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狂った日常が戻る
しおりを挟むそれからというもの中村は、帰ってきた家族のために甲斐甲斐しく世話を焼いたり、家事全般を引き受けるようになった。
事故の後遺症なのだろうか、妻の香里、娘の真里は普通に話せなくなったばかりか、1日中ソファの上でゴロゴロしたり、まどろんでいる事が多くなった。
母親らしく炊事や洗濯や掃除をテキパキとこなしていた香里は見る影もなく、娘の真里と仲良く何やらコミュニケーションしているかと思えば、部屋に入ってきた虫を追いかけて大騒ぎしたり、子供じみた行動が目立つようになった気がする。買い物にさえ出かけなくなって、今日もぼんやりテレビを見たり鏡の前で髪をとかしたりしている。
娘の真里の方も一度、学校に行く事を勧めたが、母親と離れる事を極度に嫌がり、勉強も中村が自宅で教えるようになったのだ。時々気まぐれに母親と外出しているみたいだが、以前のように友達とも遊ばなくなったようだ。
✡ ✡ ✡
「おまたせ~。ご飯の用意ができたよ」
妻の香里は料理が得意であったが、今は中村が3人分の食事の用意をしている。
娘の真里が好きだったカレーやシーザーサラダは全くスプーンや箸を付けなくなり、何が気に入らないのか、うどんなどの熱い麺類もそっぽを向くようになった。
困った中村がスーパーのパック寿司を買ってきたところ、2人して喜んで食べた経緯があるので、本日もマグロやサーモンなどの刺身に加えサンマの開きなど、魚を中心とした献立を意識したものだ。
テーブルに着くと妻も娘も美味しそうにおかずを頬張り、茶碗のご飯を食べた。心なしか以前より小食になったようで、すぐお腹いっぱいになるみたいだ。
「ははは、真里! 今日のお刺身は美味しいかい? 本マグロの中トロだよ。サーモンもノルウェー産のいいやつだ。ちょっと奮発したんだ」
中村は食器を片付けながら、満腹になって満足げな妻娘に目を細めるのだ。
ささやかで穏やかな幸せを噛み締めつつも、2人があまり風呂に入りたがらない事をたしなめた。
夜が更けるとなぜか妻も娘も目が冴えて、活動的になる事に中村は辟易とした。昼間にあれだけ居眠りばかりしていると無理もない。
夜間に女性だけで外出するのは危険だ、と何度言っても理解せず、困った顔で説得すると不満げな表情を見せる。それがまた、何だか可愛いらしい。
パジャマに着替えたら、3人一緒にダブルベッドで眠るようになった。真ん中の特等席はもちろん娘の真里だ。もう小学3年生になるので、かなり場所を占有するし、寝ぼけた足で中村の顔を蹴ったりもする。
皆でくっ付いて寝ると、とても暖かい。これは病院のベッドでは望むべくもない事だった。
「香里……、それに真里……。生きていてくれて本当に良かった……」
電気の消えた寝室で、妻の寝顔を眺めていると、愛おしさがこみ上げてくる。
「香里……」
思わずキスしようと顔を近付けた瞬間、ぱっちりと大きな両目が開いた。
「……いやだ……」
「……! 話せるのか?」
家に戻ってきてから、初めて妻が口をきいてくれた。
「やっと、ここにも慣れてきたし」
「おお! ひょっとして真里の方も」
「うるさいなぁ。眠いの」
「やったぁ! 真里も喋れるようになったんだ」
「静かにしてよ。あんたの事は好きだからさ……」
「うんうん、分かったよ香里、真里……!」
中村は感無量となって、思わず涙が出てきた。時が解決するとは思っていたが、徐々に家族の距離が縮まり、また一歩、元の生活を取り戻せたような気がする。
「良かった、良かった……」
その夜の中村は、昨日よりぐっすりと眠れたのは言うまでもない。
手術で剃った頭も、ずいぶんと髪が伸びてきた。
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