妖狐のお屋敷に嫁入りしました

淡雪みさ

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第三章

裏切り

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 心を落ち着かせることができるまで、長い時間がかかった。二口女の様子を見てこいと言われていたことを思い出して立ち上がる。部屋は隣だ。
 酷い顔をしていないかと思い手鏡を手に取ると、真っ赤になった目が映る。二口女がまだ起きていたら何かあったのかと心配されてしまうだろう。

(こんな夜更けじゃもう寝てるか……)

 できるだけ音を立てないように廊下に出た。
 空に月が見えない。曇天のようだ。

 空狐は、キヨの状態に変化があればすぐに知らせに行くと言ってくれた。もっとも、あの状態からの変化など、死の他にはない。そう思うとまた悲しみに包まれた。
 しっかりしなければならない。キヨに、蹲って泣き続けるような人間になれと育てられたことなど一度もないのだから。

 襖を開けると、広い部屋の隅に二口女が三角座りしていた。驚いて「わっ」と声をあげてしまう。

「……まだ起きてたんですね」
「眠れなくて」

 二口女が短く答えた。
 二口女も大切な人が危険な状態なのだ。眠れるわけがない。

「明日、銀狐さん達が港町に海坊主さんを探しに行ってくださるそうです」
「…………」
「連れ戻そうとしてくださっていて」
「…………」

 二口女が何も反応を示さなくなった。暗闇の中、その表情はよく見えない。
 何とか二口女を安心させなければと必死に説明を続ける。

「金狐さんと銀狐さんはとてもお強いようなので、きっと変な人達が海坊主さんに何かしようとしたとしても守ってくれますよ」
「……小珠」
「はい!」
「もう遅いわ」

 「え?」と聞き返そうとするより早く、二口女が着物の中から取り出した短刀で小珠の足を切りつけた。
 状況が理解できないまま、床に崩れ落ちる。山に落ちた時にできた怪我の部分を刺されたため、痛みがぶり返してきた。

「わたし、小珠と友達になれて良かった」

 ――二口女が泣いている。ようやく表情が見えたかと思えば、その顔は苦しそうに歪んでいた。

「本当は、こんなことしたくなかったの。ごめんなさい」

 震える声で何度も謝りながら、ぐさりぐさりと何度も小珠の足を切りつけてくる。痛みよりも何よりも、二口女の行動が信じられず声も出ない。
 畳にどろりと小珠の血が染み込んでいく。

「でももう、こうするしかないの」
「……ぁ……え……何で……」

「――そうだ、うまいじゃないか。妖怪を捕まえる時はまず足からだ。足を封じて逃げる手段を一つ奪う。よくできる、いい子だな」

 二口女の後ろから、昼間に見た黒髪の男が現れた。襖の向こうからではない。二口女の背後にあった掛け軸が、人間の姿になった。
 妖怪ではないのにこんなことができるというのか。これこそが陰陽師の術なのかもしれない。
 しかし、どうやってきつね町に、それも狐の一族の屋敷に入り込んだのだろう。からかさ小僧が、狐の一族の屋敷は常に野狐が見張っておりそう簡単に侵入できるものではないと言っていた。それなのに。

「その女に手引きしてもらった。なぁに、俺達の使う式神を一匹、懐に忍ばせてもらっただけさ。それさえあれば俺達はきつね町の正確な位置が分かる。式神を通して転移することもできる」

 黒髪の男が、小珠の疑問に答えるように言った。その顔には不気味な笑みが貼り付けられている。

「……どうして……」

 小珠はもう一度二口女を見つめた。
 ただでさえキヨのことで苦しかった心が、二口女の裏切りでもっと重たくなっていく。

「……こうすれば、海坊主を、返してくれるって言われたの」

 血が抜けていく。気持ちが悪い。動悸がする。二口女の言い分が聞きたくて、必死に意識を保とうとする。

 しかし、小珠の意識はどう頑張っても、次第に遠退いていった。



 ◆

 目を覚ませば、身動きが取れない状態にあった。両手両足を縄で縛られている。

「おお、起きたのか」

 何もない部屋の隅の椅子に、黒髪の男が座っていた。
 ここは一体どこなのだろう。狐の一族の屋敷ではないことだけは分かる。

「血が止まらなかったから、応急処置はさせてもらった。お前、自己治癒もできないのか。本当に玉藻前か? しかし、気配は玉藻前なんだよなあ……」

 男は自身の髭を触りながら、不思議そうに首を傾げる。
 散々刺された小珠の足はいつの間にか包帯でぐるぐる巻きにされていた。

(命を奪うつもりはないの?)

 わざわざ血を止めてくれたということは、男の目的は小珠を殺すことではないのだろう。

「俺は法眼《ほうげん》。千年以上前から続く陰陽師の家系の人間だ」
「私は貴方達が探している玉藻前じゃない」
「ああ、分かっている。玉藻前を封じた石まで確認しに行ったが、そこには死体があるだけだった。お前は生まれ変わりなのだろう? 妖狐は何度でも生まれ変わる」

 法眼はくっくっと笑いながら、横たわる小珠にゆっくりと近付き屈んだ。
 小珠はすかさず知りたいことを聞く。

「海坊主さんは貴方達が捕まえているの?」
「いや? 捕まえてねえよ。もうちょっとのところだったのは確かだが、あいつは逃げ足が速い」
「……二口女さんには、言うことを聞いたら返してやると脅したのでしょう?」
「おー、そうだな。簡単に騙されてくれて助かるよ」

 法眼がけらけらと笑う。
 その態度に怒りがふつふつと湧いてきて、ぷっと法眼の顔に唾を吐きつけた。

「あ?」

 法眼の顔から笑みが消失する。
 次の瞬間法眼は立ち上がり、小珠の腹を蹴り飛ばした。小珠は呻く。

「生意気だな。二口女の方は大人しくて馬鹿で、扱いやすくて可愛かったのによ」
「二口女さんを悪く言うな」
「はぁ? お前、裏切られた身のくせに何言ってんだよ。まだ現実見えてねーの?」
「裏切らなきゃいけない状況にしたのは貴方でしょ!」

 小珠が怒鳴ると、法眼がまた小珠を蹴り上げた。小珠は両手で身を守ることもできない。

「妖怪の分際で、人間様に噛み付いてんじゃねぇ。いいか? お前らは家畜と一緒だ」
「……どういう意味」
「この世は人間が一番偉いんだよ。妖怪は大人しくその妖力を俺達に差し出せばいい」

 法眼が小珠の頭を押さえつけ、床にぐりぐりと顔を押し付ける。

「特に、玉藻前の力を持つお前。お前さえいれば俺達の一族は権力を取り戻せる。千年かけて陰陽師の力は衰えていった。玉藻前、お前が死んだ時からだ。俺達の先祖はお前の利用価値を見誤った。お前の力を利用して栄え、お前を逃し、今度はお前が人間に害をなすと判断して封じた。だがそれは誤りだ。誰よりも膨大な玉藻前の妖力は、いつまでも利用すべきだったんだ」

 ――妖力を利用する人間もいる。銀狐が言っていた通りだ。

「陰陽師の使う呪術というのはな。あやかしの力を人間も使えるように抽出し利用する術のことだ。元がなければ衰えていく」
「私を力の源にするつもり? 私はまだ妖力をうまく扱えない。残念ながら、貴方達の役には立てないよ」

 妖力をうまく扱えたとしても、こんな連中のために力を使うのは御免だ。
 しかし法眼は小珠の言葉に全く動じずに、にやりとまた口元に孤を描く。

「玉藻前をさらった時の記録にもそう書いてあった。まだ幼い玉藻前は妖力をうまく扱えなかったと。その時は――」

 法眼が血で汚れた短刀を取り出し、小珠の腹部を切りつけた。

「こうしていたらしい」

 血が噴き出す。二口女に切られた時の血の流れ方とは明らかに違う。

「治せ」
「ぅ……っ」
「妖力の成長は死に瀕した時が最も大きく、効率がいいという記録がある」
「ッ……」
「ほら、さっさと妖力を使って治せよ。出血多量で死ぬぞ」
「ぁ、ぐ……」

 ぐらぐらと視界が揺れる。

(玉藻前は、ずっとこんな目に……?)

 脳裏を過ぎったのは、夢の中、人のことが憎いと言っていた玉藻前の姿だ。

(こんなの、人間を憎んでも仕方がない)

 小珠の中の〝人〟は、キヨだ。
 しかし、幼少期から妖怪と暮らしていた玉藻前は人間というものを知らなかったはずだ。そんな中、人間からこんな扱いを受ければ――人間はこういう存在なのだと思ってしまってもおかしくない。

(玉藻前……貴女は……)

 法眼が何度も切りかかってくる。
 恐ろしい。きつね町で初めて人間とは姿が異なる妖怪を見た時だって、こんな恐怖は感じなかった。身を捩って逃げようとしても逃れられない。どこまでも続く地獄の中に入り込んでしまったような心地がした。


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