32 / 51
7、もうちょっとだけ、夢を見させて
7-2
しおりを挟む
翔太が係へ戻ると、原田がビミョーな表情をしていた。原田は翔太に気付くと、
「おー、加藤。どうだった?」
と訊いてきた。
「どうって、普通ですよ」
翔太がそう答えると、原田は大げさに首を振った。
「いやいや、お前の評価じゃなくて。あいつだよ、西川係長」
「は? 係長が何です?」
原田は翔太と入れ替わりに内海がブースへ向かうのを横目で見て、一瞬黙った。
(これか……)
翔太はピンと来た。「何か飲みます?」と原田を誘って、ふたり分の飲みものを用意した。
カップを手にした原田に、翔太は水を向けた。
「で? 係長が何です?」
原田はカップを掲げて翔太に礼の意を伝えてから、コーヒーをひと口すすり、おもむろに言った。
「ウワサだけどさ……、西川のヤツ、辞めるらしいぞ」
「え?」
部屋の照明が一段暗くなった。
翔太は周囲を見回した。誰もとくに何も反応していない。暗くなったのは自分の視界だけのようだ。原田は得意げに自分の知り得た情報を語った。
「秋津物産から、あいつに引き抜きの話が来ているらしい。アサヅカの得意分野や経営上の弱点を知り抜いていて、社長ともツーカーのあいつを引き抜けば、秋津も仕事がやりやすいだろうし」
そうだろうか。翔太は原田の話の内容を吟味した。
全国区の秋津の立場から考えてみる。いくら仕事ができるとはいえ、地方の食品メーカーの営業を引き抜くメリットはあるか。秋津物産において、アサヅカフーズとの取引額は、全取引の何%にもならない。翔太の懐疑に気付かず、原田は得々として続けた。
「西川にしてからが、一弱小メーカーで営業してるより、直接飲食店と接触する機会の多い卸の方が、実力を発揮しやすいだろ。あいつの営業パターンなら」
その部分は同感だ。翔太は曖昧にうなずいた。行人の営業力を活かすなら、メーカーより卸の方が適任かもしれない。
「なあ加藤、お前もさ、あの西川にはキラわれてるっつーか、ずいぶん圧かけられてキツイよな。あいつが早くどっか行くように、お互い情報交換していこうぜ」
翔太と原田が知り得たことを共有すると、行人がより早く社を辞めることにつながるだろうか。単純に翔太は疑問に思ったが、原田にそれを指摘することは避けた。
手の中のコーヒーが冷めていた。翔太はそれをくぴりと一気に飲み干した。
内海がブースから戻ってきた。原田は内海にも同じように尋ねた。
「どうだった?」
「普通ですよ」
「いやいや……」
翔太はカップを片付けに席を立った。
ボーナスが出た。翔太たち営業一課一係には、それに加えて金一封も出た。「Pro'sキッチン」シリーズは、彼らの計画の一三〇%の売上を作った、その報償だった。製造現場は大変だったらしいが、翔太たちの取ってきた注文分を何とかこなしてくれた。「Pro'sキッチン」で初めてアサヅカの仕事をしたメーカーさんも、これで安心して取引を続けてくれるに違いない。
行人がアサヅカを辞めて秋津物産へ鞍替えするというウワサについては、何の追加情報もなかった。時折原田が意味ありげな視線を送ってくるが、翔太はあえて乗らないようにしていた。行人に気付かれて、この上原田との関係まで疑われてはたまらない。
(俺にだって好みがあるからな)
翔太の好みは行人だ。声も好き。笑顔も好き。仕事の異常にできるところも好きだ。それに当然ベッドも。
(だから、それを本人に言ってやれよ)
と翔太は自分に対して思う。これを口にしないから、行人はあんなに淋しそうな顔をするのだ。
(いや、でも俺、結構言ってるよ)
ともうひとりの翔太が思う。
(「言ってる」っていうか、たびたび「言わされてる」な)
翔太の頬が熱くなった。
(だから、そういうプレイじゃなく、普段から言って欲しいと思ってるんじゃないの? ユキさんは)
行人はいつも自分の気持ちにオープンだ。翔太の言動に「カワイイーー!!」と言って大はしゃぎするし、それに。
(ユキさんは、いつも俺に「好きだ」って……)
翔太はスマホを見る振りをして下を向いた。電車はもうすぐ空港に着く。
三泊四日で沖縄だ。これから四日間は、原田の言ったことは忘れて過ごそう。楽しい休暇になるだろう。何より行人を独り占めにできる。
長いエスカレータで出発ロビーへ上がっていくと、年末年始の大移動で空港は混雑していた。翔太は歩きながら行人に電話した。
「あ、ユキさん? 今着きました。チェックインカウンターの前です」
(おはようショウちゃん! 俺早く着いちゃって、コーヒー飲んでた。ショウちゃん、荷物ひとりで預けられる?)
「また子供扱いしてー。できますよ」
翔太は唇を尖らせて答えた。
(じゃあ、預けて搭乗待合室に入っちゃって。飲み終わったら俺も行く)
翔太は「了解ですー」と言って通話を切った。
アサヅカには、年末年始飛行機に乗ってどこかへ行こうというひとはあまりいないと思うが、念のため別行動だ。そのために、地下鉄は同じ路線なのに、あえて待ち合わせ場所を空港にしたのだ。時間ギリギリの翔太と、早め早めの几帳面な行人とでは、細かな打ち合わせをしなくても、自然と便を分散できる。
出発ゲート付近は飛行機を待つ乗客ですでに混んでいた。沖縄直行便にそんなにひとが乗るなんて、翔太は知らなかった。年末年始に沖縄で過ごすひとがこんなにいるとは。帰省しなくていいひとがこんなにいるとは。
翔太は姉の菜摘に「年末年始は帰らない」と連絡しておいた。「彼氏と沖縄に行く」と言うと、菜摘は大層悔しがった。菜摘が母にどう伝えたかは分からないが、そこは心配していない。菜摘がいい感じに言っておいてくれているだろう。
ゲートから少し離れた椅子に座って、翔太は背負ったバッグから文庫本を取り出した。本はもともとあまり読まないが、行人に影響されて最近読み出した。何ページもめくらないうちに、後ろから肩をたたかれた。
「おー、加藤。どうだった?」
と訊いてきた。
「どうって、普通ですよ」
翔太がそう答えると、原田は大げさに首を振った。
「いやいや、お前の評価じゃなくて。あいつだよ、西川係長」
「は? 係長が何です?」
原田は翔太と入れ替わりに内海がブースへ向かうのを横目で見て、一瞬黙った。
(これか……)
翔太はピンと来た。「何か飲みます?」と原田を誘って、ふたり分の飲みものを用意した。
カップを手にした原田に、翔太は水を向けた。
「で? 係長が何です?」
原田はカップを掲げて翔太に礼の意を伝えてから、コーヒーをひと口すすり、おもむろに言った。
「ウワサだけどさ……、西川のヤツ、辞めるらしいぞ」
「え?」
部屋の照明が一段暗くなった。
翔太は周囲を見回した。誰もとくに何も反応していない。暗くなったのは自分の視界だけのようだ。原田は得意げに自分の知り得た情報を語った。
「秋津物産から、あいつに引き抜きの話が来ているらしい。アサヅカの得意分野や経営上の弱点を知り抜いていて、社長ともツーカーのあいつを引き抜けば、秋津も仕事がやりやすいだろうし」
そうだろうか。翔太は原田の話の内容を吟味した。
全国区の秋津の立場から考えてみる。いくら仕事ができるとはいえ、地方の食品メーカーの営業を引き抜くメリットはあるか。秋津物産において、アサヅカフーズとの取引額は、全取引の何%にもならない。翔太の懐疑に気付かず、原田は得々として続けた。
「西川にしてからが、一弱小メーカーで営業してるより、直接飲食店と接触する機会の多い卸の方が、実力を発揮しやすいだろ。あいつの営業パターンなら」
その部分は同感だ。翔太は曖昧にうなずいた。行人の営業力を活かすなら、メーカーより卸の方が適任かもしれない。
「なあ加藤、お前もさ、あの西川にはキラわれてるっつーか、ずいぶん圧かけられてキツイよな。あいつが早くどっか行くように、お互い情報交換していこうぜ」
翔太と原田が知り得たことを共有すると、行人がより早く社を辞めることにつながるだろうか。単純に翔太は疑問に思ったが、原田にそれを指摘することは避けた。
手の中のコーヒーが冷めていた。翔太はそれをくぴりと一気に飲み干した。
内海がブースから戻ってきた。原田は内海にも同じように尋ねた。
「どうだった?」
「普通ですよ」
「いやいや……」
翔太はカップを片付けに席を立った。
ボーナスが出た。翔太たち営業一課一係には、それに加えて金一封も出た。「Pro'sキッチン」シリーズは、彼らの計画の一三〇%の売上を作った、その報償だった。製造現場は大変だったらしいが、翔太たちの取ってきた注文分を何とかこなしてくれた。「Pro'sキッチン」で初めてアサヅカの仕事をしたメーカーさんも、これで安心して取引を続けてくれるに違いない。
行人がアサヅカを辞めて秋津物産へ鞍替えするというウワサについては、何の追加情報もなかった。時折原田が意味ありげな視線を送ってくるが、翔太はあえて乗らないようにしていた。行人に気付かれて、この上原田との関係まで疑われてはたまらない。
(俺にだって好みがあるからな)
翔太の好みは行人だ。声も好き。笑顔も好き。仕事の異常にできるところも好きだ。それに当然ベッドも。
(だから、それを本人に言ってやれよ)
と翔太は自分に対して思う。これを口にしないから、行人はあんなに淋しそうな顔をするのだ。
(いや、でも俺、結構言ってるよ)
ともうひとりの翔太が思う。
(「言ってる」っていうか、たびたび「言わされてる」な)
翔太の頬が熱くなった。
(だから、そういうプレイじゃなく、普段から言って欲しいと思ってるんじゃないの? ユキさんは)
行人はいつも自分の気持ちにオープンだ。翔太の言動に「カワイイーー!!」と言って大はしゃぎするし、それに。
(ユキさんは、いつも俺に「好きだ」って……)
翔太はスマホを見る振りをして下を向いた。電車はもうすぐ空港に着く。
三泊四日で沖縄だ。これから四日間は、原田の言ったことは忘れて過ごそう。楽しい休暇になるだろう。何より行人を独り占めにできる。
長いエスカレータで出発ロビーへ上がっていくと、年末年始の大移動で空港は混雑していた。翔太は歩きながら行人に電話した。
「あ、ユキさん? 今着きました。チェックインカウンターの前です」
(おはようショウちゃん! 俺早く着いちゃって、コーヒー飲んでた。ショウちゃん、荷物ひとりで預けられる?)
「また子供扱いしてー。できますよ」
翔太は唇を尖らせて答えた。
(じゃあ、預けて搭乗待合室に入っちゃって。飲み終わったら俺も行く)
翔太は「了解ですー」と言って通話を切った。
アサヅカには、年末年始飛行機に乗ってどこかへ行こうというひとはあまりいないと思うが、念のため別行動だ。そのために、地下鉄は同じ路線なのに、あえて待ち合わせ場所を空港にしたのだ。時間ギリギリの翔太と、早め早めの几帳面な行人とでは、細かな打ち合わせをしなくても、自然と便を分散できる。
出発ゲート付近は飛行機を待つ乗客ですでに混んでいた。沖縄直行便にそんなにひとが乗るなんて、翔太は知らなかった。年末年始に沖縄で過ごすひとがこんなにいるとは。帰省しなくていいひとがこんなにいるとは。
翔太は姉の菜摘に「年末年始は帰らない」と連絡しておいた。「彼氏と沖縄に行く」と言うと、菜摘は大層悔しがった。菜摘が母にどう伝えたかは分からないが、そこは心配していない。菜摘がいい感じに言っておいてくれているだろう。
ゲートから少し離れた椅子に座って、翔太は背負ったバッグから文庫本を取り出した。本はもともとあまり読まないが、行人に影響されて最近読み出した。何ページもめくらないうちに、後ろから肩をたたかれた。
13
あなたにおすすめの小説
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛
中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。
誰の心にも触れたくない。
無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。
その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。
明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、
偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。
無機質な顔の奥に隠れていたのは、
誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。
気づいてしまったから、もう目を逸らせない。
知りたくなったから、もう引き返せない。
すれ違いと無関心、
優しさと孤独、
微かな笑顔と、隠された心。
これは、
触れれば壊れそうな彼に、
それでも手を伸ばしてしまった、
不器用な男たちの恋のはなし。
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました
ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。
落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。
“番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、
やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。
喋れぬΩと、血を信じない宰相。
ただの契約だったはずの絆が、
互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。
だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、
彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。
沈黙が祈りに変わるとき、
血の支配が終わりを告げ、
“番”の意味が書き換えられる。
冷血宰相×沈黙のΩ、
偽りの契約から始まる救済と革命の物語。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる