官能霊媒師は朗読で祓う

あしゅ太郎

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秋暁、胸の奥が騒ぐとき(1)

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高守柚瑠の自宅兼拠点に、場違いなほど厳かな気配が流れ込んできたのは、ちょうど依頼帰りで一息ついていた夕方のことだった。

「……柚瑠、お前んとこの結界、ゆるいな。見逃してやるけど」

突然、玄関をくぐってきたのは、和装に身を包んだ精悍な中年の男――高守玲音。柚瑠の遠縁にあたる親戚で、霊媒の世界では知る人ぞ知る凄腕だった。

「玲音さん……なんで急に?」

「ちょいと“良い素材”を見つけたからな。スカウトに来ただけだよ」

玲音の視線がすっと横に向けられる。そこには、キッチンで湯を沸かしていた律がいた。

「無我律くん。君、なかなか素質あるな。精神の揺らぎが少ない。霊との距離感も見事だ。柚瑠に使われてるより、もっと上で鍛えたほうがいい」

「……は?」

柚瑠は、手にしていたマグカップを落としそうになった。律もまた驚いた顔で目を瞬かせている。

「俺なんか、まだ未熟ですし、柚瑠さんの助手で……」

「だからこそ惜しい。高守家の名のもと、正式に助手として迎える。どうだ、考えておいてくれ」

玲音はそれだけ言い残すと、置き手紙のように名刺をテーブルに置き、さっさと玄関を出ていった。

――気まずい沈黙が落ちた。

「……柚瑠さん。俺、ちょっと外の空気吸ってきます」

そう言って出ていく律の背中を、柚瑠は呆然と見送った。

胸がざわつく。

助手だから、必要なんだ。

ずっとそばにいて、助けてくれて。僕はアイツがいなきゃ――いや、でも、それだけか?

(行くなよ……)

気づけば、柚瑠は玄関を飛び出していた。

律の背中を見つけたのは、角を曲がった小さな公園のあたりだった。風が、ふたりの間を吹き抜けていく。

「律!!」

呼ばれて、律が振り向く。

「……柚瑠さん?」

「……行くな。あんなスカウト、断れ。僕には、おまえが必要だ」

柚瑠の声は震えていた。自分でも、自分の感情の正体がわからなかった。

「僕は……おまえが助手だから?相棒だから?……それとも、ただ……」

「――俺は」

律が一歩、柚瑠に近づいた。その目には、もう迷いがなかった。

「俺は、柚瑠さんのことを、“好き”って意味で好きです」

柚瑠の息が止まった。

「助手としてじゃなくて、人として。男として、恋愛感情として。ずっと前から、俺は、柚瑠さんが……」

風が止まり、時間が凍るようだった。

「……わかんないんだよ」

柚瑠の声が小さく漏れる。

「僕の“必要”って気持ちが、おまえの言う“好き”と同じなのか、まだ……」

「それで、いいです」

律の声は静かだった。

「気づいてもらえただけで、今日は十分です」

その声に、柚瑠は目を伏せたまま、ぎゅっと拳を握りしめた。

“律を、失いたくない”――その気持ちだけは、確かだった。

---

夜の風が、ふたりの間をそっとすり抜ける。

律の告白を受けてから、柚瑠は一言も発していなかった。沈黙を破ったのは、意外にも律のほうだった。

「すみません……俺、勝手でしたよね」

「……バカ」

柚瑠がぽつりと呟いた。

「謝るくらいなら、言うなよ。そんな顔して、謝るなよ」

「……はい」

律が苦笑し、目を伏せる。その横顔を見て、柚瑠は心の奥底がかき乱されるような感覚に襲われていた。

助手としての信頼。戦友としての絆。そして、それを超える感情。

「……正直、まだ答えは出せない」

やっとの思いで口を開く。

「だけど、律がいなくなるって想像したら、息ができないくらい苦しくなった。それは、嘘じゃない」

律が目を上げる。柚瑠の言葉を、ひとつ残らず受け止めるように、まっすぐに。

「だったら、俺は待ちます。何年でも、何回でも、柚瑠さんの隣に立ち続けて……“好き”を証明してみせます」

「……めんどくせえな、おまえは」

柚瑠は、ようやく少しだけ口元を緩めた。

「でも……そばにいろ。今だけじゃねぇ。これからも、ずっと」

その言葉に、律の瞳が震える。

「はい」

「助手として――って、今は言っとく」

「はい。……でも、いつかそれが“恋人として”に変わることを願って、俺はそばにいます」

柚瑠は、何も返さなかった。

けれど、隣に並んで歩き出したその歩幅は、さっきより確かに近づいていた。

沈黙の中に芽生えた感情の輪郭は、まだぼやけていた。

それでも――それはたしかに、恋のはじまりだった。

---

「わあ……すっごい、人」

ライトアップされた城跡公園は、まさに秋の見頃。燃えるような赤や黄の紅葉が夜のとばりに照らされ、どこか現実離れした空間をつくっていた。
境内跡に沿って続く石畳の小道には、出店の屋台と観光客がずらりと並んでいる。

「おい黒川、あれ! 焼きだんご! 食っていこうぜ!」

「……因幡先生。除霊前なので、まず状況確認を優先していただけると……」

「なーに言ってんだよ、どうせ対象は深夜にしか出ないって言ってたじゃん? ちょっとくらい楽しんでもバチ当たんねーよ。な?」

「たしかに、報告では深夜帯限定の霊出没。今のうちに腹ごしらえしておくのも、合理的判断ですね」
横から律が口を挟んでくる。

「というわけで、律。僕はあれ食いたい。たい焼き」

「……はいはい、結局食べたいだけですね」

そしてその数分後――。

「うめぇぇ……あっ、因幡、次たこ焼きいこうぜ」

「いや、俺は唐揚げ。いや、串焼きも捨てがたいな……」

「ちょっと、君たち本当に仕事のつもりで来てる?」

「ああ? 腹が減ってはなんとやら、ってやつだろ。な、柚瑠」

「まったくだ。食わずして霊と向き合うとか正気の沙汰じゃない」

「「どっちが大食いか決着つけてやるよ!!!」」

ふたりの大人たちが、火花を散らしてコロッケと焼きそばに挑む横で、助手ふたりはほぼ無表情だった。

「……このふたり、似てますね」

「……ほんと、それな。胃袋だけでなくてテンションの上がり方も一緒だよ」

黒川と律はそれぞれのパートナーに紙ナプキンを差し出しながら、なんとも言えない溜め息をついた。

---

食い倒れの宴が一段落し、人混みの熱が落ち着く頃――。

一同は、城跡の裏手、観光客の流れから少し外れた川沿いの小道にいた。
風の音が紅葉を揺らし、時折、すすり泣くような声が混ざる。

「ここだな。霊が出るのは」

因幡が低く呟き、文庫本を開いた。

「どうやら、城落ちの夜、愛しい人を残して命を絶った侍女の霊らしいな……その執着が、時折現世を彷徨うらしい」

「愛と未練、か。因幡、朗読に入れ」
柚瑠は小さく印を切りながら、川沿いの空気を結界で満たしていく。

「よし、いくぞ。……“白銀の指が私の喉元をなぞった瞬間、私はただ快楽に喘ぐだけの存在になっていた……”」

柚瑠と律が同時に顔をしかめる。

「またそれか……!」

「毎度のことだけど、なんで除霊で官能朗読なんだろう……」

夜気がふるえた瞬間、木の陰から、朧げな人影が姿を現す。
泣き濡れた瞳、裾のほどけた白無垢。
怨念というより、深い悲しみがその身にまとわりついていた。

「うわっ……出た」

「大丈夫、こっち来るぞ。因幡、もう一段階感情込めて!」

> 「“彼の舌先が私の耳の奥まで届いた瞬間、すべてが崩壊して……”」

呻きとともに、霊の輪郭がふるえる。
柚瑠がすかさず最後の結界を仕上げると、霊はすっと涙を残して、紅葉の風に溶けていった。

ふわりと舞った一枚の紅葉が、因幡の足元に落ちる。

「……やれやれ。やっぱこのスタイル、間違ってねぇな」

「俺には間違ってるようにしか思えないんですが……」

黒川はため息をつきながら、因幡に上着を掛けた。風が冷たくなっていた。

一方その隣では、柚瑠がふいに言った。

「なぁ律。次のイベント飯、なにがあったっけ?」

「……もう、除霊が終わって安心した瞬間にこれなんだから……」

ふたりのコンビが静かに笑い合い、帰り道へと歩き出す。

紅葉の名残と、過ぎた怨念と。
そして、少しずつ育ち始めた4人の関係だけが、秋の城跡に静かに残されていた――。

---

除霊から戻ったあとの、深夜の静かな時間。
黒川のアパートの部屋は灯りを落とし、間接照明だけがほのかに空間を照らしていた。

「はぁ……今日はさすがに、疲れましたね」

ソファに深く腰を沈めた黒川が、小さく伸びをした。
すでにシャワーは浴び終えていて、ゆるく乾かした髪からは微かに柑橘系の香りが漂っていた。
部屋着のパーカーの袖を無意識にいじる手つきが、今日のことを反芻している証拠だった。

「まあな。……あの亡霊の最後のひとこと、気になるな」

キッチンからマグカップを2つ持ってきた因幡が、黒川の隣に腰を下ろす。
差し出されたカップには、薄く淹れたカモミールティー。
眠る前の静けさが、ふたりを自然に寄り添わせていた。

「“来世でまた、会えますように”――でしたね」

黒川が、ぽつりと呟く。
それは亡霊が光へ還る直前、消え入りそうな声でこぼした願いだった。

「愛してた人に再び会えるように、か。執着じゃなく、願いとして残ったんだな。……おまえは、信じるか? 来世とか、運命とか」

因幡がマグを片手に、ふと横目で黒川を見やった。

黒川は、答えに少しだけ間を置いた。
そして、柔らかく笑ってこう返す。

「……誰かを強く想う気持ちが、何かを超えることがあるなら。信じたいです。叶わなくても、願っていたい……って思うくらい、大切な人がいるなら」

その横顔には、熱も告白もない。ただ、少しだけ切なさを孕んだ穏やかな静けさがある。
だけど因幡は、その言葉の向かう先を、薄々気付いていた。

(……俺のことか?)

気付かないふり。
ずっとしてきた。
黒川が、誰よりも自分の言葉を信じ、支えてくれていること。
傍にいる理由が、ただの“助手”ではないこと――。

それを、ずっとわかっていながら、気付かないふりをしていた。
でも。

「……黒川」

「はい?」

因幡は何気ないような顔で、黒川の頭をぽんと撫でた。
唐突で、あまりにも優しくて、黒川の瞳が揺れる。

「……あんまり、そういう顔すんな。夜だし、変な気起こすだろ」

「……!」

赤くなる耳を隠すように、黒川はマグカップを持ち直した。
笑ってごまかすのは得意だったはずなのに、今夜はちょっと無理だった。

「すみません。気をつけます」

「いや、……気にすんな。おまえのそういうとこ、俺は……」

言いかけて、因幡は言葉を切った。

(好きだよ。……とか、今さら言えるかよ)

そんな自分に小さく舌打ちしながら、マグカップに口をつける。

静けさが戻る。
けれど、それはどこか心地いい緊張を孕んだ沈黙だった。

部屋の窓の外では、夜風が赤く色づいた葉を揺らしていた。

---

夜中。
窓の外では風が紅葉を揺らし、さらさらと乾いた音を立てていた。

その音の中に、かすかな声が混じった。

「やだ……いかないで、柚瑠さん……っ……」

寝返りを打った布団の中で、律は眉を寄せ、小さく震えていた。
夢のなかで何かにすがるように、誰かの名前を呼んでいる。

――柚瑠が、遠ざかっていく。
何も言わず、ただ背を向けて歩いていく。
呼んでも、手を伸ばしても、届かない。
胸を裂くような喪失感だけが、律の中に残った。

「――っ……!!」

びくん、と身体を起こして、律は夢から飛び起きた。
視界がにじんで、呼吸がうまくできない。
何が現実で、何が夢だったのか、その境目が曖昧なまま、目から涙が溢れ続けた。

「律……?」

低く優しい声が、すぐ横から聞こえた。
柚瑠だった。
隣の布団に背中合わせに寝ていた彼が、律の異変に気付いて目を覚ましていた。

「どうした、苦しい夢?」

律は何も答えられず、ただ小さく頷いた。
こぼれ落ちた涙が、シーツに滲んでいく。

柚瑠はそっと起き上がると、律の背中に腕をまわして、その身体を抱き寄せた。

「大丈夫。……僕はここにいる」

律の額が、柚瑠の胸元に触れる。
そのぬくもりに、律はようやく少しだけ呼吸を取り戻す。

「……夢の中で、柚瑠さんが、俺のこと嫌いになって、……どこかに行ってしまって……呼んでも、追いかけても、何にも届かなくて……」

震える声でこぼす律に、柚瑠は何も言わず、ただ優しく背を撫でた。
まるで小さな子どもをあやすような仕草だった。

「律。よく聞いて」

柚瑠は少しだけ体を離し、律の頬に手を添えて、まっすぐ目を見る。

「僕は、おまえが泣くほど不安になるような、そんな夢に負けないくらい、ちゃんとここにいる。……おまえを嫌いになるなんて、ありえない。おまえは、僕にとってただの助手じゃない。大事な存在だ」

律の唇がわなないた。
喉の奥から、嗚咽がこぼれそうになったその瞬間、柚瑠がもう一度、強く抱きしめる。

「……僕は、どこにも行かない。律、おまえの傍にいるよ。これからもずっと」

その言葉に、律の手がゆっくりと柚瑠の背に回った。
ぬくもりにすがるように、静かに、でもしっかりと。

「……柚瑠さん、……ありがとうございます」

涙のにじんだ声に、柚瑠は「バカ」とだけ囁いて、律の髪を撫でた。

夜の風が、ふたりのいる部屋の外を通り過ぎていく。
けれど、ここにはもう何の不安もなかった。
寄り添う温もりと、互いを求める想いだけが、確かにそこにあった。

---

夜が明け始める頃、律はようやくうとうととした浅い眠りに落ちていた。

窓のカーテンの隙間から、やわらかな朝の光が差し込んでいる。
部屋の空気はしんと静かで、聞こえるのは鳥のさえずりと、隣にいる誰かの穏やかな呼吸。

律は薄く目を開けた。
まぶたの裏にまだ残っていた夢の影は、今ではもうどこにもなかった。

隣にいる柚瑠の腕の中で目覚めた朝――
それは信じられないほど、あたたかくて、安心できる空間だった。

「……起きてたのか?」

不意に、低い声が頭の上から落ちてくる。

「っ……柚瑠さん、起こしちゃいましたか?」

「ん。目が覚めたら、おまえが俺の腕を掴んで離してくれなかっただけだ。寝苦しいかと思ったけど……まぁ、悪くなかった」

小さな冗談めいた言い回しに、律は頬を赤らめた。
昨夜の夢のことを思い出して胸がちくりと痛むけれど、柚瑠のぬくもりはそれをそっと包み込んでくれる。

「……あの、昨日は……すみませんでした。変な夢で取り乱して……」

「謝るなよ、律。怖い夢くらい見るもんだ。誰だって」

そう言って、柚瑠はゆっくり起き上がり、寝癖のついた髪を指先で整えながら、カップを手に取る。

「……コーヒー、淹れるけど飲むか?」

「はい、ぜひ……」

律もゆっくりと身体を起こした。
すぐ隣にある日常。
その中に柚瑠がいて、笑っていて、名前を呼んでくれている。
それだけで、律の胸の奥がじんわりとあたたまる。

小さなテーブルで、柚瑠が差し出したカップを受け取る。
そこに注がれた黒い液体は、ほんのり香ばしくて、鼻をくすぐった。

「甘くしてる。おまえ、苦いのダメだろ」

「……ありがとうございます」

さりげない気遣いに、律の心はまた少しだけ強くなれた気がした。

一口飲むと、ちょうどいい甘さと温度に、思わず頬がゆるむ。

「……なんか、こういう朝って、すごく……幸せですね」

ぽつりと漏れた律の言葉に、柚瑠は一瞬カップを口に運ぶ手を止めた。
だが、それをすぐに誤魔化すようにふっと笑う。

「何だそれ。夢見が悪かったやつの台詞には聞こえねえな」

「ふふっ……」

ふたりは顔を見合わせて笑った。
照れ隠しと、安堵と、静かな喜びがそこに混ざっていた。

昨日の夢はもう過去。
この朝は、確かな“今”として、ふたりの心に刻まれていく。

小さな朝のテーブルに、寄り添うふたりの距離が、昨日よりも少しだけ近くなっていた。
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