緑を分けて

綿入しずる

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鳥籠と家と部屋の窓辺と

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 一日、カイの日常はまた過ぎた。新たな庭セヴランのところへの訪問にも多少慣れた。もうメモを見ず、曲がり角を迷わず曲がれる程度の話だが。
 外勤の任務とその報告、他に振られた仕事もすべて終えて、執務室の端の机で退勤間際に少し寛ぐ。人が淹れてくれた珈琲を一杯貰いながら既にほぼ読み終えた新聞を広げた。
 最上段、フクロウが大きく翼を広げた図版の下には日付が印字されており、その下が十字に区切られぎっしりと文字や絵が詰まっている。渓谷鉄道の翼竜リントヴルムようやく討伐成功。時計店の窃盗事件は同一犯か。第二王女の最近のお気に入りは隣国式のドレスを着てのお茶会、露出の高さに陛下は難色――等々、政治経済に事件や噂話、連載小説にレシピまで、幅広く取り扱う首都の大衆紙、フクロウ新聞と呼ばれる週刊新聞サルテール報だった。発売は月曜、大事件が起こらぬ限りは誰かが買ったのを待って回し読みなので、水曜日の今日は既に柔らかくよれていた。
「――ああ、やっとあそこの汽車通れるのか。よかったよかった」
 やってきたデニスが覗き込んで挨拶代わりに言うのに、カイはすぐ顔を上げた。
「次読みますか」
「ああ是非」
 しっかり畳み直して譲り渡し、代わりに昨日今日の報告書を机に広げる。新たな庭、セヴラン・プレーツについての引継ぎだ。明日木曜はカイの固定休暇でデニスの出番だった。
 昨日星葉蔦キッカの採取。本日は確認のみ。異変は無いが、やはり相変わらずの態度だった。生活習慣にも難あり。部屋の日照不足は多少解決、飲酒もあるので水分補給に留意。ついでに、暇そうで相手をしてほしがることも伝えて合鍵を渡した。
「明日は僕が行くから、気楽だろ」
「……いや逆に、気になってそわつくかも」
 真面目な後輩にデニスは笑う。報告書を最後まで指で辿って、トン、と押さえてから持ち上げる。
「うん、問題ない。任せな。昨日やったならまだだと思うが……ま、明日はゆっくりするといいよ」
「はい、よろしくお願いします。お疲れ様です」
 カイは若いが、もう二年目でそつなくこなす。此処での仕事に滞りはなかった。残っていた珈琲を飲み干し、他の同僚にも挨拶をして執務室を出る。
 帰りがけ、隣の研究棟の更に横の建物――保管庭園の様子も見に行く。円形で天井はドーム状、その形から鳥籠などとも呼ばれる大きな硝子張りの温室は守衛も置いているが、園丁官なら顔を見せればすぐ入室が叶う。貴重な採取品はもっと奥深く、幾つもの通路と扉を経た先に厳重に保管されているのだ。この手前の第四庭園で世話をしているのは何人もの庭から採取できて増やせ、種や球根まで採れたようなものだ。
 守衛に挨拶をして扉を開ければ、濃い、緑と土の匂い。風を流す換気羽が立てるカラカラと軽い音や、配管を通って撒かれた水が滴り跳ねる音がする。まだ数人、働く人々が居た。
「お疲れ様です」
「ああ、エッカルト。昨日のなら根が出てる。活きがよかった」
 内勤、保管庭園の管理を担当する園丁官も顔なじみだ。同期も居た。
「よかった。見て行っても?」
「どうぞ、向こう、いつものところ」
 彼らは作業中、仰々しい軍服などではなく、動きやすいシャツとズボンの軽装に前掛けをしていた。その前掛けやブーツは土や水、はたまた何か植物の汁や花粉で汚れている。それが逆に、カイには羨ましく見えた。
 示された通路を進んでいけば、採取日を記す札が新しい植物が並んでいる。昨日セヴランから採取した蔦は青々と茂ったまま、水を張った鉢につけられた切り口からはしっかりとした根が伸びてきている。明日には植えられるかもしれない。それを確かめて、なんとなく満足して、カイはついでに他の植物も見て回った。濡れないように通る道は心得ている。以前彼が採取したものも、他の園丁官が持ち込んだものもある。概ね順調に育っているのが見て取れた。――此処に立ち寄ったのはそういう確認もあるが、何より単純に美しく心洗われるからだった。ただでも緑はよいものだが、神々の園から零れてきたこれらは格別の生命力に満ちていて、見ているだけでも力を貰える気がした。見上げると温室の骨組みは何枚もの額縁を並べたようで、草葉の姿は空の色と共に素晴らしい絵になる。
 カイは煙草が得意ではないが、仕事終わりの一服、と皆がいうのは分かる気がする。深く呼吸を整えるのはよいものだ。
 そうしながら内勤の人々と語らうのも、喫煙者たちが灰皿を囲むのと似ていた。
 蔦は増えたのでさらに分けて地方の研究施設にも配布予定。青百合ヒメリリの第三世代が順調に成長している――それらが神々の園の恩恵をどれほど得るかというのは、今調査中であるが。仕事のことだけではなく、町中の様子やさっき読んだ新聞の記事についてなど少し世間話もして、今度飲みに行こうと約束して、カイは改めて帰路につく。
 その背を見送って、内勤たちもそろそろ上がろうと前掛けを解きながら呟いた。
「ほんと真面目だよねぇ、あの人は。採取した次の日は大体来るもんな」
「ええ。草花大好きで、気になるんですって」
 此処にいる人間は大体そうだがと笑いながら、同期は肩を竦めた。
「本人は、内勤希望……っていうか普通の庭師や花屋になりたかったらしくて。でもほら、医者の家で、それで出来もいいもんですから、そっちは勿体無いって」
 カイ・エッカルトは期待される若手だった。その分、しがらみ、やっかみも多くはあるが。
「やっぱり天職だな。まあ好きならいいよな本当、羨ましい限りだ」

 斜陽の中、エッカルト医院と角に看板を出した建物の裏に回れば、彼の家だ。こちらも広く美しく整えられた庭先で、カイと同じ亜麻色の髪の女、姉のフィリーネがハーブを摘む手を止めて出迎えた。
「おかえり」
「ただいま、調子いい?」
「いいわ。いいから、よく蹴られるけど」
 彼女が丸く膨らんだ腹を撫でるのに、カイも微笑んだ。カイにとっては甥か姪になる子供がそこにいる。もうすぐ家族が増えると家は何処かそわついていて――カイは部屋まで入るとようやく落ち着ける。
 自室にも鉢植えが幾つかある。背の高いゲッキツや、まだ愛らしく花を開いているマーガレット、伸び伸びと育った蔦が数種。窓辺の日当たりのよいところを占めるそれらに夜の挨拶をするようにカーテンを閉めて、それから着替えた。
 実家暮らしのカイは大抵の場合、夕食は父母と姉夫婦と揃ってする。穏やかに、母と姉が作った料理を食べる。食卓や居間で女二人がよく話すのを受け止めるのは、昔から大体彼の役目だった。
「この前のケーキはおいしかったわ。また作ってよ」
「いいけど、あれもいつものレシピだよ。自分で焼いたら?」
「なんか違うのよね。人が作ったほうがおいしいわ」
「明日買い物の荷物持ちをしてくれない? ついでに、外で食事でもしましょうよ。久しぶりに」
「いいよ。俺も買い物に出るつもりだった。――それなら昼頃?」
「ええ」
 父や、若い頃からこうして共に過ごしていた義兄ハンネスは静かだが、不愛想ということはない。相槌は打つし、何が美味いとか、今日の仕事はどうだったとか、いい本を見つけたとか、少しは声を出す。場の空気は非常によかった。
 子供が生まれればきっとより賑やかになり――皆そちらに構うようになるのだろうなと、肉料理を切り分ける間に考えては、カイは少し期待をする。
 この生活が不満なわけでない。家族のことは愛しているし、新しい家族も大歓迎だが。ただ数年前から、少し家族と離れ一人になってみたいなという欲は膨らむばかりだ。独り立ちしたい、のかも知れなかった。医院を手伝うのではなく外で園丁官の仕事に就けたのはよかった。このまま少し貯金を作って、一二年後には一人で暮らしてみようと考えている。順調な計画だった。
 食後お決まりのハーブティーを家族の分も淹れてから部屋に戻る。ふうと息を吐いて、ランプの灯りで鉢植えの植物たちが影を作るのを眺めて、ベッドの上で読みかけだった本を開く。
 本棚にも多くの本が並んでいる。娯楽小説や詩集の他に、植物図鑑に神話、医学書も数冊。仕事に通じるものが多いが、仕事の為に集めたというよりも趣味が仕事になったタイプだった。昔から、彼は植物や神話が好きで、医者の子供として育った分人の体にも知識と興味があった。それで国家が募る園丁官という仕事を選択して、見事その席を得た。
 多くの本は年季が入っているが、持ち主の人となりを示すように傷みは少ない。埃も少なく清潔に整頓された、彼そのもの、彼を拡大したような部屋だった。
 読書の途中で茶のおかわりを入れにいき、また少し家族と会話をする。明日は鉢の手入れ以外にも庭弄りをしたいなと考える。あれこれ世話を焼いて、そろそろ花の終わるシャクヤクを摘んで居間などに飾り、よく庭談義する隣人にも分けて。外出にとは言われたが朝のうちにやれば文句は出ないだろう。買い物も肥料を忘れないように……――思考は緩やかに紡がれた。
 寝る前には日記をつける。以前内勤の同期と飲みに行ったのは二週間前だったと確認して、数行、仕事や日々の覚え書きをする。子供の頃から続く記録だ。
 また鉢に少し触れ、眺め。ベッドの中でもう少し読書を続けてから、カイは眠りについた。翌朝はいつもよりは少しのんびりと、五時半に目覚めた。部屋の植物たちの為に起きてすぐにカーテンを開けてやるのが、彼の一日の始まりである。
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