寂れた槍

くりやま

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寂れた槍

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止まっていたのは会場の視線だけで、止まった視線はおおかた彼に向けられていた。

今度止まったのは周りの選手ではなく、僕でもなく、もちろん会場でもない。

僕はおかしかった。

こんなにも彼が素晴らしい選手だったとは思わなかったからだ。

僕は思わずその場で拍手をする。

人は死ぬ時走馬灯を見るというが、これは走馬灯ではなくて現実だった。

彼はもう馬には乗ってはいなくて、甲冑を身に付けた明智光秀、武田信玄と言ったところであった。

しかしどうしてだろうか。今までの僕であればここで槍を捨て、
無様な格好を晒してでも逃げていたはずだ。

その場で切腹をする勇敢な男でもなければ、命乞いをするような人間でもない。

そのときの僕にはただならぬなにかが宿っていたのかもしれない。

僕は構わず彼に向かっていった。
多分死ぬ気でとか、当たって砕けろとかそんな投げやりな感情ではなかった。実際、槍も持ったままだ。 

彼は何やら呟いていたようだったがそれに聞き耳を立てるほどの余裕は僕にはない。

僕は敬意を表して一礼をしてから彼を槍で突いた。

気が付くと僕の槍は彼の胸を突き破っていた。
ほんの一瞬の出来事であった。

歴史的な瞬間というのはいつも一瞬で、目を凝らしている暇はない。

また、そしてこの時が激戦の中、唯一流れが変わった瞬間であった。

僕の槍はそのとき粉々になったがそんな事は頭になくて、ただただ彼を見るしかなかった。
彼を「見」てはいたが、「視」れてはいなかった。
しばらくしてようやく彼のことを視れたとき彼の顔は笑っていた。

その笑顔は、ようやく自分より強いやつに会えた。みたいな格好のいいものではなくて、今から行ってやるから待っていろといったような笑みであった。

普通の人間なら槍で貫かれたあとこんな顔は出来ない。今から死に向かってじわじわ行進していくのは絶望だからだ。

なのに彼にはそんな表情は微塵も感じ取れない。

目がおかしくなったのかと目は何回も擦った。
けれど彼は笑うのをやめてくれない。

その佇まいに僕は尊敬した。拍手した。抱きしめた。

そして、逃げ出した。

けれど違う。

なにかがおかしかった。槍は貫いていたはず。あのような表情は出来るはずはない。

僕は今一度彼のことを見ようと思った。
怖くはなかった。強いていえば好奇心とでも言っておこうか。

方法は簡単で、振り向けばいいだけだった。
気付くとまた周りは止まっている。

想像ではあるが動いているのは僕と泣くような呼吸をしている彼だけだろう。

僕は考えたくないけれど、考えた。今どちらが強いのか。と。


彼は槍で突かれた強靭な武田信玄、対して僕は弱虫な無傷。言わなくても分かる。


完全に優勢なのは向こうだった。


答えに行き着いてしまったことを後悔した。
考えてなければもう一度、何も考えず、突っ込めたのかもしれない。我武者羅に。

僕が武田信玄を槍で突いてからここまでおよそ5秒。 

まだ彼は笑っているはずであった。

僕の想像通りであれば、いや僕の願い通りであれば。

お願いします。どうかまだそこで笑っていますように。

こんな願いをしたのは世界初だろう。
国によって神様は異なるので世界初とはなんともややこしいが、多分そうだと思う。

神様は笑っているだろう。実際笑った声が聞こえた。

僕は普通に、本当に普遍的に、まるでハトの交尾でも見るかのように何気なく別に見る気がなかったかの風貌で彼を見た。

彼はまだ笑っていた。
周りはすでに動いている。

今しかなかった。

初めて音楽を作った人も、人間に呆れて耳を切ったゴッホも、エデンの園にいたアダムもここだ、と思った瞬間があったはずで、それぞれりんごを食べる瞬間であったり、もうなにも聞きたくないと思った瞬間であったり、聞くと心地よい旋律が浮かんだ瞬間などそれぞれだが、僕がもう一度一泡吹かしてやろうと思ったのは今だった。

彼もそれに気付いていたのかさらに笑っていた。


2003年 11月13日 午後3時48分 会場は騒然。温度17度。湿度56度。天気は大荒れ。風向き最悪。




僕の手には槍が握ってあった。
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