本能の軛

teran

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第4話

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 高層ビルの十七階、床から天井まで広がる窓から浜離宮恩賜庭園が一望できる。天気の良い園内を歩く人たちが羨ましい。さほど広くはないが綺麗なオフィスの会議室には、私、遠藤さん、楠さん、神野さん、そして倉下さんが居た。他愛ない世間話の後、遠藤さんが本題に入る。
「会場の候補ですが、こちらをご覧ください」
 手元に配られた資料と同じスライドがスクリーンに映し出される。
「予算と規模、あとはホテルかコンフェレンス会場かで分けてご提案しています。おすすめは最近渋谷にできたこちらのホールか、神田にオープンする予定のこちらです」
 うんうんと頷きながら聞く楠さん、神野さんとは対照的に倉下さんは不満そうな顔をしていた。
「うーん、できればホテルがいいのよね。やっぱり会場のスタッフの質が違うでしょ」
 スタッフの質が違うというのは、要は私たちの会社が外注で手配するスタッフが不満だということを表している。とはいえ、ホテルのスタッフだけでは到底カバーできないため、受付業務など結局はいつもバイトが入っているのだけど、倉下さんの中ではホテルでやる場合はすべてをホテルのスタッフがやっていることになっている。何度かやんわりと指摘したこともあるが「でもホテルのスタッフがいるのといないのじゃ天と地ほど違うよね」と言い返された。天と地ほどの違いはない。また同じ指摘をするのが心苦しいなと思っていたところ神野さんが口を開いた。
「でもホテルは高いですからね。新しいコンフェレンス会場だとすごく綺麗だし、下手したら変なホテルよりもよほど高級感ありますよね。赤坂のあそことか」
スクリーンの右端、テレビでもたまに紹介されるレストランやカフェの入った複合施設を指差す。
「あのー、今は高級感の話なんてしてないんですけど。スタッフの話をしてんですよ。しかも変なホテルって。うちの会社は変なホテルは使いません」
 これだから何もわかってない新入りは。と言いたげに倉下さんが大げさにため息をつく。
「前職の時はあまりホテルではやってなかったですけど、ホテルじゃなくてもすごく仕事のできるスタッフさん手配していただいて、なんにも問題なかったですよ。ねえ」
 神野さんが私に同意を求めてくる。
「ええ、はい、信頼のできるスタッフを集めるようにしていますので」
 実際はその場限りのバイトだが、そう答えた。スーツを着て身なりを整えて社会常識があれば、基本誰にでもできるようマニュアル化されているのだから、バイトでもホテルスタッフでもそんなに変わりはない。
「だーかーら、前の会社のことはいいんですよ、それにそのホールとかってホワイエないんじゃないの? うちは展示社がたくさん来るからホワイエが重要なんです」
 だんだん倉下さんの機嫌が悪くなってきた。それでも倉下さんと私や遠藤さんだけの時に比べればまだマシな方だ。楠さんや神野さんが同席する今回のイベント打ち合わせでは、まだ物を投げられていないし、バカとか使えないといった言葉も浴びせられていない。
「今回は楠さんのところとコラボセミナーなので、いつもみたいにたくさんの展示社はいませんよ。逆に広いホワイエに5社とかってのも寂しいかもしれないです。そういう意味ではホワイエの広さもちょうどいい会場だと思います」
 遠藤さんはまったく動じずに返す。この人の鋼の心を少し分けてほしいといつも思う。罵声を浴びせられている時であっても、横目で見ると地蔵のように固まって何のダメージも受けず、一定の間隔で「申し訳ありません」「今後気をつけます」と言うだけだ。
「え! たった5社しか集めないつもりなんですかぁ? 神野さんそれでいいんですか? まあそれだったらホワイエ小さくてもいいかもしれないけど、いいんですかね、そんなんで。うちの会社いつも30社は集めてるのに」
 カチカチカチカチと倉下さんがボールペンを鳴らす音が響く。神野さんは口元だけ微笑んでいるが、目が笑っていない。楠さんはさっきから神野さんと倉下さんを交互に目で追うだけで何も言葉を発しない。とにかく私は今日、会場を決めてしまいたかった。たまたま奇跡的に候補の会場を仮押さえできているが、このうち2つはキャンセル待ちをしている他社からプレッシャーがかかっており、来週までに決めなければとられてしまいそうなのだ。
「展示社の話はすでに前回の打ち合わせでしてますね。初めての企画だから規模を小さくして開催するってことも。議事録出しましょうか?」
 遠藤さんが言うと倉下さんが舌打ちをした。いつもの倉下さんになってきた。このままではボールペンが飛んでくるかもしれない。ただ、予想外だったのが、倉下さんが楠さんの前でもこんなに傍若無人な態度をとるということだ。他社の、それも男の前、しかもイケメンの前では猫をかぶるタイプだと思っていたので、徹底した態度にある種の清々しさを感じた。
「楠さんはいかがでしょう?」
 ここは彼に決めてもらうのが、一番カドが立たずに済むと思い話を振った。楠さんは手元の資料を行ったり来たりしながら考えていた様子で、
「この神田のところいいじゃないですか。和風かつモダンな感じで面白いですよ。今回はインバウンドに関するセミナーだし、日本在住の海外の方も多く参加される見込みなので、日本を発信するという意味ではふさわしいと思います」
と言うと、
「そうですね、予算的にはここが一番合いますし、今ならオープンの割引キャンペーンで割安で使用できます」
と遠藤さんが続け、
「じゃあ、そこにしましょう、そんなに広くないけどホワイエもあるし、これ以上考えていても仕方ないですし、それよりもアジェンダ詰めていかないと」
と神野さんが畳みかけた。
「倉下さんは、よろしいですか?」
と私が聞くと
「あーいいんじゃない?」
と返ってきた。明らかに不穏な空気だったが、それでも私は会場が決まってホッとしていた。講演内容については私たちには関係がないので、先にノベルティやコーヒーブレイクの飲み物の種類、お菓子などを確認して私と遠藤さんは部屋を退出した。
 ビルの外はいい天気だった。
「お待たせー、ねえ、散歩してこうよ」
 喫煙所から戻ってきた遠藤さんが、右手で日差しを遮り、左手で浜離宮を指さしながら言う。
「だめですよ、やることいっぱいあるんですから、早く帰らないと」
「いいじゃん、たまには散歩でもしないとストレスでぶっ倒れるよ」
 しつこいので、仕方なく付き合うことにした。ビルの会議室からも見えていたが、菜の花が満開だった。昔、ピアノ教室に通っていた道を思い出す。もう二十年以上も前だ。
「菜の花のさあ、花言葉ってなんだろね」
「さあ、わかんないです」
「ちょっとググるわ」
 平日だというのに園内にはそれなりに人が居た。スマホをいじりながら歩くと危ないので近くのベンチに座ることにした。遠藤さんが調べている間、黄色の花をぼーっと眺める。
「花言葉は、快活な愛、競争、小さな幸せ、快活、活発、元気いっぱい、豊かさ、財産、だって。多すぎでしょ、しかも別のサイトだと予期せぬ出会い、とも書いてある」
「多すぎですね、どれか好きなの選ぶっていうパターンじゃないですか」
「なにそのパターンって、花言葉にパターンとかないから」
 二人でくすくすと笑っていると遠藤さんが
「じゃあ吉崎はどれ選ぶ?」
と訊くので、なにがあったかもう一度スマホの画面を見せてもらった。
「……競争、豊かさ、財産、ですかね」
「うわ、財産とか言うと思ったー、絶対小さな幸せとか選ばなそうだもん」
「そりゃそうですよ、なんですか小さな幸せって」
「えー、天気のいい平日の昼間っから菜の花見たりすることじゃないのー?」
 遠藤さんはおもむろに鞄から封の空いた麩菓子を取り出した。一つ咥えると
「はふぇふ?」
 と袋を差し出してきたのでいただくことにした。三十六歳と三十四歳の女が平日の昼間から外で麩菓子を食べている。
「ていうかさー、倉下さん何で居たの?」
 もともと今回のイベントは楠さんと神野さんがパーティで意気投合して、一緒に何かやりましょうということで企画されたものだったのだが、今日の打ち合わせに突然、倉下さんが来た。
「なんか、神野さんにライバル心、抱いてるんじゃないですか? 中途で来たのに役職も上だし?」
「せっかくあの人抜きで穏やかに仕事できると思ったのに、今日もすごい絡んでたよね。なんなのあの人。ほんとうざいわー、一応メールCC入ってんのに、途中から来るんなら議事録ぐらい読んでこいよなー」
 バリバリバリバリと怒りを発散するように麩菓子をかじっている。遠藤さんがよく麩菓子を食べているのはストレス解消なのかもしれない。
「やっぱ楠さんのとこで打ち合わせやればよかったですね。そしたら倉下さんも来なかったかもしれない」
「そうだねー、私の縄張りでなにこそこそやってんだ、って思いそうだもんね倉下さん」
 麩菓子を食べ終えた私たちは、少しの間、倉下さんの悪口を言ってから会社に戻った。ストレス発散にとてもよかった。

 イベント当日、私たちは神田に居た。新しい会場は清潔で、洗練されつつもユニークなインテリアが、日本の良さを海外に発信するイベントにぴったりだった。すでに開場して十五分が過ぎていた。申し込み数は上々だったし、天気も晴れ。満席の入りになるのは間違いない。講演会場であるホールまで続くホワイエには、結局6社の出展ブースが並び盛況だった。開演まであと十五分、入場受付の波が一段落したところでホールの中へ向かった。
 本番当日のステージや各講演者との調整はすべて遠藤さんが仕切ってくれていたので問題なく準備ができており、あとは開演を待つのみだった。客席もほぼ埋まっていて安心していたところ、インカムで遠藤さんに舞台袖まで来るよう呼び出された。
 袖に行くと、遠藤さんと神野さん、楠さんが居た。近くには楠さんの挨拶の後に基調講演を行う外国人講演者も控えている。私に気づいた遠藤さんが小声で尋ねた。
「倉下さん、見てないよね?」
 そういえば、今日まだ倉下さんを見かけていない。
「見てないですね、もしかして来てないんでしょうか」
「やっぱり……」
 遠藤さんが神野さん達の方を見て首を横に振った。神野さんがため息をついている。
「今日の基調講演のプレゼン、翻訳を倉下さんが担当してて、今日持ってくるって言ってたんだよ。しかも逐次通訳も自分がやるって言ってたじゃん? どうするかな……」
 楠さんに頭を下げながら何かを言った後、外国人講演者と会話して何かを受け取った神野さんが私たちの方へ近づいてきた。
「倉下が来ていないようなので、私が通訳やります。翻訳前の英語のデータならあるので、とりあえずこの中に入ってるスライドを講演用PCにセットしてもいいですか?」
 一緒に講演台へ向かい、PCにデータをセットした。一通りチェックしたところ、壊れたスライドやアニメーションはなかった。その後、神野さんは控室に戻り、通訳のために急いでデータを確認し始めた。開演まであと十分、最初の講演者である楠さんのプレゼンが終わるまで二十五分だった。
 何度か電話をしたが、倉下さんには繋がらない。会社に電話しても今日はイベント会場に直行になっていて出社していないという。こんなことは今までになかったので、事故か何かの可能性も考えていたら、スマホにメールが届いた。

すみません、子供が熱を出したので病院へ来ています。午後からは行けますのでそれまでよろしくお願いします 倉下

 あて先は神野さん、私、遠藤さんだった。添付ファイルでプレゼンのデータが付いている。急いで自分のPCを立ち上げ、添付ファイルをUSBメモリに保存し、舞台のPCのデータと差し替えた。私は無性に腹が立ったが、頭のどこかで、理性が「子供のことなんだから仕方ない」と言っている。ただ、それはあくまで私の話であって、近くでメールを確認していた遠藤さんは、
「まっじふっざけんなよ~! 子供のことならなんでも許されると思うなよ~!」
と怒りをぶちまけていた。おそらくメールを見ている余裕はないであろう神野さんに知らせなければと思い、私は控室へ向かった。急がなければもう時間がない。通路を走り、曲がり角で人とぶつかりそうになりながらたどり着いた控室のドアは開いていたので、ノックをして背中を向けている神野さんに話しかけた。神野さんは私に気づいておらず、スライドを見ながらぶつぶつと何かをつぶやいていた。もう一度ノックをして大きめに声をかけると、ビクリとしてこちらを振り返った。その表情はいつもの神野さんからは考えられないほど険しかった。
「あ、すみません、集中してスライドの原稿を読んでて気づきませんでした」
次の瞬間、いつもの穏やかな神野さんに戻っていたが、かなり通訳のプレッシャーに追い詰められているようだった。優秀な神野さんでも、さすがに準備無しで専門外の分野のプレゼンを通訳するのは難易度が高いのだと思う。
「すみません、集中されてるところに。あの、メール、見てない、ですよね?倉下さん、お子さんが熱出したみたいで、今、病院だそうです。午後からは来られるとのことでした。念のためその共有です。翻訳済みデータも送られてきてました、このUSBメモリに入れています。講演台のPCは差し替え済みです。すみません、お邪魔しました」
 神野さんの雰囲気に気圧されてつい早口になってしまう。データを渡し、控室を後にした。本番開始まであと五分を切っている。袖に戻ると遠藤さんが楠さんを舞台に送り出すためスタンバイしていた。心なしか、いつもは何をしていても余裕を感じる楠さんが少し緊張しているように見えた。会場が暗転し、オープニングの映像が流れて、その後楠さんが舞台に歩み出る。遠藤さんも少しほっとした様子でこちらへ歩いてくる。
「神野さん大丈夫かな、通訳ってそんな突然できるもんなの?」
「私は通訳できるほど英語できないんで実際どうなのかわからないですけど、神野さんは帰国子女だし、なんとかしてくれることを祈るしかないですね」
 私は京都のコンフェレンスのことを思い出していた。あの時、神野さんは英語が拙い私の代わりにテレビ会議でずっと通訳をしてくれていた。イベントの間もあちこちで発生するトラブルを時に英語、時に日本語で解決していたので、それを思い出すと今日もきっと問題なく解決してくれる気がした。楠さんの挨拶も半分に差し掛かってきて、そろそろ呼びに行こうと思っていると神野さんが袖に現れた。落ち着いた様子で外国人講演者と会話している。気づけば私も遠藤さんも英語を話さないため、彼は今どういう状況になっているか理解できていなかったかもしれない、申し訳ないことをしたと思う。
 拍手が聞こえてきて、楠さんが袖に戻ってきた。いよいよ基調講演が始まる。名前を紹介された講演者の少し後ろからハンドマイクを持った神野さんが舞台に出ていく。
 講演開始後、前半の三十分くらいは滞りなく進んでいた。スライドも日本語訳がつけられていて、神野さんも落ち着いた様子で通訳を務めていた。ただ、徐々に講演者の言葉が詰まったり、スライドが飛ばされたり戻されたりして、何かがうまくいっていない様子が伝わってきた。講演者はそのまま話を続けていたが、神野さんは通訳に詰まるようになった。おそらく、講演者はスライドに関係ない話をしているようだった。結局スライドは途中で止まったまま話が続き、最期に「Thank you」という言葉で締められるまで進むことはなかった。その間の通訳は、前半とは違ってかなりたどたどしく、要領をえないものになってしまった。拍手を背に袖に戻ってきた講演者はかなり立腹している。遅れて戻ってきた神野さんに対して怒鳴っていた内容は、私の拙い英語力でもだいたいわかることで、データが古かった。古いバージョンのプレゼンだった、ということだった。あとは多分、社外秘のために削除したスライドが残っていた。とも言っていた気がする。神野さんはただ謝罪するばかりだった。すでに次の講演者が控えていたので、その場を遠藤さんにお願いし、私は彼をなんとかなだめて控室へと戻ってもらった。神野さんはずっと謝っていたし、私も、とにかくソーリーソーリーと言いながら控室までついて行った。
 講演者用控室を後にして、ホワイエを歩いていると向こうの方に倉下さんらしき人影が歩いて行くのが見えた。舞台袖に続く通路だ。私の見間違いではないと思ったのは、神野さんが走りだしたからだった。私もつられて後を追いかけたが、神野さんの走りは本気だった。走るとすぐに息が上がる私は、諦めてできるだけ速足で、参加者にぶつからないように気を付けてついて行くと、通路の角を曲がった先で二人は言い争いを始めていた。袖の方にも聞こえたのか、遠藤さんがドアを開け少し覗いたかと思うと、慌てて飛び出してきた。
「ちょっとお二人とも、こんなところでだめですよ! ちょっと! あっち行きましょあっち!」
受付の裏手にある事務局の部屋に、遠藤さんと私で二人を引っ張るようにして連れて行った。ドアを閉めた途端、怒鳴り声が響く。
「何考えてんの! 本番に来ないなんて! だから前もってデータ共有しておいてっていったでしょ!」
「はあ? さっきメールで添付しましたけどぉ⁉」
「あんたが送ってきたデータ、バージョンが古かったの! おかげで通訳はめちゃくちゃだし講演者も、もう二度と一緒に仕事しないって言ってる! どうすんの⁉」
 一瞬、倉下さんがしまった……という表情をしたが、すぐに言い返す。
「通訳がめちゃくちゃなのは神野さんの能力不足なんじゃないですかぁ⁉ だいたい仕方ないじゃない、子供が熱出したんだから! これでも大急ぎで病院行って実家の親に来てもらって預けてきたんですよ⁉」
 確かにまだ十一時を回ったところだし、急いで駆け付けたことは嘘ではないようだったが、遠藤さんが小声で「そういう問題じゃねーよ」と言った。とはいえ、私も遠藤さんも遠巻きに眺めていることしかできなかった。倉下さんはともかく神野さんがあんなに感情的になるのは予想外だったからだ。
「あのねえ! 子供子供って、子供が居ればなんでも許されると思ってんの? 子供盾にしてるだけでしょ? あんたが休みまくってるしわ寄せ誰にきてると思ってんの?」
「うわ、子供を盾にするなんて発想ないけど! これだから子供がいない女って怖いんだよねー、そりゃ子供もできないはずだわ、そんな女のとこに授かるわけないもん」
 私と遠藤さんの口から、「あー……」と言う声が漏れた。神野さんは口をまっすぐに噤んだまま、まるで嘔吐するのを我慢しているように鼻だけで荒い息をしている。
「あんな大手からうちに転職してくるなんて、何か仕事でやらかしたのかなと思ってあそこで働いてる友達に訊いたら、同僚だった人と離婚したらしいですね、居づらいですよね、しかも元旦那さんはもう再婚してお子さんいるらしいし。何が原因だったんだか」
「はい、そこまでにしましょう、はいはいはいはい」
「原因は……、ちょっと何よ! 痛い痛い! おいやめろよ!」
 ドアの前に立っていた私のところに遠藤さんが倉下さんの肩をつかんで連れてきたので、ドアを開け、遠藤さんごと部屋の外に出てもらう。遠藤さんが「はいはいまあまあ」となだめているのが閉まるドアの隙間から見えた。部屋の中へ視線を戻すと、神野さんは椅子に座ってテーブルに伏せていた。顔は見えない。なんと声をかけたらいいのか、それとも声なんてかけない方がいいのか悩んだ。
「神野さん、あとは私たちでやりますから、休んでてください」
 それだけ言って控室を出た。
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