44 / 47
後日談 ブローチはそこにある
しおりを挟む
セヴランの誕生日は九月六日だ。日付は出会う前から書類で知っていたカイだったが、祝うのは今回が初めてだった。親しくなったばかりの去年は二人ともが意識をしないうちに日が過ぎていて、セヴランが何かと強請ることもなかったのだ。
今年はまず先にカイの誕生日を祝っていた。六月九日、奇しくも揃いの数字の日――当日は家族と過ごすことになったのでセヴランとは後日となったが、上等の酒で乾杯をした。
そのときカイは祝われると共に、俺の誕生日も忘れるなよと念押しされていた。はいはいと笑って頷いた。友人と記念日を大切にする性分の彼が忘れるわけがなかった。およそ三カ月、折に触れ意識していた。
半休を取り、やはり普段飲みつける物より上等のワインを用意して、気合いを入れて塊肉の煮込みを作った。外食にはせずいつものようにセヴランの自宅で過ごすことにしたのは、セヴランがカイの手料理を望んだのと――そのほうが気兼ねないからだ。人目が無ければ手も重ねられるし、その先だって遠慮しなくてよい。そういう時間を二人は求めていた。
手間をかけた煮込み料理は上々の出来栄え、大満足で食事を終え、さらにワインを注ぎ足したところでカイは少し緊張した顔をして箱を取り出した。落ち着いた緑色のリボンのかかったそれをそっと卓上、セヴランの前に置く。
小さな黒い箱、宝飾品の予感――特別感にセヴランは開ける前から高揚した。
「なに、くれるの」
「もしかしたら似たようなのを持っているかもしれないが」
先回りして呟く声を耳に入れながらいそいそとリボンを解いた。僅かだけ勿体つけて、すぐ堪えきれずに箱を開く。
きらりと姿を現したのは銀のブローチだ。モチーフは一房の葡萄、細かな作りで特徴的な果実や葉の形が表現されている。曲線を描く蔓も優美に洒落ていた。
一目で気に入り箱から取り出すと、ランプの灯りが照らして銀は一層上品な輝きを帯びた。
「なんで葡萄にしたの? 生えるから?」
セヴランの反応にほっとしていたカイは、問いかけには準備していたように答えた。
「店に置いてるのが目に留まって。ブローチなら貴方は衣装に着けるし……それに瞳の色が葡萄のようだから、かな」
「ああ、目の色。そう、……ふふ。ん、気に入った」
セヴランの外見はおよそ父似だが目だけは違った。だから特に目を褒められるとき、本当に自分だけを褒めてもらっている感じがして彼は気をよくした。葡萄の喩えも幼い頃に母が口にした覚えがあり、今、カイが同じように瞳をよく見て連想したのが知れて嬉しかった。
暫らく、普段着のシャツの上に宛がってみてその目を細めていたが、やがて思い立ってカイの手を取り押しつける。
「着替えるからさ、着けてよ」
「勿論」
上機嫌に請われて、カイも快く応じた。ブローチを見つけたときからずっと、セヴランが身に着けるところを見たかったのだ。
楽器を構えるとき引っ掛からないよう竪琴弾きのブローチは右胸に着ける。――そうしてしっとりと黒い上質な布地のベストの上に留めたのが、一月ほど前のことである。
「セヴラン!」
「ごめんちょっと寝るつもりでそのまま寝ちゃってぇ……」
その朝、同じように楽師として気飾ったセヴランはカイに開口一番叱られていた。庭の発現が見越される園丁官の訪問日であるにも関わらず、前夜自宅に帰らず出先で寝落ちていたからだ。
初めてのことではない。馴染みの酒場だと気が緩んで、寝かせてくれるのに甘えてしまう。店主ももうただの朝帰りでは済まずこういうことになると分かっていて叩き起こすのだが、昨夜は気づいたときには度が過ぎていて、帰そうものなら道端で寝入るだろう有様だったのでやむなくだった。
人間はそんな調子だが、庭はますます美しかった。頭から胸へと垂れ下がる葡萄の蔓葉は今日も見事なもので、瑞々しい果実が一房下がってもいた。まさにセヴランの瞳によく似た白葡萄である。
「今日は次もあるんだよ、時間ないのに……」
「靴屋の坊ちゃんとこでしょ。遅れても分かってくれるって」
「勝手を抜かすな!」
憤慨にも怯まず、知った靴屋の子に親しげな減らず口を叩くのでカイの叱る声が大きくなる。叱りながらもほとんど止まらず採取の準備は進めていくのだから彼ももうかなりの熟練度と言えた。先に果実を包んで保護し、それから常の手順で葉や蔓の状態を確認して根元を探す。これが頭髪と絡むことも多い上、標本が立派なセヴランだと一苦労だ。当の本人はまだ寝足りない顔で頬杖ついて身を任せるばかりだが。
「……セヴラン、」
「あー、ねえ喉乾いた。ちょっと水飲まして」
「今忙しいところだよ!」
「悪かったってえ」
――そうして忙しなく採取を完了させて、その後の確認をカイは今日後回しにした。時間までに靴屋の坊ちゃんことフリッツ少年の家を訪問してくるので、その間にセヴランも家に帰っているようにと言いつける。
カイに半ば引っ張り出され、酒場の主人もさっさと出ていけという顔しかしていなかったので、セヴランは大人しく家に帰った。当たり前の一人なのに誰も居ない静けさに感じられて少し不満だ。カイとゆっくり話す暇を逸したのは完全な自業自得だが、反省はしていない。
しかし仕方ない、来るまでは寝て待つかと考え階段を上がりながら服を脱ぎ始めて、ふと、胸元に手を当てた。手応えのなさに一気に青褪める。
「っえ、うそ……」
気づいた瞬間帰ってきたばかりの道を引き返していた。さっき歩いた倍の速さで戻り、酒場の扉を開けようとして今は朝なことを思い出しその裏手に回る。無遠慮に急かすノックをして呼びかけた。
「ロルフさん店開けて! 早く!」
セヴランたちが帰ってやっと落ち着いた店主の自宅である。寛ぎ始めていたところに水を差した早朝以上の騒々しさに、足音踏み鳴らして彼は出てきた。
「お前は朝から騒がしたと思ったら夜までもたねえのか! 次はなんだよ!」
「ブローチ見てない⁉ 昨日着けてた葡萄のやつ!」
怒鳴っても、セヴランが勝る大声で言えば顰め面は微妙に変化した。ブローチの形までは覚えがないが、装飾品が見当たらなくてこの焦り様。セヴランのことなら、彼にとっても親しい友人であった女楽師の――母の形見の品ではないかと思ったのだ。
店主は怒る気を無くして店の鍵を開けた。一秒も落ち着かず一晩過ごした寝台を確かめに行く背を横目に、彼はカウンターを確かめる。
「ああ無い、嘘だろ、あってくれよ、どっかに……」
セヴランはベッドの上から下まで、這いつくばって探した。泥酔した客を寝かせる狭い部屋中探っても光る物は見当たらない。その後店内で同じように、すべてのテーブルも回って確かめたが出てこなかった。先に見ていた店主も首を振った。
「見たけどないな。……出てきたら持っていってやる。あの兄ちゃんにも見てないか聞いておきな」
「ああ――……カイになんて言おう」
慰めはセヴランの絶望をさらに深めた。店主が思い込んでいるように母の形見だったなら、セヴランは迷わずそうしただろう。カイや、昨日共に居た客に、彼らの迷惑も考えず聞きに回っただろう。だがあのブローチは。
カイにだけは訊けなかった。
セヴランは肩を落として再び家に帰った。その道でもブローチが落ちていないものかとうろうろと探してみたが、何処にもない。そうするうちにカイがやってきそうな時間が迫り、家に不在だと知られればブローチを失くしたのも続けて明るみに出るやもと思えば諦めて帰るしかなかった。
カイにバレたくなかった。大切な贈り物を不注意に失くしたと失望されるのは恐ろしい。傷つくカイは見たくない。
――同じのを探して買う? 見つかるか? そうしたらバレない?
そこまで考えて、セヴランはもっと泣きそうになった。バレたくないが、バレなかったところでどうだろう。安心には程遠く悲しいのが今から分かりきっていた。同じ品を手に入れたところで、それはセヴランが貰ったブローチではないのだ。
あんなに嬉しかったのに。一月前の喜びや、仕事前の身支度で胸を飾ったときの高揚感を思い出して、その落差に、セヴランは打ちひしがれた。
「園丁官です、開けてください」
彼が居間で座り込んで十分も経ったか、落ち着けないうちにノックと声がした。外向きに畏まった口上だ。
開けないわけにはいかなかった。ほんの二三時間ぶりの再会にセヴランは恐る恐る扉を開いたが、カイのほうは常どおりだった。酒場で会ったときの苛立ちも凪いでいる。
「どうだ、また生えたりしてないか――」
「うん、それは平気、」
「……もしかして体調悪いか?」
顔を合わせて、先程鋏を入れた頭の横を窺いながら問い、眉を寄せる。すぐ見抜かれてしまってセヴランは窮する。視線が逃げた。いわゆる体調不良ではないが、具合はすこぶる悪い。だがそう言って甘えるのも今は憚られた。
「ああいや……平気、二日酔いかも」
「随分飲んだらしいからな。――店の方にも謝っておいてくれ、ちゃんと礼を言いそびれた気がする」
覇気のない応答に、今頃ばつが悪くなったのかと思ってカイは呆れ顔だ。家の中へとセヴランを押し込み、朝より丁寧ないつもの所作で重い鞄を置く。すぐに開いて漁り始めた。
言うか言うまいか。言えない。
思い悩んで一点を見つめるセヴランの唇が開く。何か言おうとした。場凌ぎに何か適当なことを。
「――ほら、先に返しとく」
だが先に声を発したのはカイだった。まったく、なんてこともないように軽く言いながら、持ち主の性格を表すように清潔で皺のないハンカチを差し出した。見遣ったセヴランは直後ぽかんとした。ずっと探し回っていた葡萄のブローチがハンカチの上で上品に澄ましている。
「……もってたの?」
セヴランの吐息が震え、強張っていた体から力が抜けた。倒れ込みそうなほどだった。
「言っただろ蔓に引っかかってるから外すって」
「聞いてないよ! 言ってない!」
「いや――まさか探してたのか?」
カイの言葉に声が裏返る。実際のところは、言おうとしたところでセヴランが煩くしたので飛んでしまっていたのだが。あの忙しない現場の記憶にはカイも自信が無くなってくる。
「探してた! ……っあー……なんだ、よかったぁ……」
しかし責めるより歓声に近く言い、セヴランはブローチを持ち上げた。僅かな重みが確かに手に乗る。
紛れもなく、買いなおした似た品などではなくて、誕生日祝いに貰ったそのものだ。探していたブローチだ。此処にある。白葡萄色の瞳が潤んでその輝きを映した。
「……それはなんだ、悪いことしたな……ごめん」
カイは眉を下げて小さく呟く。元はといえばセヴランが喧しかったのが、そもそも酒場であんな風に慌ただしく採取をすることになったのが原因では、とちょっともごもごと言いたげにもしたが。作業中大事なことが伝わっていなかったならそれはカイのミスでもあるし、安堵したセヴランが疲れ果てていて泣きそうで、最初に渡したときよりもっと大事そうにブローチに触れたので結局飲み込んでしまった。
外したときだって、セヴランがこれを着けていることに気づいて大分怒りの勢いを削がれた甘い男なので、説教はもう形を成さず流れていく。
ブローチから顔を上げ、全然怒らないカイも見つめて、セヴランはブローチを握りしめ凭れかかるように抱きついた。
「もー驚かせんなよ馬鹿……」
零し、また大きく息を吐いて。合わせてぐーっと身を押しつけ、続ける。
「これはホントに大事にするから。……もうあっちで寝落ちたりしないし着替えて寝る」
「それは本当に気をつけてくれ」
心底の言葉とついでの宣言に、カイは呆れながらもその背を擦った。
懲りたようでいて数カ月後にはまた酒場での寝起きを繰り返すセヴランだったが。酔っ払いの意識でも服だけは必ず脱ぐようになったので、ブローチを気遣っているのは確かだった。
葡萄のブローチは頻繁にその胸を飾り、出番待ちには宝石箱の中央に置かれ、よく磨かれている。
今年はまず先にカイの誕生日を祝っていた。六月九日、奇しくも揃いの数字の日――当日は家族と過ごすことになったのでセヴランとは後日となったが、上等の酒で乾杯をした。
そのときカイは祝われると共に、俺の誕生日も忘れるなよと念押しされていた。はいはいと笑って頷いた。友人と記念日を大切にする性分の彼が忘れるわけがなかった。およそ三カ月、折に触れ意識していた。
半休を取り、やはり普段飲みつける物より上等のワインを用意して、気合いを入れて塊肉の煮込みを作った。外食にはせずいつものようにセヴランの自宅で過ごすことにしたのは、セヴランがカイの手料理を望んだのと――そのほうが気兼ねないからだ。人目が無ければ手も重ねられるし、その先だって遠慮しなくてよい。そういう時間を二人は求めていた。
手間をかけた煮込み料理は上々の出来栄え、大満足で食事を終え、さらにワインを注ぎ足したところでカイは少し緊張した顔をして箱を取り出した。落ち着いた緑色のリボンのかかったそれをそっと卓上、セヴランの前に置く。
小さな黒い箱、宝飾品の予感――特別感にセヴランは開ける前から高揚した。
「なに、くれるの」
「もしかしたら似たようなのを持っているかもしれないが」
先回りして呟く声を耳に入れながらいそいそとリボンを解いた。僅かだけ勿体つけて、すぐ堪えきれずに箱を開く。
きらりと姿を現したのは銀のブローチだ。モチーフは一房の葡萄、細かな作りで特徴的な果実や葉の形が表現されている。曲線を描く蔓も優美に洒落ていた。
一目で気に入り箱から取り出すと、ランプの灯りが照らして銀は一層上品な輝きを帯びた。
「なんで葡萄にしたの? 生えるから?」
セヴランの反応にほっとしていたカイは、問いかけには準備していたように答えた。
「店に置いてるのが目に留まって。ブローチなら貴方は衣装に着けるし……それに瞳の色が葡萄のようだから、かな」
「ああ、目の色。そう、……ふふ。ん、気に入った」
セヴランの外見はおよそ父似だが目だけは違った。だから特に目を褒められるとき、本当に自分だけを褒めてもらっている感じがして彼は気をよくした。葡萄の喩えも幼い頃に母が口にした覚えがあり、今、カイが同じように瞳をよく見て連想したのが知れて嬉しかった。
暫らく、普段着のシャツの上に宛がってみてその目を細めていたが、やがて思い立ってカイの手を取り押しつける。
「着替えるからさ、着けてよ」
「勿論」
上機嫌に請われて、カイも快く応じた。ブローチを見つけたときからずっと、セヴランが身に着けるところを見たかったのだ。
楽器を構えるとき引っ掛からないよう竪琴弾きのブローチは右胸に着ける。――そうしてしっとりと黒い上質な布地のベストの上に留めたのが、一月ほど前のことである。
「セヴラン!」
「ごめんちょっと寝るつもりでそのまま寝ちゃってぇ……」
その朝、同じように楽師として気飾ったセヴランはカイに開口一番叱られていた。庭の発現が見越される園丁官の訪問日であるにも関わらず、前夜自宅に帰らず出先で寝落ちていたからだ。
初めてのことではない。馴染みの酒場だと気が緩んで、寝かせてくれるのに甘えてしまう。店主ももうただの朝帰りでは済まずこういうことになると分かっていて叩き起こすのだが、昨夜は気づいたときには度が過ぎていて、帰そうものなら道端で寝入るだろう有様だったのでやむなくだった。
人間はそんな調子だが、庭はますます美しかった。頭から胸へと垂れ下がる葡萄の蔓葉は今日も見事なもので、瑞々しい果実が一房下がってもいた。まさにセヴランの瞳によく似た白葡萄である。
「今日は次もあるんだよ、時間ないのに……」
「靴屋の坊ちゃんとこでしょ。遅れても分かってくれるって」
「勝手を抜かすな!」
憤慨にも怯まず、知った靴屋の子に親しげな減らず口を叩くのでカイの叱る声が大きくなる。叱りながらもほとんど止まらず採取の準備は進めていくのだから彼ももうかなりの熟練度と言えた。先に果実を包んで保護し、それから常の手順で葉や蔓の状態を確認して根元を探す。これが頭髪と絡むことも多い上、標本が立派なセヴランだと一苦労だ。当の本人はまだ寝足りない顔で頬杖ついて身を任せるばかりだが。
「……セヴラン、」
「あー、ねえ喉乾いた。ちょっと水飲まして」
「今忙しいところだよ!」
「悪かったってえ」
――そうして忙しなく採取を完了させて、その後の確認をカイは今日後回しにした。時間までに靴屋の坊ちゃんことフリッツ少年の家を訪問してくるので、その間にセヴランも家に帰っているようにと言いつける。
カイに半ば引っ張り出され、酒場の主人もさっさと出ていけという顔しかしていなかったので、セヴランは大人しく家に帰った。当たり前の一人なのに誰も居ない静けさに感じられて少し不満だ。カイとゆっくり話す暇を逸したのは完全な自業自得だが、反省はしていない。
しかし仕方ない、来るまでは寝て待つかと考え階段を上がりながら服を脱ぎ始めて、ふと、胸元に手を当てた。手応えのなさに一気に青褪める。
「っえ、うそ……」
気づいた瞬間帰ってきたばかりの道を引き返していた。さっき歩いた倍の速さで戻り、酒場の扉を開けようとして今は朝なことを思い出しその裏手に回る。無遠慮に急かすノックをして呼びかけた。
「ロルフさん店開けて! 早く!」
セヴランたちが帰ってやっと落ち着いた店主の自宅である。寛ぎ始めていたところに水を差した早朝以上の騒々しさに、足音踏み鳴らして彼は出てきた。
「お前は朝から騒がしたと思ったら夜までもたねえのか! 次はなんだよ!」
「ブローチ見てない⁉ 昨日着けてた葡萄のやつ!」
怒鳴っても、セヴランが勝る大声で言えば顰め面は微妙に変化した。ブローチの形までは覚えがないが、装飾品が見当たらなくてこの焦り様。セヴランのことなら、彼にとっても親しい友人であった女楽師の――母の形見の品ではないかと思ったのだ。
店主は怒る気を無くして店の鍵を開けた。一秒も落ち着かず一晩過ごした寝台を確かめに行く背を横目に、彼はカウンターを確かめる。
「ああ無い、嘘だろ、あってくれよ、どっかに……」
セヴランはベッドの上から下まで、這いつくばって探した。泥酔した客を寝かせる狭い部屋中探っても光る物は見当たらない。その後店内で同じように、すべてのテーブルも回って確かめたが出てこなかった。先に見ていた店主も首を振った。
「見たけどないな。……出てきたら持っていってやる。あの兄ちゃんにも見てないか聞いておきな」
「ああ――……カイになんて言おう」
慰めはセヴランの絶望をさらに深めた。店主が思い込んでいるように母の形見だったなら、セヴランは迷わずそうしただろう。カイや、昨日共に居た客に、彼らの迷惑も考えず聞きに回っただろう。だがあのブローチは。
カイにだけは訊けなかった。
セヴランは肩を落として再び家に帰った。その道でもブローチが落ちていないものかとうろうろと探してみたが、何処にもない。そうするうちにカイがやってきそうな時間が迫り、家に不在だと知られればブローチを失くしたのも続けて明るみに出るやもと思えば諦めて帰るしかなかった。
カイにバレたくなかった。大切な贈り物を不注意に失くしたと失望されるのは恐ろしい。傷つくカイは見たくない。
――同じのを探して買う? 見つかるか? そうしたらバレない?
そこまで考えて、セヴランはもっと泣きそうになった。バレたくないが、バレなかったところでどうだろう。安心には程遠く悲しいのが今から分かりきっていた。同じ品を手に入れたところで、それはセヴランが貰ったブローチではないのだ。
あんなに嬉しかったのに。一月前の喜びや、仕事前の身支度で胸を飾ったときの高揚感を思い出して、その落差に、セヴランは打ちひしがれた。
「園丁官です、開けてください」
彼が居間で座り込んで十分も経ったか、落ち着けないうちにノックと声がした。外向きに畏まった口上だ。
開けないわけにはいかなかった。ほんの二三時間ぶりの再会にセヴランは恐る恐る扉を開いたが、カイのほうは常どおりだった。酒場で会ったときの苛立ちも凪いでいる。
「どうだ、また生えたりしてないか――」
「うん、それは平気、」
「……もしかして体調悪いか?」
顔を合わせて、先程鋏を入れた頭の横を窺いながら問い、眉を寄せる。すぐ見抜かれてしまってセヴランは窮する。視線が逃げた。いわゆる体調不良ではないが、具合はすこぶる悪い。だがそう言って甘えるのも今は憚られた。
「ああいや……平気、二日酔いかも」
「随分飲んだらしいからな。――店の方にも謝っておいてくれ、ちゃんと礼を言いそびれた気がする」
覇気のない応答に、今頃ばつが悪くなったのかと思ってカイは呆れ顔だ。家の中へとセヴランを押し込み、朝より丁寧ないつもの所作で重い鞄を置く。すぐに開いて漁り始めた。
言うか言うまいか。言えない。
思い悩んで一点を見つめるセヴランの唇が開く。何か言おうとした。場凌ぎに何か適当なことを。
「――ほら、先に返しとく」
だが先に声を発したのはカイだった。まったく、なんてこともないように軽く言いながら、持ち主の性格を表すように清潔で皺のないハンカチを差し出した。見遣ったセヴランは直後ぽかんとした。ずっと探し回っていた葡萄のブローチがハンカチの上で上品に澄ましている。
「……もってたの?」
セヴランの吐息が震え、強張っていた体から力が抜けた。倒れ込みそうなほどだった。
「言っただろ蔓に引っかかってるから外すって」
「聞いてないよ! 言ってない!」
「いや――まさか探してたのか?」
カイの言葉に声が裏返る。実際のところは、言おうとしたところでセヴランが煩くしたので飛んでしまっていたのだが。あの忙しない現場の記憶にはカイも自信が無くなってくる。
「探してた! ……っあー……なんだ、よかったぁ……」
しかし責めるより歓声に近く言い、セヴランはブローチを持ち上げた。僅かな重みが確かに手に乗る。
紛れもなく、買いなおした似た品などではなくて、誕生日祝いに貰ったそのものだ。探していたブローチだ。此処にある。白葡萄色の瞳が潤んでその輝きを映した。
「……それはなんだ、悪いことしたな……ごめん」
カイは眉を下げて小さく呟く。元はといえばセヴランが喧しかったのが、そもそも酒場であんな風に慌ただしく採取をすることになったのが原因では、とちょっともごもごと言いたげにもしたが。作業中大事なことが伝わっていなかったならそれはカイのミスでもあるし、安堵したセヴランが疲れ果てていて泣きそうで、最初に渡したときよりもっと大事そうにブローチに触れたので結局飲み込んでしまった。
外したときだって、セヴランがこれを着けていることに気づいて大分怒りの勢いを削がれた甘い男なので、説教はもう形を成さず流れていく。
ブローチから顔を上げ、全然怒らないカイも見つめて、セヴランはブローチを握りしめ凭れかかるように抱きついた。
「もー驚かせんなよ馬鹿……」
零し、また大きく息を吐いて。合わせてぐーっと身を押しつけ、続ける。
「これはホントに大事にするから。……もうあっちで寝落ちたりしないし着替えて寝る」
「それは本当に気をつけてくれ」
心底の言葉とついでの宣言に、カイは呆れながらもその背を擦った。
懲りたようでいて数カ月後にはまた酒場での寝起きを繰り返すセヴランだったが。酔っ払いの意識でも服だけは必ず脱ぐようになったので、ブローチを気遣っているのは確かだった。
葡萄のブローチは頻繁にその胸を飾り、出番待ちには宝石箱の中央に置かれ、よく磨かれている。
10
あなたにおすすめの小説
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。
これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。
無自覚両片想いの勇者×親友。
読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる