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第一章:残んの月

【三】新しい手伝いの小者

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「それでは、若先生。お世話になりました。お二階に、新しい御仁のお部屋の用意も調っておりますのでね」

 しわしわの顔に、笑顔でさらに皺を増やし、何度も何度も深くお辞儀をしてから、小柄なお金は家を後にした。凌雲は昨日既に発っている。

 見送った椋之助は、七星堂で初めて一人になった。今日の昼八ツ(午後二時)頃、今後炊事などを手伝ってくれる小者がやってくると聞いている。その内、姪の縫も様子を見に顔を出すと、凌雲の旅支度を手伝いに来た柊太郎が話していた。

「なんだか新鮮ですね」

 今日は休診としてあるため、患者の報せもない。勿論急患があれば診る所存ではあるが、医者は暇な方がいいというのが、凌雲からの教えでもある。手持ち無沙汰で椋之助は緑茶を飲みながら、時が経つのを待った。

 こうして昼八ツになるとすぐに、戸が音を響かせて開いた。そちらに顔を向けてから立ち上がり、椋之助は出迎えに向かう。するとそこには、切れ長の目をした青年の姿があった。椋之助も上背がある方なのだが、同じくらい長身だ。年の頃も、二十七歳の椋之助と同じくらいに見える。じろりと睨むように視線を向けられ、一瞬気圧されそうになった椋之助だが、彼は作り笑いが大の得意だったから微笑した。それは患者を安心させるためでもあったし、椋之助なりの処世術でもある。だから今回も、唇の両端を持ち上げて温和な表情を心がけ、相手に視線を返す。

「貴方が父上が雇い入れたという?」
伊八いはちと言います」

 伊八は声まで無愛想だった。抑揚の無い低い声からは、感情が全く窺えない。顔立ちが整っているから、それがまた迫力を増す。椋之助は、己の顔が町娘に受けがよい甘い顔立ちだという自覚があるのだが、伊八の場合はそれこそ男らしい。

「どうぞ中へ。二階に部屋を用意してあります。これからどうぞ宜しくお願いします」

 柔らかな声音でそう告げ、椋之助は二階へと歩きはじめた。
 草履を脱いで、伊八が後ろを歩いてくる。階段を上ってからすぐに、お金が用意していった部屋が目に入ったので、椋之助はその部屋の前で立ち止まった。

「ここを使って下さい」
「有難うございます」
「この七星堂では、一階で町人の診察をしていて、そちらには薬種箪笥やくしゅだんすなどもあるので、分からないものには触れないように」
「はい」
「台所まわりはお任せします。住み込みですし、どうぞ気楽に。なにかと忙しなくて、煩いこともあるかもしれませんが」

 努めて椋之助は優しく言葉を続けたのだが、伊八は無愛想なままだった。かといって怒っているようにも見えないので、これが元の顔立ちなのだと椋之助は考えることに決める。

「先生、大変だー! いねぇのかい!?」

 その時、階下から声がした。慌ててそちらを見てから、一度椋之助は伊八へと顔を向ける。

「急患のようですので、私はこれで。あとはお任せします」

 椋之助の言葉に、視線を受け止めた伊八が、初めて虚を突かれた顔をした。
 しかし小さく頷いたのを確認し、椋之助は最後にまた微笑を浮かべて見せてから、慌てて階段を降りた。


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