影武者として生きるなら

のーが

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第35話

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 ゲートの先へ行くよう指示した久田は一歩も動いていない。鉄の網目の隙間から見つめられる。久川はまだ目の前で起きている出来事を飲み込めない。平然とした久田の顔以外を認識できない。 

「楓ちゃんを救った方法は、こんなに単純なことだったんです。つまり〝最後の全影〟がここに残るから。〝全影〟の一族はこれで絶滅します。最後ですからね。追われる心配は無用です」 

 反応がなく硬直したままの久川。久田は一歩後ろにさがる。 
 遠のいた久田の行動に焦りを覚え、久川は鉄格子を掴む。 

「なに、それ……私を助けるって、そういうことだったの?」 
「正式に許可される形で里を出ますから、最良の方法でしょう。今回の依頼で影武者が犠牲になれば、全影を継承してきた一族は滅びる。それでも構わないと判断した管理組織が依頼を引き受けたのです。天音さんは約束を反故にするような人ではないと、二年も面倒を見てもらっていた楓ちゃんならわかりますよね?」 
「碧ちゃんが代わりになるだけじゃん! そんなの何の解決にもなってないっ!」 
「ボクは死んだはずの存在ですから。失ったはずの命で楓ちゃんを救えるなら、これ以上は望みません。最後の最後に化けるのが親友とは、悪くありませんね」 
「なに、それ……なんなのそれぇッ!」 

 鉄格子を握る掌が痛い。痛いのに更に力を込めるから皮膚がめり込む。それでもまだ強く握ろうとして、顔を鉄格子に押し付けた。 
 熱い感情が溢れていた。前に頬を濡らしたのも、親友と永遠のお別れをした日だった。 
 でも、あの日は最後ではなくて。 
 今日こそが、本当の別れ。 

「もっと早くに気づけばっ! 私が外に出なかったら碧ちゃんが助かったかのにっ!」 
「それでは数年間の計画が台無しになってしまうではありませんか」 
「里を出る前から、ホントにここまで?」 
「どうやって助けるかまでは考えていませんでしたよ。天音さんが協力的だったので、最も安全な方法で実現できました」 
「どんな方法を使ってでも、私を逃がすつもりだったの?」 
「死者のくせに何年も生き延びてきたのは、そのためでしたから」 

 赤く腫れた目に映る久田は微かに笑みを見せる。満足した表情だった。 
 背後でエンジンのかかる音がした。背中を白光で照らされる。手を傘に確認した先で、武林の待機する車のヘッドライトに眩い光が灯っていた。 

「ボクだけではありません。楓ちゃんのお母さんと協力して進めてきた計画なのです」 
「お母さんが碧ちゃんの命を犠牲にするって言ったの!?」 

 久田は静かに首を横に振る。 

「それはボクの提言です」 
「そんな認めるなんてありえないっ! 碧ちゃんが犠牲になってもいいなんて!」 
「本来なら影武者が自由になるだなんて成立するはずがないのです。お母さんを責めないでください。これは、ボクが無理をいって許可いただいた方法ですから」 
「そんなの私の知ってるお母さんじゃないっ! お母さんなら碧ちゃんを見捨てたりしないっ!」 

 掌に太い痣ができていたが、久川は格子から手を離さない。 
 役所から天音が出てきた。二人の管理者を連れてゲートに近づいてくる。久田は天音の様子を横目で見て、久川に視線を戻す。 

「行ってください。事の最中を大勢に見られるよりは、事後に周知させた方が印象が薄くて済みます。面倒なことにならないように、早く」 
「こんなのがお別れなんて、まだ私なにもっ――」 

 それまで平気そうだった久田の顔に変化があって、久川は思わず声を止めた。 
 悲哀に満ちた表情ではなかった。絶望でもなく、希望であるはずもない。 
 その表情は、唖然と表現するしかない。目を丸くした久田を見つめ返して、彼女の見ている対象が自分ではないと気づいた。 
 音が近づく。まだ車道を挟んで遠くにいる天音たち管理者も足を止めている。 
 近づいてきたのはエンジン音。森閑とした闇に反響した車のエンジン音が急激に大きくなって、音は久川の横を駆け抜ける。 
 刹那、耳にしたことのない圧倒的な物と物の激突音が轟く。鉄の網目で構築されたシャッターは流石に頑丈で、車の突進を受けても僅かにひしゃげただけに留まった。しかし、変形した分だけシャッター下部と地面との間に隙間が生まれた。 
 車は大破していなければ道理に反する衝撃だった。にも関わらず、フロントバンパーが外れ、フロントライトが割れる程度に収まっている。まさに道理に反した軽傷だ。 
 久田は開いた口が塞がらない様子。久川の真横で交通事故を起こした車の運転席から、無謀運転をした張本人が顔を出した。変形したシャッターの向こうで呆けている久田を見る。 

「さ、行くよ。 早く乗って!」 
「え、そんな、どういう――」 
「グズグズしない! こうなったら他に選択できないでしょうが!」 

 天音たちはまだ動けずにいる。 
 一秒だけ元同僚たちを見て、次の一秒後に久田はひしゃげたシャッターに駆け寄っていた。 
 武林は続けて我が子に目をやる。 

「話はあと! 楓も早くッ!」 

 ああ、お母さんだ。十年ぶりの再会なのにどうしてゆっくり喋れないのだと不満を感じつつも、久川の足は助手席に向かっていた。 
 シャッターと車道との間にできた隙間を抜け、久田は後部座席に飛び乗った。武林が早めに車を発進させたせいで、飛び乗らなければならなかった。ドアを開け、久川は無事に座席に転がり込んだ。 
 運転席にいる女性は間違いなく自分の母親だった。変わっていない。辺りが暗くて皺が目立たないからなのか。声をかけたくても、後部座席の久田と問答しているから口を挟めない。 
 周囲を監視していた管理者が続々と歩道の脇から現れ、立ち尽くした。天音から待機を命じられていた面々らしかった。手も足も出ず見送るしかできない管理者たちの眼前を武林の車が走り抜ける。 
 後ろのガラスから、シャッターの向こうで指示を飛ばす天音が見えた。混乱する部下に何事かを言いつけ、携帯電話を耳に当てる。 

 彼の口元が一瞬だけ緩んだように見えたのは、きっと気のせいではない。 
 運転席と後部座席では、久川を救ったふたりの口論が続いていた。 
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