本能の軛

teran

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第5話

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 シャワーを浴びながら今朝の夢を思い出していた。久しぶりに会った母は、私が中学生の頃に見ていたままの姿で、台所で食事の準備をする背中が瞼に残っていた。シャワーを止め、瞼を開けば、そこに母の姿はない。振り向いて自分の背中を鏡に映すと、引き裂かれたような手術跡が見える。子供のころ一緒に風呂に入った時、母の背中にも同じような傷跡があった。母と同じ年齢になった私の背中は、母の背中のようにも見え、思わず自分で自分を抱きしめた。この世で母の遺伝子を受け継ぐのは私だけ、一番母に近い存在は自分だと思うと、自分の体ながらどうしようもなく愛おしくなる。
 母が亡くなって二十年が経つ。二十年の間、いろんな毎日があったのに、あの日のことだけ、私は鮮明に覚えている。視たもの、聴いたもの、思い浮かんだこと、感じたこと、空想したこと、話したこと。何度も何度も思い出すからだ。学校が半日で終わった土曜日の部活後、そのままピアノ教室へ行くつもりが、楽譜を忘れていたので家に取りに帰った。教室では先生のお子さんと絵を描いて遊び、レッスンを終えると菜の花が咲く道を通って家に帰った。家ではいつものように祖母と食事をとった。次の日、夜勤から帰ってこなかった母は、数日後山の中に駐車された車の中で発見された。遺書らしい遺書は残っておらず、走り書きの謝罪が書かれたメモ用紙が助手席に置かれていた。
 あの日、母と祖母は口論していた。近所で新築工事の騒音が鳴り響いていたので、何を話しているのかよく聞き取れなかったが、祖母が声を荒げていた。遺伝、病気、子供、だめ、かわいそう、というようなことを言っていた気がする。父親の名前もあった。私が帰宅したことを知ると二人とも何事もなかったかのように振る舞った。
 その七年後に、私は手術をした。背中の傷はその時のものだ。完治したかどうかは神のみぞ知るところだが、幸い私は予後もよく、後遺症などにも悩まされていない。ただ、この病気は女児を生んだ時にほぼ百パーセント遺伝する。そして半数が成人せずに死を迎える。
 
 早朝の電車は空いていた。車窓に映る自分の顔は、あまり母と似ていない。似ていないのは外見だけじゃない。母は快活な人で、愛情に溢れていた。夫が蒸発して借金を残し、女手一人で子育てをしているのに、いつも笑顔で私にも祖母にも明るく接していた。今思えばまだ三十代だった母、苦労しながら、どれだけ無理をして笑っていたのかと考えると胸が締め付けられる。一方で、あんなに人のことを気にかけ、思いやりに溢れていた母が、なぜ子供を持つことを選んだのかが私にはわからない。私は子供を持つことが怖い。もし娘が生まれたら、この世で一番大切で愛しいであろう存在に、生まれた瞬間から業を背負わすことの罪深さに耐えられる気がしない。私を生んだ時、母もきっと、子を持つ喜びに溢れながらも、いつか自分が自分の選択によって裁かれる日が来ることを知っていた。病気が遺伝する可能性が高いと知りながらも、子を持つ幸せの誘惑から、あるいは周囲の圧力から逃れられなかった。いや、それはただ、本能だったのかもしれない。

 駅を出ると、綺麗で広い表通りから一本入った汚い路地を通り抜け、コンビニでコーヒーを買ってオフィスに到着した。今日も一番乗りでまだ誰もいない。机の上に置かれた茶封筒から昨日のイベントで回収したアンケートを取り出して複合機へ向かう。一枚一枚確実にスキャンされては排出されるアンケート。ざっと目を通すと基調講演の評価がおしなべて低かった。あの惨状では無理もないと思うが、これを集計して神野さんに提出するのは気が引ける。かといって倉下さんだけに渡すこともできないし、集計時に改ざんすることも倫理に反する。こんな余計なことをあれこれ考えずに機械的に処理出来たらどんなにいいだろう。自分のデスクに戻って社内の後輩に集計依頼のメールを送る。自分でやるのは嫌だったからだ。面倒くさい、それもある。
 それにしても神野さんは大丈夫だろうか。再会したときに離婚していたことは話してくれたが、もちろん理由なんてこちらも訊かないし、別に興味もなかった。けれど、倉下さんが通路で遠藤さんに喚いていた内容、子供ができなくて離婚したなんてことを吹聴されてたら、仕事もやりづらそうだなと思った。
 その時、ドアが開いて誰かが入ってきた。振り返ると遠藤さんだった。
「おはようございます。めずらしいですね、こんなに早く来るなんて」
「おはよー、いや昨日疲れたから早く寝たら早起きしちゃってさ」
ドスン! といつものようにバッグをデスクに置く。
「いつもだったら二度寝するんだけど、なんか寝れなくて来ちゃった」
「そうですか。まあそういう日もありますね」
 私は視線をモニターに戻してメールを次々に返信していた。遠藤さんは麩菓子を食べている。
「あのさあ」
「はい」
「あたし妊娠してんだよね」
 モニターから視線を外して遠藤さんを見るが、遠藤さんは真正面を見つめたままだ。
「そうなんですか、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 誰もいない真正面にお辞儀をする。しかも全然うれしそうじゃない。
「じゃあ結婚するんですか? 彼氏さんと」
「いやまだ言ってないんだけど、彼氏には」
「え? 早く言わなきゃじゃないですか」
「いや堕ろそうかと思ってたんだけど」
「え?」
 ボリ、ボリボリボリボリ……
「いや、あの、なんで堕ろすんですか?」
「だって不倫だからさ」
「……え? 不倫?」
「そう」
「彼氏さんって不倫だったんですか?」
「そう」
「へええ……」
 今度は私が黙ってしまった。ひょっとしたらこれを聞いてほしくて遠藤さんは早く出社してきたのかもしれない。もしかしたら勇気を出して私に打ち明けているかもしれない。不倫がいいことだとは言えないが、かといって当事者ではない私があれこれ言えるわけでもなく、こういう場合はどういう風に会話を着地させればよいのか迷った。というか妊娠だ、不倫というより妊娠の方が大変なことじゃないか。遠藤さんとはまあまあ長い付き合いだけど、彼氏さんと旅行に行ったとお土産をもらったことはあっても、それが不倫相手だとは知らなかった。いつだったかの箱根もそうだったということか。
「でもさ、昨日のアレ、見ちゃったらさ、なんかいろいろ考えちゃってさ」
沈黙が流れる。
「そうですね……」
「神野さん大丈夫かな、相当きてたよね」
 あの後、昼休憩の時に事務局で弁当を食べていると、神野さんがやってきた。落ち着きを取り戻した様子で「さっきは取り乱してしまって申し訳ありませんでした」と深く頭を下げて謝られたので、こちらとしては「いえいえ、とんでもないです」というのが精いっぱいだった。その後は滞りなくイベントが進み、全体的には成功したと言えるだろう。ただ、神野さんはずっと元気がなかったし、思いつめた表情をしていて、楠さんからの懇親会の誘いも断って帰っていた。楠さんから何かあったのかを訊ねられたが、もちろん私の口から言えることではないので、トラブルでお疲れなんだと思いますと伝えておいた。楠さんはそれでも気になる様子で、倉下さんにも話を聞いていたが、倉下さんは知りませんの一点張りだった。
 ドアが開いて、挨拶が聞こえる。他の社員が出社してきた。結局私たちの会話は中途半端なままで、オフィスの一日が始まった。

 午後、遅めのランチを取った後、東京駅へ向かった。三連休に半休をつなげて、久しぶりに帰省することにしたからだ。昨日で大きなイベントは区切りがつくことがわかっていたので、貯まっていた休日出勤の振替でささやかな半休を取得していた。駅に着くとビールとつまみを買ってから新幹線に乗った。実家までは片道6時間半もかかる。飛行機なら東南アジアへ旅行にでも行けそうな時間だ。ただ私は飛行機に乗るのが苦手なので時間がかかっても新幹線を使ってしまう。東京にいる私が地元の私に戻るための儀式のようなもので、このくらい時間がかかった方が、毎日残業して働く過酷な現実から一時退避する帰省にはちょうどいいと思うからだ。新横浜を過ぎても隣に誰も乗ってこなかったので、なんだか得をした気分になりつつビールを開ける。飲みながら眺める窓の外はすでに夕暮れの景色だった。東京に来て思ったのが、同じ日本でも東と西では明らかに時差があるだろうということだ。地元に比べて東京はすぐ夕方になるような気がしていた。地元を出てきた心細さから、夕暮れのセンチメンタルさに敏感になっているのかもしれないとも思ったが、大学時代、明け方まで飲んだ朝、地元ではまだ真っ暗であろう時間に、すでに夜が明けて空を飛ぶカラスの姿が見えた時、時差を確信した。
 車窓を流れる見知らぬ街の見知らぬ建物、高校らしき建物が近づいてきて、過ぎていった。校庭では部活をしている生徒の姿が一瞬だけ見えた。目をつぶってもう一度その光景を思い出そうとするが、うまく思い出せない。サッカー部と野球部らしき人たちが居たのは確かだけど、他にもたくさんいた。走ったり歩いたり突っ立っていたりした子たちは何部だったのだろう。そしてなぜ私はあの子たちのことが気になるのだろう。何者でもない誰か。魚肉ソーセージを食べながら、私はきっとサッカー部とか野球部とかみたいになりたい人生だったのだろうと思った。
 京都に着くころまでは起きていたのだが、知らぬ間に眠ってしまったようで、スマホのバイブレーションで起こされた。デッキに出て電話をする。気づいたらもう次が降車駅だった。昨日の疲れが出たのかもしれない。新幹線から在来線の特急に乗り継ぎ一時間半、やっと地元の駅に着く。駅から出ると雨が降っていた。雲で覆われた空はすでに真っ暗だったが、さらにバスに乗って家の近くまで行くと、屋根もなく、路側帯にポールが置かれただけのバス停で待っている人がいた。バスが止まると下を向いていた傘が上向き、顔が見える。祖母だ。
「おばあちゃん、帰ってきたよ」
「ああ、ちょうどの時間やったね」
 待合のベンチが雨で濡れているからか、立って待っていたようで左手には傘を持っている。
「長く待っとらんかった?」
 傘を受け取る。新幹線のデッキで電話した時にバス停まで来るというので、大丈夫だよと断ったのだが、雨が降り出したので来たらしい。「このくらいの距離なら平気とに、風邪引くよ?」と喉まで出かかったが、飲みこんで代わりに
「ありがとうね、傘、助かったー」
そう伝えると、「いえいえどういたしまして」とつぶやくように言いながら家の方へすでに歩き始めている。車がぎりぎりすれ違うくらいの狭い道を、気まぐれな距離で、不揃いな街灯が照らしている。古びたオレンジ色の光に照らされる雨粒を見て、意外に雨が強く降っていることに気づいた。途中、すでに今日は店じまいした個人商店の前にある自販機で二人分の温かいお茶を買った。祖母が不思議そうな顔をする。
「お茶なら家にあるとに」
「雨で手の冷えるやろ?」
 祖母の手を取り、お茶を渡すと穏やかな笑顔が返ってきた。
「そうねえ、ありがとね」
ペットボトルを受け取る手がとても小さくて、荒れていた。
 家に着くと、手洗いうがいをして仏壇に線香をあげる。和室の電気を消して台所へ行くと祖母が味噌汁を温めていた。
「明日雨上がるかな?」
「んー、テレビの天気予報では曇りって言よったかねえ」
 コンロの火を消して味噌汁を注ぐ。私はごはんをよそった。四人掛けのダイニングテーブルには、見覚えのない柄のビニールのテーブルクロスがかけられていて、大根と鶏肉の煮物、おから、漬物がすでに置いてある。
「いただきます」
 時計の音が聞こえる静かな食卓は、二十年前とまったく同じで、まるで昨日も一昨日もこうやって食事をしていたように感じた。東京に居る私は空想だったのではないか、実はずっとここで生活していたのかもしれないと思うくらいすでに私はこの家の住人だった。
「仕事はどうね、忙しか?」
「うん、忙しかねえ、働き口のあるだけありがたいって思わんばけどね」
「そうそう、そうよ、謙虚におらにゃいかんよ」
パリパリと漬物をかむ音が響く。風が強くなってきた。居間の戸がガタガタと揺れている。
「ピアノは、弾きよらんと?」
「弾きよらんねー、一応電子ピアノ持っとるけど練習する気力がないし」
「たまには弾いたら? おばあちゃんもピアノば弾けたら気持ちの安らぐこともあるやろうにねって思うよ。ピアノ弾けるとうらやましかよ」
 居間にあるアップライトのピアノは、私が十四歳の時、母が買ってくれたものだ。それまでは八歳の時に父が買ってくれた電子ピアノを使っていたが、鍵盤がガタガタと音を立てるようになって結局いくつかの音が鳴らなくなった。ピアノの先生に相談すると一番安くてもグランドピアノを買った方がいいよと言われたが、うちには置く場所がなかった。代わりに母は一番安いグランドピアノと同じくらい高い値段のするアップライトピアノを買ってくれた。今も毎年、祖母が調律師を呼んでくれている。年に一度弾かれるかどうかわからないにもかかわらず。
「日奈子が弾いてやらんば誰も弾かんけんかわいそうよ」
私がピアノを見ているのに気づいたのか、祖母がぼそりと言う。
「おばあちゃんが弾いたらいいたい」
「弾けるもんね、今から練習したって弾けるころには天国よ」
「天国でピアノ弾けたら人気者になれるよ」
「あら! この子は縁起でもないこと言うね」
「おばあちゃんが先に言ったったい」
 二人で笑いながら食事をする。あの日もこうだった。明日は母の命日だ。ちょうど二十年が経つ。
 風呂から出て冷蔵庫を開けるといつものように缶ビールが三つ入っていた。祖母は酒を飲まないので、これは私のために買っておいてくれたものだ。一日一缶という暗黙のルールがある。ダイニングの椅子に座って、ありがたく飲んでいると祖母が居間から台所へ出てきて、電気ポットから少しだけお湯を注いでお茶を淹れ、向かいに座る。
「明日は何時から行くね?」
 墓参りのことだ。
「天気次第けど、晴れれば朝九時くらいかなあ」
 うちの墓は少し不便なところにあって、距離はそんなに遠くないが、山のけもの道を通っていくので天気が悪いと少し大変だ。遠回りすれば車でも行けないことはないが、車を持っていないし歩いて行く方が早い。
「そう、じゃあちゃんと起きなさいよ。おばあちゃんはもう寝るけんね」
湯呑を濯いで片付けると奥の和室へ去っていった。また時計の音だけが残される。父が去り、母が逝き、私が出て行ったこの家で一人暮らす祖母。彼女にとってこの二十年はどんな年月だっただろうか。テレビをつける気にもならずそんなことを考えていた。結局ビールをもう一本飲んだ。
 
 次の日、快晴とまではいかないものの、雲の切れ間に、そこに青空があるとわかるくらいには晴れていた。朝ごはんを食べて身支度を整え外に出ると、湿った山の木の匂いが香ってきた。私はこの匂いを嗅ぐと春なのだと実感する。昔それを同級生に言ったら「これは花粉の匂いだ」と言われたので花粉症の人にとっては忌まわしい匂いかもしれない。坂を下ったところにある、昨日自販機でお茶を買った個人商店にはこの時期、少しだけどお供え用の花が置いてある。いくつか買ってから、逆方向へ戻り山道へと入った。田舎育ちで小さいころはよく山で遊んでいたのに、今はすっかり虫がだめになってしまって、けもの道を歩くのは少し怖い。祖母を誘ったのだけど「母子水入らずで話してきなさい」と言われてついてきてくれなかった。けれど道中の草は綺麗に払われていて、今日のために祖母が草刈りをしてくれたのだと分かった。何の虫かわからないけど虫の声と、たぶん蛙かなという鳴き声と、どこかにいるだろう鳥の鳴き声で山の中は賑やかだった。少なくとも家で一人でいるよりは生き物と共存している気分になれる気がする。鎌を握って草を刈る祖母の姿が目に浮かんだ。
 最後のカーブを曲がると墓石が見えてきた。昔の共同墓地だったようで、知らない家の墓もいくつかあるが、すでに誰も訪れなくなっていて、うちの墓の手入れのついでに祖母が草を刈ったり蜘蛛の巣を払ったりしているらしい。いつか私がその役目を引き継ぐのかと思ったが、おそらく無理だ。他の墓もそうやって忘れられてきたのだろう。
 ペットボトルに入れて持ってきた水を墓にかけ、花立てに注ぎ花を挿す。墓石の横の物入れから線香とマッチと取り出して、火をつける。
(お母さん、久しぶり。帰ってきたよ。最近は仕事でもいろいろあって、何か考えさせられることもあったりして、そして気づいたら私、お母さんと同い年になっとったよ。不思議ね。私が今、十四歳の娘おるとか想像できんよ。一生懸命育ててくれてありがとうね)
 瞼を開くと水に濡れた墓石が光を反射していて、山の木々が穏やかに揺れる音がした。立ち上がり、近くの木陰にある石に座って、周りを見渡す。誰も来ない山の中では、毎日こんなに穏やかな時間が流れているのだと知った。ここには母のお骨がある。祖父や先祖のお骨も。そして周りの墓にも。ここで今、生きているのは私だけだ。命を次の世代へを繋いでこの世を去っていった人たち。でも命を受け取った人たちも一人、また一人とこの場所を忘れ、どこかへ去って行った。私は命を繋ぐつもりはないから、この墓地はやがて山に飲み込まれて自然に還るだろう。これは報われないことだろうか。皆、命を次世代に繋ぐために子供を産んだのか、そうだとは思わない。皆、自分の人生を生きただけで、その中に子供を持つという出来事があっただけだ。結果に過ぎない。母も、自分の人生を生きただけだったのに、私を産んだばかりに責任に押しつぶされるようなことになったのかもしれない、そう思うとかわいそうで、少しだけ、バカだなと思った。もっと自分勝手に生きればよかったのに。
「また来るけんね」
 手を振って墓地を後にした。
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