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聖地(3)

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 マーリンとライナは二人で向かい合ってソファに座り、ライナが手ずから淹れた紅茶へと口をつけた。
 上質な茶葉で淹れられた紅茶にはスプーン一杯のミルクが注がれており、口どけの良い甘さが舌の上に広がっていく。

「いい香りですね」

「そうでしょう、私の好きなお茶なんですよ」

 マーリンはもともと貴族令嬢であったため、こういった茶会の作法は当然のように身に着けている。それはライナも同様であり、聖地の司祭として国賓待遇で招かれることも多い彼女もまた無駄のない綺麗な所作でティーカップを口に運んでいる。

 部屋に上品な紅茶の香りが立ち上り、穏やかな時間が二人の間を包み込む。
 紅茶をたしなむ一人は仮面をつけた魔女。もう一人は僧服に身を包んだ司祭という珍妙な組み合わせであったが、二人の組み合わせは不思議と絵になっていた。

(久しぶりですね、こういうものも)

 侯爵令嬢であったときには貴族の茶会に頻繁に顔を出していたが、身分を剥奪されて追放を受けてからは紅茶を飲むことさえ稀であった。
 故郷と決別して魔女として生きる道を選んだマーリンの脳裏に、一握りの望郷の念が浮かんでくる。

(いけませんね・・・失ったものに固執するなんてみっともない)

 マーリンは己の弱さを断ち切るように、わざとカチャリと音を立ててティーカップを置いた。突然の無作法にライナが首を傾げる。

「ライト様、私は貴女にどうしても言いたいことがあってここまで参りました」

「・・・恨み言でしょうか。貴方の復讐の舞台を奪ってしまったことへの」

 ライナは困ったような顔をしつつ、マーリンにならって音を立ててティーカップを置く。マーリンは首を振りながら丁寧に頭を下げた。

「ロクサルト王国の孤児院を救っていただきありがとうございます。ライト様のおかげで罪のない子供達が国の混乱に巻き込まれることが避けられました」

 それはマーリンがライナにずっと言いたいと思っていた感謝の言葉であった。

 王太子の結婚式で起こった騒動以来、ロクサルト王国では『聖職者狩り』と呼ばれる事件が頻発していた。
 聖女であったはずのメアリーが実は魔族であった。その事実に打ちのめされて混乱した民衆が神殿の聖職者を「魔族の仲間」と呼んで襲撃し、ときに神殿と関わりのある施設に火を放つようになったのである。
 確かに神殿の関係者の中にはメアリーにすり寄って聖女として擁立した者もいるのだが、襲撃を受けた被害者の中には無関係な司祭やシスターも大勢含まれていた。

 そんな混乱を収めたのは、メアリーの正体を暴いた大司祭ライナ・ライトである。
 彼女は混乱する民衆に自分が神殿の内部を調査して魔族が潜んでいないか洗い出すことを宣言して、教会関係者に対する暴力行為を収めるように訴えた。
 さらに、孤児院のような神殿関係の施設を保護下において、理不尽な暴動に巻き込まれないように守ったのである。

「そういえば・・・マーリン様は孤児院に寄付をしているのでしたね」

 糾弾されるものだとばかり思っていたライナは予想外の感謝の言葉に面食らった様子であったが、すぐに年齢に似合わない大人びた笑みを作って応える。

「ええ、あの孤児院のシスターとは友人ですし・・・ロクサルト王国の王族や貴族とは関わる気はありませんが、子供に罪はありませんので」

「素晴らしい。理不尽に国を追われてもなお誰かを救わんとする心を持っているとは、本当に貴女は聖女のような魔女ですね」

「・・・あまり褒められている気がしませんね」

 マーリンはうんざりしたように唇を歪めて、すっかり冷めてしまった紅茶へと手を伸ばした。
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