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国軍分室園丁官本部(後)
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翌朝早くに出勤してきてたっぷりの珈琲を用意したカイは、観察室の扉を静かに叩いた。中の応えにドアを開ければ、あまり広くもない部屋に四人も詰めていた。カイのように起きだしてやってきた者もいれば、夜通し居残った者もいる。エミールは後者だが仮眠明けで万全だった。
書類や記録用紙を広げて温度計や湿度計、魔力計器なども備えた机に並び、皆セヴランの発現待ちだ。そろそろだと思えばあれこれと話す声も止みがちで、幾分緊張していたのが珈琲の香りで解れる。ふう、と皆の息が抜けた。
「お疲れ様です、おはようございます」
「おはよう。――まだだよ」
教えて示す視線に、カイは窓の向こうを見遣った。逆側からは遮られる視界はこちらからは曇りなく明瞭だ。火ではなく電灯の明るい室内では裸体のセヴランが寝台に横向けに寝そべって彼らの側を向いている。背のほうにも園丁官が一人付き添って座っている。直接の観察に当たる彼ももうじき来るかもしれないと思って構えているのが窺えた。
セヴランは窓からの視線も、その気配も、何も関さぬように眠っていた。眠たがって欠伸をしているところなどはよく見ていたが、実際眠ったところを見たのはカイも初めてだ。目を閉じて静かな呼吸だけを繰り返す、距離の割には遠く感じられるその顔を少し眺めてしまってから、意識して視線を外す。時計を見る。五時十五分。日の出から少し経った。
庭の植物の発現は大部分が午前中、朝である。睡眠中であることも多く、本人に知覚はないが、見ていれば見える。実体を伴う草葉、あるいは枝が現われ普通の植物とは異なる速度で急成長する。位置は庭によりおよそ固定されており――セヴランの場合は範囲が広く、右半身、と括られていた。その為に今日は右を上向けて寝かされている。
まだか、と思ううち――珈琲が幾らか飲まれた頃に、室内、寝台の上を観測する魔力計器が動いた。目盛を示す針が震える。
「発現予兆、右胸部です」
一人声を上げると皆の視線が窓を越えてセヴランに集まる。魔法の目を持つ者には見て取れた。そこに魔法が起きたことが、空間にさざ波が打つようにして。計器の針が振れ、カイにも見える波形のグラフを巻紙に記す。まだ植物の姿は見えない。
「記録、取れてるな。――体位を仰臥へ」
「はい」
伝声管越しにエミールの指示を受けた室内の園丁官が、セヴランの身を仰向けに返した。通信機よりもさらに性能のよい撮影機で記録を始める。
「――魔法ではある……」
エミールが低く、呟きながら隣室へと移る。
発現は魔法、あるいはそれに類似した現象ではある。とは、研究が始まった当初から、魔法使いたちが指摘している。ただし本人の力に依存せず――そもそもセヴランのように魔法の才覚などない人間も庭になる――誰が、何が引き起こす魔法なのかは分からない以上、そう断定してよいのかは疑問視されていた。
だがやはりこれは魔法ではあると、あらゆる情報が言う。自身の内に繰り返してエミールはそこを睨むように見つめた。
「あ――」
遅れて、カイにも見えた。一点の緑色、と思えばそれはすぐに、眠る人の身に合わせて呼吸するかのように広がる。茎が伸び、三方へ尖った独特の形の葉が連なり、重なっていく。日頃カイが採取している標本に比べては控えめな大きさの、つややかに水気を帯びた葡萄の蔓だった。
――かくて神々は遠のいた。人々は置き去られた。あまりにも多かったから。――繁栄を、繁栄を、繁栄を。
神話の末尾はそのように、人を言祝ぐ斉唱で締め括られている。その後千年は神の居ない歴史だった。しかし今また、一端が覗いている。神々は未だ在るのだと知らせるように緑が映える。
「葡萄ですね。プレーツ氏の庭で過去にも確認されているものです」
「安定後一部採取、大本は予定どおりこのまま観察を継続します。まだ寝ていてもらおう」
「では測定、一番開始」
臨む、研究者たちの声が行き交う。囲まれて様々に調べる動きがある。魔法の効果と分かっていても、この中でも起きないセヴランのことが少し不安になる程度には騒々しかった。ただ立ち合いに来ただけのカイは周りの邪魔にならぬよう、窓越しに見守るしかない。
もう一度、時計を見る。まだ五時半だ。セヴランにとって長い一日になるだろうなと予想した。
「おはよう」
一時間ほども弄りまわされ眠りの魔法が解除されて暫らくしてから、セヴランは目を覚ました。テーブルのほうから声をかけたカイに少し驚き、まだ夢でも見ている雰囲気で数度瞬く。そうして、身を起こして腕など伸ばした。枕元に畳まれていた下着や検査着を身に着ける。
「おはよ。緊張して寝れないかと思ったらぐっすりだった……魔法ってすごいな。家にも欲しい」
多少、硬い布団で身は凝ってぱきぽきと言うが、熟睡であった。まだ胸に生えている葡萄の葉を見下ろして、新種ではなく親しんできた植物であることになんとなくほっとする。
心配していたのに図太いことを言うのでカイは呆れてしまったけれど。その後、安心もした。
「その分だと、違和感とかはなさそうだな」
「うん、別にー」
セヴランに水を勧め、横に腰を下ろす。手にする書類のタイプされた文字を指でなぞりながら改めて説明をする。
「今日はすぐ剪定しないで午後まで、そのまま観察させてほしいそうだ。これから食事をとって、後はテスト――質問に答えてもらったりする。他の園丁官が対応するが、午後にはまあ、また顔を見に来る」
「君が全部やればいいのに」
「そうはいかない」
セヴランが些か不満そうに声を上げるのに、カイは肩を竦める。業務の内容的にも、量的にも無理だ。他の庭の訪問もある。
「分かってるよーだ」
いつもどおりつれない態度ですぐ立ち上がってしまう男により不満げに声を作り、セヴランは見送るのと追い払うのの半ばで手を振った。
顔など洗っている間に追加の飲み水と共に温かい珈琲、ジャムを塗ったパンの朝食が運ばれてくると、セヴランの多少の不満は飛んでいった。いつもは買ってきたパンだけ齧っていれば上々、夕方何処かへ繰り出すまではろくに食べない日さえもあったが、此処では黙っていても一式が出てくる。昨日の夕食のサンドイッチも野菜まで挟まった美味なものだったので、今後にも期待していた。
食後は忙しかった。
また仰々しく紙束を持った園丁官がやってきて、口述、ところどころ記述も交えた検査を受けることになった。まず最初に病院で訊かれたもの、カイが訊いたものより仔細に、体調や嗜好について聞き出された。その後が新しく作られたテストだった。
庭になる要因がまったく分からない現状、まぐれでもよいので糸口を掴みたいと、半ば無作為に作成された質問集だ。昨今教育の場などで用いられるようになった心理検査のものも流用されている。
セヴランは延々と繰り出される質問に、途中何度も文句を言いながらも付き合った。庭になってから変わったことはあるか、という問いには、真っ先にカイのことを思い浮かべつつ、朝起きてパンを買いに行くようになったと応じた。庭になったことをどう思っているか、には、悪くない。自身にとって庭になる兆候と思えることはあったか、という問いかけには、分からない。
自分の由緒は知っているか、信仰している神は、人生で最も幸福だった出来事は、では悲しい出来事は、最近はどうか、町の外に出かけたことはあるか、最近見た夢は、鳥と言えば何を思い浮かべるか、この絵は何に見えるか、月を描いてみてくれ……
何の意味があるのか分からない抽象的な質問も時折挟まれるのには、セヴランは辟易した。度々、母を思い出して悲しい。それをぐっと堪えて、ときにはぐらかした。園丁官はあまり深追いすることはなかった。はぐらかすのも含めて返答と見なした。質問の膨大さもあって淡々としていた。
さりげなく、次の機会について約束されてしまったのには素人は気づかなかった。家から此処までの道順を確認する中での誓約だった。
済むと次は体のほうの検査で、久々の採血にセヴランは思いきり眉を寄せた。ようやく右胸を覆った植物を採取してもらって落ち着いたかと思えば、今度は小さい湿布のようなものを体中に貼り付けて回収されるのもなかなかに嫌だった。されるがまま、もう二度はないぞと思いながらも――また割に美味い食事が運ばれてくると機嫌をよくする。近所の食堂から人が運んできてくれるというのは偉くなった気分も味わえた。多少の希望は聞いてもらえたし、植物を生やしていれば消耗するだろうとおやつまできっちり出てくる。茶も淹れてもらえる。そういう意味では甘やかされていた。勿論、セヴランは正当な報酬としか思っていなかったが。
――そんな生活がもう三日繰り返された。そのうちに、眩しかった窓にはカーテンが備えられ、窓は軋んだ音を立てながらもかろうじて開いたので風が通り、暑さも改善された。セヴランは多少部屋に馴染んだ。何ならこざっぱりとした。清潔な服を与えられ、入浴も沸かすでもなく湯が準備されており、珈琲など飲み新聞を読んでいるのは日頃家にいるより充実していた。
自由になる時間には半分寝て、半分はカイが家から持ってきてくれた本を読んで過ごした。彼はこんなものを読むんだなあ、と最初は斜めな楽しみ方をしていたが、カイが素人向けに楽しんで読める化学の話や刺激ある怪奇小説を選んで持ってきたお陰で、途中からは普通に楽しい読書の時間になっていた。久しぶりに一冊読みきった。
勝手に歩き回ることも敷地外への外出も一切許されなかったが、施設見学という名の散歩は約束どおり実施された。無論機密に係わらぬごく一部の場所ではあったものの、それでも一般人には得難い経験である。階を上下に移動する昇降機には初めて乗ったし、上階から町を見下ろすのは気分のよいものだった。硝子張りの庭園もそうして横から見てみるとまた違う美しさを備えていた。
その中やあちこちを光って飛び交う精霊は魔法とは違い生きているのを飼い慣らすものであり、命令どおりに動く様や、餌やりをするのも見物した。此処では灰や樹脂で養っていた。
そうした暇潰しはカイではなく、デニスや他の園丁官の案内のときもあったが、セヴランは概ね満足した。ぎりぎり、暇になりきらず彼にも耐えられる日数だった。
四日目、彼の感じた窮屈さを反映するようにちょんと小さく生えた庭常の枝を切る二度目の採取を経て、どうにか予定どおり最短でやってきた最終日。夕方迎えに来たカイを、セヴランは立ち上がって歓迎した。
「待ってたよ、担当って言うんだから俺を最優先にしてよ」
「今回は他の人が居てくれただろう?」
「他の人じゃやだ。皆まあまあ優しいけど、いつも居るくせにずっと相手してくれるわけじゃないし」
「俺もずっとはしない……」
待たせてある馬車に向かう間も、甘え混じりの文句が続く。
さすがにずっと相手をする気はないカイだが、此処に居る間は他の人たちに任せてもよかったはずなのに家に行かないとなると気になり落ち着かず、休憩に入るとつい顔を見に行ってはいた。頻度で言えばいつもより多かった。しかしそれでも不足なようなので、カイは指摘をやめておいた。
際限がないなと呆れながらも、今回のことで一月築いてきた関係が崩れたらと案じていたので、この分なら大丈夫そうだと安堵してもいた。自身についてはむしろ、より懐かれている気もするくらいだ。
勿論カイの気の所為ではない。珈琲が出てくるところはよかった、酒も欲しい、今日は食堂の魚料理を食べた、カイも同じ物を食べたことがあるか、そういえば本は面白かったが似たようなものは他にも持っているか――と、聞いてほしがり聞きたがるのも、それまで暇だったからというだけでなく好意ゆえだ。
「でも俺のところに来たのが君でよかったっていうのはよく分かった。君が一番いいよ」
挙句、馬車が動き出したところでそんなことまで言うので、カイはまじまじとセヴランの顔を見てしまう。目が合い、さすがに少し照れたように視線が逸れていくのを見た。
可愛い子供でもないくせに、そんな言葉で絆されてなるものか――と思うのがもう既に、割と絆されてはいる。
「それは、どうも。……ハーラーさんはどうだ? 上手くやってそうに見えたが……」
「ん。デニスさんも悪くはないよ。ああ、そろそろ名前で呼んでほしいけど。そろそろいいと思わない?」
なるべく素気なく礼を言ってついでに訊くとセヴランは偉そうに答えて不満まで漏らすから、やはり可愛いものではなかった。
先輩は上手く切り抜けたんだなあと、カイは関心して自分の未熟さを悔やむ。あのとき構わずプレーツさんと呼び続けていたら、この関係は無いのかもしれなかったが。
――まあ、どっちがいいということもないのかも知れない。庭も園丁官も結局は個人なのだから、それぞれの接し方がある……
最初から今日まで、あくまで真面目に考えて。カイは元気に酒場で降ろしてほしがる声には屈さず、きっちりとセヴランを家まで送り届けるのだった。
書類や記録用紙を広げて温度計や湿度計、魔力計器なども備えた机に並び、皆セヴランの発現待ちだ。そろそろだと思えばあれこれと話す声も止みがちで、幾分緊張していたのが珈琲の香りで解れる。ふう、と皆の息が抜けた。
「お疲れ様です、おはようございます」
「おはよう。――まだだよ」
教えて示す視線に、カイは窓の向こうを見遣った。逆側からは遮られる視界はこちらからは曇りなく明瞭だ。火ではなく電灯の明るい室内では裸体のセヴランが寝台に横向けに寝そべって彼らの側を向いている。背のほうにも園丁官が一人付き添って座っている。直接の観察に当たる彼ももうじき来るかもしれないと思って構えているのが窺えた。
セヴランは窓からの視線も、その気配も、何も関さぬように眠っていた。眠たがって欠伸をしているところなどはよく見ていたが、実際眠ったところを見たのはカイも初めてだ。目を閉じて静かな呼吸だけを繰り返す、距離の割には遠く感じられるその顔を少し眺めてしまってから、意識して視線を外す。時計を見る。五時十五分。日の出から少し経った。
庭の植物の発現は大部分が午前中、朝である。睡眠中であることも多く、本人に知覚はないが、見ていれば見える。実体を伴う草葉、あるいは枝が現われ普通の植物とは異なる速度で急成長する。位置は庭によりおよそ固定されており――セヴランの場合は範囲が広く、右半身、と括られていた。その為に今日は右を上向けて寝かされている。
まだか、と思ううち――珈琲が幾らか飲まれた頃に、室内、寝台の上を観測する魔力計器が動いた。目盛を示す針が震える。
「発現予兆、右胸部です」
一人声を上げると皆の視線が窓を越えてセヴランに集まる。魔法の目を持つ者には見て取れた。そこに魔法が起きたことが、空間にさざ波が打つようにして。計器の針が振れ、カイにも見える波形のグラフを巻紙に記す。まだ植物の姿は見えない。
「記録、取れてるな。――体位を仰臥へ」
「はい」
伝声管越しにエミールの指示を受けた室内の園丁官が、セヴランの身を仰向けに返した。通信機よりもさらに性能のよい撮影機で記録を始める。
「――魔法ではある……」
エミールが低く、呟きながら隣室へと移る。
発現は魔法、あるいはそれに類似した現象ではある。とは、研究が始まった当初から、魔法使いたちが指摘している。ただし本人の力に依存せず――そもそもセヴランのように魔法の才覚などない人間も庭になる――誰が、何が引き起こす魔法なのかは分からない以上、そう断定してよいのかは疑問視されていた。
だがやはりこれは魔法ではあると、あらゆる情報が言う。自身の内に繰り返してエミールはそこを睨むように見つめた。
「あ――」
遅れて、カイにも見えた。一点の緑色、と思えばそれはすぐに、眠る人の身に合わせて呼吸するかのように広がる。茎が伸び、三方へ尖った独特の形の葉が連なり、重なっていく。日頃カイが採取している標本に比べては控えめな大きさの、つややかに水気を帯びた葡萄の蔓だった。
――かくて神々は遠のいた。人々は置き去られた。あまりにも多かったから。――繁栄を、繁栄を、繁栄を。
神話の末尾はそのように、人を言祝ぐ斉唱で締め括られている。その後千年は神の居ない歴史だった。しかし今また、一端が覗いている。神々は未だ在るのだと知らせるように緑が映える。
「葡萄ですね。プレーツ氏の庭で過去にも確認されているものです」
「安定後一部採取、大本は予定どおりこのまま観察を継続します。まだ寝ていてもらおう」
「では測定、一番開始」
臨む、研究者たちの声が行き交う。囲まれて様々に調べる動きがある。魔法の効果と分かっていても、この中でも起きないセヴランのことが少し不安になる程度には騒々しかった。ただ立ち合いに来ただけのカイは周りの邪魔にならぬよう、窓越しに見守るしかない。
もう一度、時計を見る。まだ五時半だ。セヴランにとって長い一日になるだろうなと予想した。
「おはよう」
一時間ほども弄りまわされ眠りの魔法が解除されて暫らくしてから、セヴランは目を覚ました。テーブルのほうから声をかけたカイに少し驚き、まだ夢でも見ている雰囲気で数度瞬く。そうして、身を起こして腕など伸ばした。枕元に畳まれていた下着や検査着を身に着ける。
「おはよ。緊張して寝れないかと思ったらぐっすりだった……魔法ってすごいな。家にも欲しい」
多少、硬い布団で身は凝ってぱきぽきと言うが、熟睡であった。まだ胸に生えている葡萄の葉を見下ろして、新種ではなく親しんできた植物であることになんとなくほっとする。
心配していたのに図太いことを言うのでカイは呆れてしまったけれど。その後、安心もした。
「その分だと、違和感とかはなさそうだな」
「うん、別にー」
セヴランに水を勧め、横に腰を下ろす。手にする書類のタイプされた文字を指でなぞりながら改めて説明をする。
「今日はすぐ剪定しないで午後まで、そのまま観察させてほしいそうだ。これから食事をとって、後はテスト――質問に答えてもらったりする。他の園丁官が対応するが、午後にはまあ、また顔を見に来る」
「君が全部やればいいのに」
「そうはいかない」
セヴランが些か不満そうに声を上げるのに、カイは肩を竦める。業務の内容的にも、量的にも無理だ。他の庭の訪問もある。
「分かってるよーだ」
いつもどおりつれない態度ですぐ立ち上がってしまう男により不満げに声を作り、セヴランは見送るのと追い払うのの半ばで手を振った。
顔など洗っている間に追加の飲み水と共に温かい珈琲、ジャムを塗ったパンの朝食が運ばれてくると、セヴランの多少の不満は飛んでいった。いつもは買ってきたパンだけ齧っていれば上々、夕方何処かへ繰り出すまではろくに食べない日さえもあったが、此処では黙っていても一式が出てくる。昨日の夕食のサンドイッチも野菜まで挟まった美味なものだったので、今後にも期待していた。
食後は忙しかった。
また仰々しく紙束を持った園丁官がやってきて、口述、ところどころ記述も交えた検査を受けることになった。まず最初に病院で訊かれたもの、カイが訊いたものより仔細に、体調や嗜好について聞き出された。その後が新しく作られたテストだった。
庭になる要因がまったく分からない現状、まぐれでもよいので糸口を掴みたいと、半ば無作為に作成された質問集だ。昨今教育の場などで用いられるようになった心理検査のものも流用されている。
セヴランは延々と繰り出される質問に、途中何度も文句を言いながらも付き合った。庭になってから変わったことはあるか、という問いには、真っ先にカイのことを思い浮かべつつ、朝起きてパンを買いに行くようになったと応じた。庭になったことをどう思っているか、には、悪くない。自身にとって庭になる兆候と思えることはあったか、という問いかけには、分からない。
自分の由緒は知っているか、信仰している神は、人生で最も幸福だった出来事は、では悲しい出来事は、最近はどうか、町の外に出かけたことはあるか、最近見た夢は、鳥と言えば何を思い浮かべるか、この絵は何に見えるか、月を描いてみてくれ……
何の意味があるのか分からない抽象的な質問も時折挟まれるのには、セヴランは辟易した。度々、母を思い出して悲しい。それをぐっと堪えて、ときにはぐらかした。園丁官はあまり深追いすることはなかった。はぐらかすのも含めて返答と見なした。質問の膨大さもあって淡々としていた。
さりげなく、次の機会について約束されてしまったのには素人は気づかなかった。家から此処までの道順を確認する中での誓約だった。
済むと次は体のほうの検査で、久々の採血にセヴランは思いきり眉を寄せた。ようやく右胸を覆った植物を採取してもらって落ち着いたかと思えば、今度は小さい湿布のようなものを体中に貼り付けて回収されるのもなかなかに嫌だった。されるがまま、もう二度はないぞと思いながらも――また割に美味い食事が運ばれてくると機嫌をよくする。近所の食堂から人が運んできてくれるというのは偉くなった気分も味わえた。多少の希望は聞いてもらえたし、植物を生やしていれば消耗するだろうとおやつまできっちり出てくる。茶も淹れてもらえる。そういう意味では甘やかされていた。勿論、セヴランは正当な報酬としか思っていなかったが。
――そんな生活がもう三日繰り返された。そのうちに、眩しかった窓にはカーテンが備えられ、窓は軋んだ音を立てながらもかろうじて開いたので風が通り、暑さも改善された。セヴランは多少部屋に馴染んだ。何ならこざっぱりとした。清潔な服を与えられ、入浴も沸かすでもなく湯が準備されており、珈琲など飲み新聞を読んでいるのは日頃家にいるより充実していた。
自由になる時間には半分寝て、半分はカイが家から持ってきてくれた本を読んで過ごした。彼はこんなものを読むんだなあ、と最初は斜めな楽しみ方をしていたが、カイが素人向けに楽しんで読める化学の話や刺激ある怪奇小説を選んで持ってきたお陰で、途中からは普通に楽しい読書の時間になっていた。久しぶりに一冊読みきった。
勝手に歩き回ることも敷地外への外出も一切許されなかったが、施設見学という名の散歩は約束どおり実施された。無論機密に係わらぬごく一部の場所ではあったものの、それでも一般人には得難い経験である。階を上下に移動する昇降機には初めて乗ったし、上階から町を見下ろすのは気分のよいものだった。硝子張りの庭園もそうして横から見てみるとまた違う美しさを備えていた。
その中やあちこちを光って飛び交う精霊は魔法とは違い生きているのを飼い慣らすものであり、命令どおりに動く様や、餌やりをするのも見物した。此処では灰や樹脂で養っていた。
そうした暇潰しはカイではなく、デニスや他の園丁官の案内のときもあったが、セヴランは概ね満足した。ぎりぎり、暇になりきらず彼にも耐えられる日数だった。
四日目、彼の感じた窮屈さを反映するようにちょんと小さく生えた庭常の枝を切る二度目の採取を経て、どうにか予定どおり最短でやってきた最終日。夕方迎えに来たカイを、セヴランは立ち上がって歓迎した。
「待ってたよ、担当って言うんだから俺を最優先にしてよ」
「今回は他の人が居てくれただろう?」
「他の人じゃやだ。皆まあまあ優しいけど、いつも居るくせにずっと相手してくれるわけじゃないし」
「俺もずっとはしない……」
待たせてある馬車に向かう間も、甘え混じりの文句が続く。
さすがにずっと相手をする気はないカイだが、此処に居る間は他の人たちに任せてもよかったはずなのに家に行かないとなると気になり落ち着かず、休憩に入るとつい顔を見に行ってはいた。頻度で言えばいつもより多かった。しかしそれでも不足なようなので、カイは指摘をやめておいた。
際限がないなと呆れながらも、今回のことで一月築いてきた関係が崩れたらと案じていたので、この分なら大丈夫そうだと安堵してもいた。自身についてはむしろ、より懐かれている気もするくらいだ。
勿論カイの気の所為ではない。珈琲が出てくるところはよかった、酒も欲しい、今日は食堂の魚料理を食べた、カイも同じ物を食べたことがあるか、そういえば本は面白かったが似たようなものは他にも持っているか――と、聞いてほしがり聞きたがるのも、それまで暇だったからというだけでなく好意ゆえだ。
「でも俺のところに来たのが君でよかったっていうのはよく分かった。君が一番いいよ」
挙句、馬車が動き出したところでそんなことまで言うので、カイはまじまじとセヴランの顔を見てしまう。目が合い、さすがに少し照れたように視線が逸れていくのを見た。
可愛い子供でもないくせに、そんな言葉で絆されてなるものか――と思うのがもう既に、割と絆されてはいる。
「それは、どうも。……ハーラーさんはどうだ? 上手くやってそうに見えたが……」
「ん。デニスさんも悪くはないよ。ああ、そろそろ名前で呼んでほしいけど。そろそろいいと思わない?」
なるべく素気なく礼を言ってついでに訊くとセヴランは偉そうに答えて不満まで漏らすから、やはり可愛いものではなかった。
先輩は上手く切り抜けたんだなあと、カイは関心して自分の未熟さを悔やむ。あのとき構わずプレーツさんと呼び続けていたら、この関係は無いのかもしれなかったが。
――まあ、どっちがいいということもないのかも知れない。庭も園丁官も結局は個人なのだから、それぞれの接し方がある……
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