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灰燼
四
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生きる者はみな、その身に魂魄を宿し、その魂と魄の均衡によって生命を支えているという。
死ぬと、魂は黒月晶の森へ向かい、そこで死者を渡す月の舟に乗る。一方、肉体を支える魄は、魂と別れて地に帰す。それと似た内容で、魂は天に昇り肉体は土に還る、それが自然の流れなのだ、と伝わっている土地が蒼星の各地にあった。
地域によって言語や表現はさまざまでも、魂というものを実際に見たことがあるかどうか、ということとは関係なく、死ねば躰から抜け出るなにかがある、と多くの者が信じているのだ。
誰もが、いつかは死ぬ。しかし、なにかで魂魄の均衡が崩れることにより、魂だけが遊離状態になる場合がある、ともいわれていた。学者たちに、霊体と呼ばれている状態のものだ。
そして、とりわけ強い未練を残し、死にながら留まるものの場合、それは霊体のなかでも、死霊と呼ばれ怖れられていた。
死霊はたとえ肉体が土に帰しても、死んだ場所をさまよったり、親しい者のそばに寄り添うものらしい。はからずも、その存在自体が病や不幸を呼び寄せ、長く留まれば、親しい者を殺して異界へ連れて行こうとすることさえも、あるのだという。
死霊に限らず、アダムはそういった霊体の類について、肯定も否定も、これまで特別な考えは抱いていなかった。
アダムの耳には、他者には聞こえない聲が聞こえる。それと同じように、見える者には、どんな些細なものでも見えるのだろう。なんとなく、そう捉えていただけだ。
生への未練。自分にはあるだろうか、とアダムは思った。
孟王城の跡地で捕らえた術師の男の名は、プルノ・クスパといった。
暗くて容貌は判然としないが、プルノの嗄れた声に若さは感じられない。かといって、逃げようと抵抗してみせた力は、足腰の弱った老人のものでもなかった。いまは雲間から射しこむ月光に照らされ、アダムをじっと見つめる眼だけが、ぎょろりと白い光を放っている。
結局、プルノの手は頭上で、城塔の壁に設置されていた松明の掛台に縛りつけることになった。懲りずに逃げ出そうとしたのだ。警告していたほどきつく縛ってはいないが、諦めの悪いプルノが暴れて動けば、かえって結び目が締まるようにして結んである。
霊術師。広義ではそうなるが、そのなかでもプルノは特に、霊召術を使うのだという。霊召とは、みずから霊に近づき、無理矢理に呼び出そうとする高度な術、とのことだった。
はじめに名を訊いただけのアダムに、プルノはそこまで勝手に喋った。暗澹たる場所に踏みこんでいくはずの霊術師としては臆病すぎるような気もしたが、アダムの想像する以上に、プルノにとっては縛られたことがよほどこたえた様子だった。
なんにせよ、きつく責めたてる訊問のような真似をせずに済んだことは、憂鬱だったアダムの心のどこかを、わずかばかり救っていた。
「それで、この孟王城の跡地に来る前、炳都ではなにをしていた、プルノ?」
「俺は助言をする立場として、炳王に仕えている。いや、仕えていた、と言うべきかもな。やつら、俺のことなどもう用済みだろう」
言って、プルノは笑ったようだった。細かな表情までは見てとれない。口調は荒く、術師と知らなければ山賊の下っ端のような印象である。
すぐれた術師が王の相談役になるのは、珍しいことではなかった。術師は知識を蓄え、見識を深めているものだ。術の行使のためとはいえ、その副産物として得られる知識というものは広い分野におよび、政事の役に立つことも少なくないはずだ。
「用済みになったと言ったな。それは炳王が目的を果たした、という意味にもとれるが」
「炳王だけじゃねえ。炳都そのものが、重い枷をひとつ外したようなもんだ。それに、西域のやつらも蜜を吸える」
「炳都が、西域の蕘皙国にこの孟王城を明け渡した。私はそう見ているが、あんたの助言とやらがあったのか?」
「策について口添えはしたけどよ、それについては結局のところ、双方の利害の一致だな。俺がいなくても手段が見つかりさえすれば、いずれは踏み切っていただろうよ」
「炳都は軍馬を欲しがり、蕘皙国は農地を欲しがっていたらしいな」
「おい、そこまで知ってるのかよ。意外というか、驚きだな」
双方の動機については、西域で酋長ザルフィから聞いたことだった。
ザルフィからは、術師は呪誓術で酋長たちに血の誓いをさせた、と聞いていたが、プルノはそれを専門とする念術師ではなかった。それでもやはり、酋長たちの会合に同席した術師というのは、眼の前のこの男なのだろう、とアダムは思っていた。
呪誓というのは結局のところ、立てた誓いを破らせないだけの充分な拘束力があればいいのだ。この男なら、そのために念術師のふりをして、呪誓術の真似をしてみせることくらい、平気でやってしまうに違いない。
駱駝部隊はこの城を拠点に、城外に散った孟国の残兵なども掃討したのだろう。雨季に入り本格的な作業は中断しているものの、周辺ではすでに、新たな畠が広がりつつあった。攻め入ってきた西域の兵が、そのまま屯田に宛てられているようだ。蕘皙国はここに農地を得た。それは間違いないようだ。
しかしアダムには、まだわからないことがあった。
「上層部による利害の一致、それは私にもわかる。だがそれだけでは、孟王城がやられた理由というものがはっきりと見えてこない。耕作に適した土地なら、もっと西域との国境付近にもないわけじゃないしな。実際のところは、ほかにもなにか絡んでいるんじゃないのか?」
「えらく察しがいいんだな。だけどよ、そんなこと知ってどうすんだ。流暢な話しぶりだが、どうも炳辣国や蕘皙国の人間じゃないよな。余所者なんだろ、あんた」
「この孟王城が選ばれ、襲撃された。そして城が落とされて地方の土地が侵されているにも関わらず、炳都はなにもしない。その理由を知ることが、いま私のやるべきことだ」
「なるほど、そういうことか」
「なにがだ」
「生きてるって噂の孟国の王女、ルネル・グゼイブのために動いているというのは、旦那のことだな」
「だとしたら?」
「べつに。王女を一度見たことがあるが、細腰でどこか男をそそるような眼をした、艶めかしい女だったな。多分ああいう女が、男を駄目にするんだ。骨抜きというやつさ。ただ殺すにはもったいない。俺なら、もっと別のことにたっぷり使うんだがな」
「私は、なにか下心があって動いてるわけじゃない」
「ほんとかよ。ますますもったいねえな、そりゃ」
「そんなことはいい。訊いたことに答えるんだ、プルノ」
「そう、むきになるなよ。孟王城が襲撃されたのも、利害の一致ってやつさ」
「というと」
「孟王は頑固者で、決して意見を曲げない男だった。徴税やら新たな寺院の建設やらで炳都からなにか要請しても、原理神教の教義を笠に正論を吐いて、まったく動こうとしない。炳都にとっては、なにかしようとするたびに壁になる、ずっと邪魔な存在だったってわけだ。俺は知らんが、もうひとつ先代の孟王もよく似た人物だったみたいだな」
「しかし炳都にとっても、原理神教の教義は絶対的なものなんじゃないのか?」
「表向きはな。でもそれがすべてじゃねえ。よくわからんが、解釈の違いってのもあるだろうよ。炳都の大寺院の高僧まで、この件に絡んでるくらいだしよ。それだけ孟王は頑固で、融通が利かない男だったわけだ。まあ、よくいえば模範的な敬虔なる信徒ってやつだよな」
政事に利用される宗教というのは、見渡せばあちこちの土地にあった。それがきっかけとなる戦も、決して少なくない。原理神教も、例に漏れずそうだったということなのか。
それにしても、プルノは饒舌だった。怯えを隠すためにそうなっているのかもしれないが、考えながらその場凌ぎの嘘を吐いているようではない。守るものもなく、いまさら偽る必要もない、という投げたような態度が、言葉の端々に表れているように、アダムには思えた。
横からの風が髪を揺らす。雲の流れはあるが、雲間を抜けてくる月光はかなり明るく感じられた。顔を覗かせている月は、ほとんど満月に近いようだ。
蒼白い光に照らし出されて、いつの間にかプルノの険しい表情もよく見えるようになっていた。
齢は五十をいくつか越えたくらいか。朱布の巻かれていた頭髪は半分ほどが白くなっているようだ。顔の皺は深く、左眼のあたりには、額から頬にかけて大きなひと筋の傷痕がある。それは古い刃傷らしかったが、月の下ではなにか別のものが顔に貼りついているようにも見えた。
「つまり、孟王が邪魔だったから、この地を隣国に売った?」
「まあ、そういうこったな。孟王は頑固な分、周辺の豪族からの信頼が篤くてよ、ましてや領国なんで、炳都が表立って手は出せねえ。かといって都の言うことも、教義を引き合いに出して聞かねえ。だったら、蕘皙国の羊飼いがこの土地を奪って、牧場と耕作でもしてたほうがあつかいやすい。そのうえそれと引き換えに、西域の良馬も継続的に安定して入ってくるって話だ」
「そんなことで、領地を売ったのか」
「重要かどうかは、炳王が決めることさ。直接手を汚さずに、欲しいものが手に入るんだからよ。だけど、城が落ちればそれで済むってことでもなかった。孟王の血筋であるグゼイブ王家が生き残れば、周辺の豪族たちの力添えもあって、必ず息を吹き返す、と見られていたんでな」
やるからには、グゼイブ王家の一族郎党すべてを殺す。それが、炳都の狙いだったということだ。だから城が落ちてからも、次代の孟王であるルネルが執拗に狙われた。
確かに、アダムが訪ね歩いた豪族たちは憤慨しながらも、孟王という中心を失ったことでまとまりを持たず、そのままでは大きな動きにはなりそうもなかった。戦の経験もなく、それぞれが炳都の動きを待っているようなところもあった。涙を浮かべて語る豪族もいたが、どれだけ強い言葉で吠えてみたところで、牙を抜かれた子犬がわめいているようなものでしかなかったのだ。
「プルノ。あんたに、もうひとつ訊きたいことがある。エフレム・ヴィクノールという、孟国の隠術師についてだ」
「ああ。やつの処分が甘く、流刑になったのは想定外だったろうな。炳都というより、どちらかというと西域の駱駝部隊にとっては」
「やはり、エフレムの件にも関わっていたのか」
「炳都までその名を知られるほどの弓術の達人だぜ、エフレムというやつは。西域の羊飼いどもでは、到底相手にならない。これから城を攻めようっていう蕘皙国の邪魔になることは、はじめから眼に見えていた」
「それで謀略を?」
「まずは孟王の従臣の一人が寝返るよう、炳都の隠術師が接触した。孟王の一族が滅びたあとは、炳都で然るべき地位を与える、とかいう餌をぶらさげてな。もともと間者が紛れこんで調査していたんで、標的は早くから決まっていた」
「孟王城周辺の地図を盗み出したのも、炳都の隠術師の手によるものか」
「まあな。だが宝物庫の地図を盗み出すよう、提案したのはその孟王の従臣だ。石頭の孟王は、王女にすら宝物庫に近づかせなかったらしいし、エフレムが処断されるだけの材料を揃えるために、ずいぶんと苦労したようだぜ」
ルネルに宝物庫の鍵を開けさせる。そのために亡き王妃の形見のことを吹きこみ、孟王が狩りの得意な番兵を連れて出るように仕向けた。手の混んだ謀略だった。
「エフレムが、いまも生きていると思うか?」
「知らんね。どこの島に流されたのかも、知ったことじゃない」
言って、プルノが笑った。
乾いた笑い声が闇に虚しく響き渡り、またすぐに、周囲は水を打ったような静寂に包まれた。
死ぬと、魂は黒月晶の森へ向かい、そこで死者を渡す月の舟に乗る。一方、肉体を支える魄は、魂と別れて地に帰す。それと似た内容で、魂は天に昇り肉体は土に還る、それが自然の流れなのだ、と伝わっている土地が蒼星の各地にあった。
地域によって言語や表現はさまざまでも、魂というものを実際に見たことがあるかどうか、ということとは関係なく、死ねば躰から抜け出るなにかがある、と多くの者が信じているのだ。
誰もが、いつかは死ぬ。しかし、なにかで魂魄の均衡が崩れることにより、魂だけが遊離状態になる場合がある、ともいわれていた。学者たちに、霊体と呼ばれている状態のものだ。
そして、とりわけ強い未練を残し、死にながら留まるものの場合、それは霊体のなかでも、死霊と呼ばれ怖れられていた。
死霊はたとえ肉体が土に帰しても、死んだ場所をさまよったり、親しい者のそばに寄り添うものらしい。はからずも、その存在自体が病や不幸を呼び寄せ、長く留まれば、親しい者を殺して異界へ連れて行こうとすることさえも、あるのだという。
死霊に限らず、アダムはそういった霊体の類について、肯定も否定も、これまで特別な考えは抱いていなかった。
アダムの耳には、他者には聞こえない聲が聞こえる。それと同じように、見える者には、どんな些細なものでも見えるのだろう。なんとなく、そう捉えていただけだ。
生への未練。自分にはあるだろうか、とアダムは思った。
孟王城の跡地で捕らえた術師の男の名は、プルノ・クスパといった。
暗くて容貌は判然としないが、プルノの嗄れた声に若さは感じられない。かといって、逃げようと抵抗してみせた力は、足腰の弱った老人のものでもなかった。いまは雲間から射しこむ月光に照らされ、アダムをじっと見つめる眼だけが、ぎょろりと白い光を放っている。
結局、プルノの手は頭上で、城塔の壁に設置されていた松明の掛台に縛りつけることになった。懲りずに逃げ出そうとしたのだ。警告していたほどきつく縛ってはいないが、諦めの悪いプルノが暴れて動けば、かえって結び目が締まるようにして結んである。
霊術師。広義ではそうなるが、そのなかでもプルノは特に、霊召術を使うのだという。霊召とは、みずから霊に近づき、無理矢理に呼び出そうとする高度な術、とのことだった。
はじめに名を訊いただけのアダムに、プルノはそこまで勝手に喋った。暗澹たる場所に踏みこんでいくはずの霊術師としては臆病すぎるような気もしたが、アダムの想像する以上に、プルノにとっては縛られたことがよほどこたえた様子だった。
なんにせよ、きつく責めたてる訊問のような真似をせずに済んだことは、憂鬱だったアダムの心のどこかを、わずかばかり救っていた。
「それで、この孟王城の跡地に来る前、炳都ではなにをしていた、プルノ?」
「俺は助言をする立場として、炳王に仕えている。いや、仕えていた、と言うべきかもな。やつら、俺のことなどもう用済みだろう」
言って、プルノは笑ったようだった。細かな表情までは見てとれない。口調は荒く、術師と知らなければ山賊の下っ端のような印象である。
すぐれた術師が王の相談役になるのは、珍しいことではなかった。術師は知識を蓄え、見識を深めているものだ。術の行使のためとはいえ、その副産物として得られる知識というものは広い分野におよび、政事の役に立つことも少なくないはずだ。
「用済みになったと言ったな。それは炳王が目的を果たした、という意味にもとれるが」
「炳王だけじゃねえ。炳都そのものが、重い枷をひとつ外したようなもんだ。それに、西域のやつらも蜜を吸える」
「炳都が、西域の蕘皙国にこの孟王城を明け渡した。私はそう見ているが、あんたの助言とやらがあったのか?」
「策について口添えはしたけどよ、それについては結局のところ、双方の利害の一致だな。俺がいなくても手段が見つかりさえすれば、いずれは踏み切っていただろうよ」
「炳都は軍馬を欲しがり、蕘皙国は農地を欲しがっていたらしいな」
「おい、そこまで知ってるのかよ。意外というか、驚きだな」
双方の動機については、西域で酋長ザルフィから聞いたことだった。
ザルフィからは、術師は呪誓術で酋長たちに血の誓いをさせた、と聞いていたが、プルノはそれを専門とする念術師ではなかった。それでもやはり、酋長たちの会合に同席した術師というのは、眼の前のこの男なのだろう、とアダムは思っていた。
呪誓というのは結局のところ、立てた誓いを破らせないだけの充分な拘束力があればいいのだ。この男なら、そのために念術師のふりをして、呪誓術の真似をしてみせることくらい、平気でやってしまうに違いない。
駱駝部隊はこの城を拠点に、城外に散った孟国の残兵なども掃討したのだろう。雨季に入り本格的な作業は中断しているものの、周辺ではすでに、新たな畠が広がりつつあった。攻め入ってきた西域の兵が、そのまま屯田に宛てられているようだ。蕘皙国はここに農地を得た。それは間違いないようだ。
しかしアダムには、まだわからないことがあった。
「上層部による利害の一致、それは私にもわかる。だがそれだけでは、孟王城がやられた理由というものがはっきりと見えてこない。耕作に適した土地なら、もっと西域との国境付近にもないわけじゃないしな。実際のところは、ほかにもなにか絡んでいるんじゃないのか?」
「えらく察しがいいんだな。だけどよ、そんなこと知ってどうすんだ。流暢な話しぶりだが、どうも炳辣国や蕘皙国の人間じゃないよな。余所者なんだろ、あんた」
「この孟王城が選ばれ、襲撃された。そして城が落とされて地方の土地が侵されているにも関わらず、炳都はなにもしない。その理由を知ることが、いま私のやるべきことだ」
「なるほど、そういうことか」
「なにがだ」
「生きてるって噂の孟国の王女、ルネル・グゼイブのために動いているというのは、旦那のことだな」
「だとしたら?」
「べつに。王女を一度見たことがあるが、細腰でどこか男をそそるような眼をした、艶めかしい女だったな。多分ああいう女が、男を駄目にするんだ。骨抜きというやつさ。ただ殺すにはもったいない。俺なら、もっと別のことにたっぷり使うんだがな」
「私は、なにか下心があって動いてるわけじゃない」
「ほんとかよ。ますますもったいねえな、そりゃ」
「そんなことはいい。訊いたことに答えるんだ、プルノ」
「そう、むきになるなよ。孟王城が襲撃されたのも、利害の一致ってやつさ」
「というと」
「孟王は頑固者で、決して意見を曲げない男だった。徴税やら新たな寺院の建設やらで炳都からなにか要請しても、原理神教の教義を笠に正論を吐いて、まったく動こうとしない。炳都にとっては、なにかしようとするたびに壁になる、ずっと邪魔な存在だったってわけだ。俺は知らんが、もうひとつ先代の孟王もよく似た人物だったみたいだな」
「しかし炳都にとっても、原理神教の教義は絶対的なものなんじゃないのか?」
「表向きはな。でもそれがすべてじゃねえ。よくわからんが、解釈の違いってのもあるだろうよ。炳都の大寺院の高僧まで、この件に絡んでるくらいだしよ。それだけ孟王は頑固で、融通が利かない男だったわけだ。まあ、よくいえば模範的な敬虔なる信徒ってやつだよな」
政事に利用される宗教というのは、見渡せばあちこちの土地にあった。それがきっかけとなる戦も、決して少なくない。原理神教も、例に漏れずそうだったということなのか。
それにしても、プルノは饒舌だった。怯えを隠すためにそうなっているのかもしれないが、考えながらその場凌ぎの嘘を吐いているようではない。守るものもなく、いまさら偽る必要もない、という投げたような態度が、言葉の端々に表れているように、アダムには思えた。
横からの風が髪を揺らす。雲の流れはあるが、雲間を抜けてくる月光はかなり明るく感じられた。顔を覗かせている月は、ほとんど満月に近いようだ。
蒼白い光に照らし出されて、いつの間にかプルノの険しい表情もよく見えるようになっていた。
齢は五十をいくつか越えたくらいか。朱布の巻かれていた頭髪は半分ほどが白くなっているようだ。顔の皺は深く、左眼のあたりには、額から頬にかけて大きなひと筋の傷痕がある。それは古い刃傷らしかったが、月の下ではなにか別のものが顔に貼りついているようにも見えた。
「つまり、孟王が邪魔だったから、この地を隣国に売った?」
「まあ、そういうこったな。孟王は頑固な分、周辺の豪族からの信頼が篤くてよ、ましてや領国なんで、炳都が表立って手は出せねえ。かといって都の言うことも、教義を引き合いに出して聞かねえ。だったら、蕘皙国の羊飼いがこの土地を奪って、牧場と耕作でもしてたほうがあつかいやすい。そのうえそれと引き換えに、西域の良馬も継続的に安定して入ってくるって話だ」
「そんなことで、領地を売ったのか」
「重要かどうかは、炳王が決めることさ。直接手を汚さずに、欲しいものが手に入るんだからよ。だけど、城が落ちればそれで済むってことでもなかった。孟王の血筋であるグゼイブ王家が生き残れば、周辺の豪族たちの力添えもあって、必ず息を吹き返す、と見られていたんでな」
やるからには、グゼイブ王家の一族郎党すべてを殺す。それが、炳都の狙いだったということだ。だから城が落ちてからも、次代の孟王であるルネルが執拗に狙われた。
確かに、アダムが訪ね歩いた豪族たちは憤慨しながらも、孟王という中心を失ったことでまとまりを持たず、そのままでは大きな動きにはなりそうもなかった。戦の経験もなく、それぞれが炳都の動きを待っているようなところもあった。涙を浮かべて語る豪族もいたが、どれだけ強い言葉で吠えてみたところで、牙を抜かれた子犬がわめいているようなものでしかなかったのだ。
「プルノ。あんたに、もうひとつ訊きたいことがある。エフレム・ヴィクノールという、孟国の隠術師についてだ」
「ああ。やつの処分が甘く、流刑になったのは想定外だったろうな。炳都というより、どちらかというと西域の駱駝部隊にとっては」
「やはり、エフレムの件にも関わっていたのか」
「炳都までその名を知られるほどの弓術の達人だぜ、エフレムというやつは。西域の羊飼いどもでは、到底相手にならない。これから城を攻めようっていう蕘皙国の邪魔になることは、はじめから眼に見えていた」
「それで謀略を?」
「まずは孟王の従臣の一人が寝返るよう、炳都の隠術師が接触した。孟王の一族が滅びたあとは、炳都で然るべき地位を与える、とかいう餌をぶらさげてな。もともと間者が紛れこんで調査していたんで、標的は早くから決まっていた」
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「まあな。だが宝物庫の地図を盗み出すよう、提案したのはその孟王の従臣だ。石頭の孟王は、王女にすら宝物庫に近づかせなかったらしいし、エフレムが処断されるだけの材料を揃えるために、ずいぶんと苦労したようだぜ」
ルネルに宝物庫の鍵を開けさせる。そのために亡き王妃の形見のことを吹きこみ、孟王が狩りの得意な番兵を連れて出るように仕向けた。手の混んだ謀略だった。
「エフレムが、いまも生きていると思うか?」
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