UBER -ユベル-

石田ノドカ

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第1章 『吸血鬼』

1-6 異常

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 荷物を片した後、改めて静香に平謝りに謝ってから、皐月はバイト先を後にした。

 サク、サク、サク、サク。

 雪を踏み鳴らす音が響く。
 今日は、昨日よりも足跡が深い。
 吐く息も、幾らか白さが濃くなっているようにも見える。
 あれこれ考えて思い出して、身体が熱を帯びているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、皐月はまた、あの公園へとやって来ていた。
 今日も、ただ何となくだった。

 当然、そこにあの影はない。
 何の気なしに寄越した視線から、それは把握出来た。
 地面も遊具もすっかり雪化粧をし、足の踏み場もない。
 しんしんと降り続く雪は、目の前に広がるその景色を、その時のまま固めようとしているみたいだ。

「さむ……」

 帰ろう。
 ここに来たところで、何が起こるというわけでも、何が変わるというわけでも、まして何がしたいというわけでもない。
 さっさと帰って、温かい部屋で明日を待とう。
 そう思い直して、止まっていた足を進める。
 一歩、踏み出した刹那。

 ドンッ!!

 突如、大きな物音が響いた。
 どこからかは分からない。
 車やトラック、或いは動物か、とにかく大きな何かが壁にぶつかったような音だ。

 どこだ。
 なんだ。

 頭の整理がつかない皐月は、その場で立ち尽くすことしか出来ない。
 しかし立ち尽くしていたからこそ、事に異常さにも気が付いた。

(誰も……で、出て来ない……?)

 田舎とは言っても、ここは住宅地の中だ。
 一つ二つ空き家があってもおかしくはないが、それにしたって、あれだけ大きな物音だったのにも関わらず、誰一人として家から顔を出したり、寝起きに電気をつける家も無い。
 時間だって、まだ深夜と呼ぶにはやや早い時間だ。起きている人だっているだろう。
 それが、誰一人として家から出て来ない――どころか誰も、この辺りを通らない。
 行き交う車の一台だってない。

 ここだけ世界を切り取られたように、その物音の後は、ただただ無音だ。

 あまりにも異常だ。
 何かおかしい。
 ここにいたら、間違いなく良くないことがある。

 そう直感したのに、身体が言うことを聞かない。
 固まってしまったみたいに、足の裏が地面に縫い付けられたみたいに、前へ進もうとする意識に反して動いてくれない。
 気が付けば、降りしきっていた雪も、ぱったりと止んでしまっている。

 カァ、カァ、カァ――

 日中に馴染みのある声が耳を打つ。
 カラスだ。
 数羽、いや十数羽はいるであろう、幾つもの鳴き声。
 なんだカラスか――そう思いもしたけれど。
 夜中にカラスが鳴く、ということ自体が珍しいのかどうかこそ分からないものの、十数年生きて来た中で一度だって聞いたことがないというその事実だけで、少なくともここら一帯から考えたら異常であることは明白だった。

 ただ一羽、変わったカラスがいたのであれば分かる。
 しかし、一度にこれだけの数の鳴き声が聞こえるというのは――
 ともすれば先ほどの物音と同じくらいの喧しさであるというのに、未だ誰も顔を覗かせない光景も気持ち悪い。

 駄目だ。やめておこう。
 そう思いながらも、皐月の足は、カラスの声がする路地の方へと進み始める。
 一歩、一歩と近付きながらも葛藤が続く中、

「っ……!」

 言葉を失う、とは正に、このような状況を目にした時のことを言うのかもしれない。
 目の前に広がる光景に、皐月は文字通り言葉を失い、身体が固まってしまった。
 十数羽は在ろうと思っていたカラスはその実とても多く、何十羽もの数で以って、何かを囲んで一心不乱に啄んでいる。
 地面や塀といった辺り一面には、真っ赤な『何か』がこびりつき、一見しただけで現実のものとは思えない恐怖を抱かせた。

 問題なのは、カラスたちが啄む、その『何か』。

 気持ちの整理がつかないその時間にも、脳は状況の処理を始める。
 そうして暫くの時間を要した後で理解したのは、

(あれ……指?)

 カラスの群衆からポロリと零れ落ちたそれが、人の指であろうということだった。
 人の指。
 人体から分離した、指。

 なら、ここに飛び散っているのは――

 であれば、カラスたちが啄んでいるのは――

 でも、カラスがそれを突くか……?

 アマゾンにいるハゲワシでもあるまいし……。

「……っ」

 口の中で、舌を噛んだ。
 痛みはある。
 目も覚めない。

 これは――現実だ。

 自殺か、或いは他殺か。
 どちらにしても、あの物音はこの、人だったらしいものが打ち付けられた音だったのだろうことは、火を見るよりも明らかだ。

 気持ち悪い。
 吐きそうだ。

 こんな光景、漫画でだって見たことがない。

 ……だからこそ、こんな所からは一刻も早く離れた方が良い。
 腹の底から押し返されるような嗚咽を覚えながらも、皐月はなんとかその場から離れつつ、スマホを取り出して番号を押した。

「…………あっ、も、もしもし……はい、はい、えっと……だ、誰かが倒れてて、というか、多分亡くなってて……か、カラスがつついてて……三丁目六番地にある、大きな桜の木のある公園です」

 乾いた喉を何とか動かし、辛うじて言葉を紡ぐ。
 受話器の向こうにいる警察は、皐月の声音と説明内容から異常と判断したのか、すぐに行くと言うこと、それから今すぐそこを離れろという旨を告げた。

 警察の判断は正しかった。
 皐月がつい先刻感じた『今すぐ離れないと』という恐怖にも似た感覚――もし仮にあれが他殺であるのなら、物音から程なく訪れた皐月の姿を、犯人の方も捉えてしまう可能性がある。
 第一発見者からの情報は有益だが、それ以上に、まずは二次被害のリスクは避けなければならない。人命優先だ。
 電話を切り、足早にその場を離れた皐月が、以降生きて家に着くまで、追手や、それらしい人と遭遇しなかった事実――。
 警察の判断は、やはり正しかったというわけだった。



 家の鍵を閉めてようやく、緊張の糸が切れる。
 瞬間、その場に膝から崩れ、座り込んでしまった。

 怖かった。
 心地悪かった。

 ただただ不快なあの空間から『早く離れなさい』と言ってくれた警察には、感謝しかない。
 もしあのまま『話を聞きたいから待っててくれ』とでも言われていたならば、あと数分、いや数秒居ただけでも、気が狂ってしまっていたかも分からない。

 鼓動が速い。
 呼吸も落ち着かない。
 身体ももう動かない。

 全身全霊で以って走って帰った身体は、すっかり棒になってしまっている。
 それはただただあの光景が心身に悪影響だったから――というだけではない。

 皐月は分かっていた。
 知っていた。
 過去、一度だけ目にしていたから、すぐに理解した。

 あの異様な光景は、ただの人間に成し得るものではない、ということを。






 ぐちゅ。
 ぐちゃ。
 バキッ。

 ――じゅるり。

 不快な音が、夜の路地裏に木霊する。
 辺りには、真新しい鮮血が飛び散った。
 その渦中から、一つ、二つと放り投げて捨てられる、身体各部のパーツ。
 千切り、割った、紅い液体の滴り出るソコへと、一つの人影が口を当てる。
 そうして一気に吸い上げると、

「……不味い」

 小さく吐き捨てて、手にしていた腕を放り投げた。

 ボトッ。

 塀にぶつかったそれが、力なく地面へと転がる。

「不味い……けど、やっぱりあの子は美味しそうね――」

 人影は、ゆっくりと立ち上がると、路地から大通りの方を眺める。

 見つけた――そう言わんばかりの、狂気を孕んだ瞳で。
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