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第二章
妖狐の尊厳
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夕方になり、小珠は市から帰って屋敷の炊事場に来た。
人参の成長点はへたの近くにある。根の栄養価を下げないために、今朝取った人参のへたを切り落としてから保存した。こうするとより長持ちするのだ。
「おばあちゃん、仲直りってどうやるんだっけ」
一通りへたを取ってから、隣で夕食の準備をしているキヨに相談する。
「おや。誰かと喧嘩でもしたのかい」
「私が隠し事をしてて、結果的に騙してしまったんだ」
キヨの包丁さばきはいつ見ても高速だ。喋りながら、あっという間に玉ねぎが微塵切りされていく。
「一度騙した事実は消えない。信用を取り戻すには時間がかかるよ」
「……そうだよね」
「時間がかかるだけさ。すぐには取り戻せずとも、いつか戻るかもしれない。……ただ、戻らない場合もあるけどねえ」
キヨの言葉がぐさっと心臓に刺さる。しゅんとする小珠をちらりと横目に見て、キヨは笑った。
「誠実なところを見せるのが大事だよ。取り戻せない可能性があるからって、怖気付いて何も行動しないような子じゃないだろう。小珠は」
「……!」
「その人には謝ったのかい」
「まだ」
「なら、まず謝らんとね」
キヨのおかげで複雑だった糸が解かれて、単純な話になった気がした。キヨと話すと思考が整理される。今やらなければならないことが何となく見えた。
「おばあちゃん、私頑張ってみる」
謝罪して、説明しよう。この町をよくしようとしていると伝えよう。
そのためにも、それを証明できるような行動をしなければ。
◆
夕食の場で、皆が集まる前に、銀狐にからかさ小僧を屋敷に連れてきたいと伝えてみた。
「あかん」
しかし、銀狐は小珠の要求をばっさりと却下してきた。
「それは、威厳を保つために、南の妖怪たちと一族が馴れ合うのはよくないと考えているからですか?」
「そうや」
「でも、狐の一族は威厳なんかに頼らなくても十分この町を統治できるほどの妖怪としての実力がありますよね。もしかして、自信がないのでしょうか?」
「へえ、言うようになったやん」
小珠としては大真面目な問いだったのだが、銀狐からすれば馬鹿にされたように感じたらしく、怪しい笑みを浮かべてぐりぐりとこめかみを痛めつけてくる。小珠は悲鳴を上げた。
「瑞狐祭りは手伝ったったやろ。あれで満足しぃ」
畳の上で痛みに転げ回る小珠を嗜めるように銀狐が言う。
「その節はありがとうございました……。あれって、銀狐さんが言い出してくれたのですよね?」
銀狐たちが雨降らしの舞をしてくれなければ、あのような芸当はできなかった。
「ちゃう。あれは、空狐はんが言い出したことや」
「…………」
驚いた。空狐はそのような素振り一つも見せなかった。小珠が礼を言った時も、まるで銀狐が提案したかのように伝えてきた。
「私にはそう言っていなかったのですが……」
「不器用な人やからな」
銀狐は胡座をかいて座布団の上に座り、立っている小珠を見上げてくる。
「それより、あれもっぺん見して?」
「あれとは?」
「妖力を使って幻影を見せる術。あれ、そう簡単にできることちゃうで。小珠はんはやっぱり玉藻前様の生まれ変わりなんやなぁ」
「それが、あれからもう一度試してみたのですが、全くできなくて」
瑞狐祭りの翌日、庭に咲いている花を化かそうとしたが、花の姿は少しも変わらなかった。瑞狐祭りの時は、切羽詰まっていたからできた――火事場の馬鹿力のようなものかもしれない。
「何や、つまらん」
「つ……つまらなくて悪かったですね」
「俺が教えたろか? 極めれば自分を他の姿に見せることもできんで」
確かに、この屋敷の妖狐たちは全員他の姿に化けることができる。野狐たちが護衛として市まで付いてきてくれる時、天狗に変化しているのが良い例だ。
「――こんな風に」
ぽんっと音を立てて、煙が発生したかと思うと、目の前にいたはずの銀狐が空狐の姿になっていた。
「……凄い。どこからどう見ても空狐さんですね」
「やろ。触ってみる? 感触も同じやで」
「え。や、それはいいです」
一瞬空狐の感触を想像してしまい、顔が熱くなる。慌てて遠慮するが、空狐の姿をした銀狐はにやりと笑った。
「何顔赤くしてんねん。おぼこいなあ」
「ひぃっ!」
銀狐が小珠の手を掴んでずいっと顔を近付けてきたため、小珠は思わず悲鳴を上げた。空狐の端正な顔立ちが目の前にある。中身は銀狐のはずなのに、どきどきと心臓の鼓動がうるさくなった。
――小珠がぎゅっと目を瞑ったその時。べしっと音がして、銀狐の手が小珠から離れた。おそるおそる目を開くと、銀狐の後ろに本物の空狐が立っている。さっきの音は、空狐が銀狐の頭を叩いた音らしい。衝撃で銀狐の姿が元に戻っている。
「全く。僕の姿で何をやっているのやら」
「痛っったぁ~。空狐はん、思いっきし叩きはったやろ」
「不用意に小珠様に近付かないでください。天狐様の前ですよ」
空狐がそう言って、料理の間の前方に佇む大きな白い狐に目をやった。天狐の美しい存在感は何度見ても神秘的だ。婚約者とはいえ何だか声をかけるのが恐れ多く、小珠はまだ彼とあまりきちんと話せていない。
「先程の話。受けてみてもよいのではないか」
天狐がゆっくりと口を開き、少ししわがれた声で言う。
「……天狐様、正気ですかぁ? 低級妖怪をこの屋敷に招き入れるなんて、前代未聞ですよ」
信じられないといった様子で天狐に言い返したのは銀狐である。
「先日瑞狐祭りの花降らしを手伝った件で、僅かながら町民から感謝の声が届いておる。このようなことは玉藻前統治の時代以降、無かったことじゃ。あれを提案したのは小珠だったのだろう?」
金色の瞳で見下され、こくこくと必死に頷く。
「では、次も良き方向に事が運ぶかもしれん。物は試しじゃ」
「しかし、天狐様……」
「わしの言う事に逆らうのか。銀狐」
天狐が銀狐をぎろりと睨む。銀狐は口籠った。
「あ……ありがとうございます!」
小珠が深々と頭を下げると、天狐はにこにこと機嫌良さそうに笑った。
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