月の塔

みらいつりびと

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月の塔のはじまり

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 西方でバベルの塔とやらを建設しているらしい。
 天をめざして建設されているそれは、建設中だという話だが、すでに失敗したとの噂もある。
 神の怒りを買って破壊されたとも、バランスを崩して倒壊したとも言われている。
 真偽のほどは、おれのような末端の肉体労働者にはわからない。
 おれのいる国の皇帝は、月の塔を建設している。
 天などというあるかないかもわからない抽象的なものではなく、月をめざして建設されている。
 三十年前に皇帝の命令で設計が始まり、二十年前から建設に着手された。
 敷地は広大だ。
 首都郊外の農地から三万人の農民を強制的に排除し、月の塔の基礎工事が始まった。
 巨大な円形の穴が掘られた。
 全国各地の巨木が二千本も切り倒され、月の塔の建設現場に運搬された。二千の底知れぬ穴が掘られ、巨木は杭として地中深く埋め込まれた。
 その杭の頭に合うようにくり抜かれた石材が塔の土台となった。
 そこに巨石が積まれていった。
 そこまでの工程をおれは父親から聞いた。
 高齢の父と交代して、おれは月の塔の建設作業員になった。
 毎日ひたすら巨石を運んでいる。
 最先端の建築技術が駆使されている。
 月の塔の周りには梃子とトロッコとレールがいくつも設置されていて、効率的に石が運べるようになっている。
 回転式クレーンが発明され、塔のあちらこちらに設置されて、石を積み上げるのに使われている。
 石材は主に武山と文山を切り崩して作られている。
 武山は標高二千メートルだったが、今や千メートルを切った。
 文山は標高千メートルだったが、標高二百メートルほどの丘になってしまった。
 その他の山からも石は運ばれてきている。
 月の塔は高さ八千メートルほどになっている。
 塔が低かった頃、クレーンは頂上にだけ設置されていたそうだ。高さが三百メートルになったとき、単独のクレーンではロープの長さが足りなくて、それ以上は持ちあげられなくなった。以後、三百メートルごとにクレーンが設置され、巨石を積みかえて、さらに上に運ぶようになった。
 おれは地上で働いているので頂上のようすを知らないが、怖ろしく過酷な環境らしい。
 空気が薄く、北の果てのように寒く、雪が積もっているそうだ。
 労働者は三日と持たず死んでいくらしい。
 死者は運び降ろされて、まとめて焼かれる。
 高度を上げるとこのような困難に行き当たることを皇帝も設計者も知らなかったそうだ。
 月はまだまだ遠い。
 月の塔は神の怒りを買っていないし、バランスも崩していないが、完成が危ぶまれている。
 毎日大勢の労働者が死んで遺族は泣くし、穴埋めの徴用がつづく。建設現場へ向かう人の表情は暗い。
 死者が十万人を超え、怨嗟の声が世に満ち、建設の続行は乱を呼び起こしかねない状況になった。
 皇帝と側近たちが対策を協議した。
 そしてついに、丞相が建設の中止を発表。
 全国各地から駆り集められていた数万人におよぶ労働者たちは解散した。
 おれも故郷へ帰るようにと親方から言われたのだが、残った。
 おれたちが建てていたものがどのようなものか見たかった。頂上から地上を見下ろしたかった。
 月の塔の階段を登った。
 塔の高度の半分ほどで、空気の薄さを実感するようになり、息が切れて、足の動きが鈍くなった。
 寒さも激しくなった。
 雪を見るようにもなった。
 寒さの対策はいちおうしていた。おれは背嚢から毛皮の服を取り出して着た。
 さらに階段を登り続けた。
 地上は遠く、首都の全貌が見渡せた。たいして大きくはないのだな、と思った。
 皇帝の居城も小さい。
 月の塔は遥かに大きく、高い。
 帝は月人と交易するために月の塔の建設を始めたそうだ。
 月人は不老長寿の薬を持っていると言われていた。
 だが、月の塔の建設事業は放棄された。帝は月人との交易をあきらめたのだ。
 高度六千メートルあたりで背嚢から水筒を出したとき、おれは愕然とした。
 水筒が凍っていて、水が飲めなかった。
 生き残りたければ、登頂をあきらめ帰還すべきだった。
 しかし、おれは登り続けた。
 一度あきらめたら、二度と登る気にはなれないだろう。
 死を覚悟して階段を登った。
 意識が朦朧としてきたが、足を動かし続けた。
 どうにか頂上にたどり着いた。
 雪と氷の世界に月人がいた。背中に羽が生えた若い女だった。
「よくこの高さまで建設しましたね」と月人が言った。
 彼女は一番高い石の上に座っていた。
 おれはその隣に座った。
「わたしは月の姫です。これをあげましょう。不老長寿の薬です」
 月人の女がひと粒の丸薬をくれた。
「これを飲むとどうなる?」
「三百年ぐらい生きられるようになりますよ。でも副作用で体がしぼんで、しわくちゃになって、猿みたいな外見になってしまうんですけど。わたしは飲んでいません」
「こんなものはいらん」
「では皇帝に差し上げては?」
「帝が猿になったら、おれは殺される」
 おれは丸薬を投げ捨てた。
 月人は立ち上がった。
「月に帰ります。あなたも早く地上へお帰りなさい。ここは人間が長くいられるところではありません」
 月の姫は羽を動かしてふわりと飛んだ。おれはその姿を目で追ったが、小さくなってやがて消えた。
 おれは地上を見下ろした。吹雪が見えるだけだった。
 なんとか生きて地上に戻った。
 故郷へ帰り、いまは米をつくって暮らしている。
 首都のあたりで地震が起こり、月の塔は倒壊したという噂を聞いた。
 西のバベルの塔が崩壊したのは確実だという話も聞いていた。
 東の月の塔も壊れた。
 どうやら人は生きて天や月に行くことはできないようだ。
 おれは地に足をつけて米をつくり、一生を終えるつもりだ。
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