空気より透明な私の比重

水鳴諒

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―― Chapter:Ⅰ ――

【003】昼休みのちょっとした冒険

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 また、昼休みになると、佳音はちょっとした冒険をすることがある。
 青戸学園高校高等部の第三校舎には、屋上が設置されている。一階に生物室や実験室が入る造りで、二階は全て空き教室だ。そこから通じる階段を上っていった先に、立ち入り禁止の屋上がある。鍵が壊れていることは、現在佳音は、自分以外には一人しか知らないと考えている。今日も佳音は、冒険をすることにした。

 錆び付いた音を立てて、屋上のドアを開ける。
 するとそこには、口に煙草を銜えてる三年生の榛名広美はるなひろみの姿があった。今年で在学期限が切れる留年生で、年齢は二十歳。法律では喫煙が許可されているが、校則では勿論禁止だ。ブリーチのしすぎで色の抜けた髪をしている榛名は、フェンスに手をかけたまま、佳音へと振り返った。

「来たんだ、七花」
「先輩、煙草……そんなに美味しいですか?」

 既に佳音が、煙草について諫めなくなって久しい。優等生としては止めるべきところだと理解しているが、何故なのか周囲と接点を持たない榛名のそばにいると、全てがどうでもよく感じられる。榛名は佳音がここに来ることを、誰にも言わないと、直感的に分かっているからだ。だからなのか、佳音は自然体でいることが出来る。

 榛名のそばにいる時、佳音の胸中の水面は平穏になり、心の中を満たしている社会性という名の水たまりは凪ぐ。その水たまりは、心が輪郭を構成しているから、別段丸い水槽のような形ではない。どちらかといえば、海に似ている。心の中の海は、広く深く、優等生の仮面の下に広がっている。

「うん、正直もう無いとダメなだけ。体が求めてる。男と一緒」

 そう言って榛名は笑うと、隣に並んだ佳音に煙りがかからないようにしながら、紫煙を宙に溶かしていく。榛名は、近隣にある大学の学生と恋人関係にある。その彼氏のことを、榛名はいつも〝男〟と呼んでいる。

「あんたは吸わない方がいいよ。煙草って止められなくなるから」
「何度も聞いてます。勿論吸ったりしません、臭いがつくし」
「それがいい」

 くすりと笑った榛名は、佳音から見ると、同じ制服を纏っているのに、ずっと大人びて見える。

「七花は次のテストも学年一位かな?」

 この学園では、成績が張り出される。個人情報の保護という観点はない。

「榛名先輩もそうじゃないんですか?」

 榛名は単位不足で留年しているのに、勉強が出来ないわけでもない。授業に出ないために単位が不足しているが、テストでは好成績を残している。そのため、学園も扱いに困っている様子だ。それは周囲も同様だ。

「『も』、かぁ。自信があるのは良いことだね。勿論私だって自信はあるよ。張り出された時の順位ってさぁ、癖にならない? ギャンブルみたいな。勉強って言う掛け金で、テスト順位っていう結果で」

 楽しげに笑う榛名を見て、七花は吐息に笑みをのせる。その色は、オレンジとレモン色の中間の、暖かく清々しい色彩だ。

「私は努力して一位を目指してるから、その感覚は分からないです」
「良い子すぎるんだよ、本当に。七花、疲れないの?」
「疲れてもやるんです。それが、私だから」
「優等生も大変だねぇ」

 榛名の言葉には、別段揶揄する色はなく、それは佳音には本音に聞こえる。実際、榛名の本音だと、佳音はよく理解していた。

「今日のお昼は何?」
「開けてみないと分かりません」

 佳音はそう言って、そばのベンチに腰を下ろす。持参したお弁当は、母親のしずくのお手製だ。料理上手な母は、毎朝几帳面にお弁当を用意してくれる。少し過保護なところがあって、たとえば佳音が遊びに出かける場合は、必ず誰と何処に出かけるのか確認し、どんなに遅くとも八時までには家にいなければ青ざめて探しに出るほどだが、それだけ愛されているのだと、佳音は考えている。逆に父のとおるは仕事が多忙で、たまに休みがあると率先して買い物に連れて行ってくれるなどはするが、ドライな印象を与える。良き父であるが、どちらかといえば仕事人間だ。他に家族は、弟の梓音しのんがいる。中学三年生の弟とは、昔は仲が良かったが、現在はそうでもない。梓音が姉を鬱陶しがるからだ。

「美味しそうじゃん」

 卵焼きにウインナー、ベーコンを巻いたアスパラに、鮭の切り身、肉団子。
 それらが輝くお弁当箱を一瞥した榛名の声に、佳音は誇らしくなった。

「うん。味も絶品」
「食べる前から保証されてるっていいよね」

 ぷかりと煙を吐き出してから笑った榛名を見て、微笑し頷いてから、佳音は昼食を味わった。



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