緑を分けて

綿入しずる

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ある休日の園丁官

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「――お」
 夕方が近づいてオレンジ色に染まる町中。まだ人の行き交う通りを行く中で亜麻色の髪を揺らす背を見つけて、セヴランは小さく声を上げた。いつか出くわしたいつもの軍服ではなかったが、カイだった。
 朝にはデニスが来ていたので休日だとは知っていた。それで、声をかけてやろう、遊んでもらおうと思って駆け寄りかけたが――一歩目で足が止まった。
 仕事だから、と以前カイが言っていたのを思い出した。
 それはセヴランにとって、カイからの関心を信ずる明確な理由でありながら、好意を自覚した今となってはささやかな棘のような感触を持った。
 構ってほしい。遊びたい。しかしきっと、今日は仕事じゃないから、と言われるだろうなと思った。想像して――面白くない。言われたら、結構大分かなり傷つく。そんな自分が分かって、セヴランは急に臆病になる。紙袋、買ったばかりの酒とチーズを抱え込む。
 ――ちょっとけてやろ。
 しかし休日の様子が気にはなって、ろくでもない思いつきをする。帽子を目深にして、当初より少し小股に歩く。まったく気づいていないカイの背を追った。
 誰かと会うようならさすがにやめてやろう。最低限の分別でそれだけ決め、カイが止まると二つ手前の角で止まって、薬局の店先で量り売りの飴を買っていつもの缶に入れてもらっているのを眺めた。尾行などという非日常に気分が盛り上がってきて、さっきの不愉快さも晴れた。これはこれで楽しい。カイが急に振り返ったりしないかとドキドキとしてくる。周りからも怪しまれないようにと何食わぬ顔をしてみせるが、時折訝しむ目が向けられる程度の不自然さはあった。
 のんびりと歩くカイの次の行先が花屋だったのには、別の意味でどきりとした。短絡的に女へのプレゼントかと思ってそわついたセヴランだったが、すぐに思いなおす。カイは通りに売れ残った花をすべて一巡して眺めはしたものの、寄って屈んで、より熱心に見始めるのは切り花より苗や種のほうだった。もうじき、涼しくなったら何をやろうかとわくわくしているのだった。声をかけた店員と実に親しげに、何か楽しそうに語らい始めた。
 セヴランはそっと距離を詰めた。丁度、道にテーブルを並べて珈琲など出している店が隣であったので一杯頼んで傾けながら聞き耳を立てることにする。長話の雰囲気に何か面白い話でも聞けるかと期待した。のだが。
「鋏は本当に段違いだと思うよ。切り口が違う」
「いやあ、いいなあ、憧れるなあ、最新技術の刃」
「貸せたらいいんだけど、仕事用だからちょっとな……」
「軍ってやっぱりそういうのうるさいのかい」
「俺は他所を知らないけど、厳しいみたいだな」
 ぽつぽつと周りの音に紛れつつも聞こえてくる会話は、鋏や薔薇の棘とりや手袋、はたまた花瓶に入れる延命剤や珍しい花の品種の談義であった。一向にそれが終わらない。もう全然女とかそういう色気のある話は出ないまま、セヴランが珈琲を飲み干すまで十分に話していた。
 場が花屋なのだから当然と言えば当然なのだが。好きで仕事にしてんだなあと思っていつもより朗らかな調子のカイの声を聞いていたセヴランも、徐々に呆れ始めた。
 ――仕事の日も休みの日も草か。もっとこう……あるだろ、なんか。
 なんか、とは思うがセヴラン自身、昼の遊びには疎い。友達が居ないので。今度釣りをするのに一緒に行くかと流れで誘いを受けたカイのほうが断然そのへんには明るかった。
「ごめん、話しこんじゃったけど今日は人に会うからまた今度買いに来る――」
「ああ待ってる、来月、考えといてくれよ」
 そうして不意を突いたように話し終わるのにセヴランも慌てて立ち、再び歩き出した人を追いかけた。さっきまでより歩くのが早い。彼のほうも足早になって、人とすれ違うのに失敗し、待ってと声をかけそうになる。追いつきそうになるのを留めて、しかし勢いを殺しきれないで歩く。自身の足音が派手に感じられた。
 淡緑の瞳が睨むように見つめた先で、金の毛先が揺れた。
 振り向く、かと思ってセヴランは息を詰めた。期待と焦りは半々だった。
 しかしカイは身を翻しきらず、店の扉を押した。
 追っていた背がぱたんと見えなくなるのにセヴランは我に返る。足を止め荷物を抱え直す。小さな文具店。他の店に挟まるようにして建っているそこを少し眺めて、まず数歩、離れた。幾分慌ただしい胸を落ち着ける。
 薬局、花屋に文具店。なんともカイらしい感じがした。思わぬ一面などは見られず惜しいが、そこそこ楽しめた。次は何処へ行くだろう。自分は何処まで尾けるのか。――さっき、人に会う、と言っていた気もする。セヴランは考えて、もういいか、と思った。
 飽きたということにした。他の人間に会うのを見てから引っ込むのは何だか悔しいし、バレずにやり遂げたというほうがイケている。
 ――いいか、明後日、またうちに来るだろうし……
 見渡せば人通りも減っていて、さすがに誤魔化すのが難しくなってきた感じもする。買った物が重くなってきた。晩酌を始めるには程よく暗くなってきた。理由づけは十分だった。セヴランは踵を返す。カイが出てきてしまう前にと、今度は急いでそこを立ち去った。

「セヴラン、頼みがある」
 蔦の採取を終えての待ち時間にカイが言い、大きな書類封筒を取り出した。中から出てくる紙は園丁官が毎度記入しているカルテのようにあらかじめ罫線などが用意されたものだった。卓上に置かれるのをセヴランは頬杖ついて覗き込む。
 活動時間、体調、気分――単語を組んだ活字と、記入欄の空白が並ぶ。
「日々の記録をつけてほしいんだ。毎日、この用紙に。起床と就寝のおよその時間と……貴方の主観で、その日の体調や気分を五段階評価で……あとは何をして過ごしたとかは一行程度でいいそうだ。毎週回収するから、もし日記とかつけているなら後で纏めて記入でもいい」
「えー……やることばんばん増やすなあ」
 説明に眉が寄る。予想したままの反応にカイの眉も下がって、少し困ったような笑いになる。
「この前の協力のお陰で研究が盛んで。なるべく多くのデータが欲しいという話になっているんだが、でもずっと施設に入ってもらうわけにはいかないし……ああ、全員に頼んでる。貴方だけじゃない。ご協力お願いします」
 未だ意気込みを保ったエミールから直接渡されたカイとしても、ガンガン来るなあ、という感想ではあった。あれから研究棟のほうでは何か進展があったかと聞けば、まだ分からないときっぱり返されてしまったが――分からないからこそ調べるのだ。下っ端のカイは当然従うしかなかった。
 神妙になって頭を下げれば、セヴランからも文句は続かない。どうせやらなきゃならないんでしょ、と面倒臭そうにしてみながらも、先日軍の建物であれこれやったときのように作業の内で流されるのではなく、ちゃんと構えて頼んでくるのは悪い気がしなかった。
 まず、好きな子の頼みである。態度は甘くなる。
「この家にあるか分からないから、鉛筆とナイフも持ってきた」
「おお、さすが……あ、一昨日買ったやつだな」
 カイが自分のことを理解していて、そんな風に気を回してくるのも嬉しい。封筒から一緒に出てくる文具店のロゴがついた細い紙袋に手を叩いて――気づいてついそう言った。
「ああ、……?」
 カイは頷き、一昨日と言い当てたのに違和感を持って首を傾いだ。セヴランは分かりやすく、あっ、という顔をしてしまい――やっぱりこの男の気を引きたかったのであえて、悪戯を白状した。紙袋を両手で受け取ってやりながら。
「見かけた。花屋で長話してるとこ」
「おい」
「偶然偶然。ちょっとお茶してたんだって。したら君が来たからさ」
 カイは一昨日の外出の流れを思い出した。友人との夕食ついで、ちょっとした買い物を済ませた。寄り道したあそこは行きつけの花屋の一つだった。主な売り物は切り花だが、他も面白い品揃えをしているし店員と話が合う。横に喫茶店があるのは彼も覚えていた。
「花屋から追っかけなくてもいいだろ!」
 けれどちょっと話し過ぎて急いで向かった先、文具店まではそれなりに距離があったのも間違いない。声を大きくしてもセヴランはへらへらとしている。やはり偶然だけではないに違いないと察せられて、カイは呆れて溜息吐いて顔を覆った。
「いやあ折角だし」
「なんだよ折角って……それならもう声かければ……」
「かけたら遊んでくれた?」
「いや、あの後は人と会ってたから……」
 セヴランは悪びれない。やはりそういうところに落ち着く返事に、むしろ拗ねて見せる。――仕事じゃないから、と言われないだけちょっとましだった。先約なら仕方ないと思えるくらいには一応大人になっていた。その場でだったら不貞腐れて一緒に行くなどと言い出したやも知れないが。
「じゃあいいじゃん」
 勝手に聞き分けよくしたつもりで、袋から取り出した新品の鉛筆を指先で回す。
「よくはないだろー……?」
「いーじゃんー。これ、今日も書くんでしょ」
「……一日の評価だから夜……いやまあ、いつでも、貴方のやりやすいようにでいい。書いてもらうのが大事だから」
 あの日は遊んではくれなかっただろうが。仕事の一環とはいえ、鉛筆と小さな折り畳みナイフでも、自分の為の買い物をしていたのだと分かってセヴランの機嫌は上向いた。早速削って、書類に臨む意欲があった。話を逸らすにしては張り切ったその様にカイは少し怪訝にして、それでももうセヴランに慣れているので早めに諦めて仕事に意識を向ける。
 その日の体調や気分を数字で評価するというのは一般人のセヴランにはいまいち感覚が分からず、早くも苦戦した。これから遊んでくれるなら最高にするけど、と言って、そういうことじゃないと思うと窘められたりもした。それでもひとまず今日は、カイが来たのでちょっとよい評価ということにしておいた。
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