影武者として生きるなら

のーが

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第9話

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 吹いた風に上塗りされる小声でも、語りかけた相手に届いた。春久は半分だけ顔を振り返らせる。 

「影武者としての君が必要とされている状況だと、先輩から教えていただきました。時期まではわからないと言っていましたが」 

 もちろん先輩から聞いたわけではない。役所にいけば大勢が知っている事実だろうが、落葉に教えたのは久川だ。彼女が情報源である事実を隠すのは、友情を壊さないためだった。久川にとっては唯一の、春久にしても一つだけかもしれない関係を。 
 春久は口元をきつく結ぶ。答えたくないのか、答える必要がないと思うのか。 
 無神経だったのかもしれない。命を落とす危険があるというのに、訊き方が軽かった。他人事だと思われ、気を悪くしたのかもしれない。 

「……申し訳ありません。不愉快な問いかけでした」 

 頭を下げた。その行動に、打算的な考えがなかったわけではない。春久と不仲になれば、久川の耳にも彼が落葉を嫌悪しているとの情報が届く。家庭教師の気に食わない一面を知った彼女が落葉をチェンジしたいと言い出す危惧もあった。 
 視線を下げれば、度々舗装された形跡のあるムラの少ない灰色の歩道と、支給された黒の革靴が映る。 
 「おい」と呼ぶ声が脳天に刺さり、落葉は顔を持ち上げた。 
 春久が左手を突き出していた。十代とは思えない皺だらけの左手。幾筋も皺が入っているというより、そもそも皺で作られた腕の模造品のようで、落葉は息を呑む。 
 それも一瞬、落葉の熱は氷水をかけられたごとく、急激に冷めた。それで気づけた。変貌を遂げた左手の甲に、皺だらけで読みづらくとも〝128〟と刻まれていることに。 

「その手が、君が身代わりを務めている人のモノですか。教祖と呼ばれるくらい年季があるそうですから、やっぱりおじいさんだったんですね」 
「こうすりゃあ俺の前で何万人もの信者が跪く。悪くねぇだろ。普通の家庭に生まれて普通に育ったら、こんな経験生涯に一度だってできやしねぇ。百年近く生きれるのに一度もだぜ?」 
「他人の代わりとしての経験でも満足できるのですか?」 
「平凡な意見だな。他の管理者ならもっと俺たちをやる気にさせる受け答えをしてくれるぜ?」 
「久川さんからも似たような指摘を受けました。なにぶん働き始めて二日目なもので、どうしても一般的な感想になってしまいます」 
「俺としては、テキトーにおでてられるより一般人の慰めを聞かされるほうが圧倒的にストレスが少なくていい。けどな、お前は致命的な勘違いをしてる」 

 向けられていた左腕がおりる。骨と皮だけだった腕が風船のように膨らみ、ほんの数秒で止まった。それで充分だった。変貌していた春久の腕から皺が綺麗に消え、十代の色艶のある彼本来の見た目に戻った。 
 生気が再び宿った腕で拳が握られる。 

「俺たちは他の誰かとして生きてなんかいない。この身体は自分のもんだ。たまたま他人の形に寄せられるだけで、あとはそこら中にいる連中と同じだ。お前、『他人の代わり』でも満足できるのかって言ったな。就任二日だろうが、やっぱお前は管理側の人間だ」 
「それが、勘違い?」 
「繰り返すけどよ、俺たちはお前らと大して変わらない。だったらわかんだろ。満足できるか、だと? できるわけねぇに決まってるだろうが」 

 抑えがたい怒りを、春久は決壊する寸前で堪えていた。感情任せに罵詈雑言を浴びせることだってできるのに、彼は声に怒気を含ませる程度に止めている。未成年でも、心は成熟しきっているのだ。 

「それなら、ボクは勘違いなんてしていませんよ」 

 もう耐えられないか。春久は顔を歪ませ、刺すように落葉を睨む。 
 身の潔白を主張するように、落葉は手を振って彼の視線を遮った。 

「誤解しないでもらいたいのですが、ボクはあなたの味方です。指摘したのは、春久さんがボクを一般人と同じ括りにしている点です。ボクが言ったのは一般的な意見であって、ボクの考えではありません」 
「じゃあどうなんだよてめぇは。明日誰かのために死ねって言われた奴に対してどう思うんだよ」 
「答えられません」 

 聞き間違いか? 聞き間違いだよな? そう問いかける代わりに口を噤む。しかし憤怒手前のままで、続く言葉を誤れば春久の感情の堤防が決壊する。落葉は慎重に言葉を選ぶ。 

「ボクは影武者の方々を管理することが仕事です。それは、春久さんや久川さんの命を守るためではなく、命を誰よりも有効的に消費するためです。その使い道の検討や手続き、大切な影武者の心身をサポートするために我々が必要だと考えています」 

 春久が耐えかねて口を挟もうとする。そんなのは知っている。お前は何が言いたいんだと、そう催促されるより先に落葉は白状した。 

「けれどボク個人としては、管理者の立場に相応しくない感情を君たち影武者に抱いています。影武者の斡旋は、国が信頼と資金を稼ぐことに大きく貢献していますが、そんな肩書きに惹かれて志願したのではありません。影武者と呼ばれる方々に関わってみたいと、興味があっただけです」 
「……たったそんだけの動機で足を踏み入れる世界か?」 
「それほど特殊で興味深かったわけです。昔から好奇心旺盛だと周りから評価されてきました」 
「他の奴らに勘付かれたらヤバいんじゃねぇか」 
「今のところは問題ないですよ。ここのトップは天音さんですが、あの人はボクが手放しで管理者万歳ではないと承知しています。直接誘われたんですよ。管理者にならないかって、天音さんにね」 
「お前、アイツに誘われるとか何者だよ」 
「ボクの恩人と天音さんにたまたま繋がりがあって、たまたま縁があっただけですよ。ちょうどボクのような普通の男子に需要があったらしいです。君の後ろにいる女性に」 

 落葉との会話に気をとられ、玄関の扉が開く音を聞き逃したのだ。目を瞠り、春久はすっかり落葉に相対していた身体を振り向かせた。 
 既に着替えを済ませた久川が、迷惑そうに眉間に皺を寄せていた。 

「キフユとタロウさぁ、他人のうちの前でいつまで喋ってんの? てか初対面だよね? フツー、そんな盛り上がる?」 
「タロウって……」 

 他に誰もいないのに、疑わしい目で春久を眺める。落葉のじっとりした視線に、見るからに気の強そうな、そして実際に強い春久は鼻白んだ。 

「春久小太郎だからタロウ。呼びやすくてよくない? 男の子の代表的な名前だし」 
「〝コ〟が消滅していません?」 
「だってタロウ、〝小さい〟が付くほど身長低くないし」 
「名付け親も『この子には小さいままでいてほしい』なんて願いを込めたわけではないと思いますが。そうですよね、春久さん」 

 関わりたくない。俺に振るんじゃねぇ。落葉と久川から目を逸らした春久の反応がそう伝える。春久はバツが悪そうな顔をすると、その場を離れようと歩き出した。久川が咄嗟に声をかける。 

「ちょいまち。あーしに用があったんじゃなかった? じゃなきゃこんなとこにいなくない?」 
「冷めた。大したことじゃねぇからもういい。コイツもいるしな」 

 親指で落葉を示す。久川が一歩詰め寄った。 

「いいから要件だけでも教えてよ。ホントーに大したことなかったら帰ってもらうけどさ」

 冷たい言い方にも思えるが、そうではない。なんとなく、春久が来た理由を久川は察しているようだった。 
 春久は虚空に顔を向けた。芝居じみた仕草だが、胸の内に溜まる重いものを吐き出すには気持ちを落ち着けたほうがいい。目を閉じ、目を開く。春久が喋ってくれるまで、落葉も久川も黙って待った。 
 去りかけた背中が振り返る。面倒くさそうに頭を掻きながら、一度久川に合わせた視線を斜め下におろした。 

「明日また行くからよ。仕事をしにな」 

 どう受け取るべきか。大概は生きるか死ぬかを決する大事な行いでも、春久の任された仕事に命の危険は少ないはず。けれども春久の声は真剣味に満ちていて、遠まわしに別のことを伝えたいように落葉は感じた。 
 久川に動揺はない。冷静な眼差しを彼に送り、片手を腰にあてる。 

「まだあるんじゃない?」 
「何が?」 
「会いにきた理由に決まってんじゃん?」 
「自信満々じゃねぇか。根拠もないくせに」 
「根拠ならあるよ。あーしの勘ってやつ。女の勘の強化版みたいな?」 

 春久の両肩が、空気が抜けるように脱力した。 

「んだよソレ。てか仕事行く話をスルーすんのヒドくね? 影武者として行くんだぜ?」 
「だってタロウが行くの何回目よ。初めは心配してあげたじゃん? なのに毎回毎回、感想の難しいお菓子をお土産にへらへら笑って帰ってきてさ。そんなのタロウだけよ? フツー、仕事に行ったらもう帰ってこれないのに」 
「能力の低さと運だけは人一倍すげぇから、大層な現場にも行けねぇし大層な役目も任せられねぇってわけだ。これ、俺の自慢な?」 

 春久の顔に、小学生にまで若返ったような無邪気な笑顔が浮かぶ。 
 満面の笑みを前に、落葉は正体不明の不安に駆られた。それが模範的な笑顔だから、作られたものだと疑ってしまうのか。 

「久川さんの言っている通りなんですか? その、何度も帰ってきているというのは」 

 春久は口の端に残っていた笑みを消して、唇を舐めた。 

「管理者の端くれなら役所で調べりゃいいだろ。俺が何回派遣されたかなんて、隠すほどの機密情報じゃねぇだろ」 

 棘のない声で言って、春久はおもむろに歩き出した。数歩で一旦止まる。不意をつかれて落葉と久川は動けなかった。 

「行くとこがある。まだ話してぇなら好きにしな」 

 春久の歩みが再開する。追いかける前に、落葉は呆然としている久川に軽く頭を下げた。 

「申し訳ありません、久川さん。今日教えるつもりだった箇所の教材を忘れました。初日から無様を晒して大変恐縮ですが、取りに戻っていいでしょうか」 
「キフユさ、わるーい性格してんね」 
「褒められると背中がむず痒くなると聞きますが、どうもデタラメようです」 

 久川の意外に早い理解に、落葉はわずかに驚いた。学校を辞めて、勉強もせずにいつ来るかもわからない派遣される日を待ち、毎日を感情の赴くままに過ごす能天気な女性。それが彼女に対しての第一印象だった。 
 普段の喋り方も相まって誤解しそうになるが、彼女は物事を深く考えられる人だ。だとすれば問題はない。久川の非難に、落葉は手招きを返した。 

「気になるなら、一緒にいきますか?」 
「モチのモチロンっ! せっかく家まで来てもらったのにごめんね~」 

 変わった相槌だ。いつか自分も使う機会があるだろうかと想像してみたけれど、歩き出す頃には関心自体が消滅していた。 
 大通りから一本逸れた脇道を春久は進む。見失わない程度の間隔をあけ、落葉と久川が追う。別に追いつけるが、なんとなく春久の背中が一人で歩きたいと主張しているように感じた。 
 春久にはまだ、落葉に話したいことが残っている。けれども打ち明けるには久川の家の前では不安だったから、場所を移そうとしているのだ。 
 理由は明白だった。久川の家の周りには隠しカメラや盗聴器が仕掛けられている可能性が高い。久川の命には、万が一にも逃げられないようそれだけの費用をかける価値があるのだ。場所の移動に素直に従うあたり、久川自身も身の回りの監視状況は承知しているのだろう。 
 監視によるプライバシーの侵害は、久川と春久にとっては当たり前の環境なのだ。影武者として育った彼と彼女の心情に、落葉は思いを巡らせた。 
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