緑を分けて

綿入しずる

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憂いと試み*

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「ご指名ありがと」
 売春宿の一室、立派に風呂もついた部屋の寝台の上。緩く巻いた赤茶色の髪を垂らした胸元露わな女がランプの横で微笑む。
 座る腿を撫でてくる手に手を重ねて止めて、セヴランは彼女の目を見た。不慣れで緊張している、というわけではない。此処は常連だ。今更娼婦相手に恥じらうような男ではなかった。ただ、お願いがある、という姿勢をとる。
「今日は実は――ツェツィちゃんは尻のほうもイケるよって聞いて……」
「ええ? そっち準備してないんだけど」
 それは彼女の同僚から聞き知った話で――そこにセヴランが食いついたので、気に入っていたゲルダちゃんのほうには結構引かれた――急な要望にツェツィと呼ばれた彼女、手慣れた娼婦ツェツィーリアは困って肩を竦めた。
 が、セヴランとしては望むところだった。そもそも今日は、あまり好みの顔ではないこの娼婦を抱きに来たわけではなかった。ましてや尻のほうにはセヴランは興味はない。興味は。目的は、まさしくそこにあったが。
 要は、尻の使い方を知りたいのである。その為のご指名だった。
「あいや、その準備のほうに用があって……」
「ああー……」
 言えば、納得の声が上がる。彼女も素人ではない。変態趣味には多少の理解がある。そっちも使える、と売りにしている以上はよく持ちかけられる話でもあった。
「話だけでも聞けないかと思ったんだけど……」
「んんー?」
 しかしこんな場でやけに切実な調子になったのに、首が傾がれる。いよいよ窮して、セヴランは両手でもって娼婦の手を握った。完全に懇願の姿勢である。
「――実は彼女がやりたがってて、それでほら俺も! 気構え……余裕を見せたいというか、ほら! そんな感じで!」
「えぇー?」
 嘘はあまりついていないが。背に腹は代えられぬと声を大きくしながらも自分がされる側だとはバレたくない、最後の一線で抵抗し誤魔化す男に、ツェツィーリアはもう一度可愛い子ぶった声を上げて、それでわたしのところ来るなんてサイテー、という罵倒を飲み込んだ。
「こんなこと頼れる人他に居なくて」
「まあそりゃそうね……」
 納得はした。サイテーだが、分かる。最低だが最適解ではある。家族も友人も頼れないタイプの悩みだった。そうでなくともセヴランには悩みを相談するような相手はほぼ居ないが、さておき。
 ツェツィーリアはすっかり気弱に見えてきた客を確かめて、数度適当に頷いた。折角よい部屋に入ったのだし、追い出すのも、新しい客を探すのも骨が折れる。それなら相手をしたほうが金になってよい。できることできないことの線引きは大事な仕事だったが、今日のこれはできる内だった。
「わかった、いいわよ、じゃあまずお風呂ね」
 笑いなおして言った彼女が、セヴランには女神に見えた。
 それからやったことと言えば、とてもそんな形容とは似つかぬ行為だったけれど。――どうにか気を保ってセヴランは彼女の手解きを受けた。自分が何をすべきか、そこをどう使うのか、実に具体的に娼婦の体を通して目の当たりにした。
 ついでに一発しておく? と聞かれもしたがその日はついぞ勃たなかった。それより自分の心中のほうを奮い立たせるほうが大事だった。そこからが本番だった。

 事の発端は二日前の火曜日である。セヴランの彼女――ことカイが、いつもの採取の後、少々改まった雰囲気で言ったのだ。
「週末――土曜日、会えないか。夜……もっと早くから空いてるんだが。休みだから」
 見つめ合って、食事だとか、飲もうとか、そういう言い方をしないで。セヴランも察し、確認と揶揄いの間で首を傾いだ。
「……二回目?」
 青い目は逸れなかった。緊張に身を固くしながらもひとつ、はっきりと頷く。そうして後はセヴランの許しを待っている。
 ――かわいいな。
 当然真っ先に、セヴランは以前のやりとりを思い出していたが――同時にカイの懸命さをそう感じたので、また年上らしく余裕ぶりたくなってしまったのだった。土曜日までまだ暫し、前より時間がある、と考えたのもある。今度は何をするのか分かっているのだから、万全にして迎えられる気でいた。そのときは。
「うん――いいとも。楽しみにしてるから」
 そう言って額にキスしてやり、ついでに頭を撫でると気恥ずかしそうにするのがまた可愛かった。ご機嫌なままにお喋りをして見送った。カイは木曜は休みだと聞いているから次に来るのはデニスのほうで、庭の様子がいつもどおりならば数日会えないことになるのだと思っても、約束があるなら不満ではなかった。鼻歌まじりに使ったティーセットを片付けて部屋に戻った。
 ――しかし時間が経ち落ち着いてくるほどに最大の課題は意識を占めてくる。ベッドの上、残されていた潤滑剤やサックを並べてセヴランは一人で懊悩した。これらの使い方自体は勿論知っていた。彼のほうはそれなりに女を抱いた経験がある。が――受け身となると話は別だ。まったく知識も経験もない。前回カイが触れるだけで済ませてくれたので、完全に処女のままだった。
 しかしああ言ってしまったし、セヴランだって、ヤりたい。期待に応えたい。少しはよいところを見せたい。カイに求められるのは滅茶苦茶に気分がよい。童貞を奪ってやりたい。抱かれたい。欲ばかりは募った。
 ――でも尻ってマジで入るわけ? 簡単に入る?
 そうして顔を覆い唸って、閃いたのだ。こういうときは、慣れた人に話を聞こう。それしかない。つまり娼婦だ。彼女らは金さえ出せば親身になってもくれるし名案じゃないか。男同士のことなど誰に聞いたらいいか知れないが、尻の穴なら女にもあるわけで。
 ということで、彼は娼館へと繰り出したのであった。

 結果、色々分かった。確かにツェツィちゃんの尻はいける具合と見えた。尻ってこうなるんだ、というのを見せてもらった。使う前の洗い方や、女のそこと違って尻は勝手には濡れないものだからたっぷり潤す下準備が要るということも分かった。大変な収穫だった。金を払って恥を捨てた甲斐はあった。
 それでまた、自分の部屋で一人、セヴランは潤滑剤のチューブを握りしめている。
 洗うところまではどうにか見様見真似でやりおおせ――もうそれだけでくたびれて正直気持ちは萎えていたが、それでも、週末会いたいと言ったカイの顔を思い出せばちょっと持ち直した。俺も会いたい、と普段一日おきに会っている為に数日顔を見ないだけで随分恋しい男を思い浮かべ、彼が触れたときの熱や性欲の籠った眼差しの記憶も辿って、ええいともう一度思い切る。ベッドの上で寝転がり、軟膏で濡らした指をそこに突っ込んでみた。
「っう……ぁ」
 情けない声が出て身が竦む。案外、入る。怯えていた痛みなどはなかった。ただ、たかが指一本の圧迫感がとんでもなかった。
 呼吸を整え、そろそろと押し進めて。駄目だ、となって引き抜くときも酷い違和感があった。
 ――頑張ったからもうよくない?
 すぐにそう音を上げ――かけて、それでも再び、数度は繰り返し、やってみた。入れては、抜く。入れては、抜く。一応は入る場所であることを確かめるようにそれだけ。まったく気持ちよさはなかった。気分は段々落ちていく。
「うう……」
 もう無理、と心がへなへなになるまでは頑張った。何度目かで手を投げ出して、枕に顔を埋める。尻の違和感、疲労感が凄い。ああなんか拭くものあったほうがいいな、と妙に冷静に思ったりもする。眉は下がりきっていた。半泣きだ。
 こんなことも好きになるとできちゃうものだなと思った。以前の自分なら絶対に男となど無理だった、尻を使うなどありえないと拒むだろうと思うのに、カイの為となればこんな風に頑張れもする。少し。もう、後はなるようになるんじゃないかと諦めてしまうのは生来の弱さと雑さだったが。
 濡れた指を何気なく、後ろの穴ではなく前に持っていく。握りこみ、揉んでいけばこっちは簡単に快感を拾って勃つ。ふん、と息を吐いて、目を閉じた。
 ――大きさは、同じくらいか。指はちょっと太いかも。
 竪琴弾きらしく指が長く指先の硬い自分の手と比しながら、扱き始める。
 ――いつも、薬塗ったりするときは落ち着いてるけど、扱くときは――ちょっと一生懸命で、激しかった。全然余裕なくて……自分でしてるときもそうなのかな。それとも俺に興奮してる?
 思い出し想像し、舐めた唇で、カイ、と名を辿る。呼べば向く碧眼を思い出して体が火照る。昂った物を夢中で擦った。
 半端に弄った尻のほうが絶頂と共に締まるのが、今日はよく分かった。その違和感を気にしながらも手の中に射精する。はあ、と吐いた息は次には溜息になった。
 指以上の物を受け入れられるか心配で、自分は全然気持ちよくなる気がしないのが正直なところだった。それを言えば――また無理だと言えばカイは留まって、挿れずに済ませてくれるだろうとも考えた。眉が寄る。
 それは嫌だった。カイはよくても、セヴランには我慢ならなかった。
 カイが優しいのは勿論嬉しいが、出したものを引っ込められたくない。向けられる好意は余すことなく全部欲しい。もっと、欲を向けていてほしい。
 その為には、これくらいの無理は乗り越えなければならなかった。
 ――……折角洗ったからもうちょっとやってみるか……
 土曜日までもう一日ある。まだ時間があるとも、待たなければならないとも言えた。どろりと汚した指を見遣って、セヴランはまた一つ息を吐いた。
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