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星葉蔦の採取
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テーブルと椅子が窓の側に寄せられていた。椅子の背凭れでカーテンを開けてあった。もう一つ、踏み台のような簡素な物ながら園丁官の椅子も用意されていた。大したことではなくとも進歩は進歩だ。
それはカイを待つほど余裕ある早起きの結果だった。
「今日はちゃんと起きてたーっていうか目が覚めたけど。こんなになってたから、服も着れないし外出れなくてさ、パンも買いに行けないわけ」
「昨日買わなかったのか?」
「忘れてた、っていうか、今日の分は今日でいいかなって……」
セヴランの右肩に植物の発現があった。青々と特徴的な星型の葉を連ねる細い茎は星葉蔦の一種と推定された。辺りでも普通に見られる草であるが、神々の園に植わったものは特に守護や霊薬の原料になる。園丁官もよく扱うものの一つだった。
「買い置きはしたほうがいい。こういうことがあるから」
腕に蔦巻く上半身裸で座る男に言って、カイは鞄を開く。
生えた植物の多くはその日のうちに体から離して、本部にある保管庭園に移す手筈となっている。稀にそのまま観察を続けることもあるのだが、長くても一週間保たず消失するものだと分かってきたので、最近の主流は可能な限りよい状態での採取だ。そうして庭から切り離せばひとまず消えずに彼らの手に残り、使ったり調べたり、育ててみることもできる。
カイはあらかじめ輸送用の荷札を記入して、それから上着を脱ぎ腕まくりして処置に移る。カイの到着までに一通り驚き終えたセヴランは落ち着いていた。
「お腹減ったなー」
「今日は、これを」
道具を出すついでに取り出された、布巾に包まれたサンドイッチにぱっと顔が輝く。
「えっ持ってきてくれるなら買わなくていいじゃん!」
「今日は特別に俺の昼食を分けるだけだ。俺はいつもは来ない」
庭の周期が分かれば毎日来るわけでもないし、食事の用意は園丁官の仕事ではない。今日はたまたま家にパンが残っていて、また用意していないのではと思いついて、作ってきてみただけなのだ。懐柔目的であったが調子に乗らせるのは本意ではないと、カイの態度はつれない。
「来てよー。呼ばないとだめ?」
「呼ぶのも生えたときだけにしてください」
鋏やピンセット。消毒液や切除後保護剤の軟膏に包帯。そして採取した植物を包む為の梱包材と、輸送精霊を封じた金属のケース。棘や毒を防ぐ革手袋を嵌めて、さ、と向かった。
「では、朝食の前に採取を。もし痛みなどあるようなら伝えてください」
「痛いの⁉」
早速サンドイッチに手を伸ばしていたセヴランが大声を出した。通例の確認に臆する様子に、カイは彼ではなく、重なる書類に触れた。
「通常は痛くないが……最初の採取はどうだった?」
担当することが決まって読んだときの記憶と違わず、そうした特記はなかった。記載漏れではないだろうと、訊ねる。
「あ、あー。平気だった。じゃあ大丈夫か、よかった……」
「ならよかった。やりますよ」
ほっと力を抜く様子に、カイも頷いて星葉蔦に触れた。まず腕に絡んだ部分を外していく。なんとなく、体と触れ合っているので感じはするが、そこ自体にセヴランの触覚はない。身に着けた服や靴程度のものだった。セヴランもそれが分かって本当に落ち着いた。
今日は細く柔らかな茎かつ根元も見えないので――神秘の現象らしくその端は身に溶け込むように消えていることが大半である――なるべく皮膚に近く、鋏で絶つ。その切っ先の冷やかさには身が竦められたが、話していたとおり痛みはなかったので悲鳴は上がらなかった。
――よし。元気そう、綺麗だ。
三本、すべて切り、切り口から樹液などが零れないように封じる保護剤を塗りつけ、消毒もして包帯を巻く。
無事終わった様子にセヴランはふと息を吐いた。
「なんか怪我人みたいだなぁ。……これ換えたりしなきゃだめ? やってくれる?」
先程までは蔦が生えていた、今は包帯巻きの肩を見下ろしすでに面倒臭そうに訊ねる。てきぱきと切り取った植物のほうの処理を始めたカイはその手を止めずに答えた。
「通常は、昼くらいにはもう消える。跡形もなく。その確認はするから安心しろ」
「今日はもしかして昼まで居る感じ?」
「ああ、経過観察も俺だ。一回外に出ているから一、二時間後にまた」
「えーっなんで出るの、いなよ、待ってるの暇じゃん!」
声が喚く調子になったのに、やっとセヴランのほうを見る。実に不満げに見上げる淡緑色の瞳とぶつかった。本当に子供にごねられているように感じられた。
朝早い来訪や時間をとられるのが煩わしいと文句を言われたことはあるが、逆はなかなか無かった。しかも大の男が、子供のような言い方をする。カイは困惑する。
時間があるならお茶でもどう、なんて仕事のついでに誘ってもらうことはあるにはあったが。
「いや……ずっと居たら、邪魔だろう? することもないし……」
「話そうよ、遊ぼうよー。カードならあるよー」
言いよどむカイに対しセヴランは空かさず答えて、反応を見て――閃いた、という表情になる。今度は悪い思いつきをした眼差しだった。
「居なくなったら俺も出かけちゃうよ。もう服着れるし」
「いやアンタは駄目――」
「でしょ? じゃあちゃんと見張ってなってこと」
つい答えたのに重なる得意げな台詞に、カイは舌打ちしそうになった。
――他の仕事があると言えばよかった。
することがないからなんて言わず、他にすることがあるのでと言えばよかったのだ。だが、セヴランの自宅は本部からは離れているので行き来するには不都合だと判断して、経過観察までの間は半分休憩時間のつもりで予定を立てていたのがいけなかった。誤魔化しの下手な自分の性分を憎みながら、それでも時間稼ぎのような真似はできず、さっさと作業を終えたカイは玄関に立った。
掌の上でケースを開ければ群れを成し、空色の蝶の形をした精霊たちが羽ばたく。精製水を含ませた布で切り口を包み、さらに麻袋で包んで荷札をつけられた蔦が一包み、ぶら下げられて空の向こうへと消えていった。
見送り家の中へと戻ると、セヴランはシャツを羽織った姿で先程貰った朝食の包みを広げて彼を待っていた。ハムとチーズを挟んだ丸パンの皮を撫でて笑顔を見せる。横には古びたカードの紙箱も置かれていた。
さあおしゃべりの時間だと意気込んで、カイが小さな椅子に座り直すまで待ち、セヴランは口を開いた。
「何歳? 俺は二十五」
書類で確認したので、カイは言われるまでもなく知っていた。二十五歳のこの男が他に家族も、近親者もいない独り身であることも。誕生日が九月六日であることや、血液型がδであることも。こうして住んでいる場所も。
対して、セヴランはカイについては何も知らないのだ。自分を担当する園丁官とやらである、ということ以外は。
「二十一」
短いそれきりの応答でも一つ確かな情報だ。ひとまずちゃんと返事があったのを喜んで、声色を明るくする。
「お、年下か。じゃあ敬って」
「……敬語に戻していいですか?」
「あっ今のなし、あれほら、兄弟……幼馴染とかの距離感? そのくらいで」
「はあ……」
次は少し悩んで、二つ目の質問だ。
「兄弟はいる?」
「姉が一人……」
「おお。美人? 今度紹介してよ」
「結婚してる」
「――幼馴染は?」
「まあ何人か……?」
なんだその質問は……と微妙な反応を隠さずにいるカイをおかしがって肩を震わせ、じゃあ、と続ける。緑の目と、青い目が合う。
「初恋の女の子とかいたり? あ、恋人はいるの?」
「まずそれを食べてくれ」
「はーい」
誤魔化し――だけでなく、放っておかれているサンドイッチを示してカイが言う。セヴランは大口で齧りついて、あまりよく噛まずに飲み込み、その間は黙っているカイをまた見つめた。
「カイの分はないの」
問うて、もう一口。
「……俺は仕事だから、食ってから来てる」
「したら早起きだねぇ」
「四時か五時くらいには目が覚める」
「いや早っ」
いくら日が出ているとはいえ、大半はまだベッドの中という時刻だ。家族皆がそうというわけでもないので、カイも早起きの自覚はあった。
「そんなに早くないと……なんだっけ、園丁、官? はできないの?」
「そうでもない。始業は七時だ。此処より近いから、十分前に出れば間に合う」
仕事の為、でもない。園丁官の朝礼の時刻は他の職種よりは早いが、集団生活で訓練に励む軍人たちと比べては遅く、なおかつ自由だった。カイは毎日自宅から通っている。
「……じゃあ早く起きて何するの?」
パンを食べるのを止めて訝しげに問われるのに、カイは少し考えた。彼にとってはいつもの、至って普通の生活だ。特に挙げるほどの事柄はないようにも思えたが。
「読書……鉢の世話とか、あと掃除とか」
「朝からぁ?」
「朝だから、だ」
仕事以外でも、彼は植物を育てている。それらに接するならばやはり日が出ている時間が望ましいし、掃除だって明るいうち、気力が漲っているときにやってしまうほうが疲れた帰宅後にやるより効率的だ。カイはいわゆる朝型だった。
ここ数日は彼が来るので朝のうちに起きるようになっただけのセヴランにはちょっと信じられない思いがしたが。
少々沈黙。パンを噛み締める時間があった。
「で、彼女とか結婚とかは?」
結局そちらのほうが分かりやすく興味があり、話は戻った。二度は誤魔化せまいとカイは溜息を吐いて応じた。
「いない」
セヴランは少し意外そうに瞬く。前に座る男は顔も悪くなく上背がある、若くて、しかも軍の人間だ。いかにも女性には人気そうだと見えていた。
「えー、エリートってやつでしょ? あ、仕事人間とかそんな感じ?」
ただしあまり遊びそうな雰囲気でもない。
「そうかもな」
――突き返すかのそっけない返事に、これが問題かな、などとも考える。女の好みや下世話な話題はノリやすいが、モテる自慢は聞いたところで僻みたくなるだけなので、セヴランは素直に納得した。
「真面目だから俺にもこうして付き合ってくれる、と」
「貴方が脅したんだろうが」
「そうだっけ? 脅しじゃなくてお願いだよ。ただ待ってるんじゃ暇だし」
勝手なことを言う口が食事にかかるのを止めたくなくて、カイは少し肩を落として黙り込む。そうしてちらと、辺りを見た。何もない家、という印象だった。こうして仕事で来ているのでなければ空き家だと思うかも知れない。生活感がない。
彼のほうは暇潰し用に本や新聞を持ち歩いているものだが、見えるところにはそういう物も無い。セヴランはどう過ごしているのかと思わされる。横に置かれたカードの小箱は表面の字が読めないほどに擦れて潰れてもいたが、これは一人ではろくに使えない。話し好きのようだし、友人が多いのだろうかと想像する。
そうぼんやり考えるうちに食べ終わってしまったセヴランに請われ、カイは賭けの定番の役揃えの相手をすることになった。金銭は勿論、他に賭ける物もなく、やるだけ、である。二人だけでやるので一戦一戦は短時間で済む。配った手札を数回入れ替え、相手の表情も読みながら、勝負をする、受けるか降りるか、そして手札を開けてみる、その繰り返し。
やるほどにカイは呆れた。
強くない――カイもあまり嗜まないので達者ではないがそれを踏まえるとむしろ――弱い。セヴランはカードの引きも、勝負の駆け引きも壊滅的だった。自分の勝ちが三回続いたところで、カイは昨日、目の前の男が初めて会った時に言っていたことを思い出していた。
「これでよく賭けなんてやるな……?」
「いや次は勝つし!」
――これは負けも込むだろうよ。
ついでに引き際も弁えずに喚くのでカイは仕方なく、もう一戦だけ付き合ってやった。手加減のしようもなく引きが寄ってカイが勝った。
どうにかそれなりの時間を潰したところで健診に移り、そうして最後に包帯を解き、乾いて瘡蓋状になった薬を剥がす。問題なし。蔦を切り取った痕は何もなくなっていた。カイはもう慣れていたが、セヴランはしげしげと眺めて不思議がる。
今日は酒を一杯以上は飲まないように、今のうちに食事の買い置きをしておくように、水分補給と日光浴、と生活指導して、カイはようやく家を出た。
次の仕事に移る前に、大衆食堂へと向かう。作ってきたサンドイッチが残れば自分で昼食にするつもりだったが消えたので、早めにオムレツでも食べることにする。
それはカイを待つほど余裕ある早起きの結果だった。
「今日はちゃんと起きてたーっていうか目が覚めたけど。こんなになってたから、服も着れないし外出れなくてさ、パンも買いに行けないわけ」
「昨日買わなかったのか?」
「忘れてた、っていうか、今日の分は今日でいいかなって……」
セヴランの右肩に植物の発現があった。青々と特徴的な星型の葉を連ねる細い茎は星葉蔦の一種と推定された。辺りでも普通に見られる草であるが、神々の園に植わったものは特に守護や霊薬の原料になる。園丁官もよく扱うものの一つだった。
「買い置きはしたほうがいい。こういうことがあるから」
腕に蔦巻く上半身裸で座る男に言って、カイは鞄を開く。
生えた植物の多くはその日のうちに体から離して、本部にある保管庭園に移す手筈となっている。稀にそのまま観察を続けることもあるのだが、長くても一週間保たず消失するものだと分かってきたので、最近の主流は可能な限りよい状態での採取だ。そうして庭から切り離せばひとまず消えずに彼らの手に残り、使ったり調べたり、育ててみることもできる。
カイはあらかじめ輸送用の荷札を記入して、それから上着を脱ぎ腕まくりして処置に移る。カイの到着までに一通り驚き終えたセヴランは落ち着いていた。
「お腹減ったなー」
「今日は、これを」
道具を出すついでに取り出された、布巾に包まれたサンドイッチにぱっと顔が輝く。
「えっ持ってきてくれるなら買わなくていいじゃん!」
「今日は特別に俺の昼食を分けるだけだ。俺はいつもは来ない」
庭の周期が分かれば毎日来るわけでもないし、食事の用意は園丁官の仕事ではない。今日はたまたま家にパンが残っていて、また用意していないのではと思いついて、作ってきてみただけなのだ。懐柔目的であったが調子に乗らせるのは本意ではないと、カイの態度はつれない。
「来てよー。呼ばないとだめ?」
「呼ぶのも生えたときだけにしてください」
鋏やピンセット。消毒液や切除後保護剤の軟膏に包帯。そして採取した植物を包む為の梱包材と、輸送精霊を封じた金属のケース。棘や毒を防ぐ革手袋を嵌めて、さ、と向かった。
「では、朝食の前に採取を。もし痛みなどあるようなら伝えてください」
「痛いの⁉」
早速サンドイッチに手を伸ばしていたセヴランが大声を出した。通例の確認に臆する様子に、カイは彼ではなく、重なる書類に触れた。
「通常は痛くないが……最初の採取はどうだった?」
担当することが決まって読んだときの記憶と違わず、そうした特記はなかった。記載漏れではないだろうと、訊ねる。
「あ、あー。平気だった。じゃあ大丈夫か、よかった……」
「ならよかった。やりますよ」
ほっと力を抜く様子に、カイも頷いて星葉蔦に触れた。まず腕に絡んだ部分を外していく。なんとなく、体と触れ合っているので感じはするが、そこ自体にセヴランの触覚はない。身に着けた服や靴程度のものだった。セヴランもそれが分かって本当に落ち着いた。
今日は細く柔らかな茎かつ根元も見えないので――神秘の現象らしくその端は身に溶け込むように消えていることが大半である――なるべく皮膚に近く、鋏で絶つ。その切っ先の冷やかさには身が竦められたが、話していたとおり痛みはなかったので悲鳴は上がらなかった。
――よし。元気そう、綺麗だ。
三本、すべて切り、切り口から樹液などが零れないように封じる保護剤を塗りつけ、消毒もして包帯を巻く。
無事終わった様子にセヴランはふと息を吐いた。
「なんか怪我人みたいだなぁ。……これ換えたりしなきゃだめ? やってくれる?」
先程までは蔦が生えていた、今は包帯巻きの肩を見下ろしすでに面倒臭そうに訊ねる。てきぱきと切り取った植物のほうの処理を始めたカイはその手を止めずに答えた。
「通常は、昼くらいにはもう消える。跡形もなく。その確認はするから安心しろ」
「今日はもしかして昼まで居る感じ?」
「ああ、経過観察も俺だ。一回外に出ているから一、二時間後にまた」
「えーっなんで出るの、いなよ、待ってるの暇じゃん!」
声が喚く調子になったのに、やっとセヴランのほうを見る。実に不満げに見上げる淡緑色の瞳とぶつかった。本当に子供にごねられているように感じられた。
朝早い来訪や時間をとられるのが煩わしいと文句を言われたことはあるが、逆はなかなか無かった。しかも大の男が、子供のような言い方をする。カイは困惑する。
時間があるならお茶でもどう、なんて仕事のついでに誘ってもらうことはあるにはあったが。
「いや……ずっと居たら、邪魔だろう? することもないし……」
「話そうよ、遊ぼうよー。カードならあるよー」
言いよどむカイに対しセヴランは空かさず答えて、反応を見て――閃いた、という表情になる。今度は悪い思いつきをした眼差しだった。
「居なくなったら俺も出かけちゃうよ。もう服着れるし」
「いやアンタは駄目――」
「でしょ? じゃあちゃんと見張ってなってこと」
つい答えたのに重なる得意げな台詞に、カイは舌打ちしそうになった。
――他の仕事があると言えばよかった。
することがないからなんて言わず、他にすることがあるのでと言えばよかったのだ。だが、セヴランの自宅は本部からは離れているので行き来するには不都合だと判断して、経過観察までの間は半分休憩時間のつもりで予定を立てていたのがいけなかった。誤魔化しの下手な自分の性分を憎みながら、それでも時間稼ぎのような真似はできず、さっさと作業を終えたカイは玄関に立った。
掌の上でケースを開ければ群れを成し、空色の蝶の形をした精霊たちが羽ばたく。精製水を含ませた布で切り口を包み、さらに麻袋で包んで荷札をつけられた蔦が一包み、ぶら下げられて空の向こうへと消えていった。
見送り家の中へと戻ると、セヴランはシャツを羽織った姿で先程貰った朝食の包みを広げて彼を待っていた。ハムとチーズを挟んだ丸パンの皮を撫でて笑顔を見せる。横には古びたカードの紙箱も置かれていた。
さあおしゃべりの時間だと意気込んで、カイが小さな椅子に座り直すまで待ち、セヴランは口を開いた。
「何歳? 俺は二十五」
書類で確認したので、カイは言われるまでもなく知っていた。二十五歳のこの男が他に家族も、近親者もいない独り身であることも。誕生日が九月六日であることや、血液型がδであることも。こうして住んでいる場所も。
対して、セヴランはカイについては何も知らないのだ。自分を担当する園丁官とやらである、ということ以外は。
「二十一」
短いそれきりの応答でも一つ確かな情報だ。ひとまずちゃんと返事があったのを喜んで、声色を明るくする。
「お、年下か。じゃあ敬って」
「……敬語に戻していいですか?」
「あっ今のなし、あれほら、兄弟……幼馴染とかの距離感? そのくらいで」
「はあ……」
次は少し悩んで、二つ目の質問だ。
「兄弟はいる?」
「姉が一人……」
「おお。美人? 今度紹介してよ」
「結婚してる」
「――幼馴染は?」
「まあ何人か……?」
なんだその質問は……と微妙な反応を隠さずにいるカイをおかしがって肩を震わせ、じゃあ、と続ける。緑の目と、青い目が合う。
「初恋の女の子とかいたり? あ、恋人はいるの?」
「まずそれを食べてくれ」
「はーい」
誤魔化し――だけでなく、放っておかれているサンドイッチを示してカイが言う。セヴランは大口で齧りついて、あまりよく噛まずに飲み込み、その間は黙っているカイをまた見つめた。
「カイの分はないの」
問うて、もう一口。
「……俺は仕事だから、食ってから来てる」
「したら早起きだねぇ」
「四時か五時くらいには目が覚める」
「いや早っ」
いくら日が出ているとはいえ、大半はまだベッドの中という時刻だ。家族皆がそうというわけでもないので、カイも早起きの自覚はあった。
「そんなに早くないと……なんだっけ、園丁、官? はできないの?」
「そうでもない。始業は七時だ。此処より近いから、十分前に出れば間に合う」
仕事の為、でもない。園丁官の朝礼の時刻は他の職種よりは早いが、集団生活で訓練に励む軍人たちと比べては遅く、なおかつ自由だった。カイは毎日自宅から通っている。
「……じゃあ早く起きて何するの?」
パンを食べるのを止めて訝しげに問われるのに、カイは少し考えた。彼にとってはいつもの、至って普通の生活だ。特に挙げるほどの事柄はないようにも思えたが。
「読書……鉢の世話とか、あと掃除とか」
「朝からぁ?」
「朝だから、だ」
仕事以外でも、彼は植物を育てている。それらに接するならばやはり日が出ている時間が望ましいし、掃除だって明るいうち、気力が漲っているときにやってしまうほうが疲れた帰宅後にやるより効率的だ。カイはいわゆる朝型だった。
ここ数日は彼が来るので朝のうちに起きるようになっただけのセヴランにはちょっと信じられない思いがしたが。
少々沈黙。パンを噛み締める時間があった。
「で、彼女とか結婚とかは?」
結局そちらのほうが分かりやすく興味があり、話は戻った。二度は誤魔化せまいとカイは溜息を吐いて応じた。
「いない」
セヴランは少し意外そうに瞬く。前に座る男は顔も悪くなく上背がある、若くて、しかも軍の人間だ。いかにも女性には人気そうだと見えていた。
「えー、エリートってやつでしょ? あ、仕事人間とかそんな感じ?」
ただしあまり遊びそうな雰囲気でもない。
「そうかもな」
――突き返すかのそっけない返事に、これが問題かな、などとも考える。女の好みや下世話な話題はノリやすいが、モテる自慢は聞いたところで僻みたくなるだけなので、セヴランは素直に納得した。
「真面目だから俺にもこうして付き合ってくれる、と」
「貴方が脅したんだろうが」
「そうだっけ? 脅しじゃなくてお願いだよ。ただ待ってるんじゃ暇だし」
勝手なことを言う口が食事にかかるのを止めたくなくて、カイは少し肩を落として黙り込む。そうしてちらと、辺りを見た。何もない家、という印象だった。こうして仕事で来ているのでなければ空き家だと思うかも知れない。生活感がない。
彼のほうは暇潰し用に本や新聞を持ち歩いているものだが、見えるところにはそういう物も無い。セヴランはどう過ごしているのかと思わされる。横に置かれたカードの小箱は表面の字が読めないほどに擦れて潰れてもいたが、これは一人ではろくに使えない。話し好きのようだし、友人が多いのだろうかと想像する。
そうぼんやり考えるうちに食べ終わってしまったセヴランに請われ、カイは賭けの定番の役揃えの相手をすることになった。金銭は勿論、他に賭ける物もなく、やるだけ、である。二人だけでやるので一戦一戦は短時間で済む。配った手札を数回入れ替え、相手の表情も読みながら、勝負をする、受けるか降りるか、そして手札を開けてみる、その繰り返し。
やるほどにカイは呆れた。
強くない――カイもあまり嗜まないので達者ではないがそれを踏まえるとむしろ――弱い。セヴランはカードの引きも、勝負の駆け引きも壊滅的だった。自分の勝ちが三回続いたところで、カイは昨日、目の前の男が初めて会った時に言っていたことを思い出していた。
「これでよく賭けなんてやるな……?」
「いや次は勝つし!」
――これは負けも込むだろうよ。
ついでに引き際も弁えずに喚くのでカイは仕方なく、もう一戦だけ付き合ってやった。手加減のしようもなく引きが寄ってカイが勝った。
どうにかそれなりの時間を潰したところで健診に移り、そうして最後に包帯を解き、乾いて瘡蓋状になった薬を剥がす。問題なし。蔦を切り取った痕は何もなくなっていた。カイはもう慣れていたが、セヴランはしげしげと眺めて不思議がる。
今日は酒を一杯以上は飲まないように、今のうちに食事の買い置きをしておくように、水分補給と日光浴、と生活指導して、カイはようやく家を出た。
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