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第3話 『冥螺』
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四隅の錆びた鏡から、顔色の悪い虚の表情がマガリを覗く。役立たずの湯気は視界を遮ることもせず、ただゆらゆらと辺りを暈していた。
マガリは頭上から来たる甘い香りに、目を瞑る。黒柴阿弥陀の指によって、ひたすらに、軋む髪は白い泡に包まれていく。
「……本当に、ごめんなさい。貴女を巻き込んだこと、その……お姉さんを助けられなかったことも……」
曇った鏡越しに、苦虫を潰す黒柴阿弥陀が映る。彼女は己に罪を課して、マガリへ精一杯の謝意を示すばかりだった。
流れる水の音に掻き消されてしまいそうな声に、マガリは一言。黒柴阿弥陀が背負おうとしている事情へ、ゆっくりと告げる。
「直姉……私の姉は、沢山の人に『アメノウズメ』って呼ばれてました。まるで笑顔の神……それが、私の憧れです」
身体に付着した泡が全て、排水溝へと消えていく。黒柴阿弥陀は蛇口を回し、シャワーを止めた。
「私のせいで、誰かが悲しんだり悩んだりするのを見たくない。だから、謝らないで……辛そうな顔、しないで欲しいんです」
マガリの訴えに、黒柴阿弥陀は唇を噛む。当人の頼みといえども、他者を見殺しにしたかもしれないという思考に至るも当然だろう。
「でも……」
「それに、直姉が死んだって決まったわけじゃない。私は、そう信じたいんです」
黒柴阿弥陀の疑念を遮るように、マガリは希望を言葉としてこぼす。なんの根拠もない空論に、ただ縋り付いているだけだとしても。
マガリは髪を乾かしたのち、少しサイズの合わない、借物に袖を通す。そのまま案内されるがままに長方形のちゃぶ台を囲むようにして、薄い座布団へと腰掛けた。
向かい合うように、黒柴阿弥陀と野球中継に発狂していた女性が座る。神妙な顔つきから、一言が漏れた。
「波ヶ咲マガリ……だったな」
「は、はい……」
「私は七崩県。阿弥陀の上司だ」
マガリの名を照合した女性、七崩県は、ゆっくりと。そして、確実に。額をちゃぶ台に打ちつけた。
「本日の件、本当に申し訳ない。絶対にあってはならない事だ。全てを詳らかに話す」
謝罪に応じた七崩県は、真剣な眼をマガリへと。全てが疑念に包まれた一連を、包み隠す事なく語ると誓った。
「貴女たちは……姉は、一体何をしていたのでしょうか」
ひとつひとつを、確実に。マガリの口から、順番に質疑を投げかける。
「この世には『冥螺』っていうもう一つの世界がある。そこの住人、それが『麽禍』って言って、君が今日見たバケモノのこと」
突拍子のない話も、一度見た現実では受け入れてしまうほどに。マガリには、困惑だとか、そのような思考は今更現れなかった。
「『麽禍』は人間を喰う、だからそいつらを殺す仕事がある。それが『祓』だ」
「はらえ……」
まるでフィクションのありきたりな組織、超常と殴り合う人類。そんな羅列によって、マガリは浅はかな希望に触れたような気がした。
ひと段落。注がれた温かい緑茶を喉奥に流し込み、マガリは事態への整理を連ねていた。
その最中、何者かに脳を揺さぶられるかのように。なにか力にマガリは頭を抱え込んだ。
「波ヶ咲さんッ‼︎」
頭痛、それを遥かに超える何か。冥蜾に迷い込んだ時に得た吐き気と似た物がマガリを襲った。駆け寄る黒柴阿弥陀の介抱も意味を成さないか、ただうずくまる事しか出来なかった。
マガリは荒い息を畳に落とし、呼吸だけを続けた。幸いにも、痛みはそう長くは続かなかった。
「……マガリちゃんは今、冥蜾に行った影響でかなり良くない状態だ。今日はウチに泊まってくれないか」
七崩県の言葉に、マガリは小さく首を縦に振る。何故だろうか、自宅という安心感よりも、この場所に安堵を感じていたのだ。
「とりあえず、今日は寝ること」
七崩県は腰ポケットからスマートフォンを取り出して、玄関口へと向かった。時計は既に、二十二時を回った頃だ。
寒空の下、下弦と朔の間による月明かりが、古ぼけて点滅する街灯と共にアスファルトを照らしていた。小さな炎は、白の紙を燃やして、草木に塗れた景色を煙る。
たん。たん。と、単調な音が流れて消える。少し長めの爪が、スマートフォンの液晶を叩く音。
「こちら七崩県。黒柴阿弥陀による麽禍討伐は失敗、応援元の祓が一人行方不明だ」
液晶に仄暗く光る先には『祓 東京司令部』の文字。淡々と、七崩県は状況を語り続けた。
「……了解、私が討伐に向かう」
肩と耳にスマートフォンを挟み込み、携帯灰皿へと塵を突っ込む。一連の動作を終了させたのち、再び七崩県は機器を手に取った。
「あぁ、あと最後に一個だけ聞きたいんだけど」
「この件、どこまでテメェらの計画通りだ?」
マガリは頭上から来たる甘い香りに、目を瞑る。黒柴阿弥陀の指によって、ひたすらに、軋む髪は白い泡に包まれていく。
「……本当に、ごめんなさい。貴女を巻き込んだこと、その……お姉さんを助けられなかったことも……」
曇った鏡越しに、苦虫を潰す黒柴阿弥陀が映る。彼女は己に罪を課して、マガリへ精一杯の謝意を示すばかりだった。
流れる水の音に掻き消されてしまいそうな声に、マガリは一言。黒柴阿弥陀が背負おうとしている事情へ、ゆっくりと告げる。
「直姉……私の姉は、沢山の人に『アメノウズメ』って呼ばれてました。まるで笑顔の神……それが、私の憧れです」
身体に付着した泡が全て、排水溝へと消えていく。黒柴阿弥陀は蛇口を回し、シャワーを止めた。
「私のせいで、誰かが悲しんだり悩んだりするのを見たくない。だから、謝らないで……辛そうな顔、しないで欲しいんです」
マガリの訴えに、黒柴阿弥陀は唇を噛む。当人の頼みといえども、他者を見殺しにしたかもしれないという思考に至るも当然だろう。
「でも……」
「それに、直姉が死んだって決まったわけじゃない。私は、そう信じたいんです」
黒柴阿弥陀の疑念を遮るように、マガリは希望を言葉としてこぼす。なんの根拠もない空論に、ただ縋り付いているだけだとしても。
マガリは髪を乾かしたのち、少しサイズの合わない、借物に袖を通す。そのまま案内されるがままに長方形のちゃぶ台を囲むようにして、薄い座布団へと腰掛けた。
向かい合うように、黒柴阿弥陀と野球中継に発狂していた女性が座る。神妙な顔つきから、一言が漏れた。
「波ヶ咲マガリ……だったな」
「は、はい……」
「私は七崩県。阿弥陀の上司だ」
マガリの名を照合した女性、七崩県は、ゆっくりと。そして、確実に。額をちゃぶ台に打ちつけた。
「本日の件、本当に申し訳ない。絶対にあってはならない事だ。全てを詳らかに話す」
謝罪に応じた七崩県は、真剣な眼をマガリへと。全てが疑念に包まれた一連を、包み隠す事なく語ると誓った。
「貴女たちは……姉は、一体何をしていたのでしょうか」
ひとつひとつを、確実に。マガリの口から、順番に質疑を投げかける。
「この世には『冥螺』っていうもう一つの世界がある。そこの住人、それが『麽禍』って言って、君が今日見たバケモノのこと」
突拍子のない話も、一度見た現実では受け入れてしまうほどに。マガリには、困惑だとか、そのような思考は今更現れなかった。
「『麽禍』は人間を喰う、だからそいつらを殺す仕事がある。それが『祓』だ」
「はらえ……」
まるでフィクションのありきたりな組織、超常と殴り合う人類。そんな羅列によって、マガリは浅はかな希望に触れたような気がした。
ひと段落。注がれた温かい緑茶を喉奥に流し込み、マガリは事態への整理を連ねていた。
その最中、何者かに脳を揺さぶられるかのように。なにか力にマガリは頭を抱え込んだ。
「波ヶ咲さんッ‼︎」
頭痛、それを遥かに超える何か。冥蜾に迷い込んだ時に得た吐き気と似た物がマガリを襲った。駆け寄る黒柴阿弥陀の介抱も意味を成さないか、ただうずくまる事しか出来なかった。
マガリは荒い息を畳に落とし、呼吸だけを続けた。幸いにも、痛みはそう長くは続かなかった。
「……マガリちゃんは今、冥蜾に行った影響でかなり良くない状態だ。今日はウチに泊まってくれないか」
七崩県の言葉に、マガリは小さく首を縦に振る。何故だろうか、自宅という安心感よりも、この場所に安堵を感じていたのだ。
「とりあえず、今日は寝ること」
七崩県は腰ポケットからスマートフォンを取り出して、玄関口へと向かった。時計は既に、二十二時を回った頃だ。
寒空の下、下弦と朔の間による月明かりが、古ぼけて点滅する街灯と共にアスファルトを照らしていた。小さな炎は、白の紙を燃やして、草木に塗れた景色を煙る。
たん。たん。と、単調な音が流れて消える。少し長めの爪が、スマートフォンの液晶を叩く音。
「こちら七崩県。黒柴阿弥陀による麽禍討伐は失敗、応援元の祓が一人行方不明だ」
液晶に仄暗く光る先には『祓 東京司令部』の文字。淡々と、七崩県は状況を語り続けた。
「……了解、私が討伐に向かう」
肩と耳にスマートフォンを挟み込み、携帯灰皿へと塵を突っ込む。一連の動作を終了させたのち、再び七崩県は機器を手に取った。
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「この件、どこまでテメェらの計画通りだ?」
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