ隠しにそう答えると、ガルド様は嬉しそうに目を細めた。
平和だ。
こんな穏やかな時間が、ずっと続けばいいと。
柄にもなく、そう思ってしまったのがいけなかったのかもしれない。
◇
「……ん?」
裏路地を通って近道をしようとした時だった。
急に、周囲の音が消えた。
広場の喧騒も、風の音も。
「……結界か」
ガルド様の声が低くなる。
瞬時に俺を背中に隠し、腰の剣に手をかけた。
「出てこい。隠れても無駄だ。……ドブネズミの臭いがプンプンするぞ」
ガルド様が殺気を放つと、空間が歪み、十数人の黒装束が現れた。
そして、その中心にいるのは――。
「ククク……やはり気づくか、野獣め」
機械仕掛けの義手をつけた男。
ネロンだ。
先日、ガルド様に腕を潰されたはずの研究者。
「懲りないな。もう片方の腕も潰されたいか?」
「ハッ! 今日は復讐ではない! 目的は別にある!」
ネロンが叫ぶと同時に、黒装束たちが一斉に襲いかかってきた。
短剣、魔法、毒矢。
四方八方からの波状攻撃。
「雑魚が……! 俺の薫に近づけると思うなァッ!!」
ガルド様が一歩も動かず、ただ魔力を放出する。
ドォォォンッ!!
衝撃波だけで、襲撃者たちは木の葉のように吹き飛んだ。
圧倒的だ。S級探索者の実力差がありすぎる。
「馬鹿め! 真正面から挑むと思ったか!」
ネロンがニヤリと笑い、懐から水晶玉を取り出した。
それを地面に叩きつける。
パリンッ!!
砕け散った水晶から、紫色の煙が噴き出した。
毒ガス? いや、違う。
「……薫、離れるな!!」
ガルド様が叫び、俺の手を掴もうとした。
その時、俺の足元がカッと光った。
「――え?」
地面に描かれていたのは、複雑怪奇な幾何学模様。
魔法陣だ。俺が踏んだ瞬間に起動するよう、あらかじめ設置されていたのだ。
「古代転移魔法だ!! その男はいただくぞ!!」
「貴様ァァァッ!!!」
ガルド様が、俺に向かって手を伸ばす。
その顔は、今まで見たこともないほど必死で、恐怖に歪んでいた。
「薫ッ!!!」
「ガルド様――!」
俺も手を伸ばした。
指先が、触れた。
ガルド様の温かい指先。
だが、掴むことはできなかった。
フッ……。
世界が反転する感覚。
強烈な浮遊感。
最後に目にしたのは、俺の名前を叫びながら、虚空を掴む英雄の絶望的な姿だった。
◇
「……ッ!!」
ガルドの手が、空気を掴んで閉じた。
ほんの数センチ。
あと数センチ届かなかった。
目の前にあったはずの愛しい存在が、光の粒子となって消え失せた。
「……か、おる……?」
ガルドは呆然と、自分の手を見つめた。
指先に残っているのは、薫のわずかな温もりと、恐怖で冷たくなった汗の感触だけ。
「クックック……! 成功だ! これで『聖香』は我々のものだ!」
「研究所へ戻るぞ! 解剖の準備だ!」
ネロンと生き残った黒装束たちが、勝ち誇ったように笑う。
彼らは知らなかったのだ。
自分たちが、何をしてしまったのかを。
「世界を繋ぎ止めていた楔」を、自らの手で引き抜いてしまったことを。
「……あ……ああ……」
ガルドの喉から、空気の漏れるような音がした。
苦しい。
息ができない。
酸素がない。
世界が、急激に色を失い、腐った泥のような悪臭に満たされていく。
頭の中で、何かがプツンと切れた。
「……返せ」
ガルドが呟く。
その声には、もはや人間の感情は乗っていなかった。
「あ?」
「俺の……酸素を……返せぇぇぇぇぇぇッ!!!!!」
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
王都の空が、割れた。
ガルドの身体から噴き出した魔力が、黒い稲妻となって天を貫いたのだ。
周囲の建物がガラス細工のように砕け散り、地面が陥没する。
「な、なんだ!? この魔力は!?」
「ひぃッ!? ば、化け物……!」
「何をしているッ!早く転移魔法を!!」
ネロンたちはすぐさま魔法陣を発動させ、その場から消えてしまった。
黒い魔力の嵐の中心で、ガルド・ベルンシュタインはゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、白目が黒く染まり、瞳孔が紅く発光していた。
魔力中毒の末期症状。
いや、それ以上の「何か」だ。
「……探す。……世界の果てまで……灰にしてでも……」
ガルドが一歩踏み出す。
その足元の石畳が、溶解してドロドロに溶けた。
「俺の薫を奪った代償……この国ごと、払い尽くさせてやる」
英雄は消えた。
そこにはただ、愛を奪われた「魔王」だけが立っていた。
週末の王都、中央広場。
俺、三上薫は、両手に紙袋を山のように抱えた使用人たちを後ろに見ながら、隣を歩く英雄に呆れていた。
「何を言う。君がそのシャツを物欲しそうに見つめていたから。 欲しかったんだろう?」
「うっ、だ、だからって色違い全色買う必要あります!?」
「君が着るものは全て俺が選ぶ。……君の肌に触れていい布は、俺が認めた最高級品だけだ」
ガルド様は平然と言い放ち、サングラス越しに周囲を威圧しながら俺の腰を抱き寄せた。
今日は久しぶりの外出だ。
先日の研究所での一件以来、俺は屋敷に軟禁状態だったが、「たまには外の空気を吸いたい」と懇願してようやく許されたのだ。
もちろん、半径五メートル以内に誰も近づけないという条件付きで。
「……でも、久しぶりのシャバの空気は美味しいですね」
「俺にとっては、君の隣の空気が一番美味い」
ガルド様は俺の髪に鼻を近づけ、スゥーッ……と密やかに深呼吸した。
街中でも通常運転だ。もう慣れた。
「……薫。君が笑っていると、匂いが『甘く』なるな」
ガルド様が不意に足を止め、俺の顔を覗き込んだ。
その表情は、いつもの変態的な色気ではなく、純粋な慈愛に満ちていた。
「綿菓子のような……懐かしくて、優しい匂いだ。……ずっと嗅いでいたい」
「……そうですか。じゃあ、もっと笑えるように努力しますよ」
俺が照れ隠しにそう答えると、ガルド様は嬉しそうに目を細めた。
平和だ。
こんな穏やかな時間が、ずっと続けばいいと。
柄にもなく、そう思ってしまったのがいけなかったのかもしれない。
◇
「……ん?」
裏路地を通って近道をしようとした時だった。
急に、周囲の音が消えた。
広場の喧騒も、風の音も。
「……結界か」
ガルド様の声が低くなる。
瞬時に俺を背中に隠し、腰の剣に手をかけた。
「出てこい。隠れても無駄だ。……ドブネズミの臭いがプンプンするぞ」
ガルド様が殺気を放つと、空間が歪み、十数人の黒装束が現れた。
そして、その中心にいるのは――。
「ククク……やはり気づくか、野獣め」
機械仕掛けの義手をつけた男。
ネロンだ。
先日、ガルド様に腕を潰されたはずの研究者。
「懲りないな。もう片方の腕も潰されたいか?」
「ハッ! 今日は復讐ではない! 目的は別にある!」
ネロンが叫ぶと同時に、黒装束たちが一斉に襲いかかってきた。
短剣、魔法、毒矢。
四方八方からの波状攻撃。
「雑魚が……! 俺の薫に近づけると思うなァッ!!」
ガルド様が一歩も動かず、ただ魔力を放出する。
ドォォォンッ!!
衝撃波だけで、襲撃者たちは木の葉のように吹き飛んだ。
圧倒的だ。S級探索者の実力差がありすぎる。
「馬鹿め! 真正面から挑むと思ったか!」
ネロンがニヤリと笑い、懐から水晶玉を取り出した。
それを地面に叩きつける。
パリンッ!!
砕け散った水晶から、紫色の煙が噴き出した。
毒ガス? いや、違う。
「……薫、離れるな!!」
ガルド様が叫び、俺の手を掴もうとした。
その時、俺の足元がカッと光った。
「――え?」
地面に描かれていたのは、複雑怪奇な幾何学模様。
魔法陣だ。俺が踏んだ瞬間に起動するよう、あらかじめ設置されていたのだ。
「古代転移魔法だ!! その男はいただくぞ!!」
「貴様ァァァッ!!!」
ガルド様が、俺に向かって手を伸ばす。
その顔は、今まで見たこともないほど必死で、恐怖に歪んでいた。
「薫ッ!!!」
「ガルド様――!」
俺も手を伸ばした。
指先が、触れた。
ガルド様の温かい指先。
だが、掴むことはできなかった。
フッ……。
世界が反転する感覚。
強烈な浮遊感。
最後に目にしたのは、俺の名前を叫びながら、虚空を掴む英雄の絶望的な姿だった。
◇
「……ッ!!」
ガルドの手が、空気を掴んで閉じた。
ほんの数センチ。
あと数センチ届かなかった。
目の前にあったはずの愛しい存在が、光の粒子となって消え失せた。
「……か、おる……?」
ガルドは呆然と、自分の手を見つめた。
指先に残っているのは、薫のわずかな温もりと、恐怖で冷たくなった汗の感触だけ。
「クックック……! 成功だ! これで『聖香』は我々のものだ!」
「研究所へ戻るぞ! 解剖の準備だ!」
ネロンと生き残った黒装束たちが、勝ち誇ったように笑う。
彼らは知らなかったのだ。
自分たちが、何をしてしまったのかを。
「世界を繋ぎ止めていた楔」を、自らの手で引き抜いてしまったことを。
「……あ……ああ……」
ガルドの喉から、空気の漏れるような音がした。
苦しい。
息ができない。
酸素がない。
世界が、急激に色を失い、腐った泥のような悪臭に満たされていく。
頭の中で、何かがプツンと切れた。
「……返せ」
ガルドが呟く。
その声には、もはや人間の感情は乗っていなかった。
「あ?」
「俺の……酸素を……返せぇぇぇぇぇぇッ!!!!!」
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
王都の空が、割れた。
ガルドの身体から噴き出した魔力が、黒い稲妻となって天を貫いたのだ。
周囲の建物がガラス細工のように砕け散り、地面が陥没する。
「な、なんだ!? この魔力は!?」
「ひぃッ!? ば、化け物……!」
「何をしているッ!早く転移魔法を!!」
ネロンたちはすぐさま魔法陣を発動させ、その場から消えてしまった。
黒い魔力の嵐の中心で、ガルド・ベルンシュタインはゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、白目が黒く染まり、瞳孔が紅く発光していた。
魔力中毒の末期症状。
いや、それ以上の「何か」だ。
「……探す。……世界の果てまで……灰にしてでも……」
ガルドが一歩踏み出す。
その足元の石畳が、溶解してドロドロに溶けた。
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