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2、はい、俺、営業向いてません!
2ー5
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おいしいものはひとの心を近づける。同じひと皿を分け合って味わっているとき、間違いなく同じ体験を共有している。
今日も行人は、仕事の話は一切しなかった。冒頭の翔太の質問に答えたのみだ。
「俺、幼稚園の頃、障子破くのにハマッててさあ」
行人は自分の幼い頃の話を語って聞かせる。翔太は相づちを打ちながら、快い行人の声に耳を傾ける。
「えー、親御さん、苦労したでしょうね。穴が空きっぱなしじゃ、寒くてしようがない」
「そうそう。あるとき、張り替えるのにうんざりした母親が、全部ガラスに入れ替えちゃった」
行人は屈託なくそう言って笑う。
「そうなりますよね」
「うん。で、その次にハマったのは襖に穴を開けることー」
「破壊神ですね、ホントに。親御さんに同情しますよ」
普段酒を飲まない翔太だが、今日はビールが進んだ。ジョッキ二杯目に入る頃には、隣にいるのが上司だという遠慮も薄らいだ。話すたび身体を近寄せることにも慣れ、隣に座る行人と肩や脚が何度もぶつかった。行人も特別、翔太を避けたりしなかった。翔太はこのままこうしていられればいいのにと思った。仕事場では、行人は決してこんな風にならない。上司とは言え、歳は三つしか違わない。ここでこうしていると、上司部下というより、ただの普通の友人同士のようだ。
(普通の友人同士……)
それはそれで、翔太の胸は軽く痛む。が、それでいいのだ。不毛な夢を見るほど子供じゃない。
ビールと行人の声に酔い、すっかりいい気分でしゃべっている翔太だが、脳内には不思議と冷めている部分があった。
(係長は、俺に何を言いたくて誘ったんだろう)
公私の区別のハッキリした行人だから、会社を出たら仕事の話はしない。メシを食ってるときにはなおさらだ。だが。
(俺、やっぱり、営業には向いていないよな)
行人は仕事ができるし、そのノウハウを漏らさず新しい部下に伝えようとしてくれているのも分かる。が、翔太の能力では、そのノウハウを吸収しきれない。日々アップアップしながら行人の指導に何とかついていこうとがんばっているが。
(バドミントンをやっていた俺には分かる。「やりたい」ことや「努力する」ことと、実際に「できるようになる」ことは、次元の違う別の話だ)
本当は係長は、何か、重要なことを自分に伝えたいと思っているのではないか。そしてそれは、翔太が傷付くようなことなのではないか。
行人はそれを、言い出せないでいるのかもしれない。
キッパリした性格の西川係長らしくないけれど。
ふたりが外へ出ると、夜半の風は温かかった。いよいよ、夏だ。
また今日も、地下鉄駅の改札で別れた。
店で触れ合った肩や脚の感触を思い出し、翔太は寝苦しい夜を過ごした。
ついに、その日がやってきた。
翔太は覚悟を決めた。
三度目に、行人からメシに誘われたのだ。三度目は個室の中国料理店だった。言いづらい話をするには最適だ。
帰り際、翔太の提出した日報に、みどりのふせんが付いて返ってきた。ふせんにはこうあった。
「社長に呼ばれた。先に行ってて」
店の名前と場所は知らされてあった。予約をしていたようだった。
一度目、二度目のときには、予約不要の気軽な店だったが、今度は違う。
(ついに退職勧告かあ……)
翔太は目の前が真っ暗になった。
冷静に考えると、勧告されたからと言って従う必要はない。そもそも正式な勧奨であるとしたら、文書などで再三改善指示が出ているはずだ。単純に物覚えが悪い、業務に向いていないだけだったら、上司とは言えひとりの人間、善意から「向いてないんじゃないかな」「もっときみに合った道に進んだ方が幸せなのでは」的な助言をくれるだけで、それを聞き入れるかどうかは翔太次第だ。
でも、もし、この仕事が向いてないとしたら、どうしよう。
就職活動は大変だったが、今辞めて第二新卒の立場になったら、もっと大変になるかもしれない。こんな自分を雇ってくれる会社があるだろうか。そもそも自分にできることなんてあるのか。
考えていると、思考はどんどん暗い方へ傾いてしまう。
翔太は店へたどりついた。西川の名前をお店のひとに告げると、しずしずと奥の方の個室に通された。全卓個室の静かな店だった。
ひとりで座っていると、本当に落ち込んできた。翔太はおしぼりを脇へ避よけて、メニューを開いた。結構高い。
一度目、二度目のときは、行人がおごってくれた。自分も払うと言ったが、「一応上司だから」と払わせてくれなかったのだ。だが、上司とは言え行人もまだ二十代。係長手当といっても大した額じゃない。自分と懐事情はそう変わらないだろう。
(こんなお店じゃ、おごりにはさせられないよ。今日こそはちゃんと割り勘にしてもらおう)
翔太は財布の中身を確認した。ここへ来る道すがら、コンビニに寄って現金を下ろしてきてある。
「こちらです」
お店のひとが案内してきたあとから、行人が現れた。
「ごめんね。すっかり待たせちゃって」
「いえ」
翔太は短くそう答えた。行人は出された茶をひと口飲んだ。
「社長、なんだったんですか?」
入社式で見た、社長と行人の親しげな様子を翔太は思い出していた。このひとには、表の係長職とは異なる、裏の権力があるのかもしれない。
「あー。もう今のまんまじゃジリ貧でしょ、ウチの会社。だから、新しいことをするしかないって、PTを立ち上げて開発していきましょうって話なんだけど、古株の反対に遭っててさ。ったく、『そういうのなんとかするのがお前の仕事だ』って説教してきたけど。あのおっさん、優しいっつーか、気が弱いからさ」
「……すごいですね」
社長に説教。これはやはり、身内。
今日も行人は、仕事の話は一切しなかった。冒頭の翔太の質問に答えたのみだ。
「俺、幼稚園の頃、障子破くのにハマッててさあ」
行人は自分の幼い頃の話を語って聞かせる。翔太は相づちを打ちながら、快い行人の声に耳を傾ける。
「えー、親御さん、苦労したでしょうね。穴が空きっぱなしじゃ、寒くてしようがない」
「そうそう。あるとき、張り替えるのにうんざりした母親が、全部ガラスに入れ替えちゃった」
行人は屈託なくそう言って笑う。
「そうなりますよね」
「うん。で、その次にハマったのは襖に穴を開けることー」
「破壊神ですね、ホントに。親御さんに同情しますよ」
普段酒を飲まない翔太だが、今日はビールが進んだ。ジョッキ二杯目に入る頃には、隣にいるのが上司だという遠慮も薄らいだ。話すたび身体を近寄せることにも慣れ、隣に座る行人と肩や脚が何度もぶつかった。行人も特別、翔太を避けたりしなかった。翔太はこのままこうしていられればいいのにと思った。仕事場では、行人は決してこんな風にならない。上司とは言え、歳は三つしか違わない。ここでこうしていると、上司部下というより、ただの普通の友人同士のようだ。
(普通の友人同士……)
それはそれで、翔太の胸は軽く痛む。が、それでいいのだ。不毛な夢を見るほど子供じゃない。
ビールと行人の声に酔い、すっかりいい気分でしゃべっている翔太だが、脳内には不思議と冷めている部分があった。
(係長は、俺に何を言いたくて誘ったんだろう)
公私の区別のハッキリした行人だから、会社を出たら仕事の話はしない。メシを食ってるときにはなおさらだ。だが。
(俺、やっぱり、営業には向いていないよな)
行人は仕事ができるし、そのノウハウを漏らさず新しい部下に伝えようとしてくれているのも分かる。が、翔太の能力では、そのノウハウを吸収しきれない。日々アップアップしながら行人の指導に何とかついていこうとがんばっているが。
(バドミントンをやっていた俺には分かる。「やりたい」ことや「努力する」ことと、実際に「できるようになる」ことは、次元の違う別の話だ)
本当は係長は、何か、重要なことを自分に伝えたいと思っているのではないか。そしてそれは、翔太が傷付くようなことなのではないか。
行人はそれを、言い出せないでいるのかもしれない。
キッパリした性格の西川係長らしくないけれど。
ふたりが外へ出ると、夜半の風は温かかった。いよいよ、夏だ。
また今日も、地下鉄駅の改札で別れた。
店で触れ合った肩や脚の感触を思い出し、翔太は寝苦しい夜を過ごした。
ついに、その日がやってきた。
翔太は覚悟を決めた。
三度目に、行人からメシに誘われたのだ。三度目は個室の中国料理店だった。言いづらい話をするには最適だ。
帰り際、翔太の提出した日報に、みどりのふせんが付いて返ってきた。ふせんにはこうあった。
「社長に呼ばれた。先に行ってて」
店の名前と場所は知らされてあった。予約をしていたようだった。
一度目、二度目のときには、予約不要の気軽な店だったが、今度は違う。
(ついに退職勧告かあ……)
翔太は目の前が真っ暗になった。
冷静に考えると、勧告されたからと言って従う必要はない。そもそも正式な勧奨であるとしたら、文書などで再三改善指示が出ているはずだ。単純に物覚えが悪い、業務に向いていないだけだったら、上司とは言えひとりの人間、善意から「向いてないんじゃないかな」「もっときみに合った道に進んだ方が幸せなのでは」的な助言をくれるだけで、それを聞き入れるかどうかは翔太次第だ。
でも、もし、この仕事が向いてないとしたら、どうしよう。
就職活動は大変だったが、今辞めて第二新卒の立場になったら、もっと大変になるかもしれない。こんな自分を雇ってくれる会社があるだろうか。そもそも自分にできることなんてあるのか。
考えていると、思考はどんどん暗い方へ傾いてしまう。
翔太は店へたどりついた。西川の名前をお店のひとに告げると、しずしずと奥の方の個室に通された。全卓個室の静かな店だった。
ひとりで座っていると、本当に落ち込んできた。翔太はおしぼりを脇へ避よけて、メニューを開いた。結構高い。
一度目、二度目のときは、行人がおごってくれた。自分も払うと言ったが、「一応上司だから」と払わせてくれなかったのだ。だが、上司とは言え行人もまだ二十代。係長手当といっても大した額じゃない。自分と懐事情はそう変わらないだろう。
(こんなお店じゃ、おごりにはさせられないよ。今日こそはちゃんと割り勘にしてもらおう)
翔太は財布の中身を確認した。ここへ来る道すがら、コンビニに寄って現金を下ろしてきてある。
「こちらです」
お店のひとが案内してきたあとから、行人が現れた。
「ごめんね。すっかり待たせちゃって」
「いえ」
翔太は短くそう答えた。行人は出された茶をひと口飲んだ。
「社長、なんだったんですか?」
入社式で見た、社長と行人の親しげな様子を翔太は思い出していた。このひとには、表の係長職とは異なる、裏の権力があるのかもしれない。
「あー。もう今のまんまじゃジリ貧でしょ、ウチの会社。だから、新しいことをするしかないって、PTを立ち上げて開発していきましょうって話なんだけど、古株の反対に遭っててさ。ったく、『そういうのなんとかするのがお前の仕事だ』って説教してきたけど。あのおっさん、優しいっつーか、気が弱いからさ」
「……すごいですね」
社長に説教。これはやはり、身内。
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