エスメラルドの宝典

のーが

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第8話

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 悠司が執務机の椅子に戻った。
 整然とした机の上に片肘をつくと、彼は手のひらに顎をのせた。

「以上で儀式は終わりだ。ここからは楽な姿勢で応対させてもらうよ。さて、慧くんにはうちの会社に入るにあたって知っておいてもらいたいことがある。君は、宝典魔術師と呼ばれる存在を知っているかな? フリーフロムにも何人かいただろう?」
「異能使いのことか? さすがによく調べている。それが現代の魔法使いの呼び名というわけか」
「そんなところだね。その昔、我々の住むこの世界は、ある一人の怪物によって滅ぼされた。魔人・エスメラルド。怪物は闇夜で碧く煌く翠玉の双眸そうぼうを持っていたことから、そう呼ばれるようになった。人類の叡智えいちを結集しても及ばぬ力で各国の主要軍事施設を焦土に変貌させていく様相は、まさしくその肩書に相応しかっただろう。あらゆる国家も、あらゆる兵器も、彼を止めるには至らなかった。だけど彼にも限界があったらしくてね。長い戦いで疲弊、衰弱した彼は、とある組織に討伐されたんだ。でもね、知ってのとおり、世界が滅んだのはそのあとだ」

 悠司が鏡花に目配せする。
 視線を受け取った鏡花は右手を中空に振り上げた。彼女が手をかざした空間に翠玉の光が結集して、一冊の本が出現する。

「彼が死滅した二十三年前から、鏡花のように異能に目覚める者たちが現れた。念じることで特別な本を顕現させられる能力。その本に綴られた魔術を唱えることで、かつて魔人が破壊に行使した様々な超常現象を自在に操れる能力。本の表紙に書かれた名称から、我々はソレを〝エスメラルドの宝典〟と呼び、その力を得た異能力者を宝典魔術師と呼称している。宝典魔術師は絶大な力を持つ。それこそ、失われた軍事力と肩を並べるくらいにね。そんなものが抑止力の機能しない無秩序の世に溢れてしまったせいで、この世界は一度滅んでしまった」
「この邸宅が立っている辺りも、元は賑やかな街があったんだろ?」
「ここに来るまでに君が見た景色が全てだよ。驚くようなことでもない。人類の大半も死滅したんだから、復興させる地域はごく僅かでいい。慧くんの住んでたアジトの辺りも、似たような有様だったんじゃないかな?」
「珍しいわけじゃない。破壊し尽くされた土地にしては、この邸宅は内装も外装も綺麗すぎる。辺りが焦土と化したあとに新築したのか?」
「ご名答。遮蔽物が少なくて見晴らしがいいだろう?」

 慧は同意できなかった。見晴らしがよくなったところで、敵に見つかりやすいだけではないか。それが利点だと本気でいっているのか。
 いや、本気ならまだマシだ。もしも冗談でこんな周りに何もない土地に拠点を設けたのなら、悠司は正真正銘の変態としか思えない。

「それはともかくとして、慧くんは宝典魔術師についてどれくらい知っているのかな?」

 先の質問は、感想を求めていたわけではなかったらしい。
 悩むことをやめて、慧は肩をすくめた。

「大して知識があるわけじゃない。ありえない現象を自在に起こせることと、起こせる現象に個人差があるってことくらいだ。その理由は知らない」
「ならば念のため覚えておいてほしい。この話は統計に基づく有識者の推測でしかない仮説だけど、能力を発現する条件については未成年であり、なおかつ自分ではなく他人に対して強い願望を抱いている者であるらしい。願望の種類に指定はないらしく、実際に破壊衝動、嫉妬、殺人欲求、羨望など、多種多様な願いによる発現が確認されている。一度能力が発現してしまえば、成人後も力は失われないそうだよ。強さに個人差があるのは、使用者たる宝典魔術師の内面や本質によって扱える魔術が変わるからだね。使用できる魔術が性格の写しとなるわけだ」
「写し?」
「宝典に載っている魔術は、現在までに確認されているものは全て術名に宝石の名前を含んでいる。宝石の持つ石言葉と使用者の本質が一致した場合に、対応する魔術が扱えるようになると考えられているね。つまり魔術を披露すると性格がバレるわけだけど、まぁそれで困ることはあまりないんじゃないかな」

 長い説明を終えると、悠司は椅子の背に軽くもたれかかった。
 悠司ほど詳しくはないが、慧も宝典魔術師の存在は知っている。理由は単純で、彼の言うとおり身近にいたからだ。
 故に慧は、普通の人間では宝典魔術師に歯が立たない事実を知っている。異能の発現条件と魔術の使用条件は初めて耳にしたが、合点がいった。
 それが真実ならば、慧の身近にいた〝彼女〟が異能力に目覚めた理由としても矛盾しない。

「それで、宝典魔術師とこの組織がどう関係してるんだ?」
「我々の仕事は、この滅ぼされた世界に生き残りながら何も学ばず、魔人の望んだ混沌を支持する不貞の輩を掃除することでね。原点が悪魔の能力なだけあって、我々の敵として宝典魔術師が現れることも多い。我々と働くなら、君も遅かれ早かれ異能力者とまみえる機会が訪れると思う。しかし慧くん、君は宝典魔術師ではないね?」
「何故わかる?」
「君のいた組織・フリーフロムは我々の業界では名の知れた標的の一つだからね。所属している宝典魔術師の外見や特徴も、ある程度は把握してるんだ。資料には二刀流の魔術師に関する記述はなかったよ」

 執務机で手を組む悠司。興味深そうな視線が、慧の帯びる二本の鞘に注がれる。

「俺が変哲のない人間では、仲間とは認められないか?」
「とんでもない。それで入社を取り消すつもりは毛頭ないよ。けれど、敵は相手を選んではくれない。もしも宝典魔術師と遭遇してしまったらどうする? 鏡花のような同等の力を持つ味方に相手を任せるかい? それとも、己の力を試したいかい?」

 悠司は、心底楽しげな笑みを口端に浮かべていた。まるで、慧がどう回答するのか訊く前から知っているようだ。
 慧としては不愉快だ。何もかもを察しているくせに、わざわざ尋ねるとはまわりくどい。社長という立場にいるだけあって、傲慢な性格らしい。

 宝典魔術師との対峙といわれて、慧は真っ先に〝彼女〟と向き合っている状況を想像した。それは永遠に訪れない空想ではない。おそらく、いや確実に、遠くない未来に起こるであろう確定した現実。
 彼女と戦場で遭遇したときにどう行動するつもりなのか? 言い換えれば、悠司はそう問い質しているのかもしれない。
 ならば、慧は何も悩むことはない。
 答えは行動を起こそうと決めた二年前に決めて、いまも変わってなどいないのだから。

「異能力者だろうと何だろうと関係ない。俺の敵は悉く殲滅する。これは、そのための刃だ」

 大抵の者は無謀だと嘲笑するであろう回答。けれども悠司は特段驚くこともなかった。
 悠司の視線が再び、慧の持つ二本の得物に注目する。

「直刀か。左右に一本ずつとは変わった帯び方だね。私も侍は好きだよ? しかしね、慧くん。いまは侍も機関銃を乱射する時代だ。ましてや君が相手にしようとしているのは、機関銃ですらも豆鉄砲同然にあしらう異能力者だ。それでも君は戦うのかな?」
「答えるまでもない」
「――はっはっはっ! そうかいそうかい!」

 急に滑稽そうに声を大きくして、悠司は大笑いしながら天井を仰ぐ。
 上機嫌になった彼は椅子から立ち上がり、机を挟んで立つ慧に右手を差し出した。

「雨に濡れていた服も乾いてしまったかな? 長く引き止めて悪かったね。改めて、AMYサービスへようこそ。今日からここが君の家だ。何も忌憚することはない。我々のことは家族と思ってくれ。私も、君を実の息子として扱おう」

 皮膚の厚い手のひらに目を落として、望み通りの契りを交わした。

「一つ教えてくれ。お前も、宝典魔術師なのか?」
「宝典魔術師が誕生した二十三年前は、私の年齢もまた二十三歳。残念ながら、生まれるのが少々早すぎた」
「そんな年齢なのか」
「若く見えるかい? そういってもらえると嬉しいね。あまりうちの連中は褒めてくれないんだ。まぁその話は、また後日ゆっくりと聞かせてもらうとしよう。まずは風呂に入ってきたまえ。うちの風呂はでかいぞー!」
「湯船に浸かるのは数年ぶりだな。期待しよう」

 お喋りな社長に慧が背を向ける。
 鏡花が執務室の扉を開けた。

「――訊くまでもないかもしれないけど、私を信用してもらえたかな?」

 一転して声色を重くした社長の問いかけに、足を止めて振り返る。

「訊くまでもないことだ」

 愉快そうな笑みを見届けて、慧は社長との会話を終わらせた。
 
   ◆
   
 「失礼しました」

 一礼して、鏡花は入室したときと同じ淑やかな所作で扉を閉じた。

「違ったら悪いが、あの男は鏡花の父親か?」
「そうですよ。二人でいるときはお父さんって呼んでいるんですけど、他の人がいる場では社長と呼びなさいって、子供の頃に散々注意されました」
「あれが父親か……お前も、相当苦労したんじゃないか」
「そうでもないですよ。私が戦えるようになったのは、お父さんが色々教えてくれたからなので。お父さん、とても強いんですよ?」
「だろうな」

 明言されるまでもない。
 あの男が無力な中年親父ではないことくらい、慧も最初に目が合った瞬間から感じていた。
 
   ◆
   
 お湯を張るだけで眩暈を覚える程の水道代とガス代を請求されそうな浴槽に、慧は肩まで浸かった。最後に湯船に浸かったのはいつだろうと記憶を探って、藤沢につれていかれた街の銭湯だと思い出した。
 三年くらい前の出来事だ。一般市民と一緒の空間にいることが後ろ暗くて、彼は二度とついて行かないと誓ったのだった。
 まだ三年しか経っていない。だが、気に入らない現実を変えるため、慧は行動を起こせた。誰も褒めてなどくれないが、これは立派な行為だと断言してよいはずだ。

 悪くない気分で脱衣所に戻った。
 雨に濡れた黒色のシャツと深緑色の作業ズボンがなくなっており、代わりの服が用意されていた。
 バスタオルで身体の水滴を拭き取り、慧は与えられた制服に袖を通す。パリッという爽快な音が、他に誰もいない静かな脱衣所に響いた。
 上下の着替えを済ませて、愛用の刀を腰の左右に帯びる。脱衣所に設置されていた姿見に向き直ると、濃い青色のジャケットを身に纏った彼の姿がそこに映っていた。

 これで慧は、肩書きだけでなく外見もAMYサービスの色に染まった。
 いまのところ、計画は順調に運んでいる。

「千奈美……お前とも、戦わないといけないんだろうな」

 鏡に背を向けて、慧はいずれまみえる〝敵〟の名前を呟いた。
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