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第八十一話【引っ越し】中
しおりを挟む住んでいたマンションを紹介してくれた人がまた見つけてくれたそこは、トレーニングマシーンが置ける広めのリビングと小さな和室、母だけでなく力也や冬真が立って手伝っても問題のないキッチン。ドアを開けておけばどこにいても繋がれる各部屋。大容量とは言い切れないが、収納場所も完備。
二人で入ってもまあ、動けるスペースはある風呂は別に条件ではなかったが、広いに超したことはない。
後は完全に孤立しない母の部屋と、ベッドを置いても動き回れるスペースがある二人の部屋。そしてできれば声が響いてもなんとかなりそうな部屋、バイクのスペースもある。
これだけの条件があって、あの値段は破格だと思った。
紹介したわりに、何度か確認してきたのは気に少し不思議だった。完全リフォーム済みだとか、隣の部屋も空いているとかいいこと尽くめだと思ったんだけど、冬真が嫌がる内容なのかなと思い一応確認した。
すると、そもそもこのマンション全体が事故物件になっているだけで、力也が選んだ部屋が現場と言うわけではなかった。力也が借りた部屋はたまたま凄い、汚れていたから完全リフォームされただけで、現場ではなかった。
現場は力也が住んでいる階の外階段から、裏の玄関にかけてだった。ようは飛び降り自殺だ。
「ってことで、ここは汚部屋だったけど、現場じゃないんですよ」
引っ越しが終わった次の日、片付けと手伝いに来た氷室に、力也はそう説明していた。事故物件を借りると聞いて詳しく確認した方がいいだろうかとは、思ったものの前歴があるのでまぁいいかと流した氷室はその説明に少し安心した。
「そうか、ならまだマシか」
「はい、落ちた場所がよりにもよって、裏玄関の前だった所為でこのマンション全体が事故物件になっちゃったみたいなんです」
「それは持ち主災難だったな」
「俺もそれ聞いて、なら大丈夫かなって思ったんですよ。裏玄関はちょっと気になるけど、使わなければいいだけだし、エレベーター使えば階段も気になんないし」
氷室と力也の近くで本棚に本を並べていた冬真は、そう頷いた。相変わらず幽霊は苦手だし、せっかくの三人の新居に他に同居人はいらない。
「あ、でも完全にこの部屋が無関係って訳ではないんだけど」
「え!?」
その衝撃発言に、氷室よりも冬真が力也へと詰め寄った。
「どういうこと!?」
「えっと、なんか紹介してくれた人が色々話してくれたんだけど、この部屋の隣の空き部屋がその自殺した方が住んでたみたいで、自殺する前にもちょっとゴタゴタがあったんだって」
「ゴタゴタ?」
恐る恐ると興味津々な視線を向けられ、力也は聞いた話なんだけどと前置きを置いて話を始めた。
紹介した人が言うには、自殺したのは隣の部屋に住んでいた女性で、生前ストーカーに悩まされていたらしい。その頃、今力也達がいる部屋は汚部屋で、住人は人付き合いもなかったらしい。ある日ストーカーが部屋に来た時もこの部屋の住人は言い争いの声が聞こえていたのに無視をし続けていたらしい。
結局隣の部屋にいた彼女は、ストーカーにひどい目に合わされた挙げ句、次を恐れて絶望の末に自殺してしまったらしい。
「って事で無関係ではないんだ」
「なんだよ。ここに住んでた奴が警察に連絡すれば死ななくてすんだかも、知れないってことじゃねぇか」
「やりきれない話だな」
「そうなんですよ。結局、この部屋の人も事故が起こってすぐに逃げるように引っ越しちゃって二部屋ともほぼ同時に空き部屋になったらしいです」
ニュースに取り上げられ、報道陣が行ったのかも知れないし、いたたまれなくなったのかも知れないが汚部屋をそのままに早々にでていったらしい。
挙げ句に、他の部屋の住人も気味が悪いからと出て行き、いま現在もこのマンションは空室が多い。オーナーからすれば踏んだり蹴ったりもいいところだろう。
「ってことで、今回の俺と冬真にはちょっと期待してるらしい」
「期待ってなんで?」
「一応芸能人二人だし、ネタにされてもいいからイメージ変わればいいって」
「宣伝期待されてもな」
変な期待をされてしまっていることに、冬真と氷室はなんとも言えない表情を浮かべた。芸能界の同性カップルと聞いたオーナーは、最期の賭けとばかりに、二人にこのマンションの命運を託したらしい。
「責任重大になったな」
「Domだからって断られることは想像したけど、逆に期待されるなんて予想外ですよ」
「トークネタとかに使って欲しいって」
「ハードル高いな」
確かにホラー嫌いの冬真としてはネタにできそうな内容だが、過去の事件だけではネタにしにくく、内容を考えればネタにはしたくない。いっそ、なにか心霊現象でも起こればネタにできるだろうが、それは起こって欲しくない。
「ストーカーも隣の奴も俺的には、怒りしかねぇんだけど」
「俺も冬真はそう言うかなと思ったんだけど、なんかオーナーさんも紹介した人も、冬真なら気にしないでネタにするだろって言ってんだよな」
「俺のイメージ、悪くねぇ?」
「役柄かな?」
確かに今のところ、どちらかというと悪役や感じが悪いと叩かれる役ばかりが多いが、だからといってそれが本性だと思われるのはさすがにいただけない。
怖いと距離を置かれるぐらいなら構わないが、あまりそのイメージがつきすぎると力也や仲良くさせてもらっている人達に迷惑がかかりそうだ。
「バラエティ増やしたらそんなイメージも払拭されるんじゃないか?」
「Domっていじりにくいんですよ」
「・・・・・・こんなにいじりやすいのにな」
「罰ゲームだって全然やるのに」
「ままならないな」
どうも勘違いされることも多いが、冬真は基本的に汚れ役でもネタでも気にしない、それを気にしていたらその職種についているSubの事を理解できないからと言うのが理由だが、それでなくとも力也は体を張っているのに自分だけ楽な位置にいるのが好きじゃない。
愛しいSubが危険な位置にいるなら、自分も同じ位置に、苦しんでいるなら、それを共感でき支えられる位置にいるのを冬真は望んでいる。
「そういや、聞いたことねぇけど特技とかはないのか? ご主人様」
「そのご主人様ってのやめてください。なんかゾワゾワするんで」
名前を呼んでくれればいいものの、わざと呼ばれ慣れていない呼ばれ方をされ、冬真は顔をしかめた。Domとしてあり得ないことだと言われそうだが、冬真はその呼び方をされるのは好きではないのかもしれない。
他人から総称として呼ばれるのはいいが、自分に近しい人には呼んで欲しくないと思う。
「まぁ、気にすんな。で特技は?」
「・・・・・・ないです」
「ないのか」
芸能人としてそれでいいのかと思うほどあっさりと言い切った冬真に、氷室は呆れたような表情を浮かべると力也に視線を向けた。
「力也は特技になりそうなこと知らないか?」
「・・・・・・特技・・・・・・」
考え込んでしまった力也の様子に、本当になにもないのかと思い始める。
「あー、歌はうまかった気がします」
「お、それはいいんじゃないか?」
「いや、力也の主観なんで。持ち歌もあんまりないし、それ以外だとボロボロです」
「じゃあ、ダメか」
そもそも、声が好きと言っている力也の印象ではそれは当てにならない。冬真は多くの芸能人と比べて特別いい声と言うわけでもない。好みと相性の問題だろう。
「他は?」
「他・・・・・・って言っても運動はダメだし、話は面白いけどそこはお笑いの人には敵わないし、勉強も苦手なんだろ?」
「クイズみたろ、チームを負けへと導いたあのボロボロ具合」
「本当になんにもないな」
笑いながら言ってくれればいいものの、力也も氷室も本気の様子で話し合うから余計悲しい。
「なんかこれは負けないって事ないのか」
「力也に対する執着心と愛情なら自信あります」
「・・・・・・聞くんじゃなかった」
「なんかすみません」
絶対の自信をもって答えたのに、二人してため息をつかれてしまった。こうして考えると自分には本当になにもないとしか思えない。誇れることも、自慢できることも、自信があるものも、けして負けたくないと思うことも、全てが力也に関係している。
(全部コイツに貰ってるんだよな)
いつでもなんてことのないような顔をして、大事な心や体を預けてくれる。それがどんなに難しいことか、力也は知らない。ただ、その時その時の想いをそのまま全力で形にしてくれる。それが冬真を支え、前を向き続ける力となる。
(何度言ってもコイツは自覚しねぇけど)
そんなことを思いながら、話しながらも手を休めることなく動かしている力也の頬を突けば、不思議そうに目を向けられた。
「なに?」
「別に? 突きたくなっただけ」
不思議そうにしながらも、特に避けようともしない様子のなんと可愛いことか。力也からすれば別に作業の邪魔をされているわけではないから、気にすることでもないのかも知れない。
「もしかして、手伝いいらなかったか?」
「え? なんでですか?」
「お邪魔だったかなって」
氷室の言葉を聞き返した力也は本当にこの空気に気づいていないらしい。慣れているのか無頓着なのかはわからないが、甘々な空気を放っている冬真を気にする様子はない。
「まぁ、こうなるとお前らが同じ事務所じゃなくてよかったと思えるな」
「あ、俺移籍してもいいっすよ」
「残念だが、うちはスポーツタレント向けだ。俳優は孝仁のところが主だな」
「孝仁さんとこが、親会社で大手事務所ですよね」
「ああ、枝分かれしてるからな」
孝仁の事務所は、俳優とスポーツタレント向け以外にも、アイドル向けの事務所とも連携している業界の大手だ。名だたる有名人も数多く輩出している。
「移籍ってやっぱ難しいですか?」
「知らんが、うちは難しいな。Sub多いし」
「え?」]
その言葉に、冬真の瞳がわかりやすく輝き始めた。力也の頬を突いていた手を止め、興味ありげな表情を浮かべた冬真の様子に、氷室は思わず“しまった”という表情を浮かべた。
「Subが多いんすか?」
「いやそれは・・・・・・」
「Sub結構いるのか?」
「まぁ、いるって言えばわりといるかな。ライブの時にもつれてきたじゃん。もちろんDomもいるけど」
「Subは何人ぐらい?」
「何人だっけかな」
そういいながら、覚えている限り思い出して数え始めた力也の様子に思わずつぶやく。
「なんでそんなにいるんだよ」
「うちにはSubほいほいがいるからな」
誰のことを言っているかわかりやすすぎるその説明に、冬真は自覚のなさそうな力也をみて頷いた。
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