うまく笑えない君へと捧ぐ

西友

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第一章

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 一翔の左手の薬指に、微かに光る指輪が見えた。綺麗な奥さんと、一歳になる娘がいるという一翔は、もう立派な旦那様で父親だ。

 おれと一緒だったら、決して歩けなかった光の道に、一翔はいる。

 あの三年間は、幻だった。一翔はそんな風に思っているかもしれない。

 でも、おれにとっては、確かに現実だったよ。

 もう二度と交差することのない想いを秘め、彰太は遠い場所で笑う一翔に背を向けた。



 多比良彰太たいらしょうたは、優しい両親と、四つ年の離れた兄が一人いる、四人家族。

 まるっと大きな瞳。小ぶりな鼻。華奢な体格。透き通るような白い肌。小さなころは女の子と間違われることも多く、ほとんどの人は彰太を、かわいいと評した。中性的な顔立ち、体格と声音は高校生になっても変わらず、男女ともに可愛がられた。女顔、と言って苛められる可能性もあったのかもしれないが、幸いなことに周りにも友達にも恵まれ、彰太は何不自由ない人生を送っていた。

 ──ただ、恋愛対象が男であることを除けば、ではあるが。

 そのことを知っているのは、兄の琉太りゅうただけ。打ち明けたというより、琉太が彰太よりも早くにその可能性に気付いてしまったことが大きい。それは彰太もまだ、何も自覚出来ていなかった小学校二年生のとき。

 男友達の一人と手を繋ぐことが好きだった。話すことも、引っ付くことも、好きだった。その子が同じクラスの女の子が好きだと聞いたとたん、彰太は落ち込んだ。胸が何だか苦しくて、泣きたくなった。何でだろう。友達をなくすのが、怖いからかな。そんな風に思っていた。

 落ち込む彰太にいち早く気付いた兄に、どうしたのか尋ねられた。素直に話すと、兄は少し考える素振りを見せたあと「それ、誰にも言わない方がいいかも」と言った。

「なんで?」

「変に解釈したりする奴もいるから。いじめられたりしたら、嫌だろ?」

「かいしゃく?」

「あー……とにかく、彰太がホモだってからかったり、いじめたりするやつがいるかもしれないから、絶対誰にも言わないこと」

「ホモ?」

「男を好きな、男の人のことだよ」

 彰太は「それ、へんなの?」と首を傾げた。

「ぼく、おとこのこのともだちのこと、すきだよ?」

 琉太は困ったように「友達じゃなくて、恋愛対象として好きってことだよ」と応えた。

 彰太はまた一つ、首を傾げた。

 きちんと理解したわけではなかったけど、兄に言われた通り、彰太は誰にも言わなかった。もし兄の助言がなければ。今考えると、ぞっとする。

 とはいえ、琉太もそれだけで確信を持ったわけではない。むしろ、友達を取られたくないという彰太の考え通りだと思っていた。注意したのは、あくまで彰太がいじめられないようにするため。子どもというのは、ほんの些細なことでいじめる側にも、いじめられる側にもなるから。

 確信に変わってしまったのは、彰太が中二になった、ある夏の日。


 八月。夏休み真っ只中。
 両親は共働きのため、家には彰太と兄の琉太の二人だけだった。彰太の部屋の前を通りかかると、中から泣き声が聴こえてきた。琉太はノックし「彰太? どうした? 入るぞ」と言ってから扉を開けた。彰太はスマホをじっと見ながら、静かに泣いていた。

「……映画でも見てんのか?」

 心配そうに琉太が声をかける。彰太はスマホの画面を兄に見せた。とたん、琉太はがくっと肩を落とした。それは、男女がセックスしている動画だった。いわゆるAVというやつだ。

「これのどこに泣く要素が──」

「……琉兄りゅうにい。おれ、女の人の裸見ても、何とも思えないんだ」

 琉太が声を失くす。彰太の顔が、見る間に苦しそうに歪んでいく。

「同じクラスで、一番可愛いって言われてる女の子と手を繋いでも何ともなかったのに、男友達の粟野に触られるだけで、ドキドキしてしまうんだ……おれ、変だよね……?」

 琉太の脳裏に、小二のころの彰太が蘇った。あれから彰太が何も言わなかったから、すっかり忘れていたが──。

「ずっと一人で、悩んでいたのか」

 彰太に近付き、膝を曲げた。彰太は俯いたまま小さく頷いた。

「……小さいころ、琉兄に言われた言葉、ずっと覚えてた。誰にも言うなよ、てやつ。今なら、すごくよく分かる」

 彰太は「気持ち悪い弟で、ごめんなさい」と膝を抱えた。ごめんなさい、と小さく繰り返す。琉太は驚きよりも、胸が締め付けられる思いが大きかった。例えば何もしてあげられなかったとしても、せめて早く気付いてあげられていれば、声をかけ、慰めるぐらいはできたのに。

「気持ち悪くなんてない。お前はオレの大事な弟だからな。謝る必要もない。ただ──」

 琉太は彰太の頭をそっと撫でた。

「やっぱり、同じことを言うな? その想いは、誰にも告げちゃ駄目だ。どれだけ信用している奴でもだ。世の中、理解してくれる奴の方が少ないからな。そのかわり、兄ちゃんが何でも聴いてやるから」
 
 彰太は顔を上げ、こくんと頷いた。この日彰太は、やっぱり自分は変なのだと自覚し──そして、恋愛を諦めた。

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