猫のおまけ

綿入しずる

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六 猫一匹の日々

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 ぐっすり眠って朝起きて、ときどきリーフに起こされる。餌やりをして私も食事をする。一匹分の餌作りはやっぱり簡単で、余りが出ると私たちの口に入った。元々肉も、ときには卵も出ていたけれど、もっと豪華になったとアイシャさんとサマルさんが笑う。余りでも二人は美味しくスープにする。
 食事が終わるとそれぞれの仕事が始まる。私はリーフの世話をする。
 洗濯があれば先に。一枚二枚だとすぐ終わるので、誰かが先にやっていたらそれを手伝ったりもする。私たちは冷たい水も平気だから、猫の家マンズィルカでは結構押しつけられていたものだった。
 次はリーフの毛繕いをして、布団や敷物にも全部ブラシをかけて、掃き掃除。猫の家ではこれが一番大変で、敷物を擦ればまた別の敷物ができそうなくらい毛がとれたものだった。王様やお客様の体を払うブラシも幾つも用意されていて、その手入れがまた面倒で……リーフだけ、ブラシが一つ二つだとそんなに大変じゃない。
 トイレを綺麗にしたりごみの始末には家の裏に行く。そうすると馬の世話をしているリダーさんと会う。少し話をする。
「リーフは元気? もう慣れた?」
「彼女は、一日目から慣れちゃってます」
「君も慣れた?」
「まあ。慣れたでしょう?」
「ハイダラ様は、リーフに慣れた?」
「結構撫でるのが上達なさいましたよ」
「その分だとまだまだだな」
 リダーさんは年も割と近くて――私の四つ上、ハイダラ様と同い年の二十七歳だという――くだけた調子で喋り、私にももう少し気楽でいいよと言ってくれた。王宮で躾けられた言葉遣いを抜くのは難しいし、まだ探り探りだけど。
「馬は平気なんだけどね。猫はやわっこそうなのが不安なのかな。気持ちは分かるかな」
 リダーさんもハイダラ様に気安い。言って、どっしり構えている馬の胴をぺしぺしと叩く。そういう彼は動物はみんな好きらしい。私は、馬はまだ怖い。大きいから。でも見てると猫とも似たような仕草もあって、そのうち仲良くなれるかなあと思ったりする。今日はお休みの彼の名前はリィザラーム。黒くて前足が白いのがブーツを履いているようだった。
「はい、ただいまー」
 そうして部屋が片付けば後はリーフ次第だ。起きていたら、遊びの時間。前と違って一部屋に籠っているからどうしても物足りなそうな彼女に、おもちゃでご奉仕する。構えた孔雀の羽根がきらと光る。
 私の猫じゃらし捌きはかなりのもので、ときに座って、ときに私も動き回りながらやる変化と大胆さがウリである。中腰でやると腰が痛くなるが、そこでぴょんと後ろから襲いかかられることはもう無いので油断できた。
 今日は座ったところから。す、と見せつけるように羽根の先を床に据えて、揺らすとリーフも構える。じり……とした動きで距離を詰めてくる。そこを、釣る。
 ぱっと飛びかかるのからさっと逃すと追って右手が鋭く突き出された。翻す先にさらに、もう片手。振れる目玉模様を追って白い足が跳ねる。
 たまに捕まって齧られもしながら。段々白熱して、円を描いて範囲が広がっていった。リーフはよく動くから、ノッていけば私も全身使うことになる。
 腕を伸ばし、飛び掛かるリーフと一緒に私まで伸びて床に転がる。興奮したリーフにこっちまで襲われて揉みくちゃになる。
「ふっ、あー、捕まった! 一旦おわり!」
 おもちゃを投げ出して、ごろんと寝転がりリーフを胸に乗せて休憩にする。間近で見る青い目が空のようで美しく、耳が綺麗に薄薔薇色で、ひげも左右揃っていてぴんとして……うん、今日も美猫。
 そんな確認をして天井を見上げる。
 前は他の猫だって相手をしなきゃいけなかったし、手が空いていると見れば仕事を言いつけられていたから、こんな暇はなかったな。
「あ、見て。あそこのシミ、リーフの掌みたい」
 なんとなく部屋も見渡して思いつくまま話しかける。リーフは見てもくれないけど。天井の端に肉球みたいに寄り集まってる。さすがのリーフでもあそこまでは届かないかな。此処には棚もないし……卓はお気に入りでよく乗ってるけど……
 そのままうとうと昼寝の暇がある。――のんびりしているが、やはりちょっと、寂しい。

 でも、ほんのり寂しいけど、案外一匹と一人きりってことはない。この部屋にも皆来る。
 カージムさんとルトフィさんは部屋の様子を見に来て扉の爪痕に苦笑いし、ムフリスの旦那が頭を抱えるなとぼやいていた。
 猫は爪を研ぐものなので、仕方ない。猫の家の扉は毎月新しくなっていたし、椅子も普段はしまって隠してあっても出番が来るとやはり餌食になるのだった。陛下はそんなこと気になさらなかったから私たちも然程気にしなかったけど、普通の家ではやっぱり王宮のように幾らでもとはいかないようだ。
 リダーさんも、暇してる時間になるとリーフを構いに来てくれる。可愛い子ちゃん、お嬢さん、白ちびちゃんと来るたび呼び名が変わる。
 アイシャさんはリーフを撫でにも来るがそれより私のことを気にしてくれてるみたいで、暇かと言うので仕事を言いつけにきたのかと思ったら、お茶を飲みに降りておいでと誘われて何度か昼のおしゃべりをした。お茶は女の人二人だけのときもあれば、誰かがやってくることもある。ムフリス様だけはあんまり出てこなくて、彼の部屋のほうにお茶を運ぶようになっていたが――実は彼は、リーフの部屋にはよく来る。
「入りますよ」
「はぁいっ」
 今日は、思ったより早かった。扉が開くのに慌てて跳ね起きて、勢いで掴んでいたリーフを差し出す。彼女も驚いて――いや、驚かせてしまって、目を丸くしていた。
 ムフリス様は落ち着いて、リーフを眺め部屋を見渡した。
「今日はどうですか」
「今日も元気です」
「それは結構」
 ムフリス様の来訪はハイダラ様に次いで、大体毎日だ。王様に頂いた大切な猫をしっかり管理しなければという気概がある。
 と、見せかけて……ムフリス様は、素気ないふりをしているが猫が好きな人だ。だって撫でるのが私と同じくらい上手い。リーフがごろごろ言う。最初は取り繕って一撫で二撫でだったけど、段々、撫でる時間が長くなってきた。
 大体、リーフ一匹しかいないから世話は私が居れば十分だし、元気なのも見れば分かる。報告とか確認とかは朝夕の食事のときにもしているのに、こっちまで覗きにくる。それで挨拶みたいな話を一応して――リーフを眺めて、撫でるのだから、これは絶対猫が好き。
 下ろしたリーフを自然に撫でてやりながら、今日はちらりと床を見た。さっきまで振っていた孔雀の羽根が転がっていて、目玉模様と目が合う。
「……遊んでみますか?」
「……いえ、仕事が残っていますので」
 訊いてみたが、返事は案の定だった。ムフリス様はハイダラ様と逆で、もっとと提案すると遠慮するのだ。素直じゃない人だ。
 でも手は止めない――止めかけても、私じゃなくてリーフ自身がもっとという顔をすればもうちょっと撫でてくれる。片手間ながら巧みに首元を掻いて、問う。
「リーフの玩具はそれで十分ですか? 元は広い屋敷に居たのでしょう。この一部屋では退屈かも知れません。何か、多少の物なら買えますが」
 あくまで真面目な風に、そんなことを訊く。
 いや、真面目なのかも知れないけど。私には、リーフちゃんにおもちゃを買ってあげたいな、という甘やかしに聞こえる。でもここは私も真面目ぶってちょっと考えて、答える。
「そうですね、毬とか、いいかも知れません。自分で遊べますし、猫じゃらしと動きが変わるので」
「分かりました」
 返事を聞くと最後にリーフの頭に手を置いて、では、と忙しそうな素振りで去っていく。忙しいんだったら来なければいいのにねえ、とリーフと顔を見合わせる。
「おもちゃが貰えるって。あなたの専用だよ」
 猫の家にはおもちゃもいっぱいあった。王様が与えるのは当然、お客様も、猫を通じて陛下のご機嫌をよくしたくてあれこれ持ってくるのだ。リーフも色々遊んでた。だからきっと嬉しいだろう。此処ではなんでも独り占めだ。
 ……ああそうだ、ムフリス様は遠慮したけど――今晩、ハイダラ様にやってみてもらおうかな。
 撫でるのは慣れたから、そろそろ次の段階だ。ハイダラ様は恐らく真面目な顔をして猫じゃらしを振るだろう。
 想像して、うふふと笑いが零れた。

 ハイダラ様は、最初はやっぱり不慣れで困惑しているように見えたが、撫でるのよりは全然よかった。固まってしまわないでとりあえず動き始めた。
 しゅぴっ、しゅぱっと羽根が宙を切る。なんか、鋭い。それで私はこの人が将軍で、剣の達人なのだということを思い出した。
「もっとゆっくりがいいです。振るというより、まず揺らして引きつける感じで……」
「む」
 一応リーフの気は引けているけど、なんかやってるな、と見てるだけだ。もっと、こう……
「これは狩りの真似ですので。こちらも獲物の真似を致しませんと。小鳥や蜥蜴、虫や鼠……」
 手を添えて囁くと一度動きが止まった。床に沿わせて、すいと一振り、動きを止める。しなやかな羽根は持った手の些細な動きも拾って先端が揺らぐ。ちらちらと繰り返しているとリーフの目つきが変わってきた。羽根を目で追いかけて身を起こす。暗がりでゆらりと尾が立ち上がった。
「分かった、と思う」
 ハイダラ様がやけに真剣に言うので手を引いた。今度は彼の手が獲物を再現する。
 おっ、と思う。さっきとは全然変わったし――上手い。本当に、そこに何か生き物が生まれたようだ。尾を振る蜥蜴とか……蛇とか。
 リーフが構える。姿勢を低く、機を定めるようにお尻が揺れる。今か今かという溜めに、私も息を止めてしまう。
 ハイダラ様の獲物、、はただ動いているだけじゃない。ときに動きを止め、狩り手を誘っている。その青い瞳を引きつけ――勝負は一瞬だ。ぱっと弾けるように飛び掛かったリーフに、捕まったかと思われた羽根の先は間一髪で逃げている!
 空振りしてたしっと床を踏んだリーフが、顔を掻いて誤魔化した。
「お見事!」
 見ごたえある一幕にお世辞じゃなく手を鳴らしていた。一回でこんなに上手くなるなんて意外だった。羽根を胸の前へ構えなおしたハイダラ様は困ったように――少し照れたように笑った。
「……お前は教えるのが上手いな」
「そうでしょうか」
「俺も……今回殿下の剣の指導に当たることになって、やるのと教えるのはまた違う難しさがあるものだと実感している。お前には見習うところがある」
 ……そんな大それたものじゃないと思うけど。
 ハイダラ様はやっぱり遊ぶにも真面目だった。なんと答えたらいいのか困ってしまう。困るときは、とりあえず褒めておくものだ。
「ハイダラ様こそ習うのがお上手です」
「……剣にも、型がある。生き物の名がついている」
「剣でも生き物の動きを真似するのですか?」
「そういうのもある。葦、蛇、蠅……」
 剣術なんて微塵も知らない私は想像してみたが、それで敵が倒せるものか分からない変てこな動きにしかならなかった。剣は猫じゃらしと違って柔くもないから、全然雰囲気が違いそう。
「……猫の型もある」
 それは、響きが可愛い。猫の真似をするハイダラ様が思い浮かんだ。最早剣術ではない。
「獅子ではないのですね」
「獅子もあるな。一番大ぶりな型だ」
「一番強そうです」
 話すうちに、リーフが座ってハイダラ様を見上げている。こそと身を寄せ声を潜めて促す。
「さ、もう一回と待っております。……今度は上手く捕まえさせてあげてくださいね。あんまり捕まらないとそれはそれで飽きてしまいます」
「……そうだな、分かった」
 ハイダラ様は頷き、羽根の先で軽く床を打ってリーフの気を引いた。それからまた蜥蜴か蛇の真似をして、次にはもっと色んな動きも試した。宙に釣るのは羽虫の動きか、伸びあがるリーフは夢中で楽しそうだった。私も見ていて楽しかった。ハイダラ様はずっと真面目な顔をしていたが、リーフが思いがけない動きを見せたときは驚きもしていて、多分、楽しそうだった。
 いつもより賑やかに時間が過ぎて――さすがに体力を使ったのか、ハイダラ様が部屋に戻られた後は、リーフは一晩静かに寝こけていた。
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