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第三章
帰り
しおりを挟む「あっははははははは!」
帰ってきて早々、何故こんなにも大きな声で笑われているのだろう。
広間で小珠の話を黙って聞いていた銀狐は、どうにも小珠の失敗が可笑しいらしく、腹を抱えて転げ回っている。
「妖力の使い方間違えて吹っ飛んで山に突っ込むて、狙っとんのか!? 大衆演芸でもそないな話聞かへんわ!」
「銀狐。失礼ですよ。仮にも一族の花嫁です。そう馬鹿にするものでは……ふっ……ふふ……」
銀狐に注意する金狐も笑いを堪えるように肩を震わせていて少し悲しかった。
小珠の両隣には、小珠の怪我の手当てをする気狐と野狐がいる。彼らは無傷だ。
「あの変なお札で切られた気狐さんと野狐さんは無事なのですか」
「わたくしですよぉ、それ」
隣の無傷の気狐が少しむっとしたように言う。気狐たちは複数体おり、皆同じ容姿をしているので見分けがつかない。
しかし、いかなる理由があっても間違えられるのは不愉快だろう。小珠は慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい。やっぱりまだ見分けられなくて。妖力の違いを見分けられるようになれば分かるのでしょうけど、未熟者で申し訳ないです。あの時は守ってくれてありがとうございました。でも、足を切られたのにどうして……」
気狐の足は血で汚れておらず、そこにあったはずの傷もなくなっている。
「ふふ、怒ってませんよぉ。それに、舐めてもらっちゃ困りますねぇ。あの程度の怪我、妖狐ならすぐ治せます。小珠ちゃんも妖力を自在に操れるようになれば治癒もできるようになりますよ」
心底ほっとした。狐の一族には治癒能力があるらしい。妖狐のことを人間の常識で測ってはいけないようだ。
「二口女さんはどこにいるのですか?」
「小珠様への襲撃の知らせがあってすぐきつね町に戻らせたので外傷は一切ないのですが、精神的に疲れてしまったようなので、小珠様の部屋で休ませています」
妖怪を襲う存在がいるところに愛しい恋人がいると知ったのだから当然だろう。今、不安で仕方がないはずだ。
「……二口女さんの元恋人を町に連れ戻すことはできませんか? 今日、住んでいる場所までは分かったんです。あと一歩というところで……。妖怪を狙う人達が彼の噂を嗅ぎつけていてもおかしくありません。港町へいては危険です」
そう訴えると、空狐は険しい表情になった。
「それはできません。今回のことで、我ら一族、及び玉藻前様の生存の可能性を掴ませてしまいました。これまで以上にきつね町の外へ出るにあたっては警戒せねばなりません。明日にも町民には外出禁止令を出します。とはいえ、元々外が危険であることは周知の事実なので、自ら出ようとする妖怪は少数ですが……」
「海坊主さんのことは見捨てるということですか?」
そう聞けば、空狐がぐっと気まずそうに押し黙る。
「小珠はん、言っときますけど、海坊主いうんは、もう随分と昔にこの町を出た妖怪ですよ。僕たちに何かする義理はありません」
金狐が空狐を庇うように言った。
「……じゃあ……」
「あかん。空狐はんは小珠はんのことを心配しとるんやで?」
自分だけでももう一度行くのはどうか、と提案しようとした小珠の発言を予測したのか、言葉にする前に銀狐に止められる。
「そいつらは、かつて玉藻前様を誘拐した人間の末裔や。妙な信仰心がまだ残っとるとしたら、狙いは、妖怪の中でも最強と謳われる玉藻前様の妖力。それを受け継いどる小珠はんは、あいつらにとって利用価値ありありやし、獲物が罠にかかりにいくようなもんや。俺や野狐が行くんやったらともかく、小珠はんは一番行ったらあかん」
「…………」
「……とはいえ、何もせんっちゅうのは、納得できひんのやろ」
銀狐は無言になった小珠を覗き込み、見透かしたように笑う。
「しゃーないから俺と金狐で海坊主を迎えにいったる」
「でも、それじゃ銀狐さんたちが危険じゃないですか」
「俺らを何やと思てんねん。金狐様と銀狐様やぞ。その辺のちょっと特殊な力使える陰陽師になんて負けへんわ」
「……本当ですか?」
「おー。にしても、人間の町に下りるなんていつぶりやろ。かわええ女の子引っ掛けてこよ~」
頭の後ろで手を組み、上機嫌で口笛を吹く銀狐を、空狐が嗜める。
「何勝手に話を進めてるんですか。僕はそんな許可は出していません」
「小珠はんが行くより俺らが行く方が断然ええでしょ。なぁ、金狐?」
「……まぁ……小珠はんの頑固は今に始まった話ちゃいますし、結局迎えに行くことになるなら、最初から俺らが行くんがいっちゃん早い気はしますね」
真面目な金狐も押しに負けたように了承する。
空狐は少し不満そうに彼らを見つめていたが、しばらくして、低い声で言った。
「死なずに帰ってくると約束できますか?」
「空狐はん、俺らが死ぬと思っとるんですか?」
金狐が至極驚いたようにきょとんとしている。余程自分たちの力に自信があるのだろう。
空狐は真剣な表情で付け加えた。
「万が一の話です。彼らはあの玉藻前様を封印した人々の末裔。この時代の陰陽師は玉藻前様の時代より大幅に衰えているとはいえ、何が起こってもおかしくはない」
「え~何それ空狐はん。俺らに死んでほしくないのん? 寂しがりやん」
銀狐がにやにやしながら空狐の肩に腕を回してからかう。
「当然でしょう。僕が守りたいのは小珠様だけではありません。この屋敷に住む全員です」
空狐がさらりとそう返した。おかげでからかった銀狐の方が照れたように固まる。
「……まぁ、そこまで言うんでしたら、準備は怠りません。妖刀も持っていきます」
金狐も照れているようで耳が赤い。
「くれぐれも細心の注意を払うように」
空狐がそう指示する。それは、金狐たちがきつね町を離れることを許可する言葉だった。
「……ちゅーわけで、俺らは今夜から港町の様子見てくるけど。小珠はんは二口女はんの方見とってくれん? 想い人のことが心配で何しだすか分からんし。下手したらこっそりきつね町を出ていくかもしれん」
「はい! 分かりました」
銀狐に役割を与えられ、小珠は張り切って小走りで広間を出る。
その時、気狐がこそっと耳打ちしてきた。
「……あの、小珠ちゃん。明日辺り、二口女ちゃんが落ち着いたら、港で何かなかったか聞いてくれないでしょうか?」
「港で? どうしてですか?」
「今日、港町での聞き込みの途中から、やけに顔色が悪くなったのですよお。お食事も取りませんし。よく分かりませんが、町の人間から何か良くないことでも聞いたのかもしれません。わたくしが大丈夫ですか? と聞いても何でもないと誤魔化されまして……。小珠ちゃんになら打ち明けるかもしれませんので、よろしくお願いしますぅ」
小珠はこくりと頷いた。
廊下に出て、自室に向かっている途中、前方を歩く誰かの影が見える。
「あ、おばあちゃん!」
キヨだ。廊下を曲がろうとしているところへ駆け寄った。
人間に襲われたという知らせは受けているだろうか。心配させてしまったかもしれない。
この通り無事だよと伝えるために近付いたその時、――……キヨが倒れた。
「……え?」
昨日の夕食の時間まで炊事場で元気に歩き回っていたはずのキヨは、あの活力を全て使い果たしたかのように、苦しそうに息をしている。
「おばあちゃん!?……っおばあちゃん!」
大きな声で呼びかけ、その体を揺らしていると、小珠の声を聞きつけたらしい空狐が後ろから走ってきた。
「空狐さん……! おばあちゃんが!」
「――……」
倒れたキヨの体を確認した空狐は、眉を寄せて呟いた。
「ついに来ましたか。この時が」
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