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劉備、関羽、張飛の最期
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前世の記憶どおりに歴史が進むとすれば、私は十七歳のときに、帝位につくことになる。
そのときには、劉備、関羽、張飛は亡くなっている。
蜀軍の最強の時期は終わっているのだ。
その後、私は祭祀に注力し、諸葛亮に政治と軍事を一任する。
彼は五回に渡る北伐を敢行するが、いずれも失敗する。
この流れを繰り返してはいけない。
どこかで歴史を変えなければならないのだ。
前世の記憶を探ってみる。
建安十六年、益州刺史の劉璋が、同州漢中郡を支配している張魯を駆逐してほしい、と劉備に要請してくる。
使者の法正は、秘かに劉璋を見限っている。彼は天下をうかがえるのは劉備だと見て、益州を奪うよう暗に伝える。
諸葛亮、関羽、張飛らを荊州に残し、劉備は龐統、黄忠と二万の兵を率いて、益州に入る。
劉璋は劉備を迎え、宴会を開く。
龐統は宴の最中に劉璋を殺すよう陰謀をささやくが、劉備は暗殺を嫌い、採用しない。
劉璋から貸し与えられた兵一万を加え、三万の兵とともに漢中郡へ向かう。
だが、劉備の真の狙いは益州全土である。
彼は反転し、益州の首府成都へ向かって進撃を開始する。
途中まではうまく行軍できたが、劉循、張任が守る雒城を落とせず、一年間もの長きに渡る包囲戦を強いられた。
建安十七年、劉備は諸葛亮に援軍を要請する。
諸葛亮は張飛、趙雲、魏延と二万の兵を率いて進軍する。荊州の留守は、関羽が預かることになった。
このとき龐統は、劉備が自分を軍師の座から降ろし、諸葛亮に交代させるつもりなのではないかと推測する。龐統は雒城陥落を焦って陣頭指揮に立ち、矢に討たれて戦死する。
その後、援軍が到着した劉備軍の総攻撃によって、雒城も成都も落ち、劉璋は降伏した。
戦争に犠牲者は付き物だ。しかし、龐統の死はいかにも惜しかった、と私は思う。
すぐれた行政の手腕を持つ諸葛亮と龐統のふたりがいれば、蜀の内治と外征の両立は、よりたやすくなっていたであろう。
益州と荊州の二州を領有したこのときが、劉備軍の絶頂期であった。
人材ももっとも豊富になった時期である。劉備は諸葛亮、関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠、魏延、法正、許靖、 糜竺、孫乾、簡雍、伊籍、董和、劉巴、馬良、陳震、劉封、孟達、彭羕、李厳、劉琰、蔣琬、費禕、黄権らを従えていた。
これほどの群臣が揃っていれば、龐統の死などさして大きな損失ではない、と言う人がいるかもしれない。
しかし、魏には荀彧、郭嘉、賈詡、司馬懿、鄧艾といった巨才がいて、なにより曹操自身が三国時代最高の智将であった。
魏の巨人たちに匹敵する蜀の巨才は、やはり諸葛亮と龐統であろう。
龐統を失っていたために、劉備の死後、諸葛亮はひとりで内政と外征の両方をになわなければならず、その双肩に重圧がのしかかった。失敗を怖れて用兵に大胆さがなくなったきらいがあり、北伐を成功させることができなかった。
諸葛亮は、あるいは軍事の天才であったかもしれない魏延を活用しなかった。魏軍の意表をつけたであろう長安急襲作戦案を退けた。
第一次北伐の先鋒に、漢中郡の地理に詳しい魏延を使わず、目をかけていた馬謖を起用した。彼は街亭の戦いで魏軍に惨敗した。諸葛亮は綱紀粛正のため、泣いて馬謖を斬った。しかし、この敗戦の責任は、馬謖を重用しすぎた諸葛亮にあったと言えなくもない。
孔明が内政に専念し、魏延が外征の将帥になっていたら、どうなったであろうか。
また、荊州を保持して、その統治の実務を諸葛亮が、益州の政務を龐統がになっていたら、三国時代の様相は相当に変わっていたのではないか、と私は想像しないではいられないのである。
さて、劉備が益州蜀郡の成都を落とし、論功行賞を実施したとき、荊州を守っていた関羽には、董督荊州事を授けた。これによって関羽は、荊州軍を動かす権限を得た。
建安二十四年、関羽は荊州公安城から北伐の軍旅に出た。魏の拠点である樊城を守る曹仁を攻撃し、その救援にかけつけた于禁が率いる軍とも戦った。于禁軍三万を降伏させたのは、関羽の功績である。彼は荊州北方で善戦した。
しかしこのとき、荊州南部を呉の呂蒙軍が襲い、重要拠点である江安と江陵を奪われてしまう。
関羽は呉軍とも戦わなければならなくなり、呂蒙に敗れて戦死するのである。
義兄弟である関羽を殺されて、劉備は復讐に囚われる。
魏と対抗するためには、耐えがたきを耐えて、呉と手を組まなければならないのに、それができなくなった。
劉備は章武元年、諸葛亮や趙雲らの諫言を押し切って南征し、呉軍と戦う。
夷陵の戦いと呼ばれるこの戦役にあたって、父は当然のごとく、張飛に出陣を命じた。彼は張り切って応じたが、戦いの準備期間中に、部下の張達と范彊に殺される。張飛は配下に厳しく、しばしば死刑や鞭打ちを行っていた。その恨みを晴らされてしまったのである。
張飛もあの世へ逝った。劉備はふたりの義兄弟を失って、失意のまま親征する。
夷陵の戦いの初期、蜀軍は呉軍を蹴散らしながら、軽快に進軍した。
しかし、劉備は呉軍を撃滅しないまま、陣営を停滞させ、章武二年まで無為にすごしてしまった。このあたり、父は手ぬるく、軍事の才は豊かではなかったとの批判をまぬがれないであろう。
呉将の陸遜は、夷陵で逆襲の火攻めを敢行し、劉備軍を大敗させた。
劉備は敗走し、白帝城に籠もった。そこで病に侵された。
章武三年、父は諸葛亮に遺言して後事を託し、逝去する。
同年、私が蜀漢の第二代皇帝として即位するのだが、荊州を失い、関羽、張飛、龐統を亡くしており、蜀軍は弱体化していた。
これと同じ歴史を繰り返せば、蜀が魏を討つことはできない。やがて滅ぼされてしまうのである。
そのときには、劉備、関羽、張飛は亡くなっている。
蜀軍の最強の時期は終わっているのだ。
その後、私は祭祀に注力し、諸葛亮に政治と軍事を一任する。
彼は五回に渡る北伐を敢行するが、いずれも失敗する。
この流れを繰り返してはいけない。
どこかで歴史を変えなければならないのだ。
前世の記憶を探ってみる。
建安十六年、益州刺史の劉璋が、同州漢中郡を支配している張魯を駆逐してほしい、と劉備に要請してくる。
使者の法正は、秘かに劉璋を見限っている。彼は天下をうかがえるのは劉備だと見て、益州を奪うよう暗に伝える。
諸葛亮、関羽、張飛らを荊州に残し、劉備は龐統、黄忠と二万の兵を率いて、益州に入る。
劉璋は劉備を迎え、宴会を開く。
龐統は宴の最中に劉璋を殺すよう陰謀をささやくが、劉備は暗殺を嫌い、採用しない。
劉璋から貸し与えられた兵一万を加え、三万の兵とともに漢中郡へ向かう。
だが、劉備の真の狙いは益州全土である。
彼は反転し、益州の首府成都へ向かって進撃を開始する。
途中まではうまく行軍できたが、劉循、張任が守る雒城を落とせず、一年間もの長きに渡る包囲戦を強いられた。
建安十七年、劉備は諸葛亮に援軍を要請する。
諸葛亮は張飛、趙雲、魏延と二万の兵を率いて進軍する。荊州の留守は、関羽が預かることになった。
このとき龐統は、劉備が自分を軍師の座から降ろし、諸葛亮に交代させるつもりなのではないかと推測する。龐統は雒城陥落を焦って陣頭指揮に立ち、矢に討たれて戦死する。
その後、援軍が到着した劉備軍の総攻撃によって、雒城も成都も落ち、劉璋は降伏した。
戦争に犠牲者は付き物だ。しかし、龐統の死はいかにも惜しかった、と私は思う。
すぐれた行政の手腕を持つ諸葛亮と龐統のふたりがいれば、蜀の内治と外征の両立は、よりたやすくなっていたであろう。
益州と荊州の二州を領有したこのときが、劉備軍の絶頂期であった。
人材ももっとも豊富になった時期である。劉備は諸葛亮、関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠、魏延、法正、許靖、 糜竺、孫乾、簡雍、伊籍、董和、劉巴、馬良、陳震、劉封、孟達、彭羕、李厳、劉琰、蔣琬、費禕、黄権らを従えていた。
これほどの群臣が揃っていれば、龐統の死などさして大きな損失ではない、と言う人がいるかもしれない。
しかし、魏には荀彧、郭嘉、賈詡、司馬懿、鄧艾といった巨才がいて、なにより曹操自身が三国時代最高の智将であった。
魏の巨人たちに匹敵する蜀の巨才は、やはり諸葛亮と龐統であろう。
龐統を失っていたために、劉備の死後、諸葛亮はひとりで内政と外征の両方をになわなければならず、その双肩に重圧がのしかかった。失敗を怖れて用兵に大胆さがなくなったきらいがあり、北伐を成功させることができなかった。
諸葛亮は、あるいは軍事の天才であったかもしれない魏延を活用しなかった。魏軍の意表をつけたであろう長安急襲作戦案を退けた。
第一次北伐の先鋒に、漢中郡の地理に詳しい魏延を使わず、目をかけていた馬謖を起用した。彼は街亭の戦いで魏軍に惨敗した。諸葛亮は綱紀粛正のため、泣いて馬謖を斬った。しかし、この敗戦の責任は、馬謖を重用しすぎた諸葛亮にあったと言えなくもない。
孔明が内政に専念し、魏延が外征の将帥になっていたら、どうなったであろうか。
また、荊州を保持して、その統治の実務を諸葛亮が、益州の政務を龐統がになっていたら、三国時代の様相は相当に変わっていたのではないか、と私は想像しないではいられないのである。
さて、劉備が益州蜀郡の成都を落とし、論功行賞を実施したとき、荊州を守っていた関羽には、董督荊州事を授けた。これによって関羽は、荊州軍を動かす権限を得た。
建安二十四年、関羽は荊州公安城から北伐の軍旅に出た。魏の拠点である樊城を守る曹仁を攻撃し、その救援にかけつけた于禁が率いる軍とも戦った。于禁軍三万を降伏させたのは、関羽の功績である。彼は荊州北方で善戦した。
しかしこのとき、荊州南部を呉の呂蒙軍が襲い、重要拠点である江安と江陵を奪われてしまう。
関羽は呉軍とも戦わなければならなくなり、呂蒙に敗れて戦死するのである。
義兄弟である関羽を殺されて、劉備は復讐に囚われる。
魏と対抗するためには、耐えがたきを耐えて、呉と手を組まなければならないのに、それができなくなった。
劉備は章武元年、諸葛亮や趙雲らの諫言を押し切って南征し、呉軍と戦う。
夷陵の戦いと呼ばれるこの戦役にあたって、父は当然のごとく、張飛に出陣を命じた。彼は張り切って応じたが、戦いの準備期間中に、部下の張達と范彊に殺される。張飛は配下に厳しく、しばしば死刑や鞭打ちを行っていた。その恨みを晴らされてしまったのである。
張飛もあの世へ逝った。劉備はふたりの義兄弟を失って、失意のまま親征する。
夷陵の戦いの初期、蜀軍は呉軍を蹴散らしながら、軽快に進軍した。
しかし、劉備は呉軍を撃滅しないまま、陣営を停滞させ、章武二年まで無為にすごしてしまった。このあたり、父は手ぬるく、軍事の才は豊かではなかったとの批判をまぬがれないであろう。
呉将の陸遜は、夷陵で逆襲の火攻めを敢行し、劉備軍を大敗させた。
劉備は敗走し、白帝城に籠もった。そこで病に侵された。
章武三年、父は諸葛亮に遺言して後事を託し、逝去する。
同年、私が蜀漢の第二代皇帝として即位するのだが、荊州を失い、関羽、張飛、龐統を亡くしており、蜀軍は弱体化していた。
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