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幕間 落日の帝国③
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この国は滅びかけている。
宰相エドモンド・レイベルンの耳には、刻一刻と近づいてくる死神の行進の足音がハッキリと聞こえていた。
「皇帝陛下はどちらにおられる?」
エドモンドが皇帝の執務室に入ると、部屋の主である人物の姿はない。
代わりに、所在なさげにたたずんでいる侍従の姿がある。
「こ、皇帝陛下は、その……体調が優れないとのことで……」
「いつもの癇癪か? 今日は何があった?」
侍従の出まかせには付き合わず、端的に訊ねた。
あっさりと見抜かれた侍従も嘘を重ねることなく溜息をつく。
「……若い貴族の男性が直談判に来られたようです。何でも、国が乱れているのが皇帝陛下の責任であると直訴したとか」
「なんと愚かな……そんなことをしても、あの御方が聞く耳を持つわけが無かろうに……」
呆れるエドモンドであったが……「いや、違うか」とすぐに表情を曇らせる。
正しいことを口にしているのはその貴族だ。
間違っているのは皇帝であるルーデリヒ、そしてエドモンド自身だった。
かつて、エドモンドにはアリーシャという名前の娘がいた。
親の欲目を抜きにしても美しく、聡明な娘だった。
その才覚と美貌を買われて皇太子の婚約者に選ばれたアリーシャであったが、あらぬ罪を被せられて婚約破棄されることになる。
エドモンドは娘がそうなることを知っていて、アリーシャを見捨てたのだ。
(あの時は仕方がなかった。娘一人の命で領地と領民が救われるのならば安いものだと、思っていたのだがな……)
当時、エドモンドが治めているレイベルン公爵領は天災に見舞われて混乱の中にあった。
領内にあった港が嵐によって大打撃を受けて、所有していた船がいくつも海の藻屑になってしまったのだ。
麦を始めとした作物にも被害が大きく、備蓄していた金や食料を全て吐き出したとしても、領民から多くの餓死者が出ていたことだろう。
そんな弱みに付け込んできたのがルーデリヒである。
ルーデリヒは恋人であるエリスという女に心酔しており、アリーシャを捨ててエリスと結ばれることを望んでいた。
ルーデリヒはエドモンドに対して、多額の援助と引き換えにして娘の婚約破棄に同意するように迫ってきたのだ。
エドモンドは苦悩したものの……最終的には領地と領民を取ってルーデリヒとの取引に応じた。
聡明な娘のことだ、きっとわかってくれる。
婚約破棄されたとしても、別の男性を探してあげればいい。
美しく賢いアリーシャならば、皇太子妃にならずとも幸福を掴むことができるはず。
そんな言い訳を頭の中で並べて、娘を裏切る決断をしたのである。
(だが……それは間違いだった)
ルーデリヒは驚くべきことに、娘を婚約破棄しただけではなく皇帝殺しの罪を被せて国外追放したのだ。
その事実を後になって知り、エドモンドは愕然とした。
婚約破棄には同意したが皇帝殺しの罪を被せられることまでは受け入れていない。
災害のせいで交通網が被害を受けており、情報が入ってくるのに遅延があった。
その遅れは致命的。エドモンドが事態に気がついた時には、すでにアリーシャが皇帝夫妻を暗殺したという話が国中に広まっていた。
ルーデリヒは約束通りに多額の援助金を払ってくれた。エドモンドに『宰相』の地位まで与えてくれた。
おかげで領地は持ち直しており、領民が餓死するという事態は避けられた。
だが……その結果はとてもではないが、エドモンドにとって満足できることではない。
愛する娘が犯罪者として追放されて、心を壊した妻が寝たきりとなり。
おまけに娘が追放される原因になったエリスという娘を養子にして、後ろ盾となることを強要されたのだから。
見識のある人間は気がついているが……アリーシャは皇帝を殺していない。殺したのは間違いなくルーデリヒだ。
そして……エドモンドはその片棒を担いで、娘を金で売り飛ばしたことになっている。
宰相という役職は与えられたが……正直、この地位に魅力はない。
癇癪持ちで何かとあれば臍を曲げて仕事を放りだす、問題児の皇帝の尻拭いをする仕事だ。
くだらない地位のせいで沈みかけの船から逃げ出すこともできず、こうして宮廷に留まることになっていた。
「それで……皇帝陛下を糾弾した貴族はどうなった? やはり処刑されたのか?」
エドモンドが諦め混じりの口調で訊ねた。
皇帝に直訴するのだから、その若者はよほど信念と誇りを持った青年だったのだろう。未来ある若者が皇帝の癇癪で死んでしまったことが残念でならない。
「いえ、処刑はされていません。罰されることなく王宮を出ています」
しかし、侍従の口から出たのは予想外の言葉である。
「皇帝陛下への直訴は受け入れられなかったようですが……兵士に処分を命じることもなく、皇帝陛下は部屋に戻っていきました」
「フム? 陛下が処刑を踏みとどまったとは珍しい。どういう心境の変化だ?」
皇帝は自分を糾弾する人間がいれば、容赦なく罰を与えてきた。
おかげで周囲から人がいなくなっていることから目を逸らしながら。
(あの男でも学習するということか……今さら、遅すぎるが)
今になってルーデリヒが心を入れ替えたとしても、あまりに遅すぎる。
もはやエイルーン帝国という船は沈みかかっている。船底に開いた穴はもはや塞ぎようがないほど広がっている。
(あの愚かな皇帝と共に沈むことが私に与えられた罰か……あの世で娘に詫びなくてはな……)
エドモンドは深く溜息を吐いて、ここ数年で老け込んでシワが増えた自分の顔を掌で撫でるのであった。
宰相エドモンド・レイベルンの耳には、刻一刻と近づいてくる死神の行進の足音がハッキリと聞こえていた。
「皇帝陛下はどちらにおられる?」
エドモンドが皇帝の執務室に入ると、部屋の主である人物の姿はない。
代わりに、所在なさげにたたずんでいる侍従の姿がある。
「こ、皇帝陛下は、その……体調が優れないとのことで……」
「いつもの癇癪か? 今日は何があった?」
侍従の出まかせには付き合わず、端的に訊ねた。
あっさりと見抜かれた侍従も嘘を重ねることなく溜息をつく。
「……若い貴族の男性が直談判に来られたようです。何でも、国が乱れているのが皇帝陛下の責任であると直訴したとか」
「なんと愚かな……そんなことをしても、あの御方が聞く耳を持つわけが無かろうに……」
呆れるエドモンドであったが……「いや、違うか」とすぐに表情を曇らせる。
正しいことを口にしているのはその貴族だ。
間違っているのは皇帝であるルーデリヒ、そしてエドモンド自身だった。
かつて、エドモンドにはアリーシャという名前の娘がいた。
親の欲目を抜きにしても美しく、聡明な娘だった。
その才覚と美貌を買われて皇太子の婚約者に選ばれたアリーシャであったが、あらぬ罪を被せられて婚約破棄されることになる。
エドモンドは娘がそうなることを知っていて、アリーシャを見捨てたのだ。
(あの時は仕方がなかった。娘一人の命で領地と領民が救われるのならば安いものだと、思っていたのだがな……)
当時、エドモンドが治めているレイベルン公爵領は天災に見舞われて混乱の中にあった。
領内にあった港が嵐によって大打撃を受けて、所有していた船がいくつも海の藻屑になってしまったのだ。
麦を始めとした作物にも被害が大きく、備蓄していた金や食料を全て吐き出したとしても、領民から多くの餓死者が出ていたことだろう。
そんな弱みに付け込んできたのがルーデリヒである。
ルーデリヒは恋人であるエリスという女に心酔しており、アリーシャを捨ててエリスと結ばれることを望んでいた。
ルーデリヒはエドモンドに対して、多額の援助と引き換えにして娘の婚約破棄に同意するように迫ってきたのだ。
エドモンドは苦悩したものの……最終的には領地と領民を取ってルーデリヒとの取引に応じた。
聡明な娘のことだ、きっとわかってくれる。
婚約破棄されたとしても、別の男性を探してあげればいい。
美しく賢いアリーシャならば、皇太子妃にならずとも幸福を掴むことができるはず。
そんな言い訳を頭の中で並べて、娘を裏切る決断をしたのである。
(だが……それは間違いだった)
ルーデリヒは驚くべきことに、娘を婚約破棄しただけではなく皇帝殺しの罪を被せて国外追放したのだ。
その事実を後になって知り、エドモンドは愕然とした。
婚約破棄には同意したが皇帝殺しの罪を被せられることまでは受け入れていない。
災害のせいで交通網が被害を受けており、情報が入ってくるのに遅延があった。
その遅れは致命的。エドモンドが事態に気がついた時には、すでにアリーシャが皇帝夫妻を暗殺したという話が国中に広まっていた。
ルーデリヒは約束通りに多額の援助金を払ってくれた。エドモンドに『宰相』の地位まで与えてくれた。
おかげで領地は持ち直しており、領民が餓死するという事態は避けられた。
だが……その結果はとてもではないが、エドモンドにとって満足できることではない。
愛する娘が犯罪者として追放されて、心を壊した妻が寝たきりとなり。
おまけに娘が追放される原因になったエリスという娘を養子にして、後ろ盾となることを強要されたのだから。
見識のある人間は気がついているが……アリーシャは皇帝を殺していない。殺したのは間違いなくルーデリヒだ。
そして……エドモンドはその片棒を担いで、娘を金で売り飛ばしたことになっている。
宰相という役職は与えられたが……正直、この地位に魅力はない。
癇癪持ちで何かとあれば臍を曲げて仕事を放りだす、問題児の皇帝の尻拭いをする仕事だ。
くだらない地位のせいで沈みかけの船から逃げ出すこともできず、こうして宮廷に留まることになっていた。
「それで……皇帝陛下を糾弾した貴族はどうなった? やはり処刑されたのか?」
エドモンドが諦め混じりの口調で訊ねた。
皇帝に直訴するのだから、その若者はよほど信念と誇りを持った青年だったのだろう。未来ある若者が皇帝の癇癪で死んでしまったことが残念でならない。
「いえ、処刑はされていません。罰されることなく王宮を出ています」
しかし、侍従の口から出たのは予想外の言葉である。
「皇帝陛下への直訴は受け入れられなかったようですが……兵士に処分を命じることもなく、皇帝陛下は部屋に戻っていきました」
「フム? 陛下が処刑を踏みとどまったとは珍しい。どういう心境の変化だ?」
皇帝は自分を糾弾する人間がいれば、容赦なく罰を与えてきた。
おかげで周囲から人がいなくなっていることから目を逸らしながら。
(あの男でも学習するということか……今さら、遅すぎるが)
今になってルーデリヒが心を入れ替えたとしても、あまりに遅すぎる。
もはやエイルーン帝国という船は沈みかかっている。船底に開いた穴はもはや塞ぎようがないほど広がっている。
(あの愚かな皇帝と共に沈むことが私に与えられた罰か……あの世で娘に詫びなくてはな……)
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