結婚5年目のお飾り妻は、空のかなたに消えることにした

三崎こはく

文字の大きさ
5 / 10

5.お飾り妻は味方ができた

しおりを挟む
 いくらも間を置かず、馬小屋には数人の人々が駆け込んできた。先頭はジャン、その後ろに数人の男性使用人、最後尾は2人のメイドに両肩を支えられたリリアだ。
 ドラゴンを間近で見た恐怖を引きずっているのだろう。リリアは真っ青な顔で唇を震わせている。
 
 ジャンはラフィーナを見るや否や声を荒げた。
 
「ラフィーナ! ここで何をしている!」
「猫に餌をあげていました」
 
 ラフィーナは迷うことなく答えた。馬小屋にいる理由を尋ねられたら、そう答えようと決めていた。
 ジャンは怪訝そうな表情を浮かべた。
 
「猫? その猫はどこにいるんだ」
「皆さまの足音を聞いて、逃げていってしまいました」

 淀みない答えに納得がいかないようで、ジャンはラフィーナに歩みよってきた。そしてラフィーナの身体を強引に押しのけ、木箱の陰に作られた寝わらの寝床を見下ろした。ラフィーナがギドのために用意した寝床は、猫の物と偽っても不自然のない大きさだ。

「……リリアが、馬小屋で化け物を見たと言っている」
「化け物、ですか? 私は見ませんでしたが」

 ラフィーナがしれっと答えると、ジャンは眉をつり上げた。

「リリアが嘘を言うはずがないだろうが! お前がリリアをいじめるために何かしたんだろう。何か、例えばそこの壁に化け物の絵を描くとか……」
 
 ジャンの声は段々と自信をなくし、最後の方は尻すぼみになった。
 
 リリア贔屓のひどいジャンでも、さすがにこの例えには無理があると気付いたのだろう。
 馬小屋の中には馬を世話するため以外の物は置かれていないし、壁には数本の道具が立てかけられているだけ。化け物に見間違えそうな物はなにもない。

 ジャンは、リリアに疑うような視線を向けた。しかしぶるぶると震えるリリアの唇を見て、またラフィーナにするどい眼差しを向けた。

「それでも、お前が何かしたに決まっているんだ。お前が、お前が……」

 ラフィーナは、盲目的にリリアを庇おうとするジャンを冷静に見つめた。

(……この人は、真実を見極めたいのではなく、リリア様の主張を正当化したいだけなのね。例えリリア様が人を殺したとしても、その行いを悪とは認めない……哀れな人)

 ジャンに対して『哀れ』という感情を抱いたことに、ラフィーナは自分で驚いた。
 ラフィーナはずっと、自分がジャンよりも格下の存在だと思い込んでいた。逆らうことも、抗うことも考えられなかった。
 しかし今は、盲目的にリリアを信じようとするジャンがひどく愚かで、矮小な存在のように思えてならなかった。愛こそが世界の全てだと信じ、現実を見ることができなくなってしまった哀れな人。

 そう思えるようになったきっかけは、恐らくギドとの出会いだ。突如として日常に舞い込んできだドラゴンは、淀んだ水面に石を投げ込むようにラフィーナの世界を揺らした。
 ラフィーナが世界の全てだと思っていたものは、しょせん広大な世界のたった一部でしかなかったのだ。常識が、根底が、覆っていく。
 
「ええい! ここで何があったかなど知ったことか! いいからさっさとリリアに謝れ!」

 ついにジャンは、理由もわからないままリリアへの謝罪を求める始末だ。
 ラフィーナはそんなジャンを冷めた目で見つめた。話の通じない相手と会話をする意味などないのだから、形だけの謝罪をしてこの場を収めようかとも考えた。
 
 そのとき、ラフィーナに助け船を出したのは意外な人物だった。

「ラフィーナ様は……何もしておられないと思いますがねぇ。非のない人物に無理やり謝罪をさせるというのは、いかがなものかと思いますが」

 がさがさとしたしゃがれ声で、しかし不思議とよく通る声でそう言ったのは、カールトン家に勤める老齢の使用人――名をトマという――だった。ラフィーナがギドを連れ帰ったあの日、馬車の御者を務めていた人物だ。

 トマが口を開いたことにラフィーナは驚き、そして正論をぶつけられたジャンは明らかに狼狽した。

「し、しかし怪しいではないか! こんな人気のない馬小屋でこそこそして……猫の話だって本当かどうかわかったもんじゃない」
「ラフィーナ様が猫を飼われていたのは本当ですよ。数日前、ルネ・セラフィム修道院を訪れた帰り道で拾われたのです。雨に濡れて凍えていたを」
(……黒猫?)

 ラフィーナの心臓は跳ねる。先ほどジャンから馬小屋にいた理由を聞かれたとき、ラフィーナは猫に餌をあげていたと言ったが、黒猫だとは言わなかった。
 動揺するラフィーナの目の前で、ジャンとトマの会話は続く。
 
「そ……いや、猫の話は事実だったとしてもリリアをいじめたのは本当じゃないか。か弱いリリアを驚かすような真似を……」

 トマは呆れたように息を吐いた。
 
「逆にお尋ねしたいのですが、リリア様はどうして馬小屋にいらっしゃったんでしょうかねぇ。普段は『馬なんて臭い、汚い』と言って絶対にお近寄りにならないのに。まさかラフィーナ様がここにいることを知った上で、嫌味を言うためにわざわざやってきたなんてことは」
「――貴様! 雇われの身の分際で、リリアを侮辱する気か!」
 
 ジャンは顔を真っ赤にしてこぶしを振り上げた。
 しかし途中ではっと顔色を変えると、ぶるぶると震わせながらもこぶしを下ろした。入り口付近に溜まっていた数人の使用人を押しのけて、リリアに声をかけることもせず馬小屋を出て行ってしまう。

 場をまとめるジャンがいなくなってしまったので、残された人々もぱらぱらと解散した。元よりリリアの悲鳴に呼ばれてわけもわからず馬小屋に集まってきた人々だ。最初から最後まで、狐につままれたような顔をしていた。「結局、何だったの?」「リリア様の勘違いってことだろ」そんなやりとりすら聞こえてくる。
 
 リリアはジャン以上に顔を真っ赤にして、怒りと屈辱で全身を震わせていた。カールトン家にやってきてからというもの、ジャンの愛情を一身にうけ、どんな我儘も横暴なふるまいも許されてきたリリア。皆の前で発言を否定されたり、嘘吐き扱いされるのは初めてのことだろう。
 トマの顔をここぞとばかりに睨みつけ、馬小屋を出て行ってしまった。
 
 馬小屋の中に残された人物はラフィーナとトマ、そしてスカートの中に隠れたギドだけ。
 ラフィーナはトマを相手に、遠慮がちに探りを入れた。

「あ、あの……なぜ私がを拾ったことを知っているの?」
「……ラフィーナ様が猫を拾うところを見ていたからですよ。1人で森の中に走っていかれたので、危険があってはいけないと思い追いかけたのです」
「そうだったの……」

 そうだとすれば確かに説明はつくが、ラフィーナにはもう一つ気になることがあった。

「どうして、私の味方をしてくれたの?」

 トマはラフィーナがドラゴンを匿っていることを知っていた。しかしそのことを誰にも言わなかった。使用人仲間にも、主であるジャンにもだ。
 
 さらに今日はドラゴンの存在を隠しながらラフィーナの援護までしてくれた。トマがくだらない言い合いに口を挟んでくれなければ、ラフィーナは今頃リリアに謝罪させられていたことだろう。ジャンの気分によっては、二度と馬小屋に近寄るなとまで言われていたかもしれない。

 状況を悟ったようで、スカートのすそからギドが顔を出した。トマはギドの顔を一瞥したが、存在について触れることはなかった。視線を移ろわせながらラフィーナの質問に対する答えを探す。

「……ラフィーナ様だけ、ですからね。御者を務めた私に『ありがとう』と言ってくださるのは」
「――え」
「そんな単純なことで、人の忠誠心とは移ろうものなのですよ。私はジャン様の父君には忠誠を誓っておりましたがねぇ。今のジャン様に心から仕えたいとは思えない。仕事もしない、礼の一つも言えない、愛人と遊び呆けているだけの当主になど」

 トマはのんびりとした足取りで扉の方へと向かっていった。その途中でもう一度ラフィーナの顔を見た。
 
「私の処遇に関しては気になさらないでください。ジャン様は口答えした私を解雇しようとなさるでしょうが、そんなことはできません。私はジャン様の父君と懇意にしておりましてね。私を解雇することは、ジャン様にとって父君に逆らうと同義ですから」

 ジャンの父親であり、先代の辺境伯であるジョージ・カールトン。病気を理由に当主の座をしりぞき、現在は別邸で療養生活を送っている。ラフィーナは結婚に際し一度だけ顔を合わせたことがあるが、込み入った話をした経験はない。
 
 しかしメイドたちの評判を聞くに、ジョージ・カールトンは辺境伯として非常に優秀な男だったのだという。隣国との関係に常に気を配り、平和な世でも戦争への備えを怠らなかった。妻以外の女性にうつつを抜かすこともなく、メイドたちとも良好な関係を築いていた。

 そんな非の打ち所がない人物であるからこそ、ジャンは実の父親であるジョージを恐れている節がある。己の無能さが露見し、当主の座から引きずり下ろされることに怯えているのだ。
 ならば少しはまともに仕事をしろ――といつもラフィーナは思うわけなのだが。

 トマはそれきり何も言わず、馬小屋から出て行ってしまった。
 ラフィーナはギドをスカートから出すことも忘れて立ち尽くしていた。

 敵ばかりだった世界に、また一人味方が出来たようで嬉しかった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

侯爵家に不要な者を追い出した後のこと

mios
恋愛
「さあ、侯爵家に関係のない方は出て行ってくださる?」 父の死後、すぐに私は後妻とその娘を追い出した。

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう

天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。 侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。 その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。 ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

6年前の私へ~その6年は無駄になる~

夏見颯一
恋愛
モルディス侯爵家に嫁いだウィニアは帰ってこない夫・フォレートを待っていた。6年も経ってからようやく帰ってきたフォレートは、妻と子供を連れていた。 テンプレものです。テンプレから脱却はしておりません。

【完結】元サヤに戻りましたが、それが何か?

ノエル
恋愛
王太子の婚約者エレーヌは、完璧な令嬢として誰もが認める存在。 だが、王太子は子爵令嬢マリアンヌと親交を深め、エレーヌを蔑ろにし始める。 自分は不要になったのかもしれないと悩みつつも、エレーヌは誇りを捨てずに、婚約者としての矜持を守り続けた。 やがて起きた事件をきっかけに、王太子は失脚。二人の婚約は解消された。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

処理中です...