百合の花咲く古本屋 ~満開版~

石田ノドカ

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序章 出会いと、思い出と

7.解決策という名の妙案

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「――お店の中に目をやっている時の自分が桐島さんの目にそう映ったのは、桐島さんが、その先輩とどこか似ていたから……思い出してしまったんです」

「それは、容姿のことですか?」

「それもありますけれど――行動、でしょうか。細い身体で沢山の本を持つ姿、眼鏡を直す時の指の掛け方……それが、記憶の中にあるものと似ていて……」

「なるほど。だからあの時、目が合った途端、逃げるように帰ろうとなさったのですね」

「その節については、本当にすみませんでした。とても不敬なものだったかと、今にして思います」

「謝られるようなことではありません。あれは、私の醜態を見なかったフリをしたようなものですから。お恥ずかしい話ですけれど」

 桐島さんは、尚も優しく返してくれる。
 その優しさが――そう。その優しさに、触れてしまったからだ。

「他にも、何か理由があるようですね」

「……はい」

 苦しくなってきた。
 けれど、ここまで話して留める訳にもいかない。
 私は、俯きながらも、何とか言葉を紡ぐ。

「ちょっと思い出しただけなら、それで良かったんですけど――怖いんです。すごく。桐島さんの優しさが……その優しさに甘えていたら、また同じ過ちを犯してしまうんじゃないかって……すごく、怖くて……」

「過ち――と申されますのは、同性に好意を抱いてしまうこと、でしょうか?」

「……はい。苦しいししんどいけど、やっぱり好きになる相手は、きっと女性の方……で、えっと、だから……」

 ああ。やっぱり駄目だ。苦しい。
 もう駄目だ。やっぱり、駄目なんだ。
 こんな話しはさっさと切り上げて帰ろう。

「ごめんなさい、私――」

「重ねて申し上げておきますが、高宮さん」

 桐島さんが、私の言葉に被せて言う。
 わざとだ。

「人を好きになること、そしてその思いの丈を伝えることほど、尊いことはございません。あなたの起こした行動は、決して、過ちなんかではありませんよ」

「で、でも――!」

「相手がそうでなかった、ただそれだけの話です。男女間でも、普通にあることでしょう?」

「そ、それは――でも、変だって言われました。同性を好きになることなんて……」

「うーん。そんなに変なことでしょうか?」

「……へ?」

 意外な言葉に、私は思わず顔を上げてしまう。
 すると、真面目な表情とも、ふんわり笑顔とも違う、ただただ普通の顔で思案する姿が目に入った。

「私も女子高でしたが、女の子同士でくっついている子たちを、何ならその後同棲し始めたなんて子たちも何組か知っていますよ。明け透けに言うものではないかもしれませんが、本気でその先の行為にまで発展していった子も知っています。高宮さんの周りには、おられませんでしたか?」

「い、いたかどうかまでは……」

「雰囲気を感じることは?」

「……あった、かも」

「でしょう?」

 桐島さんは、さも当然なことのように言う。

「不幸な体験から、視野が狭くなってしまっているんです。周りがどうだったか。自分から見ようとしたか。自身に向けられる何かは無かったか。考えたことはありますか?」

「……あまり」

 無い、とは言わない。
 けれど、その一件まではそういったこととは無縁だった為に、意識することも自然となくなっていったのだ。
 共学だった小中学校では、幾つか恋愛というものは見て来た。友達の中にも、そういったことを体験した子はいた。
 それが、高校から女子高という環境に変わったことで、女の子同士だとまずそうは発展しないだろうと、勝手な先入観から思い込み、そういった目で周りを見たことがなかった。
 自身がそういう境遇に身を置いて尚、周りはどうだと勘繰るようなことはしなかった。
 何なら、自身がそうなって、それが間違っているのだと指摘されてしまったことで、その意識がより強くなってしまったのだろう。

「まだまだ難しい世の中です。同性愛を認めていけと政府が強く言い始めたのだって、世に広く公になり始めたのだって、ここ数年、十数年のことです。肩身は狭いことと存じます」

「……はい」

「ですが――そうですね。仮に、高宮さんの仰ったことが、未来で現実のものとなったとしましょう」

「私が……?」

「好きだった先輩に似ている私を見ていて、またあの時と同じ過ちを――はっきり言ってしまえば、同性を、ともすれば私のことを、好きになってしまうかもしれない未来です」

「…………はい」

「どう言ったらいいのかは、大変に悩みますが――」

 束の間の沈黙に、続く言葉が怖く、思わず目を瞑る私だったが。

「まだまだ高宮さんのことは知りませんが、私なんかのことを好きだと言ってくれるのなら、その時、私はとても嬉しく思うはずです」

 桐島さんは、真っ直ぐ、見据えた私の瞳から一切ぶれることなく、はっきりとそう言った。
 そう言って、淡く微笑んだ。

「う、嬉しいわけ――」

「ありますよ。嘘じゃありません。二十七年間生きて来て、私はこれまで、誰かに恋をしたことがありません。逆も然りです。ですが、そんな私でも、あなたのような子に好いて貰えるのなら、大変嬉しく思うことでしょう。そんな予感が致します。ええ、ただの予感ですけれど」

「な、なんで……」

 一歩、心が大きく退く私に、桐島さんは尚も優しく続ける。

「あなたが、とても優しい子であることは、先日と今日とでよく分かりました。そんな子に好かれて、嫌だなんて思うはずがないでしょう?」

 心が、すっと軽くなる感覚があった。
 桐島さんは、それを方便で言っているのではない。ただ本当にそう思っていることを、当然のことのように抱いている意見を、ただそのまま口にしているだけだ。それくらい分かる。
 嬉しい――素直に、そう思った。
 ずっと抱えて重たかった背中が、優しく撫でおろされたような心地だった。

「……ありがとう、ごさいます」

「お礼を言われるようなことではございません。それに、別に未だ、あなたが私のことを好きになってくれた訳ではないでしょう?」

「そ、それは……まぁ、そうですけど……」

 こんなに優しく、欲しい言葉ばかり貰っていたら、好きにだってなってしまうかもしれない。
 ――と思ったことは、私の胸の内にだけ留めておいた。

 これがあったから、口にしてしまったから、私はあの時、失敗してしまったんだ。
 分かる。彼女はそんな言葉に罵声を浴びせるような人じゃない。それくらいは分かる。
 これはただの、私の弱さだ。
 与えられる優しさに、掛けられる温かな言葉に、甘えることが出来ない弱さだ。

 今は、未だ――

 遠い未来で、或いは近い将来で、どうなることかは分からない。
 けれども今は未だ、私は自身の思いを、ほんの一かけらだけでも、口にすることは出来なかった。

「高宮さんは、今も陸上を?」

「えっ? あ、いえ、今は、ただの趣味で……体力作りのため、です。大学生で一回生ですし、何かバイトはしたいなって考えてはいて――」

「なら丁度いい。ここで働きませんか?」

 食い気味に。
 それはもう、とても食い気味に。
 桐島さんは、待ってましたと言わんばかりに食い気味に、そんな提案をしてきた。

「え、っと……へっ?」

「バイト、したいんですよね? 働きに対して、そこそこのお給金は出せますよ? 渡りに船な提案ではありませんか?」

「そ、それはそうですけど――」

「店主というだけで、他に本職はありますから。長い目で見ても、損をする提案ではないと思うのですけれど」

「お、お金に関して思うところがあるわけじゃ――こんな素敵なお店なら、お金は置いておいても働きたいとは思いますけど……それに、本職って……?」

 尋ねる私に、桐島さんは苦い顔。

「先ほどの話を聞いた後で答えるには、聊か気が引けるのですが……作家活動をね、しているんですよ」

「さ、っか……えっ!?」

 思わず大きな声も出てしまうというもの。
 そんな私に、桐島さんは申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

「何とも言えず気まずい回答となってしまうこと、どうかお赦しください」

「ゆ、許すだなんて、そんな…! でも、どうして私を雇うなんて……?」

 尋ねる私に、桐島さんは少し困り顔。

「かれこれ六、いえ七年程、作家活動をしているのですけれどね。自慢気に言うつもりはありませんが、これまで色んなジャンルのお話を書いて来たんです。日常、ミステリ、ホラー、ファンタジー……でも、唯一書けないものがありまして」

 彼女の言葉の中に一つ、足りないものがあることに、私はすぐに気が付いた。
 厳密にいえば他にも足りないものはあったけれど、言わんとすることの意図をすぐに掴んだようだった。

「恋、愛……?」

 桐島さんは、小さく頷いた。

「書けない理由は偏に、私の経験不足が祟っています。他ジャンルだとある程度のハッタリは効くものですが、こと恋愛というジャンルに於いては、リアリティさが求められます。いかに劇中で語られる恋愛に共感できるか、という点で見た時、そのリアリティさによって没入感は大きく変わりますから」

「リアリティ、ですか……」

「幾つもの恋愛小説を書いて来ました。渾身の一作と呼べるものを生み出せた自負だってあります。けれどいずれも落とされて、その全ての理由が『リアルじゃない』の一言でした。リアルじゃない恋愛だって世には沢山ありますが、私は現実世界に於ける世界観を好むので、一層強くその理由で落とされてしまうんです」

「難しい世界なんですね、作家業も。でも、それと私とが、どう結びついて――」

「私ね、結構負けず嫌いなんです。何度も何度も落とされたことが悔しくて、次に世に出す作品は、絶対に恋愛ものにしようって決めているんです」

「恋愛もの……えっ、ちょっと待ってください……それじゃあ、まるで――」

 雲行きが怪しくなってきたぞ……?
 恋愛小説が書きたいことと、私を雇うこととが繋がるの……?
 それって、恋愛を書く為に私を雇うってこと……?

「き、桐島さん、まさか……」

 尋ねかけた私に、桐島さんは柔和に微笑む。

「私を好きになるかもしれない――なら、全く恋愛経験のない私を、いっそ本気で好きになってくれませんか? そして私に、あなたのことを好きだと思う気持ちを、抱かせてはくれないでしょうか?」

 ……そんな、ぶっ飛んだ言葉を。
 桐島さんは、何を隠すでも誤魔化すでもなく、真っ直ぐに言い放った。

 困惑、硬直……何秒、何十秒固まっていたことだろうか。
 言葉を返せないでいる私に、桐島さんは「まあ」と一度目を伏せる。

「半分程は、冗談なのですけれど」

「は、半分だけ…!?」

「ええ、半分だけ」

 と、桐島さんは悪戯っぽく笑う。
 緊張するような肩を落とすような、そんなどちらとも言えない言葉だったが、すぐにまた、柔らかく温かな笑みを浮かべた。

「私がその先輩に似ているから意識してしまう。意識してしまったからには、考えたくない苦い思い出も、この場から離れたところで思い出してしまう。この町で生きているといずれまた鉢合わせてしまうことだってある。そこそこ近くですから。そうなればまた思い出してしまう。
 ただそれは、あなたが私という人間のことを知らないからに他なりません。外見、仕草、そういったものから意識してしまうというのですから。
 なら方法は簡単です。一番近くで関わって、私がその先輩と異なる人間なのだと意識することが出来れば、いざ私を見たり会ったりしても、少なくとも悪い方向には考えないようになる。そうは思いませんか?」

「そ、そんなこと……い、いや、それでもし仮に、仮にですよ、本当に仮に、私が桐島さんのことを――」

 好きになってしまったら、と問いかけることは出来なかった。
 先輩に関する全て、今の私にとってはトラウマだ。
 その先輩に似ている彼女のことを、万一好きになってしまうなんてこと、今は到底想像も出来ない。
 もし仮にそうなるような日々を送れるとして――未来で送れたとしも、私はきっと、彼女のその胸の内を明かすようなことはしないはずだ。
 それくらい強く、深く突き刺さった茨なのだ。
 魔法のような言葉と笑顔をもってしても、きっと――。

「お茶、冷めてしまいましたね。淹れ直しますから、少しゆっくりしていてください」

「は、はい……」

 それでも私は、根が臆病な人間だ。
 無償で向けられる彼女の強い厚意に、甘えるつもりはなくとも、強く断ることなんて、出来はしなかった。
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