異世界もざまぁもなかった頃、わたしは彼女に恋をした~リラの精を愛したマンガ三昧の日々~

松本尚生

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一、二〇一〇年 東京―1

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 電話が鳴った。晴月社の北山だった。折り目正しい挨拶のあと、北山は言った。

「アシスタントの面接の件なんですが、ご希望の日時をおうかがいしたくて」
「は?」

 何のことだろう。今回の募集は福住書店経由だ。

 北山は晴月社の会議室を使わせるよう、綾乃から申しつかったと言った。

「先日先生に、履歴書が集まってるので面接を早く済ませたいとうかがいまして。……何かまずかったですか」

 寝耳に水だった。北山は、言葉を失う暢子を気づかうようにそう訊いた。

「あ、いえ。この度はお世話になります。藤村のスケジュールを確認しまして、折り返しご連絡いたします」

 咄嗟に暢子はそう誤魔化した。北山の携帯電話の番号はキープしてある。礼を言って暢子は電話を切った。

 綾乃の奴、一体どういう積もりだ。それならそうとひとこと断ってくれればいいものを。段取りをつけるこちらの都合を考えて欲しいものだ。

 暢子は足音も荒く書斎へと向かった。もう若くはないセンセイはお疲れだろうが、そろそろ起きてもらわなければならない。そうして、ことの真意を問い質さねば。

「センセイ、起きてください」

 ノックもせず、暢子は書斎の扉を開けた。

「……センセイ?」

 暢子は人型に膨らんだ毛布をそっと押した。何の手応えもない。

(綾乃……)

 暢子は書斎から事務室につながるドアを開いた。いない。

 再び廊下に出ると微かに水音がした。バスルームか。

「綾乃」

 暢子はバスルームに続く洗面所のドアを静かに開けた。

 空色のタイルに白い陶器の洗面台。ほんの僅か青い小花が散っている。

 バスルームの便器やバスタブも揃いだった。タオル掛けやシャワーヘッド、バスタブの縁飾りは真鍮を模した柔らかな金。明かり取りの窓が穿たれる、明るいバスルームだ。余り使わないが、二階のバスルームは同じデザインのピンクバージョンである。

 洗面所とバスを隔てるすりガラスの向こうで、カーテンがシャワーに揺れていた。

 きゅ……と蛇口を捻る音がして、カーテンの向こうから綾乃が現れた。大雑把にバスタオルを身体に巻いて、大股にバスルームの扉を開けた。

「何」

 綾乃とともに湯気がもわっと洗面所に溢れた。

 湯上がりの潤んだ綾乃の肌を水滴が伝う。青いバスルームに白い肌が赤く染まって、濡れた髪がそこに張りつく。そのコントラストが暢子を射貫いた。

 立ちこめる湯気は綾乃の好きな石鹸の濃厚な薔薇の香りで、綾乃の肌の匂いと混じって暢子の身体の深いところを熱くさせた。ぽたぽたと滴を垂らしながら、暢子の方へ向いた綾乃の顔には何の表情もない。

「垂れてるよ」

 暢子は戸棚から予備のタオルを取り出して、綾乃の身体をそっと包んだ。そのままそのタオルで濡れた床も拭いてしまう。綾乃の髪から垂れた滴が暢子の頬に当たった。

 目の前に柔らかな曲線があった。綾乃の脚の間で昼の光が眩しかった。

 綾乃は暢子に構わず、身体に巻きつけたバスタオルの端でわしわしと髪を拭く。

「何か、用があったんじゃないのか」
「あ……うん」

 暢子は手にしたタオルを使用済みの籠に入れるため、綾乃に背を向けた。

「食事、できてるよ」
「うん」

 綾乃はごしごしと髪を拭いていた。綾乃に背を向けたまま暢子は唾を呑んだ。

「今、晴月社から電話があって」
「ああ、北山か」

 暢子は心持ち身体を反らし、ぎゅっと目を閉じた。

「アシの面接、場所借りるなら借りるでそう言っといてくれないと。困るんだよね」
「ああ。悪かった」

 暢子の背後で、綾乃が衣服を身につける気配がしていた。暢子は瞼を伏せたまま声を潜めて綾乃に尋ねた。

「……どうして、晴月社に頼んだの」
「福住に募集の手間をかけさせたから。会場は晴月社を使ってやろうと思って」

 理屈が通っていない。

「自宅からもここからも、福住よりは近いしな」
「ふーん」

 トレーナーにゆったりした綿のパンツ。楽な仕事着を身につけて、綾乃は暢子の鼻先からドライヤーを手に取った。薔薇の香りが濃くなった。綾乃の汗の匂いを含んで湿って香った。暢子は奥歯を嚙み締めた。

「綾乃」
「ん」

 暢子の耳許でガーガーとドライヤーが音を立てる。

「あとで日程詰めよう」

 俯いたまま暢子はバスルームを後にした。
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